閑話5 轟十郎の場合
つまらない人生かもしれないがそれで十分満足していた。
正直父親を嫌いだと思ったこともない。
母親を不憫だとは思ったことがある。
けれど、二人のような人生だけは歩むまいと思っていた。
周囲の不幸から派生して、更に不幸を拡大するような人生には巻き込まれたくない。
世間に少しでも貢献できるような堅実な仕事について、誰からも反対されない堅実な恋愛をして(一つか二つ年下で落ち着いた性格の人がいい)、まっとうに結婚して、子どもは二人。自分の思う仕事をするためには努力は惜しまない。伴侶は誠実に生涯ありたいと思う。
それらが目標だ。
ほんと俺の人生はつまらんと客観的に思うが、それで十分。
なのに、どうして俺は今、十歳も年下の女子高校生と付き合っているのか。
まったくもって理解不可能だ。
久賀院は苦しそうに眉をひそめた。まあインフルエンザで39度も熱があればこんなもんだろう。
眠っているだろうが、あまり安らかな眠りではなさそうだ。
大変言いにくいことだが、今日は正月早々久賀院と一緒に出かけていた。もうなんか、いろいろぎりぎりだ。ボーダーラインの線の上につま先立ちで立っているに等しい。これで久賀院が俺に好意をもっていなかったらどう考えても犯罪行為だということはわかっている。だからつっこまないでくれ。お願いします。
そうしたらそのデートの途中でいきなり久賀院が体調不良になった。
いや、いきなりじゃないな、どう考えてもずっと我慢していたんだ。
久賀院は無駄に根性座っているからなあ…。やせ我慢も全力か。
それで医者経由で結局俺の家に連れてきた。
別にいかがわしいことをする気はさっぱり無いが、ご近所さんに見られていないことを切に祈る。新年のお願いはそれだ、それだけだ。神様。
で、それからずっと彼女は寝ている。
なんでこんなに具合が悪いのに、出てくるのか。
若いものの考えることはさっぱりわからん。
それを言ったら、どうして久賀院が俺を好きなのかが、世界七不思議級にわからないのだが。でもそれ以前にどうして俺はこんな条件の相手を好きなんだ?
凄いな、どこからどうみても立派なロリコンだ。面白い、面白すぎるぞ自分!
去年まで給食を食べていたような相手だ。給食か、なんか機会があったら食べたいな。ああそんなことを考えて現実逃避をしている場合じゃない。今一番考えなければいけないことは、久賀院をどうやってうちに帰すかだ。
これじゃ自分では帰れないだろう。
…やっぱり俺が送っていくのか。それしかないのか。久賀院の家族にどう説明する…。
久賀院は時々途方もなく強烈な行動に出たりするが、基本的には素直なんだろうなと思う。大事に育てられたんだろう。そんな久賀院の「お父上」に会うのか、今日!
堅実なお仕事をして、厳格とは言わないまでもきちんとした性格の方だろう。その一方、久賀院の快活さから想像するにのびのび育てたんだと言う気がする。母上が穏やかな性格なんじゃないかな。もしかしたら遅くにできた愛娘なのかもしれない。
うん、それだ。
年配の頑固そうな険しい表情の男性と着物姿の品のいい女性(俺的イメージ)。
その相手に「すみません、お嬢さんとお付き合いさせていただいています。歳はほんの十歳上です」
無理だ、どう考えても無理だ。無理とかそういう問題じゃないくらい無理だ。俺が久賀院家の主なら、即座に日本刀を持ってくる。
しかも俺は教職だぞ、一応。
なんでこんなことになって…。
と、視界の隅で、久賀院が動いた。寝返りをうった時に、額の濡れタオルが落ちる。
俺は眠る彼女に近寄って、布団の上に落ちたタオルを取った。そのままふと彼女の顔を見つめる。
正直なことを言わせてもらう。
久賀院はすごく可愛い。
うわあなんかノロケみたいだ。とかってノロケ以外の何ものでもないだろう、俺!
もちろんまだ子どもだから、桃のように白く透ける産毛、その下の熱を帯びている頬は柔らかく丸い。まつ毛とか眉とか、なにやらいじっているようだが、それでもかしこに幼さが残る。
つまりはやっぱり俺はロリコンだということか!
ものすごくもてあます結論だ…。
なんというか久賀院の全てが手に余るといってしまえばそれが結論なんだが。
俺も、もちろん聖人君子ではないので、一応恋人がいたことはある。大学生のころだった。でもなんていうか、気がついたら付き合っていたらしい状況になっていたというのが正直なところだ。
俺もあまり言葉にしないし、相手もはっきり宣言したわけでもないから、先に雰囲気だけが進んで、結果としてそうなったというところか。今思えば、なんとなく流されていた自分が情けなく、相手にも申し訳ない事をした。そういえば最後の言葉は「轟君、あまり王理とは関係ないのね…なーんだ」だったなあ。
俺自身がつまらない人間だから、そういう結論なんだろうが、やはりちょっと傷つくよな…。
ああなんか思い出して気分が暗くなってきた。
だから、俺は久賀院にも過剰な期待はしない。
もちろん久賀院が、王理グループへのつなぎととして俺に近づいたとは思っていない。それなら王理一成のほうがよほど話は早い。そもそも久賀院はそんな小細工できる人間じゃない。
でも彼女が俺に対する恋心と思っているものは、多分違うんだ。
どう考えてもはるかに年上で、面白みもなくて、人相も悪い俺に惚れる理由がない。具体的になんなのかはわからないが彼女はなにか勘違いしている。
それでも今の俺には久賀院を振り払えなくて、結局お付き合いの真似事なんかをしているわけだが。まあでも付き合ってしまったほうが、さっさと目が覚めるかもしれん。わりと手に入らないものの方が欲しくなるものだし。しばらく付き合えば納得するだろう。
いつか自分の気持ちが恋じゃなかったと気がついて去るんだろうな。
なるべく早いといい。
もちろん彼女に手を出す気なんてないが、そのほうが彼女も傷つかないだろう。
俺は終わりを願う。
……それでも。
それでも、久賀院と付き合う事はすごく嬉しい。
「やっぱりちゃんと好きって言って!」なんて要求してダイレクトに俺に好意を求めつつ、その実自分の好意をまっすぐに俺に向けている彼女。
たとえ勘違いであっても、その正直な好意が嬉しくないわけが無い。
好きだ、なんて言ったら、もう引き返せないところに気持ちが行きそうで、とてもそんな風には言ってあげられないけれど。
どうか、早く久賀院が自分の勘違いに気がつきますように。
どうか、やがてくる別れが静かでありますように。
どうか、彼女がその時無駄に傷つきませんように。
願いを誰にも言えないのは、きっと保身のためだからだ。
そして俺も傷つかないで済むように。
俺は最後に心の中で呟いて、久賀院の額のタオルを変えた。




