7-9
「ああ、ウメちゃん」
蓮は劇が終わってメイクを取ったら、その下で紫とか赤とか黄とか青とかすんごいことになっていて、速攻保健室に担ぎ込まれたのだった。目をつぶっているように見えるのは、目の周りが腫れちゃって開かないからだ。
発熱もしているみたいで、蓮はぼんやりとした様子で体を起こす、でも雰囲気はいつもみたいに笑ってた。
パイプの丸椅子を持ってきてわたしは蓮のベッドの横に座った。
「具合悪いの?」
「平気だよ」
「……これ」
わたしは言葉につまって、持ってきた紙パックのジュースを差し出した。蓮がしょっちゅう飲んでるコーヒー牛乳。
「ありがとー!腹減ってたんだよなあ」
「劇のばたばたでお昼食べられなかったもんね」
嬉しそうにさっそくストローをさして、切れていないほうの唇でくわえる。それを見ているだけでも、なんか……なんかへこむ。
「……ごめん、蓮」
「は?」
蓮はきょとんとした顔でわたしをみるけど、それでますますいたたまれない。
「なんか、あの人達、用があったのはわたしだけみたいなのに、蓮を巻き添えにしちゃってごめん。い、痛かったよね」
顔が上げられなくてわたしの視界にあるのは、布団の上に置かれた蓮の手だけだ。
「ほんと、あの時蓮に『逃げて』ってわたし言わなきゃいけなかったんだよね。蓮、関係ないのに殴られて痛い目にあってるのわかっていたのに、逃げてって言わなくてごめん。本当にごめん。でも、わたしあの時蓮がいてほんとによかった。すごく怖かったから、蓮にいなくなられたら、わたしどうしていいかわかんなくて、いてくれて嬉しかった。ごめん、自分のことしか考えてなくてごめん」
うまい謝り方もできなくて、わけのわからない言葉を連ねることしかできない。言葉をきったわたしの耳に入ってくるのは、ただ静けさ。
「……はー」
やがて、深い蓮のため息が聞こえた。うつむいたまま、わたしは身を小さくする。
「……あの時、そんなこと言われなくて、ほんと良かった……」
蓮の言っていることもわからなくて、わたしはおそるおそる顔をあげる。
「……『逃げて』なんて女の子に言われたら、俺の立つ瀬がないっつーの!」
「え?」
「あのさあ、ウメちゃん、何でもかんでも自分で解決しようとするけど、どうしようも無いことだってあるんだよ!普通に考えろよ。脅されてタチ悪い野郎六人に閉じ込められた女の子一人にできることなんて限界があるんだよ!ルール守って歩道歩いていたら飲酒のスピード違反暴走車にはねられた人間を誰が悪いって思うんだ。それと同じなんだって。何一つウメちゃんのせいなんかじゃない!」
自分の膝の上に置いていたわたしの右手首を、蓮はいきなりつかんだ。そのまま強い力で自分の方に引き寄せる。椅子から半分身を乗り出すようになって、わたしは開いている方の手をベッドについてしまう。
「俺、今、すごく手加減しているよ。でも手を振り払えないだろ?そういうモンなんだって。理不尽だと思うだろうけど、女子にはどうしようもできないことがあるんだって。だからもー、自分のせいだなんて言うなよ。しかもそれ、言い訳じゃなくて本気で言っているところがウメちゃんの嫌なとこなんだよなあ」
蓮は手を離さない。痛くはないけど確かに振りほどけなくてわたしはその中途半端な姿勢のままだ。
「れ、蓮、怒ってる?」
「怒ってないけど、ムカついてる」
「ごめ……」
「ごめんじゃなくて!」
蓮はまたため息をついた。
「ムカついてるのは俺自身に対して!肝心な時にさっぱり役にたたなくて、何が柔道だよなあ。俺にできたことは理事長が来るまでの時間稼ぎだけで、そりゃ役に立たなかったけどさ、でも言うならごめんなんて言われたくないよ。せめてありがとうって言ってくれよ」
「蓮」
「ほんと、確かに俺のいいとこなんて顔だけだけど」
顔がいいのは遠慮しないのか。変なところで客観性がある……。
「……顔だけじゃないよ。そんなこと言ってごめんね」
わたしは身を乗り出したまま、すごく近い距離で蓮の顔を見た。そのご自慢の顔も、今は腫れているしありえない色にカラーリングされているけど。
「蓮、ほんとさっきかっこよかったよ。今もすごくかっこいい。あの時、守ってくれて嬉しかった。ありがとう」
やっとわたしもちょっと笑えた。
『じゃ、お礼には是非裸エプロンを!』とかいつもの蓮なら脊髄反射で返してきて、それでわたしが『蓮がするのね、あーはいはい見てやる見てやる』と返して二人で笑って終わると思った。それで元通りって。
なのに、今日はいつもと違っていた。
至近距離で見ていた蓮の顔が、急に真顔になったのだ。
「ウメちゃん」
手は離さないまま、蓮はうつむいた。
「好きだ……」
……何?
「……ほんと大好き、超可愛い」
一瞬、明らかにごまかしきれない会話のブランクがあった。
「……わ、わたしも蓮を好きだよー。今日のお礼にこんどA定食奢るし。これからも友達でいよう!コーヒー牛乳160円、A定食850円、永遠の友情プライスレス!」
「友達として言ってるんじゃないってことぐらい、気がついているんだろ!」
……すみません……反射的にアホ言ってしまいました……。
「え、えっとわたし」
「……俺と付き合おうよ。今度は嘘じゃないから」
嘘じゃない、って蓮は言った。
六月に蓮のうちに泊まることになって、その時にわたしは言い過ぎてしまった。あの時はそう言わざるをえなかったけど、やっぱり言うべきじゃなかった。蓮はあのわたしの言葉を気にしているんだろうと思う。「蓮、本当はわたしのこと別に好きじゃないんでしょう」って言ってしまったこと。人の思っていることまでやっぱり踏み込んじゃいけなかった。
……ちゃんとわかるよ。
蓮が今回は嘘や冗談じゃないってこと。
「俺だって、こんなボコられた後のひでえ顔でなんて言いたくなかったけどさ、でももう黙っていられない。状況としてはかっこ悪くて最悪だし、まだそんなこという資格も無いけど、でも今言いたい」
全然気がつかなかったけど……もしかして、蓮はずっと、わたしにそのことを言いたかったのか……?
「ウメちゃんが嫌ならもちろん今までの人達みたいに軽々手を出す気ない。大事にするし。キスまで半年とか一年とかかかってもいい。あっ、でもこれちょっと嘘っぽいな、俺あまり気が長いほうじゃないし。もしウメちゃんがいいなら一秒後にでもお願いしたいくらいだ!」
「……蓮」
「信じてもらえるかわかんないけど、俺、今誰とも付き合ってない。ウメちゃんだけが好きだ」
「蓮……あの、わたし」
断らなきゃ、他に好きな人がいるって、ごめんって言わないと。
蓮はそこでようやく顔を上げた。そして、寂しそうに笑う。
「ウメちゃんが、理事長のことを好きでも、俺をふりむかせるよ」
ひぃー!?
わたしは飛び上がるほど驚いた。しんからびっくりしたとき、人はほんとに飛び上がるんだ。効果音はびょいいいーんとかでお願いします!
椅子から立ち上がったわたしは、さらに自分の顔が真っ赤になっていると気がつく。
「なななななんでそんなこと、そんなはずないし、いやあの蓮、何言っちゃってんのもー」
「あのさ、その反応でバレバレだけど」
わ、わたしだってこの間気がついたばっかりの気持ちなのに。どういうこと!そんなに公開生放送なの?わたしのまわり、ふきだしとか付いている?
「俺、ずっとウメちゃん見ているんだから、ウメちゃんが誰見ているかぐらいわかるって」
「わ、わたしは理事長見ているけど、理事長の考えてることなんて全然わかんないよ?」
ああああ自分でばらしてどーするよ!
「わかんなくていいよ。そんなこと考えるなら俺のこと考えてよ」
そんなこと自分でどうにかできるのか?自分の考えていることがコントロールできるのはある意味無我の境地ではないですか。
「『娘が斎宮となる以上、わたくしは伊勢へと行かねばならない。でもあの方はそれをどう思われているのか……わたくしの不在をあの方は悲しんで下さるのか』」
突然蓮が言ったのは、源氏物語『葵』、今日の劇での六条御息所のセリフだ。
御息所は源氏からはっきりとした言葉を貰いたいのだ。
『あなたと離れ離れになるのはつらい、行かないで欲しい』あるいは『そうですか、でしたら我々もここまでの縁』。
すでに熱は冷めた仲とはいえ、そうでなければ彼女は源氏への未練を断ち切ることはできない。でも源氏は結局はっきりとした言葉は言わないのだ。
だから、御息所も思いは行き場を無くし、彼女は生霊と化してしまって。
「ウメちゃんが源氏に共感できないように、俺も御息所には共感できなかった。恋を諦めるのも続けんのも、結局自分の意思だよな。自分の意思もわからなくて、誰かの気持ちなんてわかるもんか」
「蓮?」
「俺だったらこういうね。『あんたがどう思っているかは知らないけれど、わたしはあんたを好きなんだ、ちゃんと覚えとけ』」
「に、日本の雅の立場は」
「俺はどうせストレートにしか言えないよ!」
そんな六条御息所は嫌だ。
「今返事くれとは言わないけど。つーか、付き合うって返事しか受け付けないから」
「そんな横暴な」
「もういいや、開き直った」
蓮はあのいつものへらへらした笑顔を浮かべる。でもそれは、どこかに鋭さが見え隠れしていた。なんていうか……今まで恋愛の経験値はあるけどそれが技に結びつかなかった蓮が、一気にスキルアップしたみたいな。
ピャララピカペッコポーン、蓮は『強引さ』を覚えた。
ピャララピカペッコポーン、蓮は『情に訴えかける』を覚えた。
ピャララピカペッコポーン、蓮は『健気さ』を覚えた。
次はジョブチェンジが出来るよきっと!
「言っちまったんだからもうイイや。俺、頑張るから。見ててなー」
「と、遠巻きになら見ていたいです」
C席もしくは立見席でいいです。勘弁して。
「……わたし帰るー」
ちょっと手が緩んでいたのを幸い、わたしは蓮の手を振り払って背を向けて、カーテンを飛び出した。が。何かにしたたかぶつかって跳ね返される。
「なんでこんなところに壁……!」
今度こそ、わたしは悲鳴を上げた。
カーテンの向こうに立っていたのは、白衣姿の理事長だった。あっ、中身は今も紫のシャツだ!いやそれはどうでもいい。
え、え、え?全然意味わかんない。さっきいなかったよね。ドア開く音しなかったよね。
「理事長、立ち聞き?」
後ろから蓮が言う。
「いや、その……中庭から戻ってきて声をかけにくくてな……」
そういえば、ベランダ側のドアは開いていた。
「理事長、いつから……」
あわあわとそれだけ聞いたわたしの言葉に理事長は一瞬目をそらす。
聞かれた……!絶対聞かれた!
「い、今だ。今戻ってきた」
嘘つきは泥棒の始まりー!
「ふーん。とりあえず、俺のウメちゃんがそこ通りたいみたいですから、どいてあげてください」
その所有格は何!?
ピャララピカペッコポーン、蓮は『他を威嚇』を覚えた。
ぺニャロリレー…………梅乃は逃げ出した!
……もう、わたし、いっぱいいっぱい……。




