8-3
「なんのこと?」
一成君は、にこやかなままそんな風に返した。
その表情は、やっぱりあれは全てわたしの考えすぎかと思うほどの清らかさだ。後ろめたさのかけらもない。だけど、それはわたし自身がそう思いたいからなのだろうか。
カンペを落としたとき一番近くにいたのも、モニカの時のあの運の悪さも、屋上の鍵を持てる可能性があるのも一つ一つはわずかな根拠。でもそれが重なることで偶然は誰かの必然にならざるを得ない。
もう確信はしているのに、一成君のその表情にわたしはやっぱり期待した。なんのことかな、ってとぼけてくれたら、なんでもないよーってごまかせる。だからわたしはその言葉を舌先にのせかけた。
「……なんてね。あーあ、まあいずれ気がつくと思っていたけどさ」
一成君は笑みを消しもせずにそんな風に言った。
「……やっぱり、一成君だったんだ……」
「そうだよー。もっと早く聞いてくるかと思ったけど結構かかったね、いやまあ、聞きにくいか、こんなこと」
一成君に動揺はなかった。まるで待ち構えていたみたいだ。
「ていうか、蓮が話したのかな」
一成君はちらりと蓮を見る。蓮は一瞬言葉に詰まり、そのすきをついてわたしは口を挟んだ。
「蓮は関係ないし、何も言ってない。これはわたしと一成君の間のことだし」
「ウメちゃん。でも俺」
「蓮は黙ってて」
わたしは一成君の笑顔の向こうにあるなにかをつかみたいと思う。けれどその表情からはどれほど目を凝らしても何も見えない。
「なんで、あんなこと」
「気に入らないから」
数学の宿題を答えるかのようにはっきりと一成君は言った。
「いきなり女子で主席でなんてムカつかない?」
いや、わたしに問いかけられても。
「どんな子なのかなーって、ちょっとちょっかいかけてみたら、思ったより根性座っていて驚いた。ぐずぐず泣くような子なら、それはそれでよかったんだけどね。じゃあ、手なずけようかなってモニカでピンチから助けてやろうとしたんだけど、自分でなんとかきりぬけちゃうし、ほんと梅乃ちゃんてすごいよ」
「そんな褒められ方、嬉しくない」
「褒めてないもん」
一成君はため息をついた。
「じゃ、蓮に夢中にさせて無力化しちゃおうかと思えば、あれだけ女で遊んでいた蓮を変えてしまうしさ。あの変わりっぷりにはさすがにびっくりしたよ。蓮の女関連のネットワークは使い勝手がよかったんだけどね。無くなってもったいないことした」
どんなに言葉でわたしを侮蔑しても、一成君の表情から品がなくなることはなかった。むしろ支配者然とした高貴ささえある。
「ほんと、ムカつくんだよね」
「一成!」
蓮の声は階段に反響した。静かな校内のなかでぎょっとするほど大きく聞こえる。蓮は怒鳴って会話を止めようとしたのだけど、一成君の冷ややかな視線は蓮の声に負けない。
「蓮。お前、俺のことをどうこう言えるの?」
一成君はわたしと蓮を交互に見た。
「どうせ、肝心なこと言ってないんだろ?『大好きなウメちゃん』に嫌われたくないもんね」
「俺は……」
「まあ梅乃ちゃんが蓮は関係ないって言っているから別にいいけど。でもお前、俺のしていること、薄々は知っていたよね」
「一成君、蓮のことはもういいから。それよりどうして、いじわるするの」
ものすごく、疑問だった。
状況的に一成君しかありえないいろいろな出来事、けれど、わたしがそれをいままで否定していたのは、『久賀院梅乃』の友達として横にいた『王理一成』から、わたしに対する嫌悪がほとんど感じられなかったから。
夏休みのあの日、わたしを好きだと言った一成君の言葉の全てが偽りだと思えないのは、わたしの自意識過剰なのかもしれない。でも好意をやっぱり信じたい。
「普通の時にはあんなに親切なのに」
そんなに人って自分の感情を分断できるんだろうか。
「表立っていじめなんてするのは無能だよ。それに俺だってしたくて嫌がらせをしていたわけじゃない。梅乃ちゃんがもっとバカで、おとなしく俺か蓮の傀儡になってくれるか、とっとと学校辞めてくれれば俺もここまで執拗にしなくてすんだんだけどね」
「いうこと聞かせてどうするの……」
それには一成君はすぐには答えなかった。その間をついたのは先ほどからないがしろにされている蓮だ。
「……一成。文化祭の時、ウメちゃんと俺を閉じ込めたあの連中はお前の知り合いだろ」
「んー、まあね」
一成君はそんなこと忘れていたとばかりに漠然とした答えを返した。
「あいつら、バカで困る。蓮と梅乃ちゃんを間違えるなんて最悪にもほどがある。しかも梅乃ちゃん襲おうとしたんだって? 誰もそこまでやれとは言ってない、とりあえず劇に出られなければよかったんだっていうのに。そんなことしたら警察沙汰だっつーの。バカすぎ。あとで他の連中使ってしめたけど」
ちょっとわたしはくらくらしていた。
王子様はそんなこと言っちゃいけない系のNGワード満載ですよ。
「まあ俺は、バレさえしなければ、梅乃ちゃんがどうなってよかったんだけどさ」
「一成!」
蓮が激怒して固めた拳を押しとどめて、わたしは一成君にさらに質問を重ねた。
「一成君、答えていない。初の女子学生のわたしに一体どうして欲しかったの?」
ちょっとだけ、一成君の答えには間があった。
「……なにもしないで欲しいだけだよ」
「え?」
「何も行動を起さないで欲しい。凡庸な他の生徒に埋没するように、日々を送って欲しいだけ。もうばれちゃったから言うけど、そうしなかったら俺も本気で梅乃ちゃんを傷つけないといけなくなってくる」
「……どういうこと?」
「梅乃ちゃんが活躍すれば、来年女子入学者が増えるだろう?そうすると偏差値も倍率も上がる。名門校として安泰だ。俺はこの学校を閉校にしたいんだ」
「それじゃまるで……」
「今回の選挙だって、高瀬響平じゃダメだ。あの人アレでいて、人望もあるし面白いことも考えるから、生徒会を活気あるものにしそうだ。俺の先輩みたいに、温和だけど何もしない人のほうがよっぽどありがたいよ。王理高校なんて早くなくなればいいんだ」
わたしは呆然としていた。多分わたしよりもいくらか一成君の考えに詳しいはずの蓮も口をはさむことができない。
「自分の一族の関連なのに?!」
単にわたしが嫌いだからとか、一等賞になるのに邪魔だからとか、そういう返事の方が、わたしはよっぽど混乱しなかった。一成君の答えはわけがわからない。
「一族だからってさ」
一成君は一瞬だけうつむいた。けれどすぐに顔をあげ、その凛々しい笑みを絶やさずに言う。それはもう宣言のようですらあった。
「一族だからって嫌いになっちゃいけない理由はないよね。俺は正直『王理』の全てがなくなってしまえばいいと思っているし、将来中枢に食い込んだらやれる限りの力をつくして『王理』の全てを無くしたい」
「は?」
「俺は『王理』が大嫌いだ。だから『王理高校』に味方する梅乃ちゃんが本当にうっとおしい」
「ウメちゃん大丈夫?」
「うん」
日の落ちかけた校内で、わたしはベンチに座って頭を抱えていた。一成君はあの後会話を終わらせて『じゃ、選挙はお互いに応援する人は違うけど、頑張ろう』なんていってにっこり笑って立ち去ってしまった。
最後まで王子だった。
一成君と話をしているときには頑張れたけど、相当緊張していたわたしは、そのまま情けないことに座り込んでしまった。蓮が中庭のベンチまでひっぱって来てくれたけど、そこから動けない。
一成君は最後まで笑顔を崩さなかった。その容赦なさが怖い。
『王理』の全てが大嫌いで、全てをつぶすつもりでその手始めに王理高校の再生さえ止めようとしている一成君。覚悟が見えて怖いのだ。
「結局、都合悪いことごまかしたままじゃいられないんだな」
横に座っている蓮の呟きに、わたしは顔をあげる。
「ああ……蓮ごめんね、つき合わせちゃって」
「いいんだ。自業自得だから」
蓮の男前な横顔が闇に沈みかけていた。
「一成がなんか良くない事やっていることは知っていたんだ。でもあいつ自分の思っていることの一部しか俺に言わないから、その全てまではわからなかったけど。でもなあ……俺がウメちゃんに本気なのは知っているはずなのに」
蓮は一成君のやっていることを薄々察していながら、思い切って止めることが出来なかったことを気にしている。そのことは蓮が何度も言いかけていたから、わたしもなんとなく知っていた。でもわたしのせいで二人の仲が悪くなっても責任なんて取れないと思って、その言葉を避け続けていたわたしもいいかげんだった。
「あ、そうか。俺がウメちゃんに本気だって言ったからこそ、一成もウメちゃんに好きだっていったのか……つかえねえ奴だ、って思ったんだな」
期末試験直後の騒動を思い出したのか蓮は自嘲した。
「俺がウメちゃんに本気になったときも、最初は『あ、そうなんだ。つきあいなよ、いいと思うよ』って言ったから、ウメちゃんへの嫌がらせは止めたと思っていたんだけどな……でも確かにみんなへのプレッシャーは消してなかったな」
「プレッシャーって?」
「誰もウメちゃんに告ったり必要以上に近づかないようにしていたんだ」
「そんなこと一年生なのにできるの?」
「あいつすごいんだよね。直接言わなくても、相手になんとなく悟らせちゃうんだ」
ああああー。一成君ならできそう……。
夕方の空は翳り始めていた。重たい秋の雲があたりを覆っている。日が落ちたこともあって、空は暗い。
「あの日もこんな天気だった」
「え?」
「あの時、俺と一成は、ウメちゃんが屋上の間を跳ぶのを見ていたんだ」
ああ、屋上に閉じ込められたときか……。
「……あー、そうなんだ……」
「一成が『きっとすぐに理事長が見つけてくれるよ』って言って。俺もまあそんなものかなって。で、途中までのんびり歩いていた。さすがに校舎から飛ぶのを見て慌てて走ったんだけど」
蓮の今の気持ちがわかるから、昔のことを問いたくないけど、でもそうやってわたしの様子を遠くから眺めていたんだって聞くと、やっぱり悲しい。
「……すげえかっこよかったんだ」
「え?」
「思い切りよくて、迷いとかなくて、あの時のウメちゃんはすごくかっこよかった。あの時に俺は多分ウメちゃんを好きになりはじめたんだと思う」
うひー。理事長曰く「頭おかしい」行動をそんな風に言われるとなんだかはずかしいー。
「ごめんな。これ今まで黙っていて告白なんてないよな」
「……うん、まあ予想はしていたけど………………………………………………………………マジふざけんな」
「やっぱウメちゃん容赦ねえー!もうちょっと優しい対応希望!」
「なにずうずうしいこと言ってんの!」
わたしは蓮をにらみつけた。
「だから一発叩かせて。それでおしまい」
蓮はこのまま曖昧にされてもしんどいと思う。それなら、蓮の過去についてもこれできっぱり終わりにしたい。気まずいことには終わりを作りたい。
「……そんなんでいいの?絶交とかされても仕方ないのに。いつもどつかれているからそんなの罰でもなんでもない気が」
わたしは立ち上がって、蓮の正面に回ると彼を見下ろす。
「いいよ。それで」
「……うん」
蓮は眼鏡をはずして節目がちになる。
「いきます」
そんでもって、わたしは。
「オラ!」
握った拳を遠慮なく蓮の左頬に叩き込んだ。もちろん可憐でか弱い女子の一撃なんで破壊力はないけれど、思い切り蓮がのけぞる。
「……ちょっとまて、グーパンチ!?」
「あたりまえじゃん」
「せめて平手打ちでしょう、女子なら!拳って……夕日の果し合いじゃねーんだから!かー。いってえー!」
「殴ったわたしも拳が痛い!」
「なに昭和ドラマみたいなこと言ってんだ。ひえー女子でグーパン。つかそんなの女子じゃねえよ……どこのスタープラチナだよ……」
「なにか?」
「いいえ」
にらんだら黙った蓮としばらく見つめあっていたけど、でも……わたしはちょっと笑った。
もう一度蓮の横に座って、わたしは呟く。
「悲しいね」
「……うん。つらいな」
何かを壊すことだけが目標の一成君は悲しい。
それを見ているだけのわたし達はみじめだ。
「なんとかしたいね」
「なんとかしたいな」
とても重たい雲がかかっていたけれど、でも、わたしはそこにあるはずの星を探していた。




