10-2
「まあ、理事長、どうしたんですか。いつもが嘘みたいに今日は感じの良い人に見えますよ」
ああ、麗香先生、それはいつもは感じ悪いといっているも同然!
「ていうか理事長、スタイリストでもつけた?」
高瀬先輩もなんだか感心したように言う。
「そんなわけあるか。この間、梓先生と約束があったんだが、その時になぜか髪を切りに連れて行かれたり、服を買わされたりしただけだ」
やはり梓か……。
でも、よかった。理事長がかっこよく見えるなんて、わたしの頭がどうかしちゃったのかと思ったけど、普通に皆かっこよく見えているんだ。
あっ、でも困るじゃん!こんな人の視線が多いところに理事長が素敵な姿で現れたら、理事長に目をつける人が増えるじゃないか!しかもここは病院、病院といえば、男の夢、ナースさん!
「そうだ、これ」
理事長はぶっきらぼうに、奇麗にラッピングされた小箱を差し出した。病院の小さな頭床台の上にも余裕で乗るサイズ。麗華先生が開けると中にはオアシスに刺さっている花がコンパクトに、けれどぎっしりと奇麗に詰まっていた。他人の迷惑にならない!でもいい花使ってる!あまり手入れの心配も無い!
この気遣い、あきらかに梓の手が入っている気がしますけど!
「ありがとうございます」
にこにこしながら麗香先生は花を受け取った。麗香先生は今はスッピンだ。でも、前と違ってちゃんと顔を上げて、優しく微笑んでいる姿からはかつてのあの陰惨(言い過ぎ)な姿は予想もできない。表情一つで人は全然変わる。
あれ?
「久賀院と高瀬以外の生徒も、大変薬師寺先生を心配していた」
「本当ですか?」
「来年は美術選択の生徒が増えそうだ」
「私、生徒さん達の力になれていればいいのですけど」
「大丈夫だと思う」
あれあれ?
「ともかく、無理はしなくていいからゆっくり休んで」
「ほんとうにご心配かけてすみません」
「いや、気にしなくていいから」
……あれあれあれあれ?
なんか、いい雰囲気に見えるんですけど。
会話はね、普通。普通の教員仲間、あるいは学校代表と病人。でも、素朴な笑顔を浮かべる麗香先生と、人相悪さを薄めた理事長は、なんか見ていてとても自然だった。
何に比べて自然かって……。
「じゃ、麗香せんせー、俺達帰るね。あんまり長居すると悪いし。理事長も、麗香先生は病み上がりなんだから!」
高瀬先輩が口をはさんだ。
「あ、そ、そうだな」
「理事長、明日退院なんですが、しばらくお休み頂く事になるかと……」
なんて本当に事務的な会話だけど、さらに話を続ける理事長を、わたしと高瀬先輩はじりじりしながら待っていた。多分そこに看護師さんが来なければまだ話は切れなかったかもしれない。
「薬師寺さん、検温していいかしら」
やってきた担当らしい看護師さんがにこやかに口を挟む。ようやく二人の会話が切れて看護師さんグッジョブ!と思ったわたしだけど、彼女の率直な言葉にへこんだ。
「薬師寺さん、カレシ?いいわねー、かっこいい人で」
むろんその言葉は高瀬先輩じゃなくて、理事長を見てのものだった。
「高瀬先輩」
夜、食堂のテーブルに顎を乗せ、だらだらしている高瀬先輩を見つけた。
「あー、ウメちゃん……」
通りかかって横に座ったわたしに、いつに無く力のない声を出す。その理由は痛いほどわかった。
「俺は今日ヤケ酒をする。お願いウメちゃん、つきあって!そして適当なところで『そんなに飲んじゃ体に毒よ』って優しいキャバ嬢風に言って!」
「甘えんな」
「ちょっとは同情しようよ……」
「有料で良ければ。価格表いります?」
高瀬先輩は体を起した。食堂の皓々とした蛍光灯の下には、あちこちに生徒がたむろしているけど、ぼそぼそと話すわたし達の声は通らない。
「なんかさー、お似合いだって思わなかった?」
「……思いましたよ」
わたしが理事長の横にいたら援助交際。
高瀬先輩が麗香先生の横にいたら女性教師モノAV。
理事長と麗香先生が普通に話している姿は、実際の関係ではそこに恋愛感情は存在していないはずにもかかわらず、まるで恋人同士みたいだった。
「年齢差って、ああいう光景突きつけられると身に染みるよ」
いつも麗香先生のつごうなんてお構いなしで突き進む高瀬先輩も、いろいろ思うところはあるんだろうな。どうしようもない年齢差なんて大きな壁が今、真剣に見えているみたい。
「麗香先生が俺のこと本当はどう思っているのか、真面目に聞けない俺が一番かっこ悪いんだけど。でもさ、麗香先生が年下だって言うことでまともにとりあってくれてないってことぐらい、俺だってわかってんだよ。そう言う相手に聞けないよな」
「高瀬先輩……」
初めて聞く高瀬先輩の弱音に、なんだか同情してしまう。いや、これは共感って言った方が近いかもしれない。
「わたしも……」
わたしはテーブルに目を走らせた。
「わたしも、実は理事長にふられてしまいました……」
「え!」
高瀬先輩がいつも軽薄に笑っている顔が嘘のように本気で驚いて声をあげた。
「マジで!」
「高瀬先輩声が大きいです!」
あわわ、と高瀬先輩は自分の口を押さえた。それから今度は、それはそれで不自然だと言いたいくらい声をひそめる。
「ごめんごめん。っていうか、じゃあその前段階として、ウメちゃんは理事長に告白したんだよね……すげえ」
「……というより、いろいろ不運が続いたり、口が滑ったりとかアクシデントの賜物なのです……」
わたしは、高瀬先輩に文化祭からの話を簡単にした。理事長を好きな事がうっかり保健室でばれてしまったこと、なぜか一緒に遊園地行くことになったその顛末(梓のことは省略)。遊園地に現れなかった理事長と、その翌日はっきりといわれたことの内容。
「わたし、理事長には生徒以外の何者でもないんです」
「そっかー……なんかそれは予想と違ったけどなあ」
「予想?」
「うーん。俺だけならともかく熊井先輩の読みが違うとも思えないんだけどなあ……」
ぼそぼそと自分を納得させるように呟いた後、高瀬先輩は立ち上がった。給湯器のところでお茶を入れて帰ってくる。
「まあ、のんびり語りましょうぜ」
わたしの前に一個置いて、高瀬先輩は笑った。なんかこういうとき、高瀬先輩って本当に見た目と中身が違うって思う。見た目が、理事長がやくざなら高瀬先輩はホストなんだけど、ホストの気遣いはそのままに誠実さは失われてない人だ。
なんでこんな残念な見た目なんだろうな。頑固な寝癖みたいなものか?
「と、いうことで、ここに教師フェチの会結成」
「なんでそんなにネーミングセンスないんですか!?」
高瀬先輩が振られたわたしを気遣ってそんな道化た名前にしたのはわかるけど、それにしたってほどがあるだろう。
「そうかなあ、ウメちゃん。ネーミングはキャッチーさがキモだよ?」
「とりあえずダサいから嫌です」
と、背後から人が近寄ってくる気配がした。振り返ると、そこにはにっこりと笑う熊井先輩がいた。
「おっ、教師友の会の二人そろってどうしたんだい?」
高瀬先輩のネーミングセンスは熊井先輩譲りか……。
「フェチでも友の会でもありません」
「そうだよね、久賀院さんは理事長一筋だし、高瀬は薬師寺先生一筋だもんね。教師なら何でもいいわけじゃないもんな」
熊井先輩はそこが指定席であるかのような自然な動きで、わたし達の前に座った。っていうか、熊井先輩が会の顧問とかだったらなんだか嫌だ。
「で?」
で?……ってふつーに状況説明を求められているよ。
「まあでもこんなところじゃあれか。高瀬どうする、理事長が寝静まったら王理と二人でこっそり一杯やるつもりだけど、来る?」
「行きます……って、熊井先輩、なんで王理と?」
「……えー、ちょっと思うところがあってね。っていうか王理をぶつけてみたい相手がいるんだよね。最初は純粋な悪ふざけだったけど、王理の話を聞いているうちに同情してきちゃった」
「マジか」
唖然とした高瀬先輩は一瞬で何事かを察したみたいだった。なぜかちらりとわたしを見る。それから深くため息を付いて、熊井先輩に言った。
「つーか、ウメちゃんが可哀相だからやめてやってください」
何故?
「でもさ、このままほっとくのも、ちょっと王理がかわいそうじゃん。内心を誰にも打ち明けられないつらさは、僕は結構理解しているけどね。あいつ、歪んでいるけどまともだからさ、まだ後悔しているみたい」
「一成君は」
わたしもピンときてテーブルの上で指を組んでいた熊井先輩の腕を掴む。
「一成君は、まだなんか悩んでいるんですか?」
一成君がわたしにしたことは、本当に許していいことじゃないんだけど、でも私はもう許すとか許さないとかそんなこと問題じゃなくて、一成君を友達だと思っている。だから一成君がまだ以前わたしにした嫌がらせのことを悩んでいるならそれは悲しい。
「え?」
わたしの勢いに珍しく熊井先輩が気おされる。
「あ、ああ。なんか王理は昔は久賀院さんに対していろいろ思うところはあったみたいだね。でもそれはいいんだよ。今そのことを後悔したとしてもあいつが自分でしでかしたことの責任だから。自分で抱えていなきゃいけない後悔なんだと僕は思う。でもそれとはちょっと方向が違うことであいつもときどきしょんぼりしているから」
「しょんぼり!?じゃあ、わたしも行きます。一成君が悩んでいるなら、話が聞きたいから……!」
「いやそれ王理にとっては正直もっとしんどいと思うので、久賀院さんは不参加の方向で。それに久賀院さんに酒飲ませたなんて理事長か梓先生に知られたら、僕はこの学校を生きては卒業できないからね」
むかー、仲間はずれですか、熊井先輩!
いいや、明日また一成君本人から話聞くから。
そんなわけで、熊井先輩が高瀬先輩を連れて部屋に戻るのと同時に、わたしも部屋にもどることにした。
理事長の部屋の前に差し掛かったとたん、その扉が開いて理事長は顔を出した。
「あ」
「久賀院……もう寝るのか」
「はい」
「そうか……まあ……あまり夜更かしは良くないからな」
あまりにもぎこちなくて笑っちゃうような会話。
理事長が部屋に戻ってこないわたしを心配しているのはわかる。それは嬉しい。
でもそれはあくまでも、一人しかいない女子生徒を心配するだけのもの。
それが悲しいほうが大きい。きっとわたし贅沢なんだろうな。理事長にとっては別に彼女でも好きな相手でもない人間なんだから、心配してくれるだけでも感謝しなきゃいけないのにな。
顔もあげないまま理事長の前をとおりすぎて、部屋に入る。一瞬遅れて、見守っていたらしい理事長が自分の部屋のドアを閉める音が壁越しに聞こえた。
ちゃんと明日は顔をあげようって思う。
そしたらいつかは、笑ってあいさつできるようになるのかな、って思うから。




