10-9
「……そうかなあ……」
わたしは疑心暗鬼のままだ。高瀬先輩だけが満足している。
「さてと、俺はちょいと生徒会長としての仕事をしますか」
「あ、邪魔しちゃったんだ……すみません。なにか手伝いますか?」
「え、いいの。クリスマスイブなのに」
「別になんの予定もありませんよ」
じゃ、お言葉に甘えて、と生徒会長はA4だのA3だのB5だのが混ざった書類を出して来た。
「来年からは様式統一させるけど、各部活からの提出書類。やつら自分達の好きな様式で出してくるんだ、マジ殴りたい。これ、データをパソコンに入れてくれる?記載不備なところはウメちゃんのカンでいいや」
「カンなら大得意です!ってその前に」
わたしは午後からずっとごろごろしていた目が気になって鞄を開けた。
「どうしたの?」
「今日なんかコンタクトの調子悪くって。ちょっと外して眼鏡にします」
「あ、ウメちゃんコンタクトなんだ」
コンタクトのケースに外したレンズを入れた。とたんに視界がぼやける。その代わりにと眼鏡ケースをだした。
「確かになんか目が赤いよ。目薬とかないの?」
「……ありますが……わたし、目薬さすの下手で……」
「でもさしといたら?」
「じゃ、ちょっと席を外して」
「ここでさせばいいじゃん。どんな大仕事なんだよ」
意味わからんと高瀬先輩は首をかしげる。
「……笑わないでくださいね」
わたしはとりあえず立ち上がった。高瀬先輩に背を向けて、目薬を掲げる。
「……なにそれウメちゃん!」
容赦ない爆笑が背後から聞こえてきた。
「笑わないでって言ったのに!」
まあ自分でその姿を見たことは無いのだけど、梓からも「ウメは人前で絶対目薬さすな!」と言われたわたしのスタイルを説明しよう。
へっぴりごし(怖い、目薬の先っぽが怖い!)。
なぜか口が開く。
そしてけして目に入らない目薬の謎!
「そのマヌケな顔。美少女も形無しだよ!すげえ不細工!」
「だから下手だって言ったじゃないですか!」
先ほどまでの意気消沈振りが嘘のように、高瀬先輩は笑っていた。スマートフォン取り出して言う。
「ちょっと写真撮っていい?」
いいわけねえだろ。
「もういいです!部屋に帰ってからさします!」
「貸してよ。さしてあげるから」
「人にやってもらうなんてなおさら怖い」
まあまあ、と高瀬先輩は立ち上がってわたしから目薬を取り上げる。と、何かを思いついたように動きが止まった。
「……ウメちゃんこっち来て。窓際」
「え?だってもう日も落ちて、別に窓際だからって明るいってわけじゃ」
「いーからいーから」
強引に手を引いて、窓際に連れてくると、高瀬先輩はわたしを窓に押し付けた。なんか……ちょっと近いですよ?
「高瀬先輩……?」
「はーい、上向いてー」
いきなりがしってアゴつかまれた。ぎゃーやっぱり怖い。
「うあ、やっぱり高瀬先輩止めてください、怖いです!自分でやります!そもそも慣れてないから目薬自体苦手だし」
「ふふふ、怖いのは最初だけだって。慣れてくれば気持ちよくなるから」
「いーやー」
両手をつっぱって拒絶しようとしたら、わたしの足の間に自分の片足を割り込んできた。ありえないほど密着してわたしの抵抗を押さえつける。
「大丈夫、俺は優しいし上手いんだよー」
アゴを掴んだ手の指でひょいとわたしの目をあかんべさせて開かせる。うおわ、高瀬先輩ってひょろっとして見えるけど、胸板厚くないか。いやそんなことより。
突然ひやっとする感覚が両眼に落ちた。
「はいおしまい」
どこに持っていたのか、高瀬先輩が距離は近いまま、わたしの眼鏡をかけさせてくれる。うう目が、目が~。
「お、眼鏡顔も可愛いね。眼鏡女子萌えー」
「あ……ありがとございます」
一生懸命目をしぱしぱしてなんとかぼやけた視界を鮮明にする。
「あのね、ちゃんと顔を手で固定して視線ちょっと上向き加減でやるとうまく入るよ」
アゴから手は離してくれたけど、距離はそのままなので、すっごい間近でへらへら笑っている高瀬先輩の顔が見えた。近くで見てもやっぱりラップくらいにしか重みのない顔だ。
「高瀬先輩……あの、なんかちょっと距離近くありません?」
「そーだね。でももうすぐ面白いことが起きるからしばらくこのままで。あ、ウメちゃん、ちゃんと『点眼してもらっていただけです』ってフォローしてね。じゃないときっと俺、大怪我しちゃうから。後輩思いの生徒会長からお願いね」
なんじゃそりゃ、とわたしが口にするより早く事態は急転した。
突然廊下を走ってくるすごい足音が聞こえたかと思うと、扉が壊れるんじゃないかって勢いで生徒会室の扉が開いた。
「こらー高瀬!お前なにやってんだ!」
見たことない剣幕の理事長が部屋に飛びこんできた。
「あー、理事長のくせに廊下走ってましたね、いけないんだー」
「そんなことどうでもいい!貴様、久賀院になにしてんだ、近い、近すぎる!無理やり何かしようとしていただろう!」
なんだ?なんで今ここに理事長がいて、若干勘違いはあるものの、この状況がわかってるんだ?そして高瀬先輩はどうしてこんなに「してやったり」って顔なんだ?
「えー別にー」
へらへらしながらやっと高瀬先輩はわたしから離れた。けれどぽかんとしているわたしとは逆に理事長は激昂するばかりだ。大股で高瀬先輩のところに近づいたときにはもう拳を握って振り上げていた。
「り、理事長!」
慌てて止めようとしたけど間に合わない。理事長の腕っ節の強さは文化祭の一件で証明済だ。
わあ、『非力、軟弱、軽薄が俺のジャスティス!』とか普段から自分で言っている先輩じゃ、本当に死んでしまう!
理事長の拳は、間違いなく高瀬先輩の頬を捉えた。
はずが。
「え?」
思い切りそれは空を切っていた。空振りした理事長とそれを見たわたしは意味が分からなくて一瞬目が合う。高瀬先輩が避けたって気がつくまで少し時間がかかった。
「あ、あれ?」
「わあ、ウメちゃんフォローしてよ!」
高瀬先輩の声でわたしは慌てて手にしていた目薬を理事長の前に突き出した。
「別に何もされてません!点眼してもらっていただけです!わたしうまくできないから!」
「点眼!?」
「そうですよ!ウメちゃん、少し目の調子悪いみたいだから!」
理事長の射程範囲から十分な距離をあっと言う間にとって、高瀬先輩は言った。
「純粋な好意なのにー、あ、でも理事長室の窓からみたら、俺が久賀院さんに無理やりキスでもしようとしているように見えましたか?」
わたしは窓を振り返った。向かいの校舎のちょうど同じ階にある理事長室に今更ながら気がつく。顔色変えた理事長に先輩は畳み掛ける。
「酷い!俺はそんなことするなんて思われているんだ!生徒を疑うなんて最低だよ、理事長!」
……美術はド三流でも演技は超一流だ、先輩……。なんだその傷ついた青少年のふりは。すげえ、嘘泣きで涙流してる。……高瀬先輩が源氏やればよかったんじゃんか!
「う……久賀院、本当なのか」
「本当です……」
「……す、すまん高瀬」
「……いいえ……平気です……それに、理事長がそれだけ久賀院さんを大事に思っているってことですもんね。それが分かっただけでも、もうけも……胸が温かくなります」
「いや、俺は別に……」
高瀬先輩の一言一言に狼狽して、理事長は後ずさる。
「すまなかった、俺は、これで……」
「おっさん」
一瞬耳を疑うような言葉が高瀬先輩から出てきた。さすがに理事長も目を剥く。
「おい、高瀬……」
高瀬先輩の顔からいつものへらへら笑いがきれいさっぱり消えていた。わたしも始めてみる高瀬先輩の真顔は恐ろしく理知的なものだった。
「血相変えて飛んできて、勘違いで生徒一人ぶっ飛ばしかけて、それで『すまん』じゃちょっと俺的には不満足。つーか、それって女子生徒だからじゃないですよね。久賀院梅乃だからとしか思えないですよ?」
「いや、俺は単に、女子生徒に間違いでもあったらと……」
「理事長がわりと俺をかってくれてるってことぐらい、俺も知ってます。でも俺にたいする信頼なんて屁でもないくらい、大事なもののために今走ってきたんじゃないですか?」
そこで高瀬先輩は笑った。でもあの軽薄なものじゃない。好戦的で鋭利な微笑だった。これ……絶対高瀬先輩、麗香先生に見せないほうがいい、麗香先生ひいちゃうよ……怖すぎる。そうだ、高瀬先輩は、あの熊井先輩の幼馴染なんだよ。わりと熊井先輩にはやられっぱなしだけど、あの人に十数年つきあっているってだけでもやっぱり只者じゃない。
「つーわけで、俺もこれ以上ヒトサマの恋愛にはかまってられないので、どうぞここで解決を。俺は帰ります。あ、ウメちゃん戸締りよろしく。鍵は机の上」
机の上にあった自分の鞄を取って、理事長に見えないように高瀬先輩はあのいつもの笑顔で言った。
「俺もまだがんばる。ウメちゃんもがんばれ」
そしてあっさり理事長の横を通りすぎて開きっぱなしのドアから出て行こうとした。
理事長は視線はわたしに向けているけれど、去ろうとした高瀬先輩を呼び止めた。
「高瀬、お前今、俺の拳を避けたよな?」
「えー、偶然っすよ、偶然。次は絶対ぶっとばされるって思いましたもん。俺へタレだから、理事長に殴られたら一撃で死亡ですよ。マジ即死」
「……俺の拳を避けられたのは、梓先生とお前だけだ」
「偶然とはいえ光栄です」
にこって笑って高瀬先輩は出て行った。
……で、この始末をどうつけろと……せいとかいちょー!




