12-1
今週こそ誘ってくれるかと思ったのに。
わたしはしょんぼりしながら保健室を出た。悪夢のインフルエンザデート(しかたないので名付けてみた)からはや一ヶ月。もう二月だ。
連日放課後に保健室へ通っている。だって理事長室じゃ不自然だし、寮じゃ他の生徒の目がありすぎるし、二人で会えるのはここしかない。でも五分もしないうちに理事長に「怪しまれるからもう帰れ!」って追い出されてしまう。
怪しいって……実際つきあっているんだから真実じゃないか!
なんていうか、あの日以来わたし達はどこかぎこちない。付き合い始めはぎこちないっていうけど、それどころじゃない。ペッパー君だってもうちょっとなめらかに会話してくれる。
週末にデートとか、毎週期待しているのだけど、全然理事長はそんなこと言い出してもくれない。土日も日中はどこかに出かけていることが多いしさ……。
来週は特別なのにな。
来週の水曜日は実はわたしの誕生日だ。ものすごい大雪だったけれどその中で一枝だけ咲いていた梅が美しかったということで、お父さまがわたしの名をつけてくれた。映像的にはきれいだけど、それは「狂い咲き」とか言われないだろうかと少々疑問がのこるわたしの名の逸話だ。それはともかく。
彼女の誕生日くらい把握してくれてもよくないか、理事長。
わたしはねー、もちろん理事長の誕生日はチェックしているよー。やっぱり好きな相手だったら知りたいじゃん。だからきっと理事長も、わたしの誕生日は調べて把握してくれているはずだ!そうでなければ縛り首!
でも、理事長はなーんにも言ってくれないんだよねえ……。
素敵な夜景のレストランで食事、とかは理事長のキャラ的にまあアリエネェと思うのでそこまでは期待しないけど、せめておめでとうくらい言ってくれたらいいのに。だからわたしも理事長に自分の誕生日のことは言ってない。なんか言い出せる雰囲気じゃないし、自分で言ったら理事長がわたしに関心を持っていてくれるかがわからないから。
でも、理事長がわたしの誕生日を気にしてくれている気配は無い。
わたしは廊下をとぼとぼと歩いていた。あー、どうしようかな。そうだ、麗香先生のところに遊びに行こう。高瀬先輩は生徒会だし、梓も三年生の自習に付き合っているはずだ。そうだそうだ、今まで放置してしまったけど、梓との事も誤解をといておかないと。
わたしは階段を上る。しかし盛り上がってしまっている麗香先生に一体どうやって説明したものか……。
美術部が美術室にいるのがわかったので、わたしは準備室をノックした。そのままドアを開けて首をつっこむ。万が一梓がいたら一目散に逃げようとしたけれど、そこにいたのは曇ったガラス窓のそばに立つ麗香先生だけだった。
逆光だったけど、その憂いを帯びた表情は見て取れた。
「麗香せんせー」
「あら、久賀院さん」
すっかり板についた大人らしい美貌と艶やかな笑顔で麗香先生は振り返る。さっきまでの表情は消えていた。
「なんだか久しぶりね」
「え、ちょっと英語の試験が忙しかったもので」
「そう。でもよかったわ。元気そうで」
麗香先生はわたしに紅茶を入れてくれた。落ち着き払った大人びた仕草。
「今日は高瀬先輩はいないんですね」
とたん、麗香先生は腰を机の角にぶつけた。うぐって言って、椅子に座り込んでしまう。うわあ、わかりやす!
「た、たた、高瀬君は元気なのかしら」
あだだと腰を抑えたまま、麗香先生は言った。
あれ? 年末に高瀬先輩が「俺もがんばる」って言ってから随分たつけどまだ何もアクション起していないのかな。
「昨日も普通に生徒会室で見ましたけど」
「そ、そう。それならいいのだけど」
「高瀬先輩、最近来てないんですか?」
「……」
麗香先生は黙ってしまった。ど、どうしよう。ちょっと気になりますが。わたしはいつかの麗香先生を真似て純真無垢な隣のおばちゃんの眼差しで見つめた。それ吐けー!
「……実は、クリスマスのころに、高瀬君に妙に本気で『好き』とか言われて」
知ってる知ってる!盗み見ていた!でも初めて聞いたみたいにしなきゃね。
「それはきちんとお断りしたの」
「どんな会話だったんですか?」
「……『俺が生徒ってことが気にいらないんですよね。そしたら、卒業したらいいんですか。年下ってことが嫌とか言い出さないで下さいよね』って」
ほうほうなるほど。わたしと一成君が倉庫に閉じ込められたときに見た風景の会話にはそんなことが含まれていたのか。
「なので、きっぱり『年下はありえません』って言ったの。それなのに高瀬君納得してくれなくて……その勢いが怖かった」
あんにゃろう!自分に都合悪いことはやっぱり言って無いじゃん!
「生徒会長のくせに無理強いとは……ゆるすまじ……」
「ああ、ち、違うのよ、久賀院さん。多分私が迷っているのがバレバレだったからなのよ!」
へ?
「もし私がそこで『それでは卒業まで結論を保留にしましょう』って言って、高瀬君がそれを律儀に守り続けたとするじゃない!そしたら高瀬君は貴重な青春時代を、実はたいしたことない女にうつつを抜かして終るわけじゃない!貴重よ、本当に高校時代って貴重なのよ!私、今でも高校時代、もっと華やかだったらよかったのにって後悔しているの。高瀬君あんなに素敵なのにそんな地味な思春期送ってしまったら、私責任取れない!」
「えーと……まあでも卒業したら麗香先生と付き合えるなら、あと一年くらい、大したことじゃないんですかね」
そもそもこの高校じゃ出会いのチャンスなんてそうそう望めない。学校周辺にいるのタヌキくらいだ。
「だから私、そんな大した女じゃないのよ。久賀院さんだって知っているでしょう。以前の私の地味っぷりを!外見はともかく、中身なんて全然変わってないの。もし付き合ってから高瀬君に幻滅されたら、私は自業自得だけど、高瀬君の失われた三年にどうお詫びしていいのか……」
バブル崩壊後失われた十年、みたいなでかい話に聞こえる。
あれ?
「あれ、じゃあ麗香先生、高瀬先輩の事別に嫌いってわけじゃないんですか?」
「そ、それは……」
麗香先生は頭のてっぺんが見えるほどうつむいてしまった。
「でも、高瀬君が妙に引いてくれなくてつい……」
「つい?」
「『いいかげんにしてちょうだい、しつこい男なんて大嫌い!』って……」
「……ははあ、それであのゾンビ状態だったのか……」
「それきり、美術室に来てくれないの……ううん、きてくれないのはかまわないの。そうじゃなきゃ困るの。でも高瀬君がいないことに衝撃を受けている自分に衝撃が」
…………あっ、『のろけになんぞ、付き合ってられません』って言いそうになった。
ま、ともかく結論はあれだ。
両思いの人間の痴話喧嘩にまきこまれるのはごめんだ。
「高瀬君が来ないことはもういいの。でもあんなに親しくしてもらったのに、最後にひどいことを言ってしまったわ。『大嫌い』なんていわなければ良かった」
「じゃあ訂正すればいいじゃないですか」
麗香先生が美術室で待っているよって言えば、しっぽ千切れんばかりの勢いでやってくると思うけど。なんなら呼びにいきましょうか。ポチやーポチやー。
「いいえ」
麗香先生は呟いた。
「高瀬君を傷つけてしまったけど、このままで」
「はあ?」
「そうすればこのまま終われるもの」
「だって麗香先生、高瀬先輩のことを好きなんでしょう?」
「そう言う問題じゃなの」
麗香先生は穏やかに言った。
「別に高瀬君が嫌いとかそういうことではないけれど、どうしてもお付き合いするとかそういった存在にはなれないの。好きでもそうあってはいけないの」
「麗香先生」
「だからこのままでいいのよ」
面白い冗談だった、と麗香先生は締めくくる。
冗談、なんて。
麗香先生の言葉は、年下の男の子が本気で自分を好きになってくれるなんてありえない、それを信じそうになった自分に対する自嘲だ。
でもそれって、高瀬先輩の真摯な気持ちだって嗤っているんだよ?もしかしたら、高瀬先輩の刹那の思い違いかもしれない。でも、今、それは確かに真実なのに。
「麗香先生」
「なに?」
「わたしは理事長が好きなんです。麗香先生と高瀬先輩以上に年なんて離れていて考え方もいっぱい違う。高瀬先輩みたいにまめでもない。でもわたしは理事長が好きです。それも冗談みたいって笑うんですか?」
「久賀院さん……?」
「わたしだって、いっぱいみっともないです。来年女子生徒が入ってきて他の女の子に目移りされたらどうしようとかって心配だし、正直麗香先生と理事長が仲良く話をしていてると心配。でもそれを馬鹿馬鹿しいなんて思わない」
「……あら、久賀院さん、でも轟先生は来年……」
何かを言いかけて麗香先生はわたしを見つめた。
「ううん、なんでもないわ。轟先生がまだ公にしていないのなら、私がいうことじゃないわね。それより、久賀院さん、轟先生が好きだったの?梓先生じゃなかったのね?」
「ちーがーいーまーすー!」
よかった、ここに来た目的が果たせた!訂正完了。あれ、なんかつまらないわ、って顔してないか先生。いやわたしの話はあとあと。
「でも、麗香先生、高瀬先輩の気持ちにこたえてあげてください、とは言いません。でも後悔しているならちゃんとあって謝ってあげてください」
「……でもいまさらよ」
困ったように麗香先生は笑った。
「いまさら、先日のことを謝りたいのでどうか一度だけ話してください、なんて言えないわ。それで彼が無駄に期待したらそれも困るし、わたしも迷う」
「……麗香先生!」
どうしてでもでもでもでもでもなんだ!ほんと使い古された言葉だけど、デモもストもねえ!
わたしがキレそうになったとき、ノックもなく、美術準備室の扉が開いた。
「話は全部聞かせてもらいました!」
高瀬先輩が立っていた。




