8-9
わたしが一成君を見つめ、次を続けようと口を開きかけた時、蓮がこの世の終わりみたいに叫んだ。
「ぎゃー!ウメちゃん顔が!」
ひぃーって悲鳴をあげた蓮だけど、くるりと向きなおって、一成君の胸倉をつかむ。
「ふざけんな!女の子殴るなんて、最低だ!」
「真っ暗でわかんなかったんだよ。誰かの名前で呼びだされて、急に暗闇で殴りかかってこられたら、誰だって相手は呼び出した人間だって思うだろ!俺は蓮の名前で呼び出されたんだから!」
それでも一成君に食い下がろうとしている蓮を止めるようにわたしは言った。
「蓮、ちょっと黙って。一成君から手を離して」
わたしは立ち上がった。うーん、まだちょっとくらくらするかも。
「一成君は蓮の友達でしょう。そんなこと、しないでよ」
「ウメちゃん」
「それに、一成君も!ねえ、一成君は蓮が裏切ったって思っているかもしれないけど、蓮は一度だって、一成君のこと悪く言ったことなんてなかったよ!」
わたしの勢いに押されたのか、蓮は一成君の胸倉から手を離した。
何かがおかしいのに。意味が良くわからないんだ。
確かに一成君のしたことは、卑劣なことで、蓮がそれに対して怒るのは正しいかもしれない。人だから。人は卑劣な事には怒る義務がある。
でもそれ以前に、一成君がわたしにそれをやったのは、わたしを敵だと見なしたからだ。
一成君の敵はわたしだ。怒るなら何より一番に、その権利はわたしにある。
わたしは二人をにらみつけて言った。
「一成君が敵だって見ているのはわたしだ。わたしを抜きにして、勝手に二人で争うな!」
「……ちょっと何言ってるかわからん」
一瞬の奇妙な間の後、蓮が言った。なあ、なんて隣の一成君に同意を求める。
「普通女子だったら『わたしのために争わないで!』くらい言ってみろよ。今のウメちゃんの言葉ってどう考えても『あいつは俺の敵だ、手を出すな』だぞ。野郎のセリフだ!」
「……意表をつきすぎた言葉で、俺には意味がよく…………はあ?」
横でどこか毒気が抜けたように、一成君が呟く。
「そんなこと言われたって仕方ないじゃん。だって、これしか思いつかなかったんだもん」
「いったいどんな思考回路してんだよ!」
わたしは一成君を見つめる。
「一成君にとって、わたしは敵かもしれないけど……でもわたしにとって、一成君はまだ友達だから」
バカかなあ、バカだよねえ。
「なんていうか、一成君が本当に相手にして戦いたいのって、なんなのかなって思って」
「俺は『王理』が嫌いだって……!」
「うん、それもあっているんだと思う。でも一成君、自分が本当にそんな巨大なものを敵にして戦いきれるなんて思ってないんでしょう。一成君って頭いいもん、一成君がどうとかじゃなくて、人一人が戦いきれる相手の大きさの限度だって気がついてるんじゃない?」
「俺は」
一成君は次の言葉を、蓮は次の拳をなくしていた。
王理。
各種企業を傘下におさめ、目に見える部分だけでも世界中に手を広げる巨大組織。一般人の目に触れない部分まで含めたらどこまで広がるのか、想像さえ出来ないほど。それを全て敵にまわして壊したいなんて、そんなの無理。
一成君の一番悲しいところは、その不可能さをちゃんと自分で理解しているところだ。
「だから、わたしを嫌いで敵認定しているなら、それはそれでいいと思う。少なくともわたしなら、一成君がちゃんと戦える規模だから。目に見える敵だから」
わたしの言いたいことがうまく伝わるといいのだけど。
「だから思う存分かかってこい、ただし正々堂々とな」
「それじゃ女ケンシロウだー!」
胸をはったわたしに、即座に蓮がつっこみをいれる。なんでわたしがキレられなければいけないのだ。
「そもそもそんな事言ったって、ぶん殴られたら痛いだろうが!」
「痛いよ。でも、多分」
わたしは一成君を見た。
「一成君は、自分がいつも痛い思いをしてるから、目に見える誰かの痛みなら、ちゃんと気がついてくれるんじゃないかって思った」
あの地下倉庫の時だって一成君は自分から手を引いた。人として、してはいけないことをわかっている人だ。
「……バカじゃないか」
一成君の言葉は小さな声だった。
「俺が梅乃ちゃんの言うようなヌルイ人間だったら、結局俺は誰も敵に回す必要なんてない、この一連の出来事は全部茶番だ。逆にもし、それを無視できる人間なら、梅乃ちゃんが痛い思いをしたことは無駄だよ。俺は梅乃ちゃんへの態度を変えたりしない」
「でもどちらにしても、一成君も少しは楽になるかなあって」
わたしはにいって笑ってみた。
「それに一成君が痛みに気がつく人間なら、わたしのこと敵だって思わないかもしれない。それでもやっぱりわたしのところが嫌いなら、わたしも一成君が楽な気持ちになれるようないい敵になるように頑張ればいいだけだし。だからどっちの答えでも困らない」
「……あんたホントに嫌な女だな、久賀院梅乃!」
一成君は怒鳴って、横にあった体育館の壁を蹴りつける。
「だって一成君の敵だしー。敵と言うのはそもそもウザい存在のことだよねー」
しれっと言ってみたわたしの横で、蓮が吹きだした。
「謝れ、謝っとけよ、一成。ウメちゃんなら敵にするより、俺みたいに素直になった方が絶対楽しいって」
ウェーイ!って言って、申し合わせていたわけでもないのに蓮とハイタッチする。
「冗談じゃないよ!お前らバカだろ!」
一成君は怒鳴ったけど、そこから逃げ出そうともしなかった。怒鳴って息を乱していたけど、やがて呟く。
「……ほんと、バカみてえ」
「多分ね」
「そろいもそろってな」
へらへらし始めたわたしと蓮を眺めていた一成君は、やがて。
「うん、俺もバカ」
そう言って少し微笑に似たものを浮かべた。
「なんか、今まで、こだわっていたことが馬鹿馬鹿しくなってきた。なんつーか、嫌いな連中のためにどうして俺がこんなきつい思いしなきゃいけなんだか。俺が生まれたことそのものに俺、なんの責任もないよな」
まあ、俺が優秀なのはちょっと責任あるかもしれないけど、と一成君は笑い、そしてため息をついた。
「そうだ。俺、本当は父親も母親も嫌いだったんだ……」
「嫌いだったんだ」
「うん。少なくとも好きじゃない。父親のことは『浮気さえしなきゃいい男』だって言って責める人間いないし、母親は『結局組織には勝てなかったかわいそうな自分』だし。どれも正しくて、俺は誰も責められなかったけど。でももともと破綻した親だったから、嫌いだったんだ。可哀そうな人達だけど俺はあの人達を嫌ってよかったんだ。夫婦としてはまだともかく、親としては破綻していた……梅乃ちゃんは両親をちゃんと好きそうだから、わからないだろうけど」
いや、わたしだってお父さまがもうちょっと甲斐性あって、かあさんが優しければいいのになって思うことはあるよ。
「ああでも。やっと親が嫌いだって言えた」
泣きそうな、かすれた声だった。その言葉の調子で、わたしにも蓮にも、もちろん一成君自身にもわかってしまった。
それでも一成君はご両親のところを本当の意味では嫌いにはなれないんだろうって。きっとこれからもお父さんの前ではいい子だろうし、お母さんに会いに行くときにはあの御子息の顔なんだろうけど。嫌いだってわかったからって、親を心底憎むなんて、なかなかできないんだ。
そして一成君は泣かなかった。
「一成君が、何が嫌いかわからなくなった時には、わたしがいるよ。一成君に抜かれないように勉強も頑張る。わかりやすい敵でいるからね」
「……なんか梅乃ちゃんて、頑張りどころがおかしいと思わないか、蓮」
「前からだ。それにそんなこと言ったって、力じゃ勝てないじゃん。あーもー、じゃ、仕方ない。一成がウメちゃんに力を向けてきたら俺が代理で立つわ。まあこれも愛の力ってやつ?」
「違う」
冷静につっこみをいれたけど、蓮は心配そうにわたしを覗き込んだ。
「なあウメちゃん、目とか痛くない?」
「目はなんともないけど、顔が痛い」
「だろうね。絵に描いたボクサーみたいに、目の周りに青タンできてる」
「うそ!」
「……ごめん」
一成君がうなだれるようにして謝った。
「今、アザが残るほど殴ってしまったこともそうだけど。カンペ盗んだことも、傘壊したことも、屋上に閉じ込めたことも。あといろいろ他にもごめん」
一成君にこんなにストレートに謝られることなんて想像もしていなくて、慌てるわたしの横で蓮が納得いかない顔をして言う。
「いろいろなんかで済ますな。ちゃんとやった事言って謝れよ」
「え、いいよ!大体この間白状してもらったし、一成君の気持ちは分かるから」
「ごめん、本当にごめん、梅乃ちゃん」
慌てるわたし達を、何か疑わしいものでも見るように蓮は眺める。
「……なんかお前らおかしくない?」
するどいな。
詳細になんていうと……その……この間の寮の倉庫の一件も説明せねばならず、それは蓮を前にして一成君は大変言いにくいと思いますし、わたしも気持ちは良くわかったので、触れないで下さい!
「なあ、隠し事とか無しだぞ?俺だけ仲間はずれにすんなよ?」
「ないない」
なーんか怪しいなあ、なんていう蓮を前に、今度はわたしと一成君が曖昧な笑みを浮かべることになった。
でも、やっと、前の空気が帰ってきた。五月とか、三人でいつもいたときのあの空気だ。
わたしはほっとして、つい座り込んでしまった。
「大丈夫?」
「平気。でもなんか安心して」
わたしがそこまで言いかけたときだった。中途半端に開いていた体育館のドアが急に開いた。
「おい、誰かいるのか?」
こんな時間だっていうのに明かりがつきっぱなしだったことが疑問だったのか、顔をだしたのは梓だった。
体育館を横切ってわたし達のところに近づきながら言う。
「久賀院に王理に鳥海か……三馬鹿が顔をそろえてどうし……」
梓の顔色が変わった。
「ぎゃー!ウメ、その顔はー!」
おお、梓の悲鳴なんて始めて聞いたなあ。
なんて余裕だったのはそのときまでだった。つかつかと近寄ってきた梓は、有無を言わさず近くにいた蓮の首を掴んだ。
「おい、お前か!」
「梓!?」
仮にも生徒様にあなた一体なにをしでかす……!
「あ、梓先生、久賀院さんの顔を殴ったのは、俺です!」
血相変えて、一成君が蓮と梓の間に割り込んで言った。いまだかつて見たことないくらい逆上した梓がぽいとばかりに蓮を放り捨てて、変わりに一成君の胸倉を掴みそのまま、すごい勢いで殴りとばした。一成君が体育館の床を転がっていく。そのまま起き上がれない。蓮も殴られはしなかったものの、苦しそうにむせていた。
梓がおかしい。完全に頭に血が上っている。
よかった……この間の文化祭の時、旧オカルト研に梓がこなくて。この勢いだったら下手すれば死人が出た!
「ガキだと思って見守っていれば……女を殴るなんて、最低なことしやがって!」
梓の剣幕にわたしも声がかけられない。
「しかもウメに!お前らウメをなんだと思っている!」
僕の奴隷とかいわないでー!説明するのが大変だからー!
「僕の女に手をだしやがって。覚悟はできているんだろうな!」
は?
「僕の?」
「女?」
唖然とした一成君と蓮の声が響いた。
こういうのをなんていうかわたしは知ってます。
一難去ってまた一難。
あと蛇足。
高瀬先輩は十月末の選挙で見事生徒会長になりました。




