11-8
「あ、梅乃ちゃん」
寮に戻って一番に出会ったのは、一成君だった。あまりまだ人のいない寮の食堂で、本を読んでいた。
「あけましておめでとう」
「おめでとうございます」
義理堅く二人で頭を下げてから笑った。
「蓮は?」
「まだ帰って来ていない。今日戻るって言っていたんだけどね」
「そう」
「この間はありがとう」
この間ってなんだっけ、と思わず考え込みそうになる。ああそうだ!とか思い出したのは、あの蓮の家に行ったことだ。いやいやそれから、あの一年で一番楽しみな箱根駅伝を見てすっかり記憶が上書きされてしまった。まあ他にもいろいろトラブルがあったしさ……。
「一月一日からごめんね」
「ううん。なんか蓮、本当に具合が悪そうだったから、行ってよかった」
「そっか、あれから電話では何回か話をしたんだ。年末元気がなかったんだけど、少しもとどおりになっていたよ」
さらりと一成君は言うが、わたしはどきりとした。蓮が年末に元気がなかったのは、どうやらわたしのせいであったらしいから。蓮が悩んでいたことなんて、わたしは全然気がついていなかったけど、一成君が気がついていたのだとしたら。
「で、梅乃ちゃん今理事長とつきあっているんだって?」
やっぱり情報筒抜けか!
それが聞きたくて予定より早く帰って来て、食堂でわたしが戻ってくるのを待ってましたって顔しているけど、一成君?
「……蓮め……しゃべったな……」
「仕方ないんだよ、梅乃ちゃん。俺と蓮の間には、熱い友情があるんだ!なんぴとたりともそれは邪魔できないんだ」
「そ、そっか……友情じゃしかたないよね……」
あーあ、そのなかにちゃんとわたしも入っているのかなあ。女子は仲間はずれとかじゃないよね?
「で、付き合っているんだ。すごいな」
立ち話もなんなので、わたしは食堂の一成君の横に座る。
「……う、うん。付き合っているみたい、一応」
「一応?」
一成君はけげんそうな顔をする。
「えーと、そんな口止めしなくても俺は別に誰かに言ったりはしないけど……」
「あ、そんなじゃなくて。別に一成君を疑っているわけじゃないんだよ。疑うべきは、むしろ本当に付き合っているのだろうかと言う壮大すぎて意味わからない問題で」
「なんだそれ」
一成君の言葉に答える前に、わたしはため息をつく。
「ねえ、秘密にしておいてね」
「うん」
「理事長は、わたしのことを本当に好きなのかなって」
わたしはこれはカニなんだよって思って食べているけれど、もしかしたら全然違うアラスカなのかもしれない。
それくらいえらいことになる勘違いなのだ。まあアラスカはおいしいけど。
「なに、理事長になにか言われたの?」
「何も言われないことが問題」
「まあ……理事長だからなあ」
一成君は苦笑いする。
「あの性格で、『好き』とか真顔で言ってくれると思う?」
「そりゃそうなんだけど。でも……どうして彼女であるはずのわたしに梓のところに行けなんて言えるのかな」
「は?」
「どうしよう……一成君なら相談してもいいかな」
そうだ、この問題を相談するのなら、一成君が適任だと思った。いっつも気楽な調子でいるように見えた蓮のつらさをわたしは見てしまったから、こんな話は蓮にはできない。かといっていくら人生経験豊富でも梓に行ったら事態が思わぬ方向に転がるのは間違いない。高瀬先輩がいいかなって思うけど、先輩も麗香先生のことで手一杯だし、そう何度も助けてもらうのは気が引ける。休み明けに麗香先生に相談するのが一番いいかもしれないけど、それまで悩んでいるのも嫌だし。
一成君ならわたしに恋愛感情とかないから、恋の相談だってオーライだ。退屈かもしれないけどそこは友情パワーで我慢してもらうことにする。
「いいよ、相談なんていくらでも聞くよ」
「蓮に秘密なことでもいい?」
「いいよ。むしろ願ったり適っ……さあ話してみて?」
にこにこしながら一成君はわたしを見つめる。
「えーと……ちょっと話は長いんだけど」
わたしは年が明けてからの理事長の家の一件を話し始めた。梓の家庭の事情とかはさすがに省いたし、梓がわたしをどう思っているかはあえて言わなかったけど。
とにかく話の焦点はあれだ。
『気が利かないから』で全てすむと思うなよ、理事長!
青少年の憤りを一成君にぶつけてみた。話を聞いているうちに一成君の顔がぽかんとしてきたので、さすがにわたしもとんちんかんなことを言っているのだろうかと不安になる。でもとりあえず、わたしの意見は一成君に言ってみた。
「とにかく、理事長はわたしを本当に好きなのかな」
「……えーと……っていうか……不器用ですむ問題じゃないよな、理事長」
わかりあえた!
拳で殴りあわなくても、人と人は分かり合えるんだ。ありがとう一成君、乙女の恋の悩みを分かちあえて嬉しい。
「だよね!」
「そもそも理事長、本当に梅乃ちゃんのこと好きなの?」
「それを言うなー!」
一成君はわかってない!乙女の気持ちがわからないなんて、なんて外道だ!乙女から恋の相談されたら真実を語ってどうするんじゃ、必要なのはただ共感、シンパシーですよ。「えーちょっとやだなにそれ信じられないよね」、で一番大事なのは末尾の『ね』。その共感が大事なの。
誰も真実を語れとは言ってない。
「大丈夫、きっと理事長も梅乃ちゃんを好きだよ、って言って欲しいの?」
「うん」
「いや、それはあまりにも欲しい感想ばればれで……しかもそれ感想じゃないし……」
「だって心配なんだもん。なにか安心できることを言ってー!」
「そうは言われても」
一成君は弱り果てたように眉根を寄せる。なにか励ましの言葉をとばかりにしばらく考えていたけれど。
「無理することないって、次行けば」
角度の違う励ましだ。
「もっと嫌!」
「わがままだな!」
一成君はそういいながらも笑っていた。
「本当に理事長が好きなんだなあ……」
「だって」
「でも俺はその点については協力できないよ。だって蓮の味方するって言っちゃったし。まあそれはさておきもっと別な理由があることはあるんだけど」
「理由?」
聞きかえしたわたしだけど、それはもう次の瞬間にはどうでもよくなっていた。
食堂の前を理事長が通り、わたしを見て足を止めたから。
「あ」
お互いに口の形がそうひらく。だけど、続きはでなかった。食堂、っていうことで回りに人がいたからってこともあるんだと思う。でもそれ以前にわたしも理事長もなんて言葉をかけたらいいのかがわからなかったんだ。
横で、ふっと一成君が笑う気配がした。
「でね、梅乃ちゃん」
何かフォローしてくれるのかと思ったら、一成君が言い始めたのはまったくどうでもいい話だった。ほんの数秒前までまったくしていなかった宿題の話なんかし始めて、わたしは目では理事長を追いつつも一成君の言葉に相槌をうつしかない。
「化学の課題の多さはちょっと異常だよね」
「まるっと同意」
いや、うっかり梓の悪口を言っている場合じゃない。だって、理事長が。
一瞬目をそらしたすきに、理事長はいなくなっていた。あーあ……せっかく話をする機会だったのに。どうしよう、あれから電話でちょっと気まずく話をしただけなんだ。インフルエンザのこととか心配しているだろうな。
それが三年生のためでもいいや。でも話を切り出すきっかけになったのに……。どうしよう、追いかければ、今からでも話せるかなあ。
「あ、あのさ、一成君」
「理事長はスルーの方向で」
一成君はにっこりと笑った。わあ来た!王子なのになにかたくらんでいるあの笑顔だ。
「す、スルーって」
「だっていつも梅乃ちゃんが追いかけているよね。たまには理事長が追いかけるくらいのことしてもいいのにさ」
「うわあ……まずなさそう」
「だから、理事長は放置。大丈夫だよ、たまには心配させてみれば?」
「え、えと」
一成君の言葉は率直にいって大変スイートな誘いでした。そうだよ、わたしだって、いつも理事長理事長いってるんじゃくて、理事長に気にしてもらいたいよ。
「でもだめだよ」
「どうして?」
「……人を試すようなことはしちゃいけないんだもん。ごめんね一成君、すぐに戻ってくるから」
わたしは立ち上がった。うん、一応理事長にはちゃんと挨拶しなきゃ。迷惑かけたし……。
「お、あけましておめでとー」
ところが食堂の入り口で、戻ってきた蓮とばったりあってしまった。
「この間は悪かったね、ごめんウメちゃん。迷惑かけて。いやー、でも久しぶり。元気だった?なんかふくふくしてない?」
畳み掛けるみたいに言って、蓮は笑いながらわたしの頬をつまんだ。むにーとか言って笑っている。
「蓮―」
「わー、すっげえ伸びる」
「伸びません!」
そんな話をしている場合じゃないのだ。でも。
蓮が何事も無かったかのようにふるまいつつも、目には緊張があり、手もぎこちないことにわたしは気がついてしまう。
あんなことがあって、蓮もどうやって普通の友達としての関係を再構築しようか、あれから初めてになる顔合わせをどうするかきっとすごく悩んでいたんだろうと思う。
「人の頬で遊ぶな!」
だからわたしは、そこで蓮に笑いかける。
今ここで「ごめん、ちょっと忙しいから!」って言って理事長を追えないわたしは確かに八方美人以外の何者でもない。そのずるさはわかっているんだけど。でも蓮とちゃんと友達として付き合いを消したくなかった。ここで「あ、蓮。また後でね」とか言ってさらっとわたしが通りすぎたら寂しいんじゃないかな。
「よー、帰ってきたんだ」
わたしと蓮が話しているのを見て一成君もやってきた。
「あれ、一成お前、明日戻ってくるとか言ってなかった?」
「ちょっと予定変更。だって梅乃ちゃん今日戻るって言うし」
「……お前な……」
蓮と一成君がちょっと話して、で、わたしも加わって冬休み前と同じに笑って。
楽しいんだ。
でも、こんなことしている場合じゃないのになって、わたしは焦っていた。




