12-7
翌日わたしが放課後に向かったのは化学準備室だった。
「梓、先生」
とってつけたように先生をつけたのは、生物の先生がそこにいたからだ。
「梓先生だったら、倉庫だよ」
教えてくれた立花先生に頭を下げると、わたしは体育館脇の倉庫に向かった。先日一成君と閉じ込められてしまったそこは、あいかわらず人の気配がない。ドアを開けるといきなりあったものに仰天した。
「ぎゃっ」
そこにあったのは、昨日まで化学実験室にあった人骨模型1/1スケールだ。
「ああ、ウメか」
下で物をどかしていた梓がわたしをみあげた。
「梓、これ」
「二年生がふざけていて壊したらしい。新しいものは買ってもらったんだが、そうなると置き場所が無くてな。立花先生は自分で下ろすつもりだったらしいが、まあ階段で転ばれてもことだ。僕が持ってきた」
「梓が優しさを見せるなんて!」
「奴隷にだって優しいことはウメはよーく知っているはずだと思うが?」
異議有!でも言わない!
にやにやと笑う梓を差し障り無い程度ににらもうかと思ったけどやめた(怖いから言わないってわけじゃないからね!)。来た目的はお礼を言うということだったんだ。わたしは階段を降りる。
「昨日はお父さまをうちまで送ってくれてありがとう」
「ああ、どうせ、帰るついでだ」
梓は手を止めて壁に寄りかかった。
「さらについでに真偽のほども確認してきたぞ」
「え?」
「悪いが硝也さんの通帳を見せてもらった。ばっちり九桁近い額が今は入っていた。まああの歌は去年売れていたみたいだからなあ。音楽会社にかなりピンはねされていそうだが、それでも相当な額だ。多分、熊井のお母さんが相当気を利かせて守ってくれたんだろう。なんとなくあの人はしっかりものの女性の心をくすぐりそうだ」
「それって本人はアレってことだよね……」
ま、今に始まったことじゃないや。
「そんなわけで、僕もあれを受け取らざるを得ないというわけだ」
梓の口調はまさに苦虫をかみつぶすといったものだった。
「実際、久賀院桃江さんが完治して、以前のように働きはじめたり、ウメが自分で稼げるようになれば、いつかは返済のめどがたつんじゃないかとは思っていたんだが、予想より全然早い展開だった、つまらん」
「あ、あの、梓」
梓はどこかさみしそうにわたしを見る。
「そうそう返せる額じゃないと思っていたから、ウメとの縁が切れるとは思っていなかったんだが。これでお前が卒業でもすれば、本当に他人だな。おめでとう」
なんか、そんな言われ方をすると、大変悪いことをした気がする……。
「僕の周りはまた他人ばっかりだ」
梓はそういって肩をすくめると、また骨格模型を置く場所を作り始めた。
「他人って……だって梓には、家族だっているのに……あのお母さんとかいい人っぽかったじゃない」
「いい人だよ。梓の家の人間はみんないい人だ。でも僕はあの人たちとは深く関わらないようにしている。そうじゃないと、かえって迷惑がかかるからな」
理事長が言っていた梓の家庭事情を思い出す。まだいろんなことが終っていないのかな。
いやいや。
いやいやいやいや。まて自分。前に梓につかれた痛烈な嘘を思い出せ!今回だって……ああ、でも、あれは結局全部が嘘じゃなかったんだっけ……。生みの親は梓を捨てて、育ての親はやむなく梓が捨てたんだから。
表情をつくりそこね、梓も話を続けてくれず、きまずい沈黙のままわたしはそこに立っていた。なんだろう、こんなにもお礼を言いにくい雰囲気と言うのはいまだかつてない。
「ヒマそうだな。それならこっちきて手伝ってくれないか」
「あ、うん」
梓に呼ばれてわたしはむしろほっとした気持ちで近寄った。
「あ」
気が付いてわたしは笑う。
「なんだ」
「手伝ってくれないか、なんて梓に頼まれごとされた」
今までだったら、「ここに来て手伝え」で、有無言わさぬ純度は百パーだったのに。
「脱奴隷!って気分いいなあ」
「そうか。いや、僕はいままでも結構ウメにはお願い事をしているが?」
梓はしれっとした顔で言った。そうか?
わたしがなんだかわからないけどほこりっぽいダンボールを棚に載せると、ようやく隅っこの邪魔にならないような場所が開いた。梓が階段を上って入り口に置きっぱなしだった骨格模型を取りにいく。
「そうだっけー?ねえ梓、命令とお願いは違うんだよ?」
「『僕のものになってくれ』ってお願いしただろう?」
ぎゃって、叫んでわたしは身を固くした。ひぃ気まずくて振り返れない。後ろでは骨格模型が重いのか、何かを引きずるような音がしている。なんかのホラー小説でしょうか。
「ま、お願いだからな。ウメが聞き入れてくれなくても仕方ない」
「そそそそんなにわたしを悪人にしなくたっていいのに」
「僕がウメを悪人呼ばわりしたことなんて無いだろう。どちらかと言えば、悪いのはどう考えても僕の方だ。今回は特に」
ごとんという、重いものが落ち着く音がしてわたしは振り返った。ドアの前で満足そうに額の汗を拭っている梓を見つけた。
「あ、梓?」
ドアの横にあった、木製の重そうな棚。それを入り口の前まで引き寄せて、梓はドアをふさいでいたのだ。
「なにしているの」
「ドアをふさいでみた。これ、鍵は外付けだからな」
「なんで?」
梓はにっこり笑って横の骨格模型の頭を撫でる。友達?それ! そうか、マブダチか!
「ゆっくりお話ししたいからね、ウメと」
やばい。梓のこの笑顔はやばい。
「わ、わたし、本日多忙でございまして」
「おや、十六歳おめでとう、の言葉を言わせて貰う時間もないのかな」
梓が階段を降りてこっちに歩いてきて、わたしは思わず後ろに下がる、うっこれはもしかして身についてしまった奴隷根性か、立ち上がれわたし!もう後ろめたいことはなんにもないんだ、ぞぅ……多分……。
とりあえず自分を鼓舞してみたものの、あわあわと動転しているあいだに、壁まで追い詰められてしまった。
「別に待っていたわけじゃないんだけど、結局十六歳まで手が出せなかったなあ。ほんとーに熊井の奴……選択が化学だったら報復できたものを」
梓はわたしの髪に手を伸ばした。びくっとしてしまったわたしに苦笑いすると梓はその手を見せる。
「ほこり」
「あ、ありがと」
言った次の瞬間にのけぞって壁に後頭部をぶつけた。右手のほこりを見ている間に左手が伸びてきてわたしのアゴをつかんだからだ。カードマジックにひっかかった気分だ。
「梓!」
とりあえず両手で押しやってみたけど、ものともせずに梓は壁に手をついた。わたしの両脇をふさぐみたいに。
「あんまり言うこと聞かないと、無理やりするよ?」
回りこまれた。無理やりって何だ!デコちゅー?
「だってウメは僕のこと嫌いじゃないだろ」
お前は何様のつもりだ、あっ、俺様か!
「嫌いじゃないけど、男の人として好きなわけじゃないの!」
言った自分の言葉にはっとした。
そうか、それでいいんだ。
「梓は、わたしにとっては、頼りになるお兄ちゃんとか、そういう感じなの」
「なるほど、今のところは恋愛対象ではないと」
「そう!」
「じゃ、それでもいいや。とりあえず付き合おう」
ここまで話がかみ合わないのは当方初めてです。よしこうなったら基本に帰ろう!誰かモールス信号持ってきて!
「別に僕は十郎と違うから、最初の認識がどうであろうがさっぱりかまわん。お兄ちゃんあつかいでも、好意があるならとことん利用させてもらう。大体実の兄弟じゃないんだから、それは単に認識の問題だろう。それなら意識転換を図ればすむことだ。どこに問題が?」
うっ、とっさに反論できない。
「十郎は、お前が大人になるまでここで待っては……」
言いかけた梓は突然言葉を切った。めずらしく、しまった言いすぎたという顔をする。
「なんでもない」
「なんでもなくない気がするけど」
「気にするな」
多分、梓は焦っているのだろう。ごまかし方もなんだか下手なまま、わたしの髪に手をさしこんで頭を固定する。
「梓、ちょっと待って」
「待たない」
「待って!」
わたしは心底拒絶の意志を明らかにした。今まで梓にこんな強い態度で出たことなんてない。もしかしたら逆効果かもしれないけど、思い切り手を突っ張る。
「お願いだからやめて、下さい」
梓に命令もされていないのに、丁寧に頼んだのは本当に久しぶりだった。
「お願い」
「ウメ」
「梓、なんか理事長のことで黙っていることがあるでしょう?」
わたしは梓を見つめた。
「黙って……って」
「なにか隠している」
にらみ合いに勝ったのはわたしだった。梓は一瞬目を伏せてそしてしぶしぶ口を開いた。
「隠しているよ。でもそれは僕が言うことじゃない」
「何?」
「言わない!」
梓はわたしから離れると、階段に向かった。
「僕が言ってどうなるんだ。十郎に聞け」
「ねえ、なんなの?」
「僕にだって十郎に対する義理はあるから、そんなことを僕の口から言うのは嫌なんだ。あいつが自分で始末をつけるしかないだろう」
いらいらしたまま、梓はまた階段を上る。ふさいでいた棚を蹴り飛ばして、閉ざされた出口を開けた。思ったより大きな音がしてわたしはびくっとする。ちょっとまて、その脚力って……。
「行って来いよ。ウメが知らない状態じゃ僕が悪人だ。それはかまわないけど、逆恨みはごめんだ」
「梓?」
わたしが呼びかけても梓はしばらく沈黙だった。
「……僕のうちの鍵はまだ持っているよな」
「え、うん……」
「いろいろうんざりしたら、来ればいい。鍵は変えない。でも来るときはそれ相応の覚悟で来い」
受け入れる言葉、でもその口調はまるでわたしを突き放すみたいだった。
そしてわたしは地下室をでた。理事長をさがしに。
理事長は校内には見つからなかった。しかたなく鞄を回収してわたしは寮に戻ることにした。
昨日積もった雪は生徒の往来と日光でぬかるみ始めている。
あー、でもびっくりしたなあもう。
まさか梓が学校であんな行動にでるなんて思わなかった。
どうしようかな、困ったな。
わたしはため息を付く。うちがお金持ちになったからと言って、わたしは王理高校をやめる気は無い。それ自体はわたしの望みだから問題ない。女子寮もできるしね。
だけどそれは、梓と毎日顔をあわせるってことだ。で、梓は理事長とラブラブなわたしを見なければいけないということで。
なんかそれって、悪いことをしているような気がする。でもわたしは理事長が好きなんだからしかたないのだー!ごめん、梓ごめんー!
来年女子の生徒入ってくるかなあ。その中に梓の好みの女の子がいるといいなあ。
はっ、わたし、自分が逃げたいために、別の子を生贄にしようとしている?サバトに知らないうちに参加していたかも。
ああ、でもやっと気が付いた。わたしにとって梓はお兄ちゃんなんだ。理不尽で強引無比で俺様なラオウ兄だったんだ。好きな事は否定しないけど、でも恋愛対象じゃないんだ。
て、ことで、売ります後輩。
来年の新入生と早く仲良くなってー、で、梓先生のいいところをたくさん捏造してー、都合の悪いことは保険の規約並みに小さい字で書いてー。
梓は恋愛に年は関係ないって言ってくれたモンね。ここで一つ年が違っても問題ないよ。よおし早く来い四月!
わたしは梓のいいところを一生懸命考える。商品売るにはその品質も大事だけど、プレゼンテーションが大事だ。
まず、顔がいい。あと授業がうまい。料理はもっとうまい。オムレツ最高。金儲けも得意そうだ。あといい性格してやがる。口うるさいけどいい意味で大雑把だしね。強引な性格だけど、その分年齢と気にしないでくれそうだし。
おお、理想の彼氏と言っても過言ではない。
……理事長もすこーし見習ってくれたらいいのかな。
いかんいかん、こんな弱気なこと考えていたらだめだ。
わたしは首を振った。
こんなこと考えていちゃだめ。梓のうちの鍵も、はやく梓に返さなくちゃ。あんなのもっているから変なファラオの呪いがかかるんだ。
ふとわたしは足を止めた。
雪でまぶしい中、目の前にあるのは女子寮だ。外装はもうほとんど完成している。多分、内側もかなり出来上がっているんだろうな。
やっとできたんだなあ、嬉しいなあ。でも寂しい。
と、背後できゅっていう雪が踏み固められる音がした。
「中を見てみるか?」
「理事長」
そこに立っていたのは理事長だった。




