12-2
「たたたたたたた高瀬君」
麗香先生の動揺はすさまじい。
「麗香せんせー!」
高瀬先輩は大股に美術準備室を横切った。わたしの前をスルーして麗香先生に詰め寄る。まずい!と思ったらしく麗香先生は物理的に逃亡しようとしたけど、一足遅く、その手を捕まれた。
「俺、嫌われてなかったんですね!」
「違う、違うのよ、高瀬君!」
「よかった!あ、この間のことなら全然平気!俺別に傷ついてないし!」
打たれ強いなあ……。讃岐うどん並みにコシが強いわ。
「だからさ、実際麗香先生は俺のところにラブなんだよね」
「そんなこと言ってない……」
「言ってた!ね、ウメちゃん?証人!証人!」
「まあそれに類似することは……」
でしょう!と高瀬先輩のテンションはうなぎのぼりだ。逃げそびれたのを幸い、この行く末を観察することにした。
「いいよ。麗香先生が俺の気持ちを冗談だっていうならもうそれでいいや。俺はもう麗香先生を好きとか言って困らせない。でも来年、俺はここを卒業したら、ちゃんと迎えにくるから。そしたら真実として向き合ってよね」
「だめよ。高瀬君。来年度は女子生徒がもっと入ってくるのよ。きっと可愛い子がいるわ。そういう子達に目を向けて、健全なお付き合いをしてちょうだい」
「大丈夫です、麗香先生以外の女の子は見えてません。麗香先生以外の女の子を好きになるくらいなら、むしろ男に走ります!」
お前は一体なにを言いたいんだ…。
高瀬先輩は麗香先生につめよって、なんかもう今にも抱きしめそうな勢いだ。うーん、部外者は退散した方がいいかなあ。
「本当に俺は麗香先生だけが好きなんです。あのさ、他の子他の子っていうけど、俺の母親って女優だってこと知ってますよね。それに隣の家は音楽業界人の熊井先輩んちだよ。そのからみで可愛い子も綺麗なお姉さんもたくさん知っている。見た目は良くてもすごく醜い性格の人もいたし、顔と同じで心も綺麗な人もいた。でも俺は麗香先生が一番好きだ」
「どうして私なの?」
「どうしてって…………全部好きだから。朝一番にここに来てみんなの机を拭いているのも、お茶の時間、職員の好みを把握していて、それぞれが好きな飲み物入れてあげているのも、下駄箱の脇の棚にいつも花飾っているのも全部好き」
「どうしてそんなことまで……」
「だって好きなんだもん。なんでこんなに気がきく人なのに、他の独身教員は口数が少ないっていうだけで、麗香先生の存在に気がつかないんだか本当に不思議。……好きだから見えたのか、見えたから好きなのかわからないけど、麗香先生は俺の一番」
麗香先生の手が恐る恐る伸ばされて、高瀬先輩の腕に触れた。
「一番なんて軽々しく使うもんじゃないわ」
「じゃあ、特別ー」
相変わらずのへらへらした笑い。
でも高瀬先輩は麗香先生を抱きしめた。うわ、なんかわたしがちょっとフライングで泣きそうだ。
だってさ、麗香先生、いつだって自分が地味で冴えないって思っていて、見た目を変えたって中身が変わらないって嘆いていて。
それでも見てくれている人はいるんだ。
いいな、麗香先生は。好きな人に興味を持ってもらえてうらやましいな。
「ありがとう、高瀬君……」
「俺、麗香先生のことならなんでも知っているよ」
高瀬先輩は、麗香先生の髪に触れて言う。
「好きな画家は、カラヴァッジョ。授業の無いときは、数学の定年間際の呉先生とお茶していたりするよね。呉先生も結構もの静かな先生だから、麗香先生と話できること楽しみにしているみたいだよ。麗香先生、年寄りに人気だよね、優しいもんな。毎日持ってきている弁当は自分で作ってんでしょう?いつか俺の分も作ってきてくれないかなって思っていた。」
「高瀬君……」
「それに最近香水つけはじめたよね、いい匂いするからすげえ深呼吸したい!あとさ隠しているみたいだけど、この間、一人で映画見に行ったんでしょう?寂しい人に見られるかもなんて心配しなくていい、俺そういう一人でも楽しくしていられる人好き!」
……なんで隠していることまで知ってんだ。
「そういえば、近々諏訪部先生と焼肉食べに行くんだよね。あの先生、最近麗香先生に色目つかうんだよな。気をつけてね」
ん、んんん?
「この間、ここで紅茶ひっくり返していたよね。火傷しなかったか心配していたんだ」
んんんんんんんんー?
「それに美術準備室で一人の時、0655のねこのうた歌ってるの萌え殺されるかと思った」
えー!?
「た、高瀬君」
麗香先生が高瀬先輩から離れて、同意を求めるようにわたしをちらりと見た。わたしが首もげそうな勢いでうなづいているのを見て、彼に尋ねる勇気を出したらしい。
「あ、あのね。ちょっと不思議なんだけど、高瀬君、十二月末から全然ここに来なかったわよね」
「えへへ。押してだめなら引いてみよっかなって。いなくなって寂しいわ、って思ってくれないかなーって。怒ってる?」
「あ、あの、私も高瀬君にひどいこと言ってしまったからそれはいいんだけど。でも、諏訪部先生との焼肉の話も、紅茶をひっくり返したことも、どうして知っているの?それ全部一月に入ってからの話なんだけど……」
「え?」
高瀬先輩が、やべっ、って顔をした。えっと、わたしも疑問でした。
「……百歩譲って諏訪部先生の事は又聞きだとしても、紅茶の件やねこのうたの件なんてどうして……?」
わたしが尋ねると高瀬先輩の目が泳いだ。麗香先生も怪しいものを見る眼差しだ。
「え、ええーと」
「高瀬先輩?!」
えへ、と笑って高瀬先輩は戸棚の高い場所に乗っていた小さ目の石膏像を手に取った。教材にするには小さくて、それが場所を動いているのは見たことがない。
「く、熊井先輩が、化学準備室で拾って俺にくれたんだ……」
石膏像の裏にくっついていたのは。
「盗聴器!?」
「だって、俺がここに来ない間に、麗香先生が誰かに迫られたらって思ったら、いてもたってもいられなかったんだ!」
「じゃ、さっきの、話は全て聞かせてもらったって……ドアの前で聞いていたんじゃないんですか?」
「生徒会室ー。あのね、これ凄くよく聞こえるんだよ」
そう言う問題じゃねえ!
わたしと麗香先生は声を揃えていった。
「ストーカー!」
「なんであんなに怒るんだろ……」
「怒るよ!っていうか、怒られただけですんで本当にラッキーですよ!へたすりゃ訴えられてもおかしくないよ、高瀬先輩!」
あれからぎゃーってなったわたしと麗香先生は、高瀬先輩がアレ一個だよう、と言うのも信じられず、美術室まで捜索した。美術部員総動員。
『もう美術準備室に高瀬君は入れない!』って言って追い出されたのがさっきだ。なんでわたしまで……。
今、高瀬先輩は生徒会室でめそめそしていらっしゃいます。率直に申し上げまして、大変うぜぇ。
「だって心配だったんだもん……」
「高瀬先輩のアタマの方が心配ですよ!」
「ウメちゃんに心配されてもうれしくもなんともない、へっ」
「ムカつくー!」
まあ、でも。
麗香先生がちょこっと素直になってくれてよかったね。それにしばらく反省を促すために教えてあげないけど、麗香先生の『もう美術準備室には高瀬君は入れない!』っていうのは嫌いって意味じゃないんだと思うよ。
だってその外ではあってくれるんだから。
ま、麗香先生にはこのくらい強引な人のほうがいいような気はする……うん……多分。あとは麗香先生にお願いしよう、このヒト……。わたしの手には負えません。
「そういえば、ウメちゃんの方はどうなっているの?」
「どうって……」
「理事長。だってあまり時間ないでしょ」
「時間って?」
わたしが聞き返そうとしたとき、生徒会室のドアが開いた。中を見て、あって小さく叫んだのは蓮だった。
「お、どうしたんだ?王理ならここにはいないぞ?」
「あ、えっと」
蓮は歯切れ悪くわたしと高瀬先輩を見た。
「ちょっと大事なものを落としてしまって……今探して回っているんですけど」
「何を?」
「あー、いえ、ここにないならいいです」
蓮はそろそろを扉を閉めて出て行こうとした。
「え、蓮大事なものなんでしょう?一緒に探す?」
「ううん、大丈夫」
妙に作ったみたいな笑顔で蓮はいうと、出て行った。
「なんか変だなあいつ」
「そうですね。ちょっと追いかけてみます」
わたしは先輩を置いて廊下に出た。まだ蓮が見えて、わたしは彼を呼ぶ。
「蓮、何探してるのー?」
そのまま廊下を走って追いかけると、蓮の背中は一瞬迷ってから足を止めた。
「あー、えっとー、大丈夫、自分で探すから」
「でも大事なものなんでしょう?なにか教えてくれれば手伝うよ?」
蓮は困ったような顔をしていた。まるでしぶしぶ見たいに言う。
「生徒手帳」
生徒手帳が大事なもの?なんだか蓮らしくない……。
「わかった。それなら形分かるから。どの辺が怪しいの?」
「なくしたのは今日なんだけど、けっこうあちこち行ったからなあ……」
「じゃ、とりあえず廊下見てみるね」
「ありがと、あ、あのさ」
「何?」
「仮に見つけても中は見ないんで欲しいんだ」
蓮は珍しく真面目な顔で言った。
「なんで?」
「……えーと……0.3ミリの大人のたしなみが入っているから」
「見るかバカ!」
そう言って笑うと、蓮もちょっと安心したみたいに微笑んだ。
蓮とは逆方向に向かって、わたしはうつむきながら廊下を探し始めた。




