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王理(旧男子)高校にようこそ  作者: 蒼治
act8 十月、王理一成、殴る
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8-5

 誰かの家庭の事情をこそこそ調べたりだとか。

 古い記憶をたどって、病院を当てるとか。

 あまつさえ、個人のプライベートな場所に押しかけるとか。

 以上のような行動が、どう考えてもストーカーだと思う人ー。


「ていうか、わたしか!」


 わたしはとりあえず後ろめたさをごまかすためにセルフツッコミなどしつつ、その建物を見上げた。

 週末、はるばる電車を乗り継いでやってきたのは、とある療養所だった。病院ではあるのだけど、昔のサナトリウムみたいな今どき珍しい長期療養型の施設のようだった。広大な敷地は、優美な柵と生垣によって囲まれていて、十月だというのに様々な花が咲き乱れる庭が広がっていた。建物も、低めのつくりで威圧的でなく、療養所と言うよりは高級別荘地に見える。

 一成君が半年近く前にちらっと漏らした病院名をわたしは必死に思い出した。一つの漢字からネットで調べてあたりをつけた。

 今ここに、美少女ストーカー誕生!とかなにからなにまで自分で言ってどうする的なことを口走っている場合じゃない。


 わたしは一成君を揺さぶる何かが欲しい。

 それが何かが分からないけど、でもあの取り付くしまの無い一成君をわたしの目線にまで来てもらいたい。引き下ろすとか引き上げるとかじゃなくて、一成君は今、何も見ていないことが分かるから。

 したがって、今この場で、わたしがなすべきことは!


「……何したらいいんだ」

 とりあえず突撃したはいいものの、その先は何も考えていなかった。突撃となりの晩御飯!今は朝!みたいな展開だ。

 わたしは、ひと気のない庭園を歩き始めていた。とりあえず純粋に庭園は立派だし、花は綺麗だ。

 かあさんもこういうところにいたら元気になるのかなと思いつつ、庶民には想像も出来ないような入居料を推し量る。かあさんは状態は安定しているけど、まだ病院は出られない。でもなあ、こんな立派なところ、入れて上げられないよ。梓に頼めば融資とかしてくれるかな……いやいやいやいや、その借金がさらにいかほどに膨らむかは梓の胸算用一つ!怖い怖い。

 そもそも借金肩代わりしてもらってんじゃないか。

 背筋が寒くなったのは、気候のせいばかりではない。


「寒いわね」

 わたしの心の声を読んだかと思うような言葉が聞こえた。振り返ると、今は噴水は止められて水だけが湛えられている池の横に、車椅子に乗った女性がいた。なんだか微妙に年齢不詳の人だとわたしは思う。

 とても綺麗な人で相当若く見えている。でも病のためか面やつれしていて、そのために老けて見えてもいてそのアンバランスさが落ち着かない。ここの入居の人だと思うのだけど、きちんとアイロンがかけられたシャツにカーディガン、上品なスカートを身につけていた。

 わたしと目があってその人は一瞬のためらいのあと微笑んだ。ああ、あれは独り言だったのかと気がつく。

「こんにちは」

 彼女はなんていうかわたしにはけして出来ない種類の微笑を浮かべた。女性らしい笑顔になんだかひけめを感じながらわたしもはじかれたように頭を下げた。


「お見舞いの方?」

「あ、えと……」

「もし、場所がわからないようなら、職員の方を呼んであげるけど」

「いえ……大丈夫です」

「そう、ここの庭園も建物も結構入り組んでいるから迷子になったのかと思ったわ」

 女の人は一人で退屈でもしていたのだろうか、わたしに話しかけてきた。

「あまりお見かけしない方ね」

「あ、あの、あまりにも庭がきれいだったので、ちょっと迷いこんだんです」

 この苦しい言い訳はなんだ。先月の影響だろうか。まだ光源氏の意味不明な言い訳が頭に残っていたみたいだ。

「あら」

 案の定女の人はきょとんとした後笑い出した。

「なんだかロマンティックな話ね」


 けれど笑いながら彼女は咳き込んでいた。ていうかさっき寒いとか独り言言ってなかったか。いくら天気がいいとはいっても、もう十月。病人が薄着で外になんているもんじゃない。

「あの、寒くないですか?良ければ車椅子押していきますけど」

「ありがとう、でもいいわ。人を待っているから。きっとすぐ来るわ」

 うーん。いいのかな。

 一瞬躊躇したけど、わたしはカーディガン代わりに羽織っていたストールを取って、女の人の膝にかけた。

「少しはマシだと思うので」

「……なんだか申し訳ないわ。あなたが寒いでしょう」

「大丈夫です。あの、病気している人に向かって言うのもなんですが、本気で健康だけは自信があるんです。多分死んでも健康だと思います」

「そう、じゃあ少しお借りするわ。でも、これがあればしばらくはあなたが私の話に付き合ってくださるということですものね、そっちが嬉しいわ」

 女の人は肩をすくめた。

「ここって、本当に若い人なんていないのよ。だから話が合う人もいなくてつまらないの」

 わたしも乙女がいない戦場で日々理不尽さは感じているんです!とばかりになんだか妙にその人に共感してしまう。わたしだって、女友達と服とか小物とかについて語り合いたかったよ。

「あー、それ退屈ですよね」

「分かってくれる?たまに来る家族ときたら朴念仁だし。うれしいわ、久しぶりに若い女の子なんて見た」

 なんだか集団における孤立について妙にその人と意見があってしまって、わたしは彼女の話し甲斐のない日々について傾聴することになってしまった。多分かなり長く入院していると思うのだけど、その人はあまり暗さもなく、声も明るい。それが別の意味で痛々しいような気もしたけど、わたしは楽しく彼女の話を聞き入り。


 ……まてわたし。何をしに、ここに来たんだ?


 その問題を思い出したとき、彼女が顔を上げた。

「ああ、やっと来たわ。息子なんて不義理なもので、年頃になれば、母親の見舞いにもろくにこないんだから、だからわたしはあの学校なんて反対だったのよ」

 彼女の言葉に重なる『お母さん!』という呼び声、そして文句は言いつつ嬉しそうにほころぶ彼女の表情に、わたしは一人の人間の面差しを重ね合わせることが出来た。

 目的はちゃんと果たしたのかもしれない。

 庭園を歩いてくる一成君の顔が、わたしに気がついてこわばるのを見ながら、わたしはそんな風に思っていた。




「何しにきたんだ……いやそれ以前にどうしてあそこが……蓮だって知らないのに」

 一成君は、苦々しげに呟いた。さきほどまでとまったく違う表情に、わたしは驚くというよりは感心していた。

あれから小一時間ばかり一成君と一成君のお母さん……王理夫人と話をして、今ようやくここまで帰ってきたところだ。

一成君はおうちがらみの立派な車で来ていて、いけずうずうしくもわたしまでそれに乗って帰って来てしまった。でも運転手さんの耳があるからか、一成君は車内では一言も口をひらかなかった。

 今、わたしが一成君と二人だけでいるのは、寮の空き部屋だ。一階の一番奥の階段を下がった半地下の一室で、今は倉庫みたいにして使われている。ホコリっぽい部屋で、わたし達は声を潜めて話す。でも声を潜める必要もないくらい、廊下を誰かが通りかかる気配はない。まあこんなとこ、誰も用無いか。

「一成君、ガラスの仮面がはげているよ」

「よけいなお世話だよ」


 あーあ、あの時はあんなにマヤだったのに。

 母親の横にいるわたしを見て、一成君が表情を崩したのは一瞬だった。すぐにいつものあの穏やかな表情を取り戻した。『やあ、久賀院さん、どうしたんだいこんなところで』としゃあしゃあと優等生調で言い『お母さん、すごい偶然ですね。彼女は僕の同級生の久賀院さんです』と紹介までやってのけたのだ。偶然!?僕!?久賀院さん!?と目を白黒させたのはわたしのほうだ。


「しかし……普通あんなところまで行くか?」

「行きました、イェイ」

「いや、ここで可愛く言っても可愛くないし。なんでバレたんだろ」

「半年前に一成君、自分で教えてくれたよ」

「…自分の油断があったとはいえ、あんた本当に記憶力ヤバイな」

 一成君は顔を上げる。

「……これ以上、俺のことに首つっこまないでくれるかな」

「は?」

「不愉快だ」

 一成君の言葉には、確かに今までにない怒りがにじみ出ていた。

「俺は、俺のことに面白半分で関わってもらいたくない。もしこれからもそれをやるようなら、俺は本気で梅乃ちゃんにひどい事をする」

「……面白半分なんかじゃ」

「じゃあなに?一体どんな本心で、俺の母親の入院先を調べてそこまでやってきて、母親と話なんてしていたの」

「どんな本心って言われても」

 わたしは自分の本心を考える。わたしの本心は。

「俺に関わらないでくれ」


 一成君を友達だと思っていたのはわたしだけかもしれなくて、一成君のほうはそんなつもりはまったくなかったのかもしれない。友達のふりして影では嗤っていたのかなあ。それはとても寂しいな。ここでどうでもよくなっちゃったほうがいろいろ楽かな。

 なんていろいろなことを思った。

 でもさ。嘘でも友達だったんだよ。


「……でもわたし、今日一成君のお母さんとお話できて楽しかったよ。そういう風に一成君とまた話をしたいよ」

「無理だって」

 そう言って一成君は嘲るみたいに口を歪めた。

「俺ももうばれちゃった以上、今までどおりってわけには行かないし、梅乃ちゃんだって、今までどおりには俺の言葉なんて受け取れないよ」

「でも」

 わたしは一成君を見つめる。

「でも一成君、お母さんのところすごく気を使っていたじゃん。心配かけないようにわたしと普通に話をしていたよね。そういう思いやりがある人に、ひどいことが出来るとは思いたくない。一成君、王理が嫌いだって言っていたけどお母さんのことは……」

 わたしの言葉は最後まで言えなかった。突然一成君が立ち上がりわたしの腕をつかんだのだ。

「……俺の気持ちまで立ち入るなって言ったよね。本当に腹が立つ」

「一成君?」

「あのさー、俺がどれくらい影でいろいろやっていたかわかんないのなんて、蓮とあんたくらいだよ。中学部からの連中の様子を見れば、俺の支配力ぐらいわかるはずなんだけどな」

 穏やかな声音だけど、一成君は力任せにわたしを引き寄せた。ちょっと怖さを感じてわたしは手を振りほどこうとしてみたけれど、細身の一成君のどこにそんな力があるのか振りほどけない。

 掴まれた手首の力は本気で、食い込む指が痛いほどだ。

「一成君!」

「うるさいな」

 詰め寄られて、背中が壁についた。

「あのさ」

 つまらなさそうに一成君は言う。

「俺の気持ちに踏み込むなら、ひどいことするって、さっき言ったよね?」

 決定から実行までめちゃめちゃ早いよ!

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