12-9
理事長はまだ寮にいる。でも、扉は開かない。
理事長は頑なで、わたしは言葉を持たず、ただ漫然と日々は過ぎている。だってどうしていいんだかわからないんだもん。
『お前が俺に求めているものは父性なんだよ』なんていわれて一体どう反論すればいいのか。いいえわたしの好みはヤクザ面で頑固で融通きかないおっさんです、と断言できるほどわたしは自分の好みも理解していない。
大体父性ってなんだよ。それは「パパのパンツと私の下着を一緒に洗わないで!」ってことか!?
わたしは怒りながら自分の荷物をダンボールに放り込んでいた。
そうそう、来月頭にはわたしは女子寮に移るのだ。管理人ご夫婦と麗香先生も同日に入ってくれる。だからわたしも結構忙しい。理事長の部屋の外にもダンボールが出されていて、それを見るとなんだかもうすぐ理事長がいなくなるんだとういう現実が身に染みる。
でもどうしようもないのかな。
わたしはため息を付いてクロゼットを開けた。服を詰め込んでいたらそこから斜め掛けの鞄がでてきた。あ、これ蓮のだ。
それを見て胸が痛むのは、遊園地に行ったときに借りたものだからだ。あの時も結局理事長とはすれ違いで、まあ大変な一日になったわけですが。
結局すれ違いなのか。
わたしはそのバッグを手に部屋を出た。理事長は不在みたいだけどなるべく顔を上げないで廊下を歩く。蓮と一成君の部屋をノックした。
「あれ、ウメちゃんどうしたの?」
蓮だけが顔をだした。あれ、もう結構遅い時間なのに、一成君はどうしたんだろう。
「これ、返し忘れていてごめん」
わたしがバッグを差し出すと蓮は笑った。
「ああ、こんなのいつでもよかったのに」
「それでも借りっぱなしは悪いから。ところで一成君はどうしたの」
「実家から急に呼び出し。なんかあの名誉会長のひいじいさんがまた帰国したらしいよ」
「大変だねえ、直系は」
と、中の様子が見えた。わたしは非難の声をあげて蓮を押すと部屋に押し入った。
「あー、一人で飲酒してる!」
「一人じゃないよ、さっきまで高瀬先輩がいたんだよー!」
乗り込んでみた部屋の中は雑然として散らかっていた。何本か酒が置いてある。なんと不良な。
「一成帰ってくる前に綺麗にしておかないとな」
「でも予想より片付いているね」
「一成がまめだから。俺だけだったら三日でゴミ屋敷」
散らかったゴミを片付けながら蓮は言った。
「でもさ、ウメちゃん、もうすぐここを出て行くんだろ?つまんねー」
「学校で顔あわせるのは同じじゃん」
蓮は中身が残った缶ビールをどうやって処分しようか悩んでいるみたいだった。
「そんなビールなんて飲んでおいしいの?」
「……うーん、よくわからない。でも余っても捨てにくいから飲んじゃうか。ウメちゃんは飲まないだろ」
「捨てるならちょーだい」
わたしは手を伸ばした。わたしの返事にぎょっとしている蓮からそれを奪いとる。
「え、ウメちゃん」
「人生初ビール!」
とりあえず腰に手を当てて飲んでみた、が。
「不味い!」
部屋の温度でぬるくなっていたのもいけなかったんだろうけどとりあえず飲み干してみたそれは、人外の不味さだった。うう、缶に半分も残っているなんてひどい。
「ありがとう、部屋に帰ります」
蓮に缶を預けた。唖然として蓮が見ている。もういいんだ、ビールなんて飲んだらすぐ眠くなっちゃくだろうけど、とりあえずもう寝ちゃう。
「ウメちゃん」
とっとと部屋から出ようとしたわたしの肩を蓮が後ろから掴んだ。
「やっぱりなんかあった?」
「なにもないよ」
やばい、なんだろう。蓮がなにかひっかかったみたいだ。早いとこ戻らないとまたあのハイテンションになってしまうではないか。
「だいじょーぶ!」
陽気に言ってわたしは蓮の手を振り払おうとした。でもこんどはその手で手首をつかまれて、床に座らされてしまう。一緒に座り込んだ蓮はわたしを覗き込んだ。
「あのさ、悪いけどウメちゃんって考えていることが割とバレバレなときあるんだよ。特に理事長がらみのときって」
「うそー」
「大体、理事長が学校から辞めること事態はともかく、二人して最近まともな会話してないじゃん。一成は気にすんなっていうけど、気になるよ。俺に心配かけんなよ。かわいそうじゃん俺が!」
あくまで自分目線か、鳥海蓮!
わたしは上目遣いに蓮を見る、つーかにらんでみた。いつものわたしだったら「そちら様のご都合もわかりますが、どうぞお察しください」てするっと流すんだけど、なんか最近へこたれすぎててうまく言えない。しかもストレス大爆発で飲み干してみたビールがきつかった……。
「な、なんだよ」
いつもと違う反応に困惑している蓮をにやりと笑って、わたしは蓮の鼻をつまんだ。
「わたしだって十分かわいそう!」
「にゃぬ?」
鼻から話した手を拳に変えて、とんと蓮の胸を打った。
「なんだよう、いつまでたっても年下だからってさー、仕様がないじゃんねー。どうしてこんなぴちぴちな彼女を持ててラッキー!とかポジティブになれないのかね」
「そんなポジティブな理事長は、理事長じゃないと思う」
蓮がため息をつく。そのため息が、むかついてぽこんてもう一度拳をぶつけた。
「まあ遠距離になっちゃうんだから仕方ないかな」
「遠距離になんてならないよ。だって理事長はもう続ける気がないんだもん」
「なに?」
「さようならなんだって」
「はあ?」
「取り付くしまがなくて」
よくないな、ってわかっている。蓮に恋愛関係で弱っているところを見せてはいけないんだってわかっているんだ。でもとまらない。
わたしはうつむいて蓮の胸をぽこんぽこんと打ち続ける。もちろん力なんて入れてないけど多分うっとおしいだろう、でも蓮はそれを止めたりしなかった。
「なんで?だって生徒と教員っていう関係じゃなくなれば何も問題ないじゃん」
「わたしが父性で理事長が写真の呪いで女子寮なの」
「まったく意味わからん」
わたしもわからん。
「まあ、それでも諦めるかどうかはウメちゃん次第だし」
「うん、頑張る」
あ。
…………わたし、こんなに心のこもってない言葉を口にしたのは初めてだ。
頑張るって……おいおいわたし、これ以上どうやって頑張るんだ。
「大丈夫だよ、ウメちゃんならなんとかできるよ」
「蓮は」
わたしは顔をあげた。
「蓮は優しいねえ。最初ね、蓮と出かけたときは本当に茹ですぎた蕎麦みたいに最悪だと思ったんだよね。でもさ、ちゃんと話とかして友達になるにつれて、あーインスタントラーメンもインスタントラーメンなりにいいところあるじゃん、みたいな。今はもう、店だって乾いたデュラムセモリナ茹でてるわけだしねアルデンテ!」
「…………なんで乾麺?」
蓮はようやくわたしの手をつかんで止めさせる。
「でさ、ちゃんと話をしてくれるともっとちゃんとアドバイスできると思うんだけど」
正座でお互い向かい合ったわたし達の間はなんだか妙だ。
「なにがあったんだ」
「蓮にはかんけーないもーん」
「お、なんだ、反抗期か?」
「眠い」
「は?」
わたしは蓮の胸にこんと額を乗せた。猛烈に眠い。なんだろう、前に理事長と温泉に泊まった時はもうちょっと絡み酒になったのに。
「いや、ちょっとウメちゃん。ここで寝たらだめだろ。大体なんでこんな急に……」
そうか、本当はわたし、蓮に絡んで話を聞いて欲しかったんだなあ。理事長のバカ!ってわたしの叫びに同調して欲しかったのか。
でもよりにもよってその相手に蓮を選ぶって……いくらなんでもひどいなあ、わたし。
「おい、ウメちゃん。もしかしてさっきのビールのせいか!どんな酒に弱い人種だよ!ちょ……こらー、ここで寝るな、俺が理事長に殺される!」
「理事長はわたしのことなんてなんとも思ってないんだもん。わたしの気持ちは勘違いなんだって」
「は?」
「好きって勘違いしているだけだって言われた」
「……マジか」
急に蓮が立ち上がった。ごとんと頭を床にぶつけそうになってわたしは慌てて体を起す。
「理事長は?」
「え?」
わたしの答えもまたず、蓮は部屋を飛び出した。
「蓮?」
急な行動に眠気もふっ飛んだわたしは蓮を追って慌てて部屋を出た。蓮は大股で理事長の部屋にむかう。けれど途中まで廊下を進んで、理事長が部屋にいないことに気がついたのか、くるりと向きを変えると階段を駆け下り始める。一体なにがしたいんだ。
つっかけるようにしてスニーカーを履くと、蓮は寮を飛び出す。
「蓮!」
「ウメちゃんは来なくていい!」
「そういうわけには……」
だって状況的にどう考えてもなにかわたしの不用意な一言があったんだとしか思えない。
うわーうわー、なんなんだろう。何が失言?
わたしも必死に蓮を追いかけるけど、あっという間に引き離されてしまった。息を切らしながら校内に入ったときには、蓮の姿は見当たらなかった。でも理事長とかって怒鳴っていたから、保健室か理事長室だよね。
わたしは中庭を抜けて大急ぎで走った。
「理事長!」
なんて声が聞こえて、嫌な予感がレベル4だ。
保健室までわたしがたどりついたのは、蓮が理事長を殴りつけた瞬間だった。
わたしと同じように、荷物を整理していたらしい理事長が、派手な音を立てて机の上のものを散らばせながら床に座り込んだ。
「りじちょ……!」
わたしは靴を放り出すようにして、保健室にあがる。慌てて理事長のところに近寄った。
「蓮!」
わたしは怒鳴った。
「なんでこんなことするの!」
違う。
違う、わたしがこんなこと言うのはどう考えたってお門違いだ。
「少しは手加減しろ……」
理事長の言葉は不思議な響きを持っていた。おそるおそる理事長を見ると、理事長は薄い笑みを浮かべていた。
「それに久賀院は怒るな」
……あえて、だ。
わたしは気がついた。
理事長がこんなに簡単に殴り飛ばされるわけがない。
そりゃあ現役でハーレムを仕切ってヤクを売りさばいていたときならともかく、今は年老いて、若者に殴り飛ばされる可能性がまったくないわけじゃない(一部誇張と不適切な表現があったことをお詫びします)。でも明らかに戦意むき出してやってきた蓮にあっさり殴り飛ばされるなんてありえないんだ。
あえて、殴られた。
「俺は、謝らない」
蓮は理事長を見下ろして睨む。
「そんなに簡単に別れるなら、もともと付き合わなきゃよかったんだよ!」
「ごもっともだ」
「ふざけんな!」
理事長は激昂している蓮とは逆に、ものすごく穏やかな顔だ。まるでこれが待ち望んでいたことみたいに。
「ふざけてない。ただ俺も正直自分に呆れている」
わたしは、その言葉を聞いてぺたんと座り込んでしまった。
やっぱり後悔しているのかな、理事長。ほんの二ヶ月間だったけど、付き合ったこと自体が嫌だった?わたしは顔をあげられない。
「なんでそんな言い方するんだ。ちゃんと正直に言えばいいじゃねえか」
「言えるか!」
「余計なことは言うくせに!」
蓮がかがみこむようにして理事長の襟首を掴む。
「他人の気持ちを決め付けるなよ!」
「もうやめようよ!」
だめだお門違いであろうとも、とにかくこの状態はなんとかして止めないと。
その時だった、保健室のドアが開いた。
「理事長、来週の職員会議なんですが」
と言って入ってきて、中の光景に唖然としたのは、よりにもよって。
生徒指導の先生だった。
蓮はこの一件の結末にもけろっとしているけど、どう考えてもこれはわたしの不用意な行動が起こしたものだと思う。
反省した。わたし超反省した。猛省した。
もう二度と酒飲まない。
『鳥海蓮、停学1日』
翌日そんな張り紙を見て、わたしは深くて重いため息をついた。




