閑話2 王理一成の場合
頭おかしいんじゃねえか、梓鷹雄。
俺は、医者行くぞ!とか梓鷹雄に怒鳴られながら無理やり連れて行かれている梅乃ちゃんを見送った。
乱暴に体育館のドアは閉められて粗雑な音が響いたあと、体育館の中は海の中のように静かになった。
一発殴られた後、もう一回引き起こされてボディに喰らった。けどそれは、明らかに手を抜いているなって殴られ方で大して痛くなかった。多分本気でやられてたら、胃液吐いてのたうちまわってたわ。梅乃ちゃんにそんなすげえ光景見せたくないだけの配慮なのも怖いけど、それより梅乃ちゃんと蓮に聞こえないように言われた言葉のほうに背筋が寒くなった。
『ウメを傷つけたら本当に殺すぞ』
…やべえよ、あのおっさん、本気だったよ、あれ。
しかしまあ、手加減されたとはいえ腹と顔面が痛いのは変わらないので、俺は床から動けずにうずくまっていた。
「大丈夫か、一成」
俺に殴られた梅乃ちゃん、謝る俺、動転した梓先生という、意味不明な光景を三連コンボで見せられた蓮は、未だにわけがわかってない声で俺に言う。
「うるせえほっとけよ」
「いや、そういうわけにも…」
蓮は俺の前にしゃがみこんだ。
「えーと、保健室行くか。まだ轟理事長いるんじゃね?」
「どうやって、轟に説明すんだよ!梅乃ちゃん殴ったらキレた梓先生にぶちのめされましたとかいうんか」
「あー、そうか。そりゃまずいな」
バカだ。
前々から思っていたが、こいつはお人よし通り越してバカだ。
「あ、じゃあさ、俺が殴ったことにすればイイや。俺の停学三日くらいで済むよ、それなら」
…バカ通り越してお人よしなのかもしれないけど。
蓮との付き合いは中学部二年生の三学期だ。どこかの共学にいた蓮が、クラスメートの女子の半数に手をつけたことがばれて、幸運なことにどいつも妊娠には至らなかったものの、さすがにヤバイと思った親が男子校に放り込んだ。親、正解。
まあ友達になるにもいろいろあったが、それは今更だからいい。
…友達か。
別に俺は保健室に行く気も無くて、蓮に今できることは何一つ無く、無言の俺の横で気まずそうなで、かける言葉もとくに浮かばないらしい蓮がここにいる理由はないのだけど。
理由なくても横にいるのがもしかしたら友達と言うのだろうか。
俺は蓮に初めて感謝した。
「あのさ、一成はウメちゃん好きなわけ?」
感謝はしたが、ムカつきもした。言うに事欠いて、何故今それ!
「そんなことじゃなくて、お前俺に言いたいこと無いのかよ!」
「何って」
「俺は蓮を裏切っていたわけだし、言うことだって嘘だったりしたわけだろ。お前俺にバカにされていたとか思わないの?」
「あー、まあ一成が本当のことを言ってないなと思うときはあったけど、でもそれをいうなら本当の事を聞こうとしなかった俺にも問題はあったしな」
蓮は逆に申し訳なさそうだった。
「お前がウメちゃんに何かひどいことをしたのなら、絶対殴るつもりだったけど、梓先生にさき越されちゃったから。俺が今一成を殴っても二番煎じだな…それはちょっとつまんない」
蓮は梓鷹雄と梅乃ちゃんが消えた扉を見た。
「なあ梓先生もウメちゃんを好きだと思うか」
「ガチだろ」
おかげで俺は、へたすりゃ東京湾にコンクリ詰めになって浮くところだった…。梓鷹雄も本当は化学教師なんてやっている立場の人間じゃないからな…。あいつの後ろにある権力に逆らうのはさすがの俺でも今はまだ無謀。職員と生徒の家庭事情を調べておいてよかった。 梅乃ちゃんだけは事情がはっきりしないけど、それ絶対梓鷹雄の力のせいだよな、どんだけ本気出して彼女を守ってんだよ。
それはともかく、梓鷹雄は梅乃ちゃんに惚れている。
「やっぱりなあ…そうだよなあ…」
蓮は冷たい体育館の床にあぐらをくんだ。そしてうなだれる。
「理事長はともかく梓先生か。なんかあの人怖いんだよな」
「忠告するけど、怖いなんてもんじゃないぞ」
「でも俺、梓先生に逆らってもウメちゃん好きなんだよね」
結構本気な俺の忠告を真面目に聞いているにも関わらず(…聞いてるんだろうな?!)蓮は梅乃ちゃんの名を出すときはそれだけで嬉しそうだった。
「まあいいや、大事なのは俺自身の気持ちとウメちゃんが誰を好きかってことだもんな。うん、梓先生については考えないでおこう」
少しは考えた方がいい、と言いかけてやめた。
しょうがない、その辺のことは俺が考えてやろう。
蓮が梅乃ちゃんを好きならば、俺は全力を尽くして蓮の味方をしてやろうと思った。ちくりと胸が痛んだけれど、俺はバカじゃないのでその傷みについてはわかっている。
あんなまっすぐな目で見られたことなんてなかった。
『だから思う存分かかってこい、ただし正々堂々とな』
それどこのスポ根て感じのセリフだけど、あの言葉は本当に俺だけに向けられた俺のための言葉だった。
王理一族とか、いまさらな直系とか、優秀な学生とか、自慢の息子とか、そういった俺に付随するいろんなものを飛び越して、ただ俺にだけに向けられたものだ。あんな可愛い顔してしかも非力なくせによく言うよなあ。
ほんと、言ってくれてありがとう。
梅乃ちゃんを好きなふりをずっとしていたけど、もうずっと前から本当に好きだったんだ俺は。
蓮に、梅乃ちゃんに、そして自分に嘘をついていたら、もう今更言えなくなってしまったけれど、でも嘘じゃなかった。
夏に、梅乃ちゃんを好きだって言えてよかった。梅乃ちゃんは今となっては俺の告白なんて作戦の一つにしか思えないだろうし、あの時は俺もそのつもりだったけど、でも、もう二度と言うことなんてないだろうから、あの時言っておいてよかった。
「一成、マジ大丈夫か?」
黙ってしまった俺を心配して一成がまた声をかけてくる。
「あーかなり良くなってきた。そろそろ帰るか…」
俺はよたよた立ち上がる。うわー、このかっこ悪さはありえない。よろけた俺の腕を蓮が掴んだ。
「えーと、肩貸す」
「勘弁してくれ」
「まあ一成ならそういうか」
苦笑いし、それでも腕だけは支えて蓮は俺と一緒に歩き始めた。
「でさ、一成お前ウメちゃんを好きなんだろう?」
「またそれか。好きだよ」
「やっぱり」
「だから友達としてだよ。俺は蓮ほど女の趣味は悪くないから、梅乃ちゃんを彼女にはしたくない。あいつを女とは見られない、怖すぎ」
「ウメちゃんの可愛らしさがお前わからねえの!?」
蓮に哀れみの目で見られて頭にきた。
うるっせえな、そんなもんわかりすぎるほどわかっているわ。
あー腹たつ。寮の倉庫で梅乃ちゃんのブラ見たって自慢してやりたいな。水色で花柄で真ん中に小さいリボンついてたんだぞ。
とはいえその貴重な光景は、すさまじい自己嫌悪と罪悪感の海に俺を叩き落す。
「俺が梅乃ちゃんを好きだったら、お前、困るだろ」
「…どういう意味だ、俺もしやケンカ売られている?」
「売ってねえよ。ていうか味方してやるからありがたがえ。この王理一成を敬ってへつらえ」
「うわ、なにそれ」
「梅乃ちゃんとくっつけよ、俺が味方してやるから」
そうじゃないと俺が報われないし。
友情一番と、俺は胸の痛みに向かって呟く。
「はは、よろしく頼むわ」
蓮は笑う。
「でもさ、お前ウメちゃんを好きだろ?」
「しつこいよ!」
そんな風に罵りあって、バカにし合って、それで俺達は最後に笑いながら体育館を出た。




