ハロルド
(ハロルド)
……夢を見ていた。
近頃、見るのは決まって同じ夢だ。
かじかむ指先で必死にかき分けた空気。
その薄い空気を吸えば吸うほど、酸素が肺から奪われるようで、ただ、苦しかった。
あまりの苦しくさに咳き込んだ音や、自分のはばたきしか聞こえない、静かすぎる世界。
こんな、寂しく、辛い場所に。
「……ロイゼ」
固く閉じたまぶたの、そのまつ毛も凍るほど、冷え切った世界で、淡い光に包まれて眠る君。
「ロイゼ!!」
いつのまにか人に戻った手足で、君を抱きしめる。
こんなに静かな世界にも関わらず、君の心音は雪が降り積もる音よりも、小さな音だった。
早く、早く、早く、早く。翼が折れても、二度と羽ばたけなくなってもいい。だから、安全な場所へ。
早く、早く、早く、早く。1分でも1秒でも先に君を温かな場所へ。
――私に魔法が使えたら。
――私が間違えなければ。
――私が信じていれば。
後悔ばかりが押し寄せてくる。
それでもはばたきを止めず、ようやくたどり着いた城で。
強く握りしめた君の手から、力が抜け落ちる。
心音が竜の耳を持ってしても聞こえなくなる。
「……ロイゼ! ……ロイゼ!!!!!」
その名を叫んだ。
これは夢だ。夢だとわかっている。
だって、現実の世界で君は目を覚ました。
たとえ、今世と前世の記憶を失っていたとしても、君は目を覚ましてくれたのに。
「!!! ――!!!!!」
轟音に近い悲鳴を上げる。
早く、早くこの夢から覚めなければ。
この世界が現実になってしまう前に、早く。
叫んで、ただ叫んで、声も枯れるほど叫ぶと、ようやく世界は瓦解した。
◇◇◇
「……で、――なので、できればこの件に関しては……」
「どうした?」
急に言葉を止めたのは、側近であり友でもある、イグナーツ・ジルベールだった。
「陛下、私、イグナーツ・ジルベールが10分ほど、離席することをお許しください」
イグナーツはそういうと、度が入っていない眼鏡を外した。
「お前、眠れてないのか。……ほかには悟られてはいまいが、顔色が悪いぞ」
「夢見が悪くてな。……そんなことより」
友は、私の言葉に片眉をあげた。
「そんなことより? 王たるお前の体調よりも重要な案件がどこにある――」
「ロイゼのことだ」
「あったな」
ふむ、と頷くと、イグナーツは自身の茶色の髪をかきあげた。
「番様がどうしたって? エルマ・アンバーの行方はまだ調査中だが」
「左利きだったんだ」
「うんうんそれで?」
「それだけだ」
緑の瞳は私の言葉に、ぱちぱちと瞬きをした。
「…………はぁ?」
「私は『ロイゼ』について、何も知らない。……知らなかった」
ミルフィアの影ばかりを追い求めて、大事なものを見失った。
偽られていても、本質が見えていれば、きっとロイゼを一度失うことも、傷つけることもなかった。
これは、私の過失であり、罪だ。
「ハロルド、お前――」
「それでも知っていたこともある。ひたむきに魔法を極め、魔術学校を主席で卒業したこと。平民の出ながら、魔術師団の幹部まで昇進し、ついには団長にまでなったこと。……それなのに、私は」
傷つけることが愛ではないと、君に教えてもらったのに。
ミルフィアじゃないと思っておきながら、揺らいだ自分が怖くて、恐れを君にぶつけた。
そうすることで、愛が、約束が、誓いが、守られるのだと思っていた。
「そうだね、お前は愚かだよ」
あっさりと頷いた友は、でもさ、と話を続ける。
「間違えました、傷つけました、ごめんなさい……それで終わらせられるような情けない男じゃないだろ。寝不足なのは、それが原因か」
「……ああ」
イグナーツの言葉に小さく頷く。
「ロイゼには別の道があるのではないかと」
「回りくどいな。……つまり、運命の番を解消する方法を探してたってこと?」
運命の番。
来世もと誓いを結んだ恋人たち。
特に竜王の運命の番は特別で、二人が結ばれれば繁栄をもたらすと言われている。
「まあ今のままだと、番様が望まなくても、強制的にお前の結婚相手になるもんね」
「……私は」
――夢を、思い出す。
手から力が抜け落ちる瞬間を。
心音一つ聞こえない静寂を。
「もう、失いたくないんだ」
ミルフィアとは異なる色で、それでもミルフィアと同じ熱を持っていた紫水晶の瞳。
今はその熱はどこにも見当たらない。
もう二度と蘇らないのかもしれない。
それでもいい。
ただ、生きていて欲しい。
私の言葉が届くことはなくとも。
その美しい瞳に映ることはなくても。
だから、どうか。
「……やっぱ竜は似るのかな」
小さく漏らした友の言葉に首を傾げる。
「いや、なんでもない。……と、10分経ったな」
時間に正確なイグナーツは、再び度の入っていない眼鏡をかけると、側近に戻った。
再び、報告を始めたイグナーツの声に耳を傾ける。
何が最善なのか、その答えを探しながら息を吐き出した。
ここまでで、4章終わりです!
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