エピローグ
最終話となります。
馬車で学校に向かう途中、プレセアは父親から渡されたリヒトからの手紙を読んでいた。
達筆な字で綴られた言葉たち。
それはプレセアにかけた魔法がどんなものなのか詳細に綴ったものだった。
それから、消した記憶が戻った事による脳への負担もあるため、暫くは休むこと、とも綴られていた。
そして
今までありがとう。
プレセアさんと過ごせた時間は、とても楽しくて、幸せだった。
まるで、これでお別れの様な。
そんな言葉まで添えられていた。
だから学校に到着して直ぐ、プレセアは馬車を飛び出し、研究室へと向かった。
幸い、学校には生徒も先生の姿も無い。だから一気に駆け抜けた。
「リヒト先輩っ!」
研究室にやって来たプレセアはノックも忘れ、扉を勢いよく開けた。
肩を上下に動かしながら、息を整える。
しかし、何処にも彼の姿は見当たらない。いつも彼が丸くなって眠っている部屋の隅っこにも、研究のために必要な道具をしまっている倉庫の中にも。
研究室にいないとすれば思い当たる場所は一つ。
プレセアはすぐ様森へと急いだ。
共にピクニックをしたあの美しい花畑へと向かうために。
もしそこにリヒトが居たとして、プレセアを見たら彼はどんな反応をするだろうか。
きっと優しい彼のことだ。
一番に体調の方を心配してくれる事だろう。
薄暗い道。
歩きなれない、でこぼこした道。
あの時は二人で歩いた道のりは、少し大変だったけど楽しかった。
けど、今はどうだろう。
普段このような場所に一人で行くことは無いし、ただでさえ薄暗いのだ。
正直、少し……いや、かなり怖いのが本音だった。
しかし、この先にある花畑にリヒトがいると思えば、怖いなんて気持ちは無くなった。
そして漸く森を抜けた。
プレセアが膝に手を当て、前屈みになりながら息を整えていると……
「プ、プレセアさんっ!?」
「っ……!!」
聞き慣れた声。
落ち着いた、テノールの声。
けど、今は驚いているせいか、いつもより高めだ。
けど、聞き間違えるはずがない。
プレセアは弾かれたかの様にして顔をあげる。
するとそこにはこちらを心配そうに見つめるリヒトの姿があった。
「大丈夫!? ていうか、どうして此処に? まだ休んでないと駄目じゃないかっ!」
「す、すみません。けど! 居ても立っても居られなくて! 体調は全然大丈夫なので!」
嘘は一つも無かった。
最初は頭痛があった気もするが、それどころじゃない事態が起きたせいでそんなもの消えてしまった。
「……リヒト先輩。あの手紙なんなんですか? あれじゃあまるで……もう、さようならみたいじゃないですか」
震えた声でプレセアは言う。
今にも涙が溢れそうになるがそれを必死に堪えながらリヒトを見つめる。
そんな強い意志を感じ取ったのだろう。
リヒトは申し訳なさそうに話す。
「ご、ごめん。……えっと、ルイスくんから何か聞いてない?」
「何でここで彼の名前が? 関係あります?」
絶縁した男の名前が突然リヒトの口から出てきた事にプレセアはムッとした。
そんなプレセアの反応に、リヒトは瞳を瞬かせた。
「もしかして……聞いてない?」
「謝りたい、とは言われましたが拒否しました。過去のことを謝られても困ります。過ぎ去ったことですし、今更すぎますから。それよりも……ってリヒト先輩?」
ポカーンと口を開けてプレセアを見つめるリヒト。
自分は何かおかしな事を言っただろうか? と首を傾げていると
「……そっか。プレセアさんは、魔法なんて無くてもとっくにルイスくんへの想いは断ち切れていたんだね」
そう言って一人で納得した様で、リヒトは花畑へ向かって歩き出す。
プレセアは驚きつつも、その後を追った。
「僕さ。プレセアさんにかけた魔法が解かれた時、酷く焦ったんだ。……もう一緒に居られなくなるのかなって思って」
「え……?」
「ルイスくんの様子的に、関わるなと釘を刺されていたのにも関わらず、プレセアさんの身を案じて僕に接触をはかってきた。自分とは無関係な他人のためにそこまで危険な行動するかな、って思った。僕のこと、危険な魔法使いって認識してたから余計に」
ルイスが謝罪したいと話していた時の事を思い出す。そう言えばまだ何か伝えたがっていた様な気がする。
__もしかして、あの人
埋まるはずのなかったピースが埋まり、プレセアは気づいてしまった。
「多分、いや……間違いなくルイスくんは、プレセアさんが何より大切な女の子だって気づいたんだと思う」
どうやら正解だったらしい。
本当に今更だと思う。
あまりにも自分勝手だ。
謝って、もう一度愛を伝えればまた元の関係に戻れたと彼は思ったのだろうか。
全てにおいて舐め腐っているルイスにプレセアは苛立ちを感じた。
きっと自分に振られるとは微塵も思っていなかっただろうな。
なにせ、プレセアは本当にルイスに心から酔いしれていたのだから。
「だからさ……もし、二人が元の関係に戻れたらいい」
「ま、待ってくださいっ!」
プレセアはリヒトの口を手で塞いだ。
身長差もあいまって上手くは塞げていないが、言葉を遮る事はできた。
「それ以上は……リヒト先輩の口からは私、聞きたくないです」
そう告げ、プレセアは手をゆっくりと離す。
触れた指先が熱い。
いや、全身が熱い。
きっと顔も真っ赤になっていると思う。
そしてそれはリヒトにもバレバレだろう。
プレセアは俯き、手のひらで顔を覆う。
「わ、私があの人への恋心を断ち切れたのはリヒト先輩のおかげです。貴方があの日、私に声を掛けてくれたから。リヒト先輩が、私に出逢ってくれたから! その、だから……」
目を見てしっかりと想いを告げたい。
そう思っても恥ずかしさと少しの躊躇い。そして何より……怖くて顔を上げることが出来ない。
あの時と同じだった。
困らせるんじゃないか。
迷惑になるんじゃないか。
負担になるんじゃないか。
だが、このままじゃ婚約解消の申し入れをされた時と同じだ。
「プレセアさん。顔を上げて」
その時、優しい声が耳元で囁かれた。
少しくすぐったくて……けれど恐る恐る顔を上げた。
そうすれば目が合った。
熱のこもった、きらりと輝く瞳と。
「……僕だって君と出逢えたこと、本当に良かったって思ってる。君と出逢えたから変わろうって思えた。まぁ……臆病な僕は捨てきれず、こうして君に無茶をさせてしまったわけだけど」
そう言って苦笑しながらリヒトは続ける。
「本当は、二人の関係を応援するなら君の中から僕の記憶を消すことだってできた。でも……できなかったよ。プレセアさんに忘れられるのが耐えられなくて。それに……僕もあんな奴にプレセアさんを絶対に渡したくないって……思った」
その言葉にプレセアの瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。
もう限界だった。
一粒、また一粒と流れ落ちていく。
すると突然掻き抱くように回された腕で掬い上げるみたいに抱き寄せられて、踵が浮いた。
つま先立ちで胸の中に閉じ込められて、呼吸が止まる。
リヒトの香りが感じられて、プレセアは更に顔を真っ赤に染めた。
あまりにも突然過ぎることに驚いたが、それ以上に幸福感が溢れ出てくる。
「ごめん、泣かせるつもりはなかったんだけど」
「違うんです。嬉しくて……だって、リヒト先輩も私と同じ気持ちでいてくれた事が嬉しくて仕方ないんです」
「僕も凄く嬉しい…。好きだよ、プレセアさん。僕と出逢ってくれて…本当にありがとう」
愛する人からの【好き】という言葉は、どこまでも心に深く響き渡り、そして幸福を感じさせてくれるものだというのをプレセアは初めて知った。
世界が真っ暗になったあの日。
いや、そもそもずっと真っ暗だった。
けれど、一筋の光がプレセアを照らしてくれた。
その光と……リヒトとこれからも共に歩んでいきたい。
そう、そう強く心から願った。
最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。
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