11-3
「わかっているんだ、こんなこと言っても何にもならないって」
蓮の目にある熱っぽさは風邪のせいだけじゃないのかな。
「でも、このままただ時間が解決してくれるのを待つしかないなんて苦しすぎる」
「れ、蓮。とりあえず寝よう、風邪ひいてるから、いろいろ考え込んじゃうんだよ」
「学校や寮でこんな話できないだろ」
「だけど、今はこんな話するような場合じゃないよ」
だったら、と蓮は笑った。蓮のいつものくったくない笑顔じゃなくて、どこか暗さと痛みをはらんだ熱っぽい笑い。
「だったらなんでうちに来たの。俺がいつも言っているから、それはもう冗談として流していいとでも思ってた?俺が何も考えてなくて、ウメちゃんと普通に話すことも苦じゃないって思っていたんだろう」
「蓮」
「俺はウメちゃんに友達としてしか扱われなくても、振り回されてもいいと思っていた。我ながらなんでそれがつらくなって、我慢できなくなってきたのかって思うよ。いざとなったら離れようと思っていたけど、それもウメちゃんが理事長と仲良くしてたり女子寮が出来てきたりして、現実味を帯びてきたら急に怖くなってきた。もう限界、苦しい」
蓮の言う言葉の一つ一つがわたしの胸をえぐる。わたしのことを無神経だって言う蓮の言葉はいつだってただの冗談じゃなかったんだ。
「根性なくてごめん」
手の甲を握り締めていたはずの蓮の手は、わたしの二の腕をつかんでいた。
あっ、そこは冬休みで若干太ってしまった影響が出ているので触らないでももらえるとありがたい。
いやそれはともかく、だ。
わたしは蓮を見る。
今となっては遅いんだけど、わたし、やっぱり無神経だったのかあ。そっか、そうかもしれないな。蓮が優しいから、普通に接してくれるから、蓮がいなかったら寂しいから、だから近くにいたけど、わたしの方からちゃんと距離を置かなきゃいけなかったのか。
六月に蓮のことを「無神経!」って罵倒したけれど、同じことをわたしは蓮にしていたんだろうか。ひどいな、それはとってもひどいな、わたし。
わたしもどうしていいのかわからなくなっていた。
わたしが理事長を好きだって言うことは変えられない。
うん、これは動かしようのない大前提一、その付属物として今、わたしの彼氏は理事長っていう事実が付いてくる。これだって変えられない、変えたくない。
蓮がわたしを好きだって言うこともどうやら本当で、これもすぐには変わらないみたいだ。大前提二。でも一と二が並立していることは蓮にとってものすごくつらいこと。それで蓮はわたしの大事な友達だ。わたしだって、友達としての蓮とは仲たがいしたくない。
なんだろう、わたしが贅沢なのかな。もう友達として蓮を望むのはわたしのわがままになってしまったのかな。わあそんなのヤダヤダ。
じわりと蓮の手がわたしの首の後ろに回される間に、それだけのことをわたしは考えていた。
蓮と一成君とわたし。
やっとちゃんと友達になれたのに。でもそれはわたしの身勝手で成立していたんだろうか。なくしたいと思うのはもう無茶なのかな。ここでキスされるの嫌だって拒んだら、全部終っちゃうのかな。三人で御飯食べたりできないのかな。
なんかもう。
この段になって、わたしはよろりとヘタレた。
なんかわけわかんなくなってきた。
つーか、もうキスぐらいいいじゃん、とか思ってしまった。それで蓮が納得してわたしに諦めつくならもういっか、みたいな。
あー、ずるいよね、わたし。でも蓮のことも好きなんだもん。
昔見たドラマで、「どっちも好きなの、愛しているの、選べないの」とか、なめたことを言っていた女がいたなあ。宇宙艦隊全軍総力を挙げてあのバカ女撃破!くらいムカついたもんだけど、今、まさに、わたし、そのなめた女になり果ててる。ちくしょうこの久賀院梅乃とあろうものが。
もういいや、最初は理事長としたかったけど、きっと人生と言うのはなかなか思い通りにはならないものなのだ。蓮なら、まあいいや。
わかった。よっしゃ、こいやー!
『恋人は情で選ぶな、愛で選べ』
なぜか梓の言葉が聞こえたような気がした。
一緒にいればいつか必ず情は湧く。それは鉛筆一本にだってね。それが悪いことだとはいわないけれど、恋人だけは、別に線をひけと。
恋人は。
「ごめん蓮!」
わたしは思い切り蓮を突き飛ばす。
こちとら凡人の日本人、欧米人と違ってキスするのは一番大事な人だけなんだ。すみません、うちは朝ごはんは味噌汁と決めているので欧米風習には馴染めません。!
「そういうことは理事長と以外できません!」
情は切り離すときに痛みを伴うこともあるけれど、それでも間違えるな。
危なかった。とりかえしのつかないことをするところだった。それを止めた経典が『梓のオコトバ』という事実には、くらくらするくらいうんざりだけど、それでもあいつの言うことは間違ってない。
「それにそんなことしたら、今度こそ蓮に対してとりかえしが付かないくらい無神経なことをしたことになるからダメ!」
「……ウメちゃん」
「だめだ、だめ。わたしは今、蓮とキスしてもいいやって一瞬思っちゃったけどそれ間違い。それぐらい蓮ところは好きだけど、でも理事長に対しても蓮に対してもそんなことしたら全部顔向けできなくなっちゃう」
「いいじゃん。理事長に顔向けできないことが俺はしたいんだ」
「それをするなら、わたしは理事長と別れてから蓮のところに行くよ。わたしは蓮を好きだけど、それ以上に理事長のことが一番好きなんだもん」
わかった、すべての人にいい顔はできないんだ。
「大丈夫だよ、黙っていれば。俺も言わないしウメちゃんも言わなければ問題ない」
「わたしが蓮だったら、そんないいかげんな事で気持ちなんておさまらない」
自分をごまかして相手をなだめて、誰かを裏切って、なんて。そんないい加減なことで終る恋なんて、もともとおかしいよ。
わたしの言葉に少し蓮の動きが止まった。
「だから無理。蓮ごめん」
「謝ってなんて欲しくないよ」
「わかった。じゃあ悔しかったら屍を乗り越えて来い!」
「誰の?!」
蓮は、はーってため息を付いて、わたしから手を離した。
「……なんつーか」
蓮は距離をとってわたしを見つめる。その言葉の後が出てこないまま見つめられているので居心地が悪い。
「なんかムカついてきた」
「え」
蓮は口を尖らせて言う。
「俺ばっかりウメちゃんが好きで。うまいことほだされてくれないかって思って、俺にしては相当つらいことも白状したのに全然ほだされてくれなくて」
「ああうあうあううう、ごめん」
「冷たい、ウメちゃんは冷たい。あそこまで泣き事言えば、キスだけじゃなくて胸くらい触らせてくれたってバチはあたらねえよ」
「ずうずうしいぞ」
「俺はねえ、親の七光りも財産も整った顔もあるよ。相当お買い得物件だよ」
「そうなんだけど、ごめん」
「でも俺はまだ、俺自身で手に入れたものは何も持っていないんだよなあ」
「え?」
蓮は微笑んだ。
「でも絶対俺はこれからどんどん変わるから。悪いけど、俺は将来ありえないくらいいい男になるよ。そのときになって、しまった!って後悔しても遅いんだからな」
「ええー、そうなの?」
「今決めた。俺はハンパねえいい男になる」
「それって新年の抱負?」
「なんでそんな小さい話にすんだよ!いつかウメちゃんが『蓮、素敵ーきゃー抱いてー』くらい言うレベルの話だぞ」
「いや、言わないよ、それは」
そんなんなったら蓮じゃないよ。
そう言って笑った時のわたしはやっぱりちょっと油断していたのか。蓮の片手はまだわたしの腕にあったのに。半身を乗り出すようにして蓮はわたしの背に両手を回す。あって思った時には蓮の胸に押し付けられるようにして抱きしめられていた。
「人の話を…!」
聞けぇ!とわたしは蓮の背を叩く。自分もわたしの肩に頭を埋めるようにして、こもる声で蓮は言った。
「できたら覚えていて」
蓮の本当に真剣な言葉だ。
「俺はもうウメちゃんに無理言ったり迫ったりしない、でもそれはウメちゃんを好きだからだ」
「蓮」
「本当に好きだよ」
蓮はしばらくそのままだった。でもそれ以上の事もしてこない。ただ静止と静寂。わたしはもてあましていた自分の手を蓮の背に回した。かける言葉もなくて、けれど拒絶も出来ないわたしは大概だらしない人間なんだと思う。
わたしは二回だけ蓮の背を軽く叩いてじっとしていた。蓮の額の熱さを肩口に覚えながら。
「絶対後悔させっから」
顔を上げた時、蓮はそう言って笑った。いつもの笑顔。
「無理無理」
それでわたし達は笑いあった。
多分これからも蓮は、わたしと一成君と一緒にいてくれると思う。でもそこにいくばくかの痛みは残してしまうんだろう。
わたしも蓮が抱えている痛みを知りつつ、それでも一緒にいたいと欲張るんだ。そのずうずうしさをわたしはけして忘れてはならない。
もうでもわたし達がそのことに触れることは二度とないと思う。
なんか興奮したためか、熱をぶりかえした蓮をまたベッドにつっこんでから、わたしは蓮のマンションを辞した。
蓮は明日も来てくれたら嬉しいって言ってくれたけど、でもそれはしちゃいけないんだと思う。注意深く、わたし達は距離を測らないといけないんだ、友達だから。
本当は風邪の人間を放置して帰るなんてわたしも心配なんだけど。
でも三時間ごとに電話するからって約束はしてきた。もし電話に出なかったらその時にはちゃんと飛んでくるし、あともし具合悪かったらいつでも電話してねって言って。
あっ明日は箱根の駅伝だ!
電話するの忘れそうだなわたし……とか、ちょっと思った。




