13-3
とりあえず蓮がなにを考えているかはよくわからなかったけど、出かけることにした。ぐしゃぐしゃな顔を洗って、もう一度化粧をしなおす。
「ちょっと出かけてきます」
「あれ、梓さんとの約束はどうするんですか」
出掛けにお父様からの素朴な質問。
いいや向こうで落ち合おう。着替える時間も無いから梓から送られた服だけど仕方ない。やり口は卑怯だが、わたしも完全武装が必要だ。だって相手は理事長の好きな「大人の女」なんだから。B29に竹やりで挑むような心もちだけど。すみません、梓の見立てたマシンガン一丁借ります。
「あ…あー、また後で電話します」
わが国の借金問題さながらに問題を先送りしてわたしは家をでた。門のところで待っていた蓮が電話を切ったところだ。
「少し目が腫れている」
「う、うん」
「でもそのままでもウメちゃんは可愛いよ」
歯が浮いた!しかし当人はけろっとしている。
「いつも素敵だね、ハニー」とか「君は僕の太陽だ」とかは、日本語であって日本語でないことを蓮は知っているだろうか…。
「さて、じゃあちょっと出かけるか。急ごう。一成がやきもきしている」
一成君と合流したのは、もうなんか庶民には「そう言ったガンダーラがあるらしいのじゃ」級に高級なホテルの前だった。
一成君もきちんとしたスーツなんて着ている。やはり王子…かっこいい…。
まだパーティはお開きになっていないというのに、理事長はその紹介された人と、バーにしけこんだらしい。
なんて申し上げたらいいのかわかりませんが。とりあえず純粋にムカつきます。
ホテルの前で、蓮はわたしと一成君に片手を上げた。
「じゃ、一成。あとよろしく」
「了解」
「あ、あれ?蓮は?」
「俺はここまでー」
蓮はわかっていたように笑う。
「今日は王理の関係者が山ほど集まっているし、各界の重鎮が集まっているからホテル自体の出入りが制限されているんだ。ウメちゃんくらいなら一成が連れて入れるだろうけど、ちょっと俺は無理だ」
「お前、なんでスーツ着ていないんだ」
そうすればなんとかねじ込んだのに、と一成君がぼやく。
「お前から連絡あったとき、俺は部活やっていたんだよ!どこの世界にスーツ着てやる柔道があるんだ」
そして蓮はわたしに笑いかける。
「頑張ってな」
「…あ、ありがとう、蓮。なんか迷惑かけてごめんね」
「…お安い御用」
蓮の笑顔はなんだか今まで見たことのないようなものだった。わたしが置いていかれたような大人びた笑顔。なんでこんな顔ができるんだろう。
「じゃあね。また新学期に」
さらりと言って蓮は背を向けた。すこし背中をまるめて歩いていく彼は振り返りもしない。
「…無理してんなあ…まあいいや、すこしぐらいやせ我慢したほうがいいし」
一成君が苦笑まじりに言った。
「じゃ、急ごうか」
わたしは一成君に続いてホテルのきらめくドアを抜けた。にこやかに笑って警備員さんの横を通りぬける一成君。その後に明らかにうさんくさい様子でくっついているのはわたしだけど、でも一成君の王子パワーはわたしの貧相さえ隠してくれた。後光が差している。ここはやはり拝んでおくべきか。
「理事長の紹介された人って、どんな人?」
「とある大手銀行の頭取の内孫。実際後を継ぐような権限は持っていないけど、今の頭取が一番可愛がっている子供だよ。箱入りオブ箱入り。でも基本的にすごく優しい」
「詳しいね…」
「俺の兄の一人が彼女の姉と結婚しているから」
「政略結婚みたいだね」
「まあはたから見たらそうだろうね。でも二人が幸せならいいんじゃない?」
そんなのさしたる問題でもなさそうに一成君は言った。ああ、もしかしたら一成君は、次は自分だって思っているのかなあ。でも一成君ならたとえ出会いが何であれ、相手を大事にする気がする。
だって王子だもん。お姫様と幸せに暮らすことが出来るよ。
あ、わたしですか?わたしは今、ホテルの最上階のバーに閉じ込められている(推測)仁王を(一部誇張)『卒業』よろしくさらいに行くところです(予定)。
5W1Hがまったくつじつまあってない…。
「理事長は…」
「エレベーターで行こう。最上階…の」
「まて」
もの凄い勢いで水を差す言葉が聞こえた。もうなんか条件反射で硬直してしまう。
「約束を守ることもできないのかウメは。僕はそんなふうに育てた覚えはないよ?」
…背後からのこの声。
おそるおそる振り返ったわたしは案の定、恐ろしくキマったスーツ姿でそこに立っている梓を見つけた。
「でもその服は、思った以上に良く似合っていて安心した」
「ひぃ梓」
がしっと手首をつかまれて身動きできない。梓は陽気に言う。
「王理、ちょっとウメを借りるぞ」
「まてよおっさん!」
一成君がわたしの開いている方の手をつかんだ。これは大岡裁き!
「梅乃ちゃんは行くところがあるんだよ」
「終った話をむし返しにか?」
梓の言葉にちょっとへこむ。やっぱり終っているのかなあ。
「まだ終ってない」
わたしの代わりに強い口調で言ったのは、一成君だった。
「俺がそんな風に終らせない」
梓は一成君の口調なんてどこ吹く風だ。
「それは誰のためだ?」
一成君とわたしの間にある友情に決まっているだろうが!大人はわかってくれない、っていう名文は本当だったんだ。
週刊少年漫画だったら、友情パワーで今こそこの悪魔を打ち砕けるというのに!現実め!
けれど、梓の言葉に一成君はなぜか一瞬たじろいだ。その隙にすごく強くひっぱられてそのまま梓に肩を抱きこまれる。一成君は手を離した。
越前守様、子を大事に思っている母は、手を離したほうの母では~?!
「おっさんの威力を思い知れ」
梓はわたしをむりやりひっぱってエレベーターとは逆の方向に歩き始めた。向かっているのは一階の奥にある料亭だ。我にかえったように一成君も追いかけてくるけど、さすがに大騒ぎするわけにも行かなくて困り果てている。
料亭の前には、品のいい着物姿の仲居さんがいた。
「まあ、梓様。お久しぶりでございます」
仲居さんが一撃で梓の黒魔術に!
「今日はお食事でいらっしゃいますか?」
「このお嬢さんとね。そのガキは知らん」
「黙れおっさん!」
仲居さんは一瞬で梓と一成君を見比べた。
「…王理様、申し訳ございませんが、当店は未成年の方のみのご利用は皆様にご遠慮いただいております」
…わたしも驚いたが、多分一成君はもっと驚いていたと思う。王理一成と知りながら仲居さん…ていうか多分ここの女将は、梓を選んだんだから。
これがおっさんの威力か、すごい破壊力…。
「梓先生!」
「うるせえ、ラウンジでリンゴジュースでも飲んでろ」
一成君を一喝して、梓はその店に入った。ついでにわたしもなんか有無を言わさず連行されてます。
「梓、なんでここがわかったの!」
「お前と王理ごときが考えたことなど、わからないはずがない」
だーよーねー。ごめんごめん愚問で。
案内されたのは、かなり奥まった場所にある個室だった。
すみません、ソースかけていいですかといいたくなるような上品な部屋に放り込まれる。ぱしんて、梓が後ろ手にふすまを閉めた。
「僕の約束が先だったはずだが」
ため息混じりの梓の言葉。
「あ、あの、えーと」
「なんとなく嫌な予感がして、もう一度電話をしてみれば、出かけたというじゃないか」
「ごめんなさい」
謝って済むならなんぼでも頭下げたるモード。
えへらと笑って顔をあげたら、梓は真顔だった。
「で、十郎の見合いをぶち壊しに来たのか」
「…だって…」
「バカ!」
ものすごく怒られた。わたしと梓はテーブルを挟んで向かい合っている。なんか明らかにこの構図は父に怒られるバカ息子の構図だ。ちゃぶ台ひっくりかえしてもらえたら完璧だ。でもわたしは梓の顔をまじまじとみて違和感に気が付いた。
「梓、口の端は切れているよ?」
血は止まっているみたいだけど、梓の唇には何かにぶつかったか殴られたかした後があった。
「気にするな」
梓はそんなことに頓着しないでわたしを見る。くそう、なかなかわたしの攻撃ターンにならない。
歯噛みしていたわたしは、梓の次の言葉で冷水をかけられたような気になった。
「…僕よりも十郎を好きなのか」
何ひとつ、装飾のない問いだった。




