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王理(旧男子)高校にようこそ  作者: 蒼治
act8 十月、王理一成、殴る
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8-8

 化学準備室から教室に戻ると、ぽつんと蓮が席に座っていた。放課後の誰もいない教室に一つだけある蓮の横顔はひどくさみしそうに見えた。

「蓮」

「あ、ウメちゃん」

 ふりかえった蓮は、いつものように屈託なく笑う。でもそれは少し無理しているものだった。

「どうしたの、こんな遅くまで」

「ウメちゃんこそ」

 わたしは説教喰らっていたんですけどねー。とかいう言葉を飲み込んで話をそらす。

「帰らないの?」

「帰るよ」

「一成君とやっぱりきまずいの?」

 わたしの率直な言葉に、蓮は笑顔は消さないままうなずく。


「そういえば、一成とはケンカしたこともなかったなあって。でもそれ、基本的に一成が譲っていたからだよなって思ってさ。俺は一度もあいつの真意なんて聞いたこと無かったよ」

「蓮は、一成君を怒ったりしてないんだ」

「あ、ごめん」

 蓮はわたしを申し訳なさそうに見た。

「別に自己正当化ってわけじゃないんだけど。一成がウメちゃんにやっていたことは、やっぱりひどいことだと思うから、俺が知りませんでした、なんていうのは言い訳にならないよな。ごめん。でもそれとは別に、俺、あんまり一成のこと嫌いになれないんだよね」

「ん、わたしも別に蓮が一成君に対して怒りを感じていないことがどうってことじゃないんだけど」

「ありがとう。たださー、俺、一成に信用されていなかったんだなってことだけ、ちょっとしんどいよ」

 わたしはまだ立とうとしない蓮の前の席に座った。


「あいつがさ、家族の話とかしないことに気がついていたんだよね、俺も。だって俺も家族の話しないから。今思えば似た空気があったんだろうなあ。もっとちゃんと話をしていたら、こんなことにはなっていなかったかなって」

 蓮はあきらかに落ち込んでいた。

「蓮」

 わたしは、それでも思いついたことを実行しないわけにはいかなかった。

 一成君を動かすことが出来るのは、蓮以外にはいないんじゃないかって気がしたから。

 多分わたしが彼を呼び出しても普通にスルーされるだけだ。でもそれを恐れて、今、一成君に働きかけなかったら、本当に手遅れになる気がした。

「あのさ、お願いがあるの」

「えー、ウメちゃんが俺にお願いなんて!なんでも聞いちゃう!でも代わりに俺の言うことも聞いて!」

「申し訳ございませんが、それは当方できかねます、ご了承下さい」

 わたしは蓮を覗き込む。そんでもって、なるべく可愛く見えるように言った。

「わたしのために、一成君と戦って」





「ねえ、鳥海しらない?」

 寮で、熊井先輩から話しかけられたのは、翌日の夕方だった。食堂で本を読んでいたわたしに声をかけてくる。

「さあ……どうしたんですか?」

「んー。マージャンのメンツ足りなくて、混ざってもらおうと思ったんだけど、寮の中で今日姿を見ていないんだよね。あいつ、ここぞというところで強くってムカつくけど、結構声かければノってくるから」

「理事長に見つかって叱られても知りませんよ?」

 わたしは、声をひそめていう。まあこの時間は理事長はまだ寮には戻っていないけど。

「大丈夫。それに僕は鳥海から負け分取り戻すまで、悔しくて卒業できない。六ケタだよ?」

「先輩、蓮とけっこう仲がいいんですね」

「そうだな、あいつあんまり裏表が無くていいよ。高瀬も気に入っているみたいだしね。なのにあの勝負のときの先輩を先輩とも思わない遠慮のなさは……」

 熊井先輩は、その綺麗な顔に怒りをにじませる、が思いついたように笑顔を見せた。


「まあでも、だからこそ久賀院さんに粗末に扱われている様には大変溜飲がさがる」

「わたし、粗末になんてー」

「うんうん。その天然でサディスティックなところが女子だよねえ」

 S!

 Sなんてそんな馬鹿な!違う、濡れ衣で冤罪だ!

 ……気がつかないうちに梓に毒されていたのかな。


「僕の彼女もさあ、顔は超可愛いのに、けっこうキツイ性格でね」

 なんて熊井先輩の彼女の話をしばらく聞かされていたけれど、わたしは時間を見て慌てた。

「あ、熊井先輩、わたしちょっと用事があって」

「そういえばもうこんな時間か。じゃあ僕も一年生連中の部屋回ってみて鳥海を探してみるよ」

 わたしは熊井先輩と一緒に食堂を出たところで別れた。先輩は寮の中に戻っていくけど、わたしは玄関に向かってそこで靴を履いた。

 熊井先輩には悪いけど、蓮は見つからないだろうと思う。


 蓮は、一成君に手紙を書いたのだ。その内容をわたしは知っている。

 久賀院梅乃に関することで、どうしても二人で話し合いたいことがあるって。

 学校の体育館で、夜八時に待つと。

 蓮の字で書かれた手紙を一成君に渡したのはわたしだ。その手紙を受け取ってわたしの目の前で読んだ一成君は笑ってた。


『蓮らしいな』

 行かないの?とわたしが聞くと

『行くよ。行って話をしたところでどうにもならないけど。それでも……』

 そこで一成君は一瞬口ごもる。

『蓮は結局俺を裏切って、梅乃ちゃんを選んだわけだから、もう元通りってわけにはいかないけど。でもそれならそれで、どうにもならないことを判らせたほうがいい。あいつ物分り悪いから』

 蓮は一成君を裏切ったりしてないよ、って言いたかった。でもそれは今、わたしが言うことではないなって思ったわたしは何も言わずに引き下がった。

『梅乃ちゃんは来るの?』

 二人の問題だから、行かない。

 そう答えたけどそれは嘘だ。今、わたしは暗闇の中を体育館に向かって走っている。





 一成君が体育館の扉を開けたとき、中は真っ暗だった。

「蓮?」

 約束どおり来てくれたんだなあって、わたしはなんだか切なかった。一成君は確かにどこか歪んでいるけれど、それでも蓮のことは友達だと思ってくれてたんだ。

 闇の中、わたしは息を潜めて、一成君の歩みを見つめる。今来たばかりの一成君と違って、わたしはずっと暗い中にいたから目が暗さになれてよく見えた。

「おい蓮、どこだ!」

 ステージ近くまで来たときに、一成君がはっと気がついたようにステージを見上げた。けれど、それは一瞬遅くて、ステージから飛び降りてきた人物に一成君は蹴り飛ばされた。

「いっ……」

 床に転がった一成君だけど、瞬時に身を起して次に備える。うーん、さすがに空手だかなんだかをやっているだけあって、身のこなしが素早い。


「ふざけんなよ、蓮。話があるっていうから来たのに卑怯じゃないか」

 けれど、相手はなにも答えずに手に持った竹刀を振り回す。それは一成君を掠めた。

「……いいかげんにしろ!」

 暗闇だというのに、一成君は相手の竹刀を掴み無理やり取り上げた。奪ったそれを床に叩きつけると、目の前の人間の胸倉を掴み、そのままの勢いで顔を殴りつける。


 …………さすがにわたしの目の前がぶれた。


「……っつ……」

 黙っていようって思ったのに、痛みでわたしはつい声を出してしまう。

「……え」

 一成君の呆然とした疑問の声が体育館にこもる。彼は闇の中、目を凝らして、殴られた勢いで床にへたりこんで動けなくなっている相手を見た。

「……梅乃、ちゃん?」

 そうです。

 顔が痛い。

 あーあ、やっぱり闇討ちでも力じゃ男の子には勝てないか。

「なんで!?なんで梅乃ちゃんなんだ?」

 一成君に殴りかかっていったのはわたしだ。蓮じゃない。蓮は今頃、あの寮の半地下に閉じ込められているから。ていうか、寮監室から、鍵をこっそり借りて蓮を閉じ込めたのはわたしです。正直に鍵を盗んだといってもまあ良いです。あとで返すけどー。

「う、梅乃ちゃん……?」

 唖然とした一成君の低い声が、体育館に響いた。

「なんで、蓮じゃ……」

 混乱している一成君の前で、座り込んだわたしは顔を押さえていた。痛い。頭がガンガンする。男の人に殴られるって痛いんだなあ。早く顔を上げないといけないのに、痛すぎて無理だ。

 体育館の床の冷たさを感じながらわたしが座り込んでいたときだった。

 突然、体育館の電気がついた。射るような光に照らされて、一成君がまぶしそうに目を細めた。


「……って……お前らなにやってんだ!」

 そう言って電気のスイッチがある入り口から走ってきたのは蓮だった……。

「蓮……お前、自分で手紙書いて梅乃ちゃんを来させるってどういうことだよ!」

「ウメちゃんに閉じ込められてたんだよ、ちきしょう!熊井先輩とマージャンの約束してなかったら、閉じ込められたままだったよ!」

 さすが熊井先輩だ……執念で蓮を探し出したのか。ようやく顔から手を離して、わたしは顔を上げた。

「一成君がわたしにやってきたことはこういうことだよ。一成君、卑怯だってさっき言ったよね!そういうことなんだからね!」

 それはわたしの怒り。

 でも、怒りなんかより、もっと多く抱えているのは、一成君への悲しさだった。


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