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エステルドバロニア  作者: 百黒
6章 聖の国と獣の国
91/93

6 気配



「そうか……」

 

 事の顛末を聞いたカロンが、そっとコンソールの表示を消した。

 執務室の机の前で暗い顔をするカロンを心配そうに見つめるルシュカだったが、そのカロンの正面に立っている、いまだ傷だらけのエレミヤにも視線を向けていた。

 エステルドバロニアにとって初の不利状況による撤退は、軍の中でも大きな話題となった。

 戦略的撤退はこれまで幾度もあったが、明らかな損害が理由による撤退は例がない。

 ルシュカも表面上は平静を装っているが、内心ではかなり動揺していた。


「……王様」


 抑揚のない声に、カロンは優しく応える。


「なんだい?」

「人間って、残酷なんだね」

「……そうだな」

「地下伽藍の連中と大して変わらないんだって、初めて知ったかも」

「うん」

「……それでね」

「うん」

「アタシ、初めて人間の赤ちゃん抱っこしたんだ。なんか、あんなに可愛くて弱いなんて知らなかった」


 彼らは、元々ゲームのNPCだ。

 そして相手も同じく、人間のNPCだった。

 ゲームのシステムに縛られる両者の戦争において、赤子や非戦闘者を殺害する行為は戦闘の後に起こるようにプログラムされていれば、町一つ滅ぼす行為の際には、勝者と敗者の構図が生まれている。

 敵対してきた国の人間を許すほど甘くはない。エレミヤとて、そういった経験は山ほどしてきた。

 だが、どれも勝者による簒奪だ。勝者の得た権利だ。

 断じて、囮として自国の強者に奪われるべき命ではないはずだ。


「……こんなこと言ったら、怒られちゃうかもしれないけどね」


 赤黒く変色した血の跡を見ながら、今にも泣きそうな声が絞り出される。


「アタシ、守りたかったんだ。あんなちっちゃな命を」


 エレミヤは戸惑っていた。

 初めて、赤子を抱いたことで自分の中にこれまで存在しなかった感情が生まれたような気がしていた。

 色んな魔物の赤子を見てきたが、あれほど貧弱な、ゴブリンやスライムにも劣る生まれたての命に触れたのは初めてだった。

 いや、そんな命の失われた亡骸を腕に抱いたのが、初めてだった。


「エレミヤは、子供が好きか?」

「わかんないです。嫌いじゃないとは、思います」

「そうか」


 カロンは立ち上がり、エレミヤの側へと回って優しく抱きしめた。

 小さく震える体を温めるように、自分が汚れることも厭わずに。


「王様?」

「私は容赦をしないと決めた。決めて、皆を動かしたのだから、揺らぐわけにはいかない。お前たちに、一人残らず殺せと命じることもあるだろう」

「分かってる。いつもしてきたから。あんな殺され方するくらいなら、アタシの手で……敵の手で殺してあげたい」


 歪んだ価値観を受け止めてもらいたいと、エレミヤも抱きしめ返す。

 カロンの腕に、力が篭ったのを感じて、薄く涙を流したエレミヤの顔に安らぎが浮かんだ。


「ありがとう、王様ー」


 気持ちが晴れたのか、汚れた顔にはいつもの笑顔があった。

 満足したのか、エレミヤは少し名残惜しそうにカロンから離れると、「戻るね」と短く告げて足早に部屋を出て行った。

 残されたカロンとルシュカ。

 佇むカロンにどんな言葉をかけるべきか分からず、ルシュカは視線を彷徨わせながら空色の髪を指で梳いた。

 深い溜め息が、空気を切り替えた。


「グラドラたちを戻そう」

「まだ全域の探索が終了していませんが、構いませんか?」

「ヴァーミリアも向かっているのなら、我々がぶつかるよりも裏を取ったアーレンハイトと遭遇してくれたほうがいい。スキル封印兵器は移動に難がありそうだからな。前線が遠のいていく西側に配置して追いかけてくるのは難しいだろう」

「確かに。あの兵器が稼働していた場所はいずれも即座に転移可能な場所でしたね」

「まだ全体を確認できてはいないが、轍のサイズから相当大きな代物だ。挟撃される可能性は考慮しておくが、その際はこちらも海から挟めばいい」

「承知しました」


 椅子へと戻り、乱暴に腰を下ろしたカロンは、部下の前では珍しく仰け反るように体を預けた。

 エレミヤの血が軍服に提げた金の装飾に付着しているのに気付いて、ルシュカは側へ寄ってハンカチで優しく拭った。


「嫌な気分だ」


 カロンの呟きに共感するように、ルシュカからも怒気が漏れる。

 侵略戦争の一幕でしかないし、侵略者のこちらが言うのはお門違いかもしれないが、それでも自国民を囮にする所業は胸糞の悪いものだ。

 まだそこまで追い詰められているわけでもないのに、必要なことだったのだろうか。

 無言で思考に陥ったカロンに、ルシュカが一つ考えを述べる。


「非道ですが、効果的ではあります。町一つが住民ごと破壊されたのですから、それを我々の仕業と流布すれば士気は上がるでしょうし。ただ、そうだとしても……守るべきものを履き違えています」


 なるほど、とカロンは思う。

 アーレンハイトから見れば、兵器で嫌がらせをして撤退するを繰り返しているばかりだ。それで押し返せているならまだしも、徐々に後退していれば気分も曇る。

 このまま負ければどうなるのかを演出してやれば、兵は守るために死物狂いで戦う覚悟を持たざるをえない。

 としても、ひどいやり口なことに代わりはないのだが。


「守善とフィルミリアからの報告は?」

「町や村は見つけているそうです。ですがどこも避難を終えているそうで、相変わらず妨害ばかりと」

「この先に有利を取れる地形があるのだろうか」

「でなければ、戦線の薄さに説明がつきませんね」

「ふむ……」


 机を指で叩きながら、天井の木目を眺めて思案するが、コンソールを操作して映し出す情報では計れない。

 暫くまともな戦争から離れていたせいか、まだゲーム時代の戦争の感覚が戻っていないようにカロンは感じていた。

 妨害されてマップ情報が入手しづらいのはともかく、厄介なのは、やはりスキル封印兵器だろう。

 アポカリスフェにおいてもスキル封印の魔術などは存在しているが、魔術によって防ぐことができた。

 しかし今回は魔術の影響を受けることなく、全魔物に作用してしまう。

 見つけ次第破壊するのが最も簡単な対処だが、あの射程距離では敵軍最後方からでも届いてしまう。


「総力戦に持ち込んで、奇襲するしかないか……鹵獲できるのが理想だが、そこまで高望みはするべきではないな。ルシュカは、何かいい案を持っているか?」


 問われて、ルシュカは逡巡したのちに首を左右に振った。


「カロン様のお考えが最も適切かと。私には、それ以上の案は浮かびません」

「買いかぶり過ぎだ。ともあれ、奇襲は確実に成功させなければならない」


 カロンが何を言うのか悟って、ルシュカの目に強い光が宿る。


「やれるな?」


 ルシュカは深々と頭を下げて、可否を問うことなく信頼を預けてくれたカロンに、短く応えた。


「無論です。そのための我ら第十六団ですから」

「では、その件は任せる」


 カロンはコンソールを操作しながら、ふと思い出したことを尋ねた。


「アルバートは、確か紗々羅から送られてきた検体と生存者を受け取っていたな」


 ルシュカはすぐに記憶を探り、「はい」と答えた。


「生存者はまだ目を覚まさないそうです。魔術的な要因ではないらしく、死なせるわけにもいかないので看病しております」

「検体からは何か分かったか?」


 ルシュカはゆるゆると首を振る。


「解体しましたが、魔物のようであり、人間のようでもあるということしか」

「人間にも似ている?」

「はい。魔物は魔力から生成されます。動物は様々な元素で構成されますが、魔物は()()()に魔力が使われます。なので魔物は、外観や能力に制約がほぼありません。どのように種族が決定するのかは……生成していく過程で取り込んだ物質によるのかと考えられています」


 つまりはカロンの使う召喚は、カードによって種族が決定し、膨大な魔力が周囲の元素を取り込んで設計図通りのものを作っていることになる。


「それで?」

「あの白い魔物の肉片は、動物のように結合したものを魔力が再結合させた歪さなのだそうです。元となったのが人間とは限らないですが、可能性は高いそうです」

「……なるほど。そうか」


 飲み込むには些か難しい話だったが、カロンはなんとなくだが理解した。

 カロンがその検体の所在を尋ねると、ルシュカはすぐどこかに連絡する素振りをとった。

 一分も待たずに玉座の間の扉が開き、スズメバチとセミを掛けあわせたような魔物が玉座の下まで来ると、恭しく小さなガラスの箱を掲げた。

 中には、断面も白いせいで肉片ではなく白子に見える物体がある。

 カロンはステータスを確認するようにそれを見て、


「ん?」


 と首を傾げた。

 動物や魔物の死骸はアイテムとして分類されるため、表示される場合は何々の死骸と表記されるはずだ。

 しかし、


 《アリオイシャレンフックドべゼッタアナータスタシリッアク》


 意味不明な文字の羅列が並んでいた。

 表示がバグを起こしているのかと思って他の項目を確認していくと、この物体に関する情報だけが異常であることが分かった。

 これはカロンにだけ見えるものだ。他の誰かと共有できることではない。

 考えたくない可能性が脳裏を過り、カロンはゆっくりと瞑目して、間違いであってほしいと心の中で何度も唱えた。






 アーレンハイトの西端であり、亡きカランドラとの境界線だったスネロ川を渡り、ヴァーミリアの誇る獣人兵団はアーレンハイトの土を踏んだ。

 総勢三万の軍勢を従えるのは、グラングラッド=ガルバ。黄金王の長兄にして、生粋の将校である荒々しき獅子人(ライオネル)は、巨大なライオンの魔獣【ワイルドグロー】に跨って先頭を進んでいる。

 三万の兵を従えることに迷いはなく、統率力は確かなものであると兵の動きに表れていた。

 横暴な振る舞いは変わらないが、その上で信頼を集めているのだから、優秀な将であろう。

 なぜか隣を歩かされている散々紗々羅は、ぼんやりと前を見ながらそう評した。


「くそ。兄上め……」


 紗々羅の隣で虎の魔獣【ジョゼ】に跨るジルカは忌々しげに呟いた。


「これじゃサザラが兄上の手兵みたいだ。僕が断れないからって……」

「断わりゃよかったじゃねえか」


 紗々羅は、その小声に合わせずガルバの耳にも聞こえる音量で話す。

 じろりとガルバの目が向けられて、ジルカは身を竦ませた。


「サザラ。君のそのやり口は当てつけなのかい? もしかして僕に怒ってるとか?」

「ナヨナヨしてる奴が嫌いなだけだ。言いてえことはぱっと言うもんだろうがよ」

「でっ……できるわけないだろっ。僕の立場分かってるだろ?」

「だから良いように使われてんだろうが。ったく、頼りねえ雇い主だ」


 ジルカは口を噤むしかない。

 これまで裏で色々と画策していたのに、それらがこの明け透けな狸のせいで全て立ち行かなくなってしまったのだ。

 よりにもよって、ガルバに対してはっきりと敵対の意思を示されてしまったことで、ジルカがガルバを殺そうとしているのが公然の秘密のようになっている。

 強力な傭兵を雇えた代償はあまりにも大きかった。


「サザラよぉ、それじゃあジルカが馬鹿にされる理由を増やしてるもんじゃねえかあ?」

「強者には強者の理屈ってのがある。弱者のように逃げて媚び諂うのは延命になっても対等以上にゃなれねえ。姑息に勝っても認められることはねえ。ましてや強者のすることじゃねえ。そうだろう?」

「ぎゃはははは! その通りだ! 最高だなサザラはよお!」


 幸運だったのは、そんな紗々羅をガルバが気に入っていることだけである。


「俺様には弱い奴の考えは分からねえが、お前の言う理屈だけは骨身に染みてるぜえ。ヒヒ」


 上機嫌なガルバに、紗々羅はそれ以上話しかけなかった。

 口にしていながらも、どこかその理屈に対して思うところがあるようにジルカには見えた。


「ガルバ様、もうすぐです」

「おぉう。そうかぁ」


 部下の言葉に、ガルバは鷹揚に答えた。


「サザラ、あれがアーレンハイトの関門……だった場所だぁ」


 大きな指が差したのは、草原の中に聳える一本の塔だ。

 プリズムのように、日の光を反射してキラキラと虹色に輝いている。


「ありゃ、結界の楔か」

「さすがだな。あれがアーレンハイトの七輪の大結界(セブンスブルーム)だ。こいつのせいでヴァーミリアもカランドラも侵攻できなかった。けど、もう壊れてやがるなあ」


 塔は魔力の込められた鋼で出来ていたが、それ以上の力を感じられない。

 周囲にも魔力が帯びている様子はなく、目に見えずとも結界が張られていないと分かった。


「エステル……エステルドバロニアとか言ったか。こんな簡単に割れるのは、相当な戦力を持ってるみたいだなあ」


 ガルバの想定では、結界が壊れるかどうかを塔の前で確認するつもりだったが、すでに壊されているとは思ってもいなかった。

 曲がりなりにも聖王国が多くの犠牲を払って作り上げた強固な結界だった。一枚目は薄かったが、そう易々と破壊できるものではなかったと語る。


「下手に進んでエステルドバロニアにぶつかりたくはないなあ。あの幻惑の中じゃ後入りのオレサマたちが不利だ。結界が割れる前ならよかったが、この様子だと大分深くまで入ってそうだ」


 朧に揺れる景色を見ながら、ガルバは冷静に状況を判断していた。

 ただ力だけで周囲を跪かせただけではないことを証明している。


「魔物の警戒はしねえのかい?」


 紗々羅が問うと、ガルバは笑うことはせずに答える。


「魔物っつうのは、高濃度の魔力滞留域から自然発生するか、交配による自然繁殖の二種類でしか生まれねえんだが……この大陸はな、男神による汚染のせいでどれだけ魔力が濃くても魔物が発生しねえのさ」


 人間や動物と同じ構造を原子ではなく魔力によって生成された生物を総じて魔物と呼ぶ。

 獣人や亜人などがどれだけ知能が高く似た外見でも、人間とは全く別の生命体に分類されるのはそこにある。

 原理が解明されたことはなく、ただそうなのだと誰もが漠然と認識しており、男神による影響だということも同様に漠然と感じ取っているだけだ。


「まあ、どうしてって聞かれても答えられねえ技術レベルなんでなあ。帝国でもなりゃあ知ってるかもだが……とにかく、魔物は発生しねえのさ」

「あくまでも自然発生できないような何かがこの大陸に影響を及ぼしているだけで、交配は問題なく出来るんだ。だからヴァーミリアは家畜にできない魔物を国土から滅ぼしたっていう話だよ」


 だからこんなに無警戒で大陸の横断を行えたのか、と納得する紗々羅に、今度はガルバが尋ねる。


「サザラよお。行くしかねえと思うかあ?」


 そこで、紗々羅に話を振った。

 企みがあることを表情に表していた。


「あ? 儂には関係無えだろう。そも、行かねえ選択肢なんぞありゃせんくせに」

「なら言い方を変えてやる。お前がジルカで先導しろ。なあに、日が傾くまでの間だけだ。それで俺からの命令は終わりにしてやる」


 紗々羅にはガルバの考えまでは読めなかったが、理解したジルカはますます苦虫を噛み潰したような顔をする。


「なんだいそりゃ」

「サザラ……ガルバは、自分がお前を扱えるってところを見せたいんだ。お前の実力は兵たちも分かってる。それに命令して動かせる姿を見せれば、お前の雇い主が誰なのか印象付けれるんだ。もし戦いになればお前は自然と戦うだろうから、今ここで印象付けようって魂胆だよ」


 なるほど。

 つまりジルカが馬鹿みたいにナメられまくってるからだな、とは言わないでおいた。

 イジメに加担するのもくだらないと、紗々羅はジルカを見て少し考えてから、空間の裂け目に手を差し込んで黄金の六角棍を六本取り出した。

 

「待ってな」


 それだけ告げて、紗々羅はさっさと先行した。

 三本の“四聖六道浄破棍”が警戒するように紗々羅の周囲を飛び回り、三本は指の間に挟み込んで片手に握り、空いた左手で呪術の符を投げて一人で探索を始める。

 微かに兵士のどよめきとガルバの演説が聞こえたが、紗々羅としては今一人になれる方が重要だった。

 状況に合わせて戦うことは得手だが、周りに気を使って戦うのは不得手なのだ。

 スライドショーのように、投げた符に反応して切り替わる周囲の景色。

 カロンから逐一届く、魔術を用いない特殊な方法の定時連絡で、エステルドバロニア軍の動向は確認できている。

 グラドラたちが前線に合流する直前まで探索した範囲と、先程ガルバの語っていた情報を合わせると、裏から奇襲できるのは今紗々羅がいる方面が濃厚である。


「……来るか」


 ヴァーミリアの軍勢から離れて暫く歩いたところで、符が反応を示した。

 まっすぐ何者かが迫ってくる。

 紗々羅の胸元の高さに生い茂る草を掻き分けながら迫った相手は、紗々羅が身構えるのと同時に高く飛び上がった。


「はぁぁああ!!」


 紗々羅目掛けて急降下してきたのは女だった。

 白い鎧に緋色の外套。白と金の盾に緋色の剣。

 普通の騎士とは違う。

 顔は冑で覆い隠されているが、絢爛な鎧の形状と手足の細さ、そして声から判断できた。


「勇者かよ!」


 振り下ろされる緋色の剣を金の六角棍で受け止めた瞬間、衝撃が周囲の草を吹き飛ばした。

 両者の武器は交差して拮抗していたが、紗々羅の方が余裕をもって受け止めているのを感じた騎士は、剣を押す力に身を任せて後方に飛んで距離を取る。


「運がいい。初戦から大手柄になりそうだ」

「ヴァーミリアの獣人たちよ! なにゆえアーレンハイトの地を踏むか!」


 楽しげに口を開けた紗々羅を無視して、騎士は叫ぶ。


「我らは悪しき魔王の尖兵を、このルサリアから討ち滅ぼさんとしている! それはヴァーミリアとも思い同じくしているはずだ!」


 騎士は紗々羅だけではなく、離れて様子を見ているガルバたちにも向けて声を上げている。

 だが、そんなことは紗々羅には関係のないことだ。

 この大陸の争いなど、些末事なのだから。


「このまま兵を下げるならばこちらも手は――くっ!」


 投擲された棍を、騎士は咄嗟に盾で防ぐ。

 鋭く重い棍を逸らすまで騎士は地面を削りながら押し飛ばされ、盾で弾いたところで紗々羅を見た。


「話すら聞けないほど獣に堕ちたか! ヴァーミリア!」

「悪いなお嬢ちゃん。あっちはどうか知らんが、儂はヴァーミリアの獣人じゃないんでな。てめぇさんの演説にゃ何も感じねえんだわ」

「はあ!? どういう……まさかヴァーミリアは既に魔王軍に与しているのか!? ならカランドラが滅びたのは」

「誰と戦ってんだ? 相手は儂だろうが、よお!」


 大声で独り言を並べる騎士に、紗々羅は二度投擲する。

 それを盾と剣で捌いて、ようやく無視できる相手ではないと認識した騎士は、くるりと剣を回してから魔力を刀身に注ぐ。


「全てを砕け。鐘の音よ!」


 そう叫んで剣が振られると、剣閃から低く響く梵鐘のような音が鳴った。

 音の波は目に見えずとも、騎士を中心に草も土も大気までも粉々に破壊しながら紗々羅へと迫る。


「《八海(さまた)(あやま)たぬ御柱》」


 紗々羅は八枚の呪符を投げて呪術を唱え、眼前に八枚の守護壁を作り出して音を防いだ。

 ゴォン、という音が力を失って尖った耳に届くまでに五枚の壁を破壊したことに、紗々羅は嬉しそうに口笛を鳴らした。


「いい威力だ。これが“破砕”の勇者の力かい」


 まだ余力のある守りだったが、それでも生半可な攻撃では一つも割れない強度はあった。

 それを、余力のあるスキル発動でここまで割るとなると、下等な世界の勇者と侮ることはできないと紗々羅は期待する。

 対して、騎士アイネス・フリートは強く歯噛みする。

 ヴァーミリアの獣人は一人一人が精強であり、騎士では太刀打ち出来無い代わりに、勇者がいることで拮抗していた。

 しかし、紗々羅は明らかに格が違う。武勇に秀でるグラングラッド・ガルバよりも上だ。

 敵対されても蹴散らせると踏んでいたのに、たった一匹で凌がれるのは想定外だった。


「鐘の音よ!」

「同じ手は食わねえぜ?」


 再び剣を振るアイネスに向けて、紗々羅の周りを浮遊していた棍が意思があるように襲いかかった。

 アイネスの“破砕”は棍に衝撃を与えるが、破壊には至らない。

 迫る分厚い音の壁を耐えた棍はアイネスを貫かんと飛翔するが、アイネスは軽い身のこなしで避けながら、指向性をもたせた音を放って対抗した。

 飛び回る六本の黄金に応戦しながらも、隙を見て紗々羅に破砕を放つアイネス。

 紗々羅は破砕が来るたびに符で防御し、立ち止まってから一歩も動かぬまま相手取っていた。

 明らかな力量差があった。

 お互いにそれを感じていたが、お互いがまだ本気じゃないことも悟っていた。

 その戦闘は、決して介在できるものではなかった。

 ガルバたちの目には、ぶつかり合う度に衝撃波が発生し、草原がどんどんと土が剥き出しになった荒れ地へと変わっていくのがよく見える。

 その激しさは、まさに勇者と怪物の戦いだった。


「っ!」


 一歩も譲らぬ攻防だったが、たった一度、アイネスが紗々羅の攻撃の対処を誤って、逸らすことのできない状態で棍を受け止めてしまった。

 その隙を見逃さず、五本の棍がアイネスをその場に縫い止めるように地面に突き刺さって檻を成す。

 草原を丸裸にしかねないほどに激しかった攻防が、しんと静まった。


「やるなあ。勇者ってのはこうじゃねえとな」


 歩み寄りながら、紗々羅はアイネスを賞賛する。

 勇者特有の能力強化を全力で解放していないのだろうが、それでも素直に強いといえた。

 まだ手の内を全て晒す場面ではないと考えているのが、囚われたアイネスの落ち着きようから見て取れる。


「部下を逃がす時間稼ぎかい? いい将だ」


 初めてアイネスの顔に悔しさが滲んだ。


「知っていて逃がしたのか」

「いいや? さっきも言ったが儂はヴァーミリアの獣人じゃねえんでな」

「我々を甘く見過ぎだ……と言いたいところだが、それはこちらも同じか」


 アイネスは自嘲し、ふっと力を抜いた。


「それで、何が聞きたい? わざわざ捕らえたのだから聞きたいことがあるのであろう?」

「時間稼ぎか。そりゃ儂にも好都合よ。ちんたら歩いとる獣人どもが来んとならんからな。てめえさんもそうだろう?」

「……貴方は本当に誰の味方なのよ」


 態度を軟化させて素を見せたのは、どこを向くのか分からないクルクル回る風見鶏のような紗々羅に、心から呆れたからなのだろう。

 しかし、アイネスが何かしようとしているのは間違いない。

 魔物一匹と激戦を繰り広げるよりも、ヴァーミリア軍に打撃を与えたいと考えているのが紗々羅には読めていた。

 恐らくは殺意がないのを感じ取ってわざと隙を晒している。

 どう挽回するのかと期待しつつも、紗々羅はヴァーミリアに注意を促すことはせずアイネスとの話に興じることに決めた。


「まずは、名前から聞こうか」

「アイネス・フリート。破砕騎士団の団長」

「歳は?」

「十九」

「出身は?」

「アーレンハイトのエッツァで……って、もう少し大事なこと聞こうとしなさいよ!」

「答えんだろうが」

「そうだけど……もっとこう、あるじゃない!」

「辱められる趣味でもあんのなら応えてやってもええぞ?」

「あるわけないでしょ!」


 とても有意義とはいえない問答で怒られる紗々羅。

 耳をほじって気怠げにするが、紗々羅もまだ殺せないのでこんな時間潰ししかできなかった。

 なので、今度はもう少し深く、触れやすい話を振ってみる。


「なら、カランドラとやらを滅ぼしたのはてめえさんたちかい?」

「いいえ。私はその原因の調査をしに向かっていたのよ」

「あの渓谷の国にいた白い化物のことは?」

「話には聞いてるけど見たことない」

「ヴァーミリアがやったと思ってんのか?」

「ヴァーミリアにそんな秘密兵器があるとは思えない。カランドラに流れる川の源流はヴァーミリアの近くにあるから、そこから毒を流したっていうのが一番疑わしいけれど、それだけじゃ説明がつかないことが多いわ」


 つまりは、


「魔王軍が怪しいのかい」

「貴方たち以外いないじゃない」


 アイネスがエステルドバロニアを魔王の軍だと思っているのは腹立たしくはあるが、訂正できないのがもどかしい。

 これから滅ぼされる国にわざわざ教える必要もないかと、紗々羅は気持ちを戻して話に戻る。

 

「あの白い化物の正体は?」

「だから、そっちのほうが詳しいでしょ」

「当たりもついてねえのかい」

「見たことないわ」

「そうかい。じゃあ」


 もうヴァーミリア軍も近いと、最後の質問をした。


「あの城の地下にあるのは、一体なんなんだ」


 アイネスの答えは早かった。


「なにそれ」


 嘘を言っているようには見えず、本気で分かっていない様子だ。

 紗々羅は見極めるように黙っていたが、アイネスが剣を握り直す音を聞いて時間切れを察した。

 紗々羅はアイネスを殺すつもりはない。逃がすつもりもない。

 だが、今の状況は拘束していると言えないし、確実にダメージを与えないと逃げられるのも分かっている。

 そこで紗々羅は、全力を出して逃げようとするであろうアイネスを、ヴァーミリア軍を捨て駒にして油断したところを叩きのめして確実に捕らえようと考えていた。

 無関係な魔物がいくら死のうが関係はないし、それと引き換えに勇者が手に入ればお釣りがくる。

 もしガルバが文句を言っても、それで黙らせる算段だった。

 が、その計画を破ったのはヴァーミリア軍でも、アイネスでもない。

 突如現れた巨大な蒼炎の刃が、草原を焼き払いながら紗々羅へと猛進してきたのだ。

 

「ちぃっ!」


 咄嗟に呪術《八海妨ぐ過たぬ御柱》を展開するが、注連縄(しめなわ)を吊るした八枚の壁は瞬く間に斬り裂かれる。

 手にする三本の棍で受け止めるも、炎の高熱を伝搬した黄金は紗々羅の手を焦がし、その巨体が地面を削りながら後方に押し込まれていく。

 アイネスのそれとは比べ物にならない威力の一撃に身動きを封じられた。


「おらぁ!」


 ウェポンスキル・棍《太極双破》

 爛れて張り付いた皮膚を四聖六道浄玻棍から剥がし、三本を大きく逸らして蒼炎の下を潜るように姿勢を低くする。

 直進を止めない炎はヴァーミリア軍に向かうが、紗々羅は構うことなく炎を放った何者かへと投擲した。

 耳鳴りのような金属音を鳴らしながら飛んでいったが、棍は草を貫くだけだ。

 探知の符はまだ機能しているが反応はない。


「気配も匂いもねえのは勇者の力か?」


 楽しくなってくると独り言が増えてくる。

 逆境になるほど燃えてくるのが散々紗々羅だ。この状況は楽しくて仕方がない。

 ただ、ヴァーミリア軍がすぐ近くに集まっているのが厄介だった。

 自業自得ではあるが、おかげで広範囲攻撃を使うことができない。敵が勝手に殺すのは言い訳が立つが、自分の攻撃に巻き込むのは宜しくない。

 ふと、女勇者はどうしたか気になって視線を向ける。

 そこには、金の棍棒だけが突き刺さっていた。


「はっはっはぁ。してやられたな。いかんいかん、腑抜けすぎておったわ」


 紗々羅は、自分の情けなさに思わず笑った。

 恐らく最初の攻撃がきた時点で救出していたのだろう。ならば、もうこの場には留まっていないはずである。

 ヴァーミリア軍に手出しをしていないのは、そうする必要性がないからだろうか。だとすると中々の自信家だ。


「サザラァ。迂闊すぎんじゃねえのかぁ?」


 大股でやってきたガルバに指摘されるも、紗々羅はただ笑うだけだ。


「あれが、アーレンハイトの勇者か。見事な一撃だった」

「多分ありゃあ“晴嵐”だ。オーバン・クリフォード。今一番強い」

「へぇ」


 紗々羅は手元に六本の黄金を引き寄せながら、去ったであろう聖王国の首都の方角を見つめていた。

 その側に、ジルカもいそいそと近づいてくる。


「大きな戦争は四十年以上行われていないから、今の聖旗軍にいる勇者の実力は風の噂でしか知らないんだ。“斬裂”アルガンだけは知ってるけど、それも昔のことだから」


 この場にいるヴァーミリアの兵士たちの殆どが、勇者の力を目の当たりにしたのが初めてのことなのだろう。

 紗々羅の所感ではあるが、あの勇者に対抗できる何かがヴァーミリアにあるように見えない。

 あの梟が所属していた冒険者にそれほどの力があるのか。それともヴァーミリアにも勇者がいるのだろうか。


「晴嵐ってんなら、風を使ってきそうなもんだがな」

「使ってただろお?」

「……ありゃ火のほうが派手だったじゃねえか」

「だなぁ」


 ガルバがゲラゲラと笑うのを聞きながら、紗々羅は爛れた手のひらを見る。

 ジリジリと皮膚から浸透する熱の痛みは、ただの火傷とは少し違う。

 記憶にあるのは、限られた勇者にだけ許された伝説の武器によって受けた傷に似た感覚だった。


「余波で死んだ奴らの処理をしたら行くぞお」


 ガルバに肩を叩かれて、紗々羅は兵士たちの方へと目を向けた。

 たった一太刀の余波で負った被害は、紗々羅が思っていた以上のものだった。

 どうやら死者も出ているようで、倒れて動かなくなった獣人を脇に寄せているのが見える。

(とすると、尚更分からねえ)

 魔術国を滅ぼしたのは、誰の、どんな手段なのか。

 離れていくガルバの背を、紗々羅はじっと見つめていた。

 




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― 新着の感想 ―
[一言] 早く続きが見たいです。 執筆頑張ってください。
[良い点] やっぱり人間との違いの心情と人間と関わり合う中で心情の移り変わりはとても素敵だと思います これが人外系の醍醐味だと思いますね [気になる点] もう更新されないんでしょうか… すごく楽しみに…
[良い点] 主人公の心理描写 魅力的なキャラクター まだ明かされていない謎がいくつもある所 [気になる点] 続きが気になる [一言] 面白くておもわず一気読みしました 作者様のペースで今後も更新してい…
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