11-7
「鷹雄のところに行け」
いきなり交渉決裂か!
理事長の言った一言に、ただでさえ熱発しているわたしは、耳から煙を出しそうになった。熱暴走でシャットダウンしそうだ!怒りのあまりに声もでないわたしの視線にびっくりしたのか、慌てて理事長が話を続ける。
「いや、あのな、恋愛感情とかそういったことはさておいて、家族に心配かけるのは良くないだろう」
「さっきの予定で理事長が送ってくれればいいじゃん!」
「あんまり大声出すな、病人なんだから」
誰がそうさせていると思って……。
「だってお前、家に帰っても誰もいないんだろう?インフルエンザなんだからそれは許せない。誰かが見ていないと」
「それならここに泊まる」
超ラブラブ彼氏のうちに彼女が泊まることに一体なんの不都合が!?
「だってどこの馬の骨ともわからん奴のうちに泊まるより、鷹雄の家のほうがご家族は安心だろう」
「理事長が馬の骨じゃなくなればいいんだから、明日挨拶してくれればいいだけだよ」
「そんなに簡単には骨に名前はつかないよ」
「足の小指の骨にだって末節骨って立派に名前がついているんだよ?」
「きっとお前の御両親にとっては末節骨のほうが信用できる骨だ」
……なんだかわけのわからない会話になってきた……。
「とりあえず今日は、鷹雄と一緒に帰れ」
「いやー」
げほげほ咳き込み始めたわたしに、理事長は横になっていろと言う。むりやり布団に入れて、理事長は言った。
「大丈夫だ、別に鷹雄に譲るとかそんなんじゃない。久賀院のところは俺も本当に好きだよ。だからお前の家族に心配かけたりしたくない」
「……わたしのこと好き?」
「好きだよ」
うそつき。
穏やかな表情で言って、くしゃくしゃになってしまったわたしの髪を梳く理事長の言葉はとても優しい。
だから、それは嘘なんだ。
だって、理事長、今、保健室の先生の顔だもん。
具合の悪い生徒を安心させるために、なだめすかしている保護者の顔だ。すきあらばだだこねようとしている子どもをとりあえず言いくるめようとしているだけだもん。そんな顔で好きだよなんて言われたって、誰が信じるものか。
好きって言ってよ!ってわたしが怒鳴って、そんなこと言えるかって、そう照れてくれるときの方がよっぽど本当のことを言っていた。
梓に大嘘つかれたときは頭にきたけど、今はなんだかただ悲しい。
「……理事長は、わたしより、梓のほうが大事なんだ」
「どうしてそんな極論になるんだ。そりゃあもちろんあいつとは付き合いは長いけど、それとこれとは別問題なんだ」
「梓なんて、嫌い……」
わたしの呟きに一瞬の空白を置いて、理事長はため息みたいに言った。
「自分を好きになってくれた人間をそんな風に言っちゃいかん……。それにあいつは俺の友達なんだ」
「理事長がそうやって梓の味方ばっかりするから、わたしは梓が嫌いなの!」
あーあ、言っちゃった。
凄い嫌。なにが嫌かって、自分のバカ加減が嫌。梓にせいにしている自分も嫌いだし、多分これで理事長が梓の悪口を言うわたしに嫌気がさすのも嫌。わたし、こんな嫌な人間だったんだ。みっともないなあ。もう自分もひっくるめて全部嫌。なんでこんなにかっこ悪くなっちゃうのかな。
「鷹雄には長く誰も味方がいなかったんだよ」
けれど理事長はわたしを責めるでもなく、そんなことを言い出した。
「鷹雄の親の話を聞いたことないのか?」
わたしは理事長を見た。何を言っているんだろう。
「親って……あのすっごいテンション高そうな人?」
「それは、育ての親だ。なあ、あいつは血脈だけで見たら、表の権威と裏の権力の狭間にいるんだぞ」
「なにそれ?」
「父親は政界ではちょっとした一家の次男だったらしいし、母親は広域暴力団の幹部のお嬢さんだったらしいんだ。どんな事情だかで出来たけど、お互いにそれは実家にとって都合の悪い子どもだったんだ」
まあ……あまり聞かない夫婦の取り合わせだよね……でも二人に愛があったなら。
「結局鷹雄は行き場がなかったらしい。最初は母方の家にいたらしいが、物心着く前に里子にだされたんだ。梓のおばさんということで俺も知っているがかなり強烈だ。いい人だけど」
ぴかーん、旦那さんと一緒に香港旅行に行った人だ!
そうか、理事長もあのひとに会ったことあるのか……多分あったらもっと強烈なんだろうな。
「で、それですめば、まあ強烈だが愛情深い『梓』の家の子どもで終ったんだろうが、鷹雄が小学校高学年のときに母方の組で、跡継ぎが急死してな。そのころはもう鷹雄はずばぬけて賢かったから、また実家に戻されたんだ。でも周囲は跡継ぎ問題で戦々恐々としているし、裏の裏をかくような生活だったらしいぞ」
「じゃあ、梓はその暴力団の幹部を継ぐの?」
とっても適材適所だと思います。皇帝のものは皇帝に、やくざのものはやくざに返しなさい。
「いや。ていうか問題はそれだけじゃなくて、父方にもおきて……本来後を告ぐはずだった人間が汚職で失職して、急に梓の父親にお鉢が回ってきたんだ。で、じゃあ次の次はなんて話があったらしく、その父方の人間に誘拐とかされたらしい」
「はあ?」
今まで放置しておきながら、なんて勝手な実家ども……。
「鷹雄がキレて、血縁に相応の仕返しをして、どっちも継ぎませんアホくさ、と宣言したのが高校入学のときで、それでようやく梓の家にもどれたらしいが、なかなかそれまでの数年間は壮絶だったらしいぞ」
梓の相応=一般常識の相応の1.25倍。まあそれはともかく。
「本当のご両親はなにしてたの?!」
「それぞれしかるべき相手と結婚して、何事もなく生活している」
「で、でも産みのお母さんとかぐらいは心配しているよね」
「『忘れたい過去』だと言われたらしい」
唖然。
わたしは熱も忘れてぽかんとしてしまった。
そりゃ歪むよ。
「また梓が金儲けの才能もあるヤツでなあ。鷹雄を返せとばかりに梓の家の商売を邪魔されたこともあるらしいのだが、高校生にも関わらず、株で大もうけして梓の家が苦しいときに補填していたらしい。まだそれを見せ付けられて、双方の実家はあいかわらず鷹雄に未練があるらしいんだが」
「……理事長はどうしてそんなこと知っているの?」
「まあ、友達だからな」
理事長は苦笑いだ。
でもわたしが理事長に聞きたかったのはそんなことじゃない。本当は。
どうしてそんなことわたしに話すんじゃボケ!ってことだ。そんなこと話したら、わたしが梓に同情するとか考えないの?予想していても平気なの?本当は梓のところにわたしを押し付けたいのかな。
理事長は。
と、理事長がわたしの額に手をあてた。
「すこしよさそうだな。具合がいいうちに早く行け。ちゃんとマスクして鷹雄にうつすなよ?」
わたしは唇を噛んだ。
なんかもう、いろいろ考えるのに疲れてきた。もういいや、ここにいてもなんか悲しいだけ。
「行きます……」
わたしがそういうと、理事長は目に見えてほっとした顔をする。
なんつーか……とどめだ。
痛恨の一撃。
「じゃあ、久賀院を頼む」
理事長がそういうと、梓は一瞬押し黙った。
わたしは助手席でうつむいていた。だってほんとうに具合悪いし。
「……まさか本当に僕に預けるとは思わなかったよ」
どこか不愉快そうに言って、梓は車をだした。わたしはろくに理事長に挨拶もしないで結局離れることになってしまう。でも思いつく挨拶なんて無い。
「……バカじゃないのか、あいつ」
梓の声には苦々しさが混ざっていた。
「なんで僕にだってわかるウメの気持ちに気がつかない」
梓はそう言ってくれたけど、どうでもよくなっていた。
どんどん通りすぎていく町の光をみているだけだ。梓もしばらくは何も言わない。
「ところでどうして正月早々お前は風邪を引いているんだ?」
そんなふうに聞かれた。蓮に見事にうつされたんです!といいかけてそれにまつわるいろんな出来事を思い出す。
うわーよかった気がついて!うっかり言ったらいろいろ追求されるところだった!
ひやひやしていたわたしだけど、梓が別に問い詰めようとしていないことに気がつく。
「風邪引いていなければなあ。今なんてウメにつけ込み放題でなんでもできるんだが」
な、なんだろう、つけ込み放題って。多分梅漬けとは違うよね。
……もしかして、おでこにキスとかだろうか。ひぃ、そんなの15歳には早すぎる!
「だって今、僕のうちにおいでと言ったらウメはきっと来るだろう?硝也さんとインフルエンザのことがなかったとしてもね。多分、おいしいものが無くたって来るよ」
「そんなことない」
マスクの下でわたしはもごもごと言った。その声が不明瞭なのはきっとマスクだけのせいじゃなくて、わたしの気持ちも不明瞭だからだ。
「そうかな?だって、十郎の態度に怒っているだけじゃなくて、今は僕に同情しているんじゃないのか?どうせ十郎がまたいらんことを話したんだと思うし」
すげえよ……もう千里眼が神のレベルだよ……。
「梓は大変だったんだな、とか思うけど、でも」
「別に大変でもなんでもない。自分がどうしたいのかさえわかっていれば、困ることなんてない。今日も母方で新年の挨拶をしてきたが、普通に何一つ滞りなく終了だ」
そりゃ梓が、財力も腕力も精神力も持っているイケ面だからだ……って、ああ罵倒になってない。えーとえーと。
「でも大変だなって思うのは同情だろ?」
「あれ、そうか……」
「同情でもなんでもいいやと僕は思っているからね。利用できる機会は逃がさないけど、さすがにちょっと病人はな」
「自分がうつるから?」
「かもな。アホまでうつされたらたまらない」
「うぬう……」
病人には容赦したほうが神様に情けをかけてもらえると思いますよ。とわたしは心のハンカチーフを噛み締める。
「ウメはアホのままでいい。それを長所とするために僕が悪党になってもウメを守るから」
「は?」
「まあウメにとっても悪党でいたいと思うわけだが」
「……平等にいじめてやるぞという宣言に聞こえます」
「お、インフルエンザの割には聡明だな。少しぐらい熱があったほうが脳も活性化するのかな、ウメは」
そういって梓が笑ってくれたので、わたしも少しだけ微笑んだ。
真面目に反応したらまずいなって思ったんだ。だって梓優しいんだもん。
機会は逃さないけど今回はよしておくよ、そう言う梓の言葉の優しさこそ、もしかしたら手段を選んでいない言葉なのかもしれない。次への布石で本当はそんな風に思っていないのかもしれない。
それでもいいやって思った。
理事長みたいにわたしに無関心な人よりは、嘘吐きで手段を選ばない相手でもわたしを好きって言ってくれる人が嬉しかった。
そう思うわたしの気持ちこそ最大の打算なんだけど、発熱中ってことでもう自分の醜さなんて見えないことにした。
でも見えないふりばっかりしていたら、理事長が好きだって言うわたしが一番大事にしなければいけないものも忘れそうで、怖かった。




