8-7
「梓は御両親、好き?」
「好き……というよりは尊敬に近いな。この僕もあの人達にはいろいろ勝てない」
……なぜだろう、いい話、じゃなく怖い話に聞こえるのは。
数日後わたしは、化学準備室に放課後顔を出していた。なぜなら梓に呼び出されたからだ。怯えつつ化学準備室に顔を出したわたしに、梓はコーヒーを出してくれた。
しかし頭が痛いことばっかり。
蓮の告白とか、一成君の本性とか、理事長へのわたしの片思いとか、それに。
「なにやらモテモテらしいな」
ぎゃー、それもか!
高瀬先輩から怒られて、わたしは一週間ばかり連日お断りのお手紙を書いていたのだ。高瀬先輩と熊井先輩が配るの手伝ってくれた。そのさなかに一成君ともめたり。もう日々イベントだらけ……。いったい何エンドを目指しているのか。
「あの、なんとか全部お断りいたしました」
「……そのようだな。なんか目が泳いでいるぞ?」
おかげさまで睡眠不足なのです。
「しかし急に攻勢かけられたじゃないか。まるで歯止めがなくなったみたいだな」
蓮が外したから、とはいえない。一成君にまつわる一連の出来事とか背景については、いくら梓にだって言いたくないし。
「で、王理一成と最近よそよそしいのはどうしてだ」
でた、千里眼!
「告白を断ったぐらいじゃ、あの手の性格の人間が急に態度を変えるなんてことはない」
「どうしてそう言いきれるの?」
「プライドが高そうだからだ。自分の考えを読まれることを、何より嫌うんだ、あの手の人間は。自分が相手を嫌っているということさえ知られたくないはずだから、仮にウメが王理をふったとしても、内心はともかくとして態度は変えないと思うぞ」
わたしの目の前に腰掛けて梓は言う。
「だから、それ以上の何かがあったんだろう?」
ひぃ、これは質問ではない。尋問だ。
「なにもありませんです」
「じゃ、これはなんだ」
梓がひょいとわたしの手を取った。袖が少し落ちて、わたしの手首がむき出しになる。そこにはくっきりとあの日一成君につかまれた指のあとが残っていた。
やべえと慌てて振り払う。
「た、タトゥーです、チェケラ」
「アホ」
どこかの生徒が提出した課題ノートではたかれた。
「王理か、鳥海か?ま、十郎じゃないな。で、誰だ」
「秘密です」
「お前な、僕が目をつぶってやれる事とやれない事がある。王理の態度がおかしい以上、あいつ以外に考えられん。ちゃんと報告しろ」
「一成君と付き合えなんて言う梓に言いたくありません」
ぷーいとわたしはそっぽを向いた。
「……もし僕の見込み違いだったのなら、それは謝る」
はじかれたみたいにわたしは梓のほうに首を戻した。
「梓!?」
梓が謝るなんて!
「王理なら、お前を守ってくれると思ったんだがな……」
多分、梓の見込みはある意味では間違っていない。一成君は自分が御しやすい相手だったら、全力で守ってくれるんだと思う。一番最初に告白してくれたとき、わたしが何も考えないで「OK!」とか言ったなら、ちゃんと優しい理想の彼氏だったはず。文化祭の出来事も起こらずに、平穏な日々だったような気がする。
でも、わたし、どこかで彼氏である一成君に遠慮していろんなことをしないままになっただろうな。なにもかも一歩下がった位置にいて、自分自身を埋もれさせるような日々になったと思う。
一成君もわたしに心情を吐露することはなく。
どっちがいいのかなんて問う事自体ばかばかしいけどね。今はわたしが選んだ今だから。
「……一応これでもウメのところは心配しているのだが」
「誰が?」
「僕が」
どこの僕?と聞きそうになった。でも、梓が何かを悔いるようにわたしを見ているのに気がついた。
「ウメは一応あのお父さんからお預かりしているよそ様のお嬢さんだからな」
「梓……」
奴隷でしかないと思っていたのに……。
「むろん僕にとっては奴隷だが、だからこそ他の連中に粗末にされるのは我慢ならん」
やっぱり奴隷か!
「で、何があった」
「言うようなことはないです。ていうか梓に言ったら余計こじれるような気がするので言いません」
「ウメ、お前な」
小言をいおうとした梓だけど、わたしの真顔に気がついたみたいだった。
「今のところ、深刻な事態にはなっていません。ぎりぎりだったけど。でもわたしもうちょっと頑張りたいです」
「何を」
わたしは梓を見つめる。
「……梓は轟八重子さんのどこが好きだったの?」
「は?」
急に変わった話題に梓が目を点にしていた。
「いなくなっても好きなんだよね。わたしも恋愛とは別だけど、好きな人がいる。今、その人は以前とちょっと変わってしまって……もしかしたらわたしの好きだったその人とは最終的には違ってしまうのかもしれない。わたしが好きだったその姿こそが嘘だったのかもしれない。でも、やっぱりその人のところが好きだったっていう記憶はすぐには消えないんだ」
亡くなってしまっても、梓が八重子さんを好きなように。
一成君の本性がどうだったとしても、わたしの中から王子様だった一成君も、一成君の一つの姿だという思いはなくならない。
それなら。
「その変わってしまった部分ごと、前と同じに仲良くしたい。しかも八重子さんと違って、その人はまだ生きているから」
梓を見ていてそう思ったんだ。
「ウメ」
しばらく黙ってわたしを見ていた梓は、のろのろと口を開いた。
「お前は僕をバカだとは思わないのか?」
「なんで?」
「死んだ人間にいつまでも固執していて。僕は自分じゃなければバカだと思う」
「……バカだなんて思わないよ。悲しいとは思うけどね」
梓がわたしに意見を求めるなんて、珍しいこともあるもんだ。わたしはテーブルの上に乗せられている梓の手に触れた。
「梓がそれで幸せなら仕方ない。でも八重子さんが理事長の話すような人だったら、梓がずっと死んだ自分を思っていることを悲しく思うんじゃないかな。ずっとずっと先に梓も死んで、向こうの世界で八重子さんに再会するかもしれない。その時、わたしが八重子さんなら『恋人ができて結婚して子どももできて長生きして幸せになって、ずるいじゃない』って恨み言を言いたいけどな。『ずっと私を思って一生独りでいてくれてありがとう』なんてお礼、言いたくない」
梓は目を伏せて、自分の手に乗せられたわたしの手を見ていた。
「そんな寂しいお礼はきっと言いたくない」
わたしは重ねて言う。
なんでだろう、梓と八重子さんの話をしているのに、どうしてか一成君が重なる。酷い目にあうかもしれないけど、でも、やっぱり無かったことにはしたくない。
そうか、一成君も寂しく見えるんだ。
何でも出来て、そつなく生きているけど、『負』の部分をみせようとしない一成君。
この間一瞬見せてくれたそれを、わたしは無かったことにはしたくない。
「梓」
沈黙していた梓にわたしは声をかける。
「梓は心配するかもしれないけど、わたしもうちょっと無茶する。予告したからいいよね」
「予告したら余計心配するわ!」
「大丈夫」
「ウメの大丈夫に根拠があったことはない」
「根拠ないけど自信がある」
「最悪だ」
梓は頭を抱えた。
「四六時中監視するか……そういえば前に盗聴器を買ったことが……あれどこにやったっけ……」
企んでいることはせめて口に出さないで頂けると、清々しい毎日が送れるのですが。
「いやウメの行動そのものが読めないから無理だ……」
「大丈夫」
わたしは立ち上がった。
「コーヒーご馳走様でした。わたしちょっと思いついたことがあるので行きます」
「とにかく、気をつけろよ」
「はーい」
一成君がわたしを拒むなら、もう仕方ないかもって思っていた。でも拒まれることにわたしはさっぱり納得していないんだ。
「ウメ」
化学準備室を出て行こうとしたわたしに、梓がもう一度声をかけた。ドアに手をかけたままわたしは振り返ったけど、梓はしばらく言葉を発しなかった。
「……その……」
「は?」
「何事も無いに越したことは無い。僕も全力を持って災いは阻止したい。けど、ウメは暴走するから、それによって何か起こるかもしれない。でも大変なことになっても、あれだ」
あれあれ言われても通じる夫婦みたいな関係じゃありません!どちらかというと毎日未知との遭遇だ。
「僕はいつでも自分の奴隷の味方だ」
……ここはムカついていいところだと思うがどうだろう……。
「最悪、嫁にもらってやってもいい」
「こんな上から目線の旦那なんてごめんだ!」
言ってわたしは化学準備室を飛び出した。おかげで梓の真意がその瞬間見え隠れしたことを理解するのは、しばらく先になってしまうのだけど。
そのときわたしに考えられたことは、一成君のことだけだった。




