9-2
「なに?」
「ちょ、ちょっとこっち」
わたしは廊下をどんどん歩いて自分の部屋の前まで来た。理事長は試験前の大風邪からさすがにテント生活はやめて、横の空き部屋にいる。
理事長はまだ戻ってないみたいだ。
「ちょっとね、見て欲しいものがあるんだ」
「え」
鳴子の前で、蓮は立っていた。
「……ウメちゃんの部屋入っていいの?」
「いいよー?」
部屋の中からいちいち持って出てくるの大変だし。今日はちゃんと片付いているから大丈夫。
「マジで」
蓮は鳴子をくぐる。体が大きいので見事にひっかかって鳴子はからからと騒々しく音を立てた。
「どーぞ」
他の部屋より何個も多い鍵を開けてわたしは部屋に入る。蓮がやけに緊張した顔で後に続いた。なんかぎくしゃくしているけど大丈夫か?一人だと結構広く感じる部屋なのに、蓮が入ると部屋が相対的に狭く見える。
「みんな一つの部屋に集まるときは、どこに座ってんのかなあ。ま適当に」
まさか豪華応接セットがあるわけでもないので、しばらく身の置き所を探していた蓮だけどとりあえず、勉強用の椅子に腰掛けた。
「でね、相談なんだけど」
「うんうん」
そこでわたしは口ごもる。なんだか妙に期待に満ちた目で蓮がわたしを見上げているので、何かおもしろいことを言わなきゃいけないかとも思う、でもこれは真剣な悩みなのだ。
「あ、あのさ、デートの時って何着ていったらいいと思う?きゃーはずかしー!」
一気に言って、わたしは照れまくりのまま、クロゼットを開けた。
「は?」
「選ぶほど、服持ってないっていうのも問題なんだけど。蓮って御両親服飾関係でしょう?それに蓮の私服って普通なのに素敵だなあっていつも思っていたから。少ない中でもセンスよく考えてくれそう」
「えっと」
「あんまり気合入っているって思われるのもあれだから、こう普通で。でも可愛いって思われたいのですよ!」
って言いながらわたしはクロゼットから、服をぽいぽい出してみた。
「ウメちゃん」
振り返れば蓮が唖然とした顔で立ち上がっていた。
「何、デートってどこのどいつと?」
「秘密だよ。内緒にしておいてね」
あ、顔がにやけてしまった。
「理事長」
そう、話は先月、一成君のことで悩んでいた生徒会長選の頃に遡る。理事長が福引であてた遊園地のチケット。いよいよ来週一緒に行くのだ。
「……ダメ!」
蓮が言い切った。
「そんなのダメ!俺が許さない!」
「友達の相談事に親身にならないなんて!」
「友達、じゃ無いー!」
言い切って蓮はぜいぜい息をついた。
「酷い、酷すぎる」
「なんで?」
「もういいよ!ウメちゃんの無神経さはよく知っているから」
「あ、いいならいいね。じゃ、ちょっと一緒に考えて」
「『もういいよ』に含まれる俺の葛藤とかそういった複雑な心境を推し量れ!いいけどよくねえんだよ!」
「知らないよ、思春期の少年の気持ちなんて。『この時の主人公の気持ちを三十字以内で説明せよ』なんて、作者に聞けって感じだよね」
「現代文じゃなくて、リアル目の前。それを人は思いやりっていうんだぞ」
「う、蓮に思いやりについて説教されるなんて」
でも蓮は立ち上がって、わたしがベッドの上に放り投げた服を眺め始めた。
「ウメちゃん服持ってないんだな……」
「そうなの。だから困っているの」
夏場だったら、Tシャツとか、ノースリーブ一枚で済むんだけど。
「遊園地だって言ったよね。でもなんかホントにふつーの服だなあ……可愛げがない……」
「服にまで可愛げが……!」
かるく衝撃を受けていたわたしに蓮が続けた。
「まあこれでも、選べることは選べるけど、ちょっと可愛い服買ったら?梓先生もどうせならそこまで面倒見てあげればいいのにな」
「嫌だ。梓はちゃんとその代金を借金に上乗せする男だ!」
「でもさー、可愛い服着たらウメちゃんもっと可愛いよなあ。六月に俺に付き合ってもらったときのワンピース姿可愛かったし。あー、俺が見たくなってきた。どうしようかな、どうせ理事長に見せるものなのかと思うとムカつくけど、俺、なんか買ってあげるよ」
「いらん」
わたしは蓮をにらむ。
「だから、それは友達のすることじゃないでしょ」
「……って言うと思ったけど。でも……そうだ、明日ヒマならやっぱり買い物に行かない?シャツの一枚も買おうよ」
「蓮の行くお店高そうでヤダ」
「大丈夫。安いところとか古着屋も知っているから。そうだなあ……そのデニムのスカートに合う感じで選ぼうよ。だからそれ着てきな」
……そうか。確かに服の一枚も買ったほうがいいような気がする。蓮が一緒で見てもらえればありがたいもんね。いい機会なのかも。
「でさ、ついでに映画でも見ない。せっかく足伸ばすんだし。それで、昼ごはんも向こうで食べてさ。そのぐらいは俺が出すから。っていうかそれに乗ってくれなきゃ俺、行かね。もし奢られるのが嫌なら、今度英語の課題手伝ってよ。それでチャラ」
そっかー、そうだよねー、せっかく寮から出るんだもんね。
「……じゃ、お言葉に甘えて」
そう言ったら蓮はものすごい嬉しそうな顔をした。
あ、そうだ、蓮はわたしを好きだったんだ、って思いだして、わたしはなんか悪いことをした気分になった。しょっちゅう「ウメちゃん好き」って言われていて、今更深く考えることもなかったけど、蓮はわたしを好きだったんだっけ。
蓮って、いいヤツだなって思う。
面倒見はいいし、めったなことでは怒らないし、いつも笑ってるし。バカなことを言っているけど、そのおかげで蓮の前で緊張する人ってあまりいない。一成君は尊敬混じりに慕われるって感じだけど、蓮にはとにかく無条件で人に好かれる愛嬌みたいなのがある。文化祭の時も高瀬先輩や熊井先輩にからかわれていたけど、彼の場合、それはかわいがられると同義語だ。たくさんいた女の子達も、蓮のその愛嬌が好きだったのかもしれないなあ。
わたしも蓮は好きだけど、理事長への好きとは違うと思っている。でも何が違うのか、ちゃんと言語化して説明するのはなんだか難しいや。
ということで、翌日、わたしは大量の紙袋を手にほくほくしていた。
蓮は高いだけじゃなくて、安くて可愛いものを売っている店もたくさん知っていた。ていうことで、わたしの予算内で、カットソーと羽織物、そしてブーツまで買えてしまったのだ。
「はい」
って言って蓮は手を差し出した。その意味がわからずに見ていたら
「かさばるだろ。俺が持つよ」
って言って、紙袋を全部持ってくれた。
蓮はダメージ加工ジーンズとパーカー、でジャケットを羽織っていた。普通だ。普通なのだ。だけど、わたしが見てもはっきりわかるくらいかっこいい。多分体格とかもあるんだろうけど、色あわせとか、何かが凡人のセンスと違う。街の中を歩いていても確かにたくさんの女の子の視線が集まっていた。みんな、見た目はいいけど蓮はバカだぞ、って教えてあげたくなるほどだ。
でもそんな男前な蓮に笑いかけられて優しくされたら……すみません、ちょっといい気分です。
「あ、ありがと」
土曜日だけあって、結構混雑している街をわたし達は歩きだす。
「結構用事も早く済んでよかった」
「ありがとね、蓮」
「お安い御用。ウメちゃんは買い物も早くて嬉しいよ。何時間も歩いて結局何も買わない女の子とかも結構いたし。これから飯にして映画観よう」
蓮が最近公開されたシリーズモノのアクション映画を候補に上げる。わたしもそれは観たかったからあっさり決まった。大きな交差点で信号待ちのため立ち止まりながら、その映画の旧作について話をしていた時だった。
「すみません」
声をかけられてわたし達は振り返った。そこには、立派なカメラを持った男の人とにこやかに微笑む垢抜けた女の人が立っていた。
「なんすか」
ぎょっとするほど警戒心むき出して、蓮がわたしの前にでる。わたしを背中に隠すようにして出てしまったので、前が見えない。わたしはその背中からひょいと顔を出した。
「あ、あのそんなに警戒しなくても。急に声かけてごめんね。少し時間もらえるかな。あ、これ私の名刺ね」
蓮の態度に苦笑しながら女の人は素敵なデザインの名刺を出してきた。背後からのぞくと、そこにはわたしだって聞いたことがある若い男性向けのファッション雑誌の名前が、彼女の名と共に書かれていた。
「すごい、編集の人だ」
わたしがぼそっと呟くと彼女は満面の笑みで言った。
「そうなの。今ね、街のリアルタイムファッションスナップっていうページのために、素敵な男の子に声をかけているんだけど、君の写真とらせてもらっていいかな」
「嫌です」
なんですと!?
「蓮、何もったいないこと言ってるの!蓮の数少ない長所の見た目を取り上げてくれるっていってるんだよ。粗末にしたらバチがあたるよ?」
「だって今、デート中で忙しいもん」
デートじゃねえ、買い物だ!
「あ、彼女なんだ。彼女も可愛いね」
おおう、可愛いモデルさんなんて見慣れているであろうお方に褒められた!社交辞令とわかっていて嬉しくて、もうわたしこの人に冷たい態度はとれない。あ、でも。
「わたし彼女じゃないです」
「あれ、そうなの?でもどちらにしても忙しいところ悪いんだけど、二、三枚だけ。よかったら、彼女も一緒に。カップルで写しているパターンもあるから」
いや、だから彼女じゃない。
「……あ、ウメちゃんも一緒でいいんだ……そっか…………ねえ、お姉さん」
蓮はこそこそと小声で彼女に何事かを言った。蓮の言葉に編集のお姉さんは、軽くうなずく。
「いいわよ?」
「じゃ、よろしくー」
異常に機嫌の良くなった蓮が、わたしの手を引っ張った。交差点の邪魔にならない場所まで四人で移動してカメラを持っている男の人の指示に従った。もう撮る場所はある程度確認してあったらしく、人の動きがあまり無いところでわたしと蓮は立つ。
「えー、わたしはいいですよ」
「まあまあ、写っとこうよ。大丈夫、ウメちゃん元がいいから、普通にしていても見栄えするよ。着ている物については、野郎の服だから俺がまともならいいはずだし。多分可愛い子連れてんなって俺がやっかまれるくらいだ」
褒められてんだか蓮が謙遜しているんだか自慢しているんだかなんだかわからん。
「じゃ、撮るからなるべく笑ってね。楽しいデートの最中なんだってことで」
だからデートじゃない、と思いつつ、それでも反射的に梓から教え込まれた笑顔を浮かべてしまう。これ、もう本能か?
なんて思ったとき、ひょいと蓮がわたしの手を握ってきた。
そして、シャッターは下りる。
さすがリアルタイムフォトスナップ、というだけあって、その写真はその翌週木曜日の発売分に載ってしまったのだった。
『鳥海蓮さん(学生)、彼女とデート中』
だから彼女じゃないしデートでもないと何度言えば!




