11-1
悪いんだけど、蓮の家にアイソトニックな感じな飲み物もって行ってやって。
そろそろ年が変わる時間、お父さまとコタツでみかん食べていたわたしの家に一成君から電話がかかってきた。
世の中は回線が込み合うのであけおめメールはほどほどに、なんて盛り上がっているのに、わたしのところに来たのは、パシリかよ!的なそんな電話だ。
「どうしました、梅乃さん」
電話を切ってもどると、お父さまが天下泰平な笑顔でわたしを見る。
「ええと、友達から電話でした」
「そうですかー。よかったです。梅乃さんにも冬休み中に電話くれる友達がちゃんとできたんですねえ」
「う、うーん」
曖昧な返事でこたつに入る。あっ、電話に出ている間に紅白が終ってしまったではないか。どっち勝ったんだろ。
実は一成君の電話も、某女性ベテラン歌手の今年の衣装のことが気になってうわのそらだった。どんな建築みたいな衣装だったのかなあ。今は紅白もラストシーンで、去年大ヒットしたハニーベリーって歌を歌った若い女性二人組が、インタビューされている。そんなものより幸子を出せぇ!
「お父さま、紅白は……」
「お友達はなんて言っていたんですか?」
にこにこしながらお父さまが聞いてきた。
「はあ……なんかジュース買って別の友達の家に届けてって」
「年始に伺うのに手土産がジュースだけというのはいかがなものでしょうか」
そう言う問題なのか。
「さあ……でもなんかその届け先の人間は風邪ひいているみたいなんですけどね」
「じゃあ、食べ物が喉を通らないんじゃないでしょうか?」
お父さまの顔が不安そうなものに変わる。
一成君は自分が行ければ行くんだけど、『王理』の集いで今、箱根で数日は戻れないって言っていた。
「そうですねー。でもうちの何億倍もお金持ちな家だから、大丈夫だと思います」
「うちがゼロだったらいくら掛け算してもゼロですよ、梅乃さん」
「そうでした、あはは」
あははって笑っている場合じゃなかった!
あーあ、かさこ地蔵でも狩りに行きたいな。
そんな、なんてことのない大晦日だけど、やっぱり蓮の様子はちょっと気になった。
来てしまった。
わたしは六月に足を踏み入れたあの高級マンションのエントランスにいた。今日は午前中はお父さまと一緒に母さんのお見舞いに行き、帰るその足でお父さまと別れて、わたしは蓮の家にたち寄ることにしたのだ。お父さまがちゃんと家まで帰れるかどうかが心配でならん。
しかし一月一日からわたしは何をやっているのだろうか。
エントランスのインターホンを使って、蓮の家をコールした。猛烈に呼び出しているけど全然でない。うう、警備員さんが不審な目でわたしを見ているよう。
『……はい』
とても蓮の声とは思えないような生気のない声がした。
「あ、蓮。梅乃だけど」
『……はあ?なんで!』
「いや、なんでって、一成君が蓮ところにちょっと行ってみてって。ポカリもってきた」
インターホンの向こうには沈黙が落ちた。ていうか、二リットルのペットボトル二本はさすがに重いんだけど。
『……今開ける。でも玄関でポカリ置いたら帰って』
インターホンが切れた。
……つか、その言い草はなんだ!
この超多忙の久賀院梅乃さまがはるばるこんな都内まで出て来てやったのに!ものすごく忙しいんだからね、わたしは。今日は芸能人格付け、明日は箱根の往路、明後日は復路見なきゃいけないんだよ!その隙をつき鮎川君から借りた過去M1グランプリDVD十本を見るんだ。
そして四日は理事長とデート!
またドタキャンして梓よこしたら許さないって、理事長に圧力かけてあるんだから。忙しいんだよ、わたし。
蓮のそっけない言い草に腹を立てながらわたしはエレベーターに乗った。
梓の家もそうなんだけど、気圧が変わって耳が痛くなるような高い階まで上がってエレベーターは開いた。ドアとドアの間が猛烈に開いている通路を記憶を頼りに歩いて探す。
見つけたドアの前でインターホンを鳴らす。けど出てこなかった。ためしにドアのノブに触れてみると驚いたことにそれは回って扉は開いてしまった。
蓮の両親は華やかそうな世界の人達だ。新年パーティとかやっていたら、わたしもとんだ場違いだなあって思いながらドアの中に顔をつっこんだ。
「すみませーん……?」
家の中はしんと静まり返っていた。
「蓮?」
暗い玄関にわたしは入り込んだ。うわあ、不法侵入じゃないよね。持っていた四キロに及ぶ荷物を下ろしてわたしは家のなかにもう一度声をかけた。
そういえば、蓮に会うのも久しぶりだ。いつもは誰より寮に長く居るっていうのに、今回は冬休みになるや否や、実家に帰ってしまったから。蓮にしては珍しい。
しかしこの静けさはちょっと尋常じゃない感じだよ。
意を決して人の気配の無い家にわたしは上がりこんだ。
「お邪魔します」
蓮、って声をかけながら、リビングを覗き込む。覗いたわたしはちょっと眉をひそめた。なんとなく雑然としていたからだ。食べかけた出来合いの食品がごろごろ転がっていた。なんていうのかな、空気も澱んでいて元旦の朝らしい風景じゃない。
当然っていったら変だけど人の姿はなかった。しかたないので、この間貸してもらった寝室の方に行ってみた。廊下の先に半開きになっている扉があったのでそこを覗いて驚く。
「蓮?」
その部屋のベッドに半分体をもぐりこませながら中途半端につっぷしたような態勢で寝ているのは蓮だ。なんか真っ赤な顔をしてふうふう言っていて、こりゃまあ明らかに様子がおかしい。
「ちょっと蓮、大丈夫?」
「……ああ、ウメちゃん……」
肩を揺すると蓮は薄く目を開けた。
「いい夢だ……」
「夢じゃないから」
「ああ、でも実物よりカワイさは落ちるな……俺の想像力って貧困……」
「ケンカ売るとかいい度胸だ。わたしはいつでも可愛い。とりあえずちゃんと布団かけて!」
大きな図体をベッドに押し込んでがっちり上から布団をかけなおす。蓮は寒い寒い言って目を閉じてしまった。
ひえー病人じゃん!一成君め、よくもこんなの押し付けたな!
「蓮、救急車呼ぶ?」
「……いらない……」
いらないって……。
わたしは寝室にも散らばるペットボトルの残骸を見た。何日か前から寝込んでいたのかな。病院にも自分で行ったらしく、処方薬の包みが転がっていた。
とりあえずどうしよう。
ひ、ひえぴたシートを買いに行って……あ、でも一度締め出されたらもう入れないかも。いやそれ以前のここの家人はどうなっているんだ。
「蓮、ご両親は?」
「……知らね……」
「知らね、じゃなくて!緊急事態じゃん」
「多分……母親はパリ。父親はニューヨーク……だったよな……」
なるほど、家にもどってくるころには風邪も治りそうなくらい遠い場所だ……。
もういいや、とりあえず、自分にできることをしよう、やばかったら救急車にしよう。
腹くくってわたしは寝室を出た。とりあえず家を出ることは難しいみたいなので、わたしは浴室を探してそこからタオルを取ってきた。たらいなんてなさそうだったので、キッチン漁って大きめのガラスボウルを見つけだす。そこに冷凍庫の氷をつっこんで冷水をつくると濡れタオルにして蓮のところに持っていた。ついでにリビングに転がっていた体温計を見つけ出して蓮の口につっこんだ。
落ちていた薬を拾って、処方日と処方内容を確認すると、どう考えてもあまり真面目には飲んでいなさそうだった。今は午後一時だけど今日の昼分も飲んでいなさそう。本当は何か食べてからじゃないといけないんだろうけど。
「蓮、薬飲んだ?」
なんかむにゃむにゃ言っている蓮の様子からしても飲んでなさそうだったので、体温が取れた体温計を引っこ抜く。38度7分か。
「蓮、これ飲んで」
無理やり起してコップに入れたポカリと薬を差し出す。むくんでいてそっちこそ男前度は通常の三割減な顔で、蓮はおとなしく薬を飲んだ。すぐにまた横になってしまった蓮の額に濡れタオルを置く。
「気持ちいい……」
蓮は薄く目を開いた。
「ありがとう……実物よりしょぼい俺の妄想のウメちゃん……」
「だからケンカ売ってんのか」
でもまあ、薬も飲んだしとりあえずちゃんと布団かぶっているし。ひんやりとした部屋のエアコンを少し高い温度に変えて、わたしはため息を付いた。なんかどっと疲れた。
寝室に転がっているゴミを片付けて、わたしは部屋を出た。しんとしているリビングに戻る。ここもまあ荒れ放題だなあ……。
またため息付いてからそこもゴミを片付け始めた。自分の家の掃除をやっと昨日終らせたのに、今日は人のうちの掃除か。しかし確か蓮の話だとこの家には家政婦さんがいるはずだが……あ、そうか年末年始だからいないんだ!そうだよね、寮も閉まるくらいなんだもん。
じゃあ蓮はずっとこの家に一人だったのかな。それならなんで蓮は冬休みになるやいなや慌てて帰ったんだろう。寮には冬休みが始まってもしばらくは一成君や高瀬先輩もいたのに。
蓮なら最後までいそうだったのにね。
首をかしげながら、散らかっているリビングを一応見られるまでにした。コンビニのお弁当とかあったけど、風邪のひき始めだったのか、揚げ物ばかりのそれはきつかったらしく、ほとんど残されていた。冬でよかった。夏だったらいろいろ生えていただろうな……あーもー、いつからこんな生活していたんだろう。
ちょっと寒かったけど窓も開けて空気を入れ替える。
さて、とわたしはソファに座った。あ、そうだ、一成君に電話しないと。どうしようかな、いいや借りちゃえ。
わたしは蓮のうちの家電話から一成君に電話をかける。携帯電話がないと重ね重ね不便だなあ。蓮の家の番号は登録されていないのか、しばらくして警戒した声で一成君がでた。そうだよね、蓮だったら携帯なら携帯からかけるもん。
「あ、一成君?」
『ああ、梅乃ちゃん。あれ、今どこ?』
「蓮のうち」
そういうと一成君は少し驚いていた。
「なんかね、ひどいことになっていた。蓮、熱が38度台」
『あ、そうなんだ。昨日俺に家に来てって言ったときはまだ良さそうだったんだけどな。でも良かった。俺もちょっと今動けないから、ウメちゃんが行ってくれて助かった』
「ねえ、蓮の家族は?」
『どうせ海外じゃないかな』
やれやれ、あれは寝言じゃなくて本当か。
『でも梅乃ちゃんは優しいな。結局行ってあげたんだ。蓮も喜んでいるんだろう』
ワタクシ実物よりしょぼいらしいですよ!?
『それなら俺も風邪でもひいてみればいいかな』
「え?」
『なんでもない』
一成君は笑って、じゃあ手に負えなくなったらこっちで誰か医者頼むから教えて、と言うと電話を切った。
よかった、いざとなればお医者さん来てくれるんだ。
わたしはようやく安堵のため息をついた。




