7-8
理事長は言った。
「……鳥海」
ドアを全力で蹴り飛ばして開けた理事長は、奥で座り込んでいる蓮に呼びかけた。
「よく頑張ったじゃないか」
「ウメちゃん助けてやって。あとの面倒なことは俺が全部かぶりますから……つかぶっちゃけ停学一週間くらいなら全然かまいませんから、そいつら、ぶちのめして下さい」
「生徒に庇われる気など無い」
さて、と理事長は言った。
「今日の来客である諸君らは知らないだろうが、私は一つ宣言していてな。我が校初の女子学生である彼女にいかがわしいまねをする者がいれば、容赦なく斬ると」
理事長は凍りついた空気の部屋を眺める。わたしもなんだか息を飲んでしまう。なんというか迫力が違うのだ。年齢だけじゃなくて、修羅場踏んだ数とか、そういった何かが違う。
そして一方で腑に落ちた。やっぱり理事長は梓の友達だったんだ……!
「今はとりあえず駆けつけたもので、残念ながら愛刀はないが、まあ叩きのめすことぐらいさもないことだ」
理事長は、もう人相悪いとかいうレベルじゃなく、凶悪顔といって差し支えない表情で彼らを威嚇した。
ていうか、あとで聞かないととわたしは思った。
理事長、今日に限ってどうしてスーツの下のシャツが紫のシルク……!?
ヤクザ?
ヤクザ!
ヤクザ……。
今、敵も味方も気持ちは一つ!
「そこの男。彼女からどけ。さもなくば成敗する」
「うるせえおっさん引っ込んでろ」
おっさん?と理事長がほんの少しだけ右の眉を上げた。と、一番ドアに近い場所にいた男がいきなり椅子を振り上げて理事長に振り下ろす。ちょ……なんて卑怯な!
私は息をのんだけど、理事長は落ち着き払っていた。
迷いも手加減も無く、その振り上げられた椅子を掴んで自分の方にひっぱると、勢いよく床に叩きつける。手を離す暇もなく、自分が持った椅子ごと男は床に這い蹲ることになった。あまりの素早さにわたしも目が追いつかないほど一瞬の出来事だ。
「理事長……?」
本当に、チンピラだったの……?
「人の話を聞かんヤツだな」
「……このジジイ!」
さらに歳食った称号を与えて殴りかかってきた連中を。理事長はひょいとかわすと逆に相手のボディに拳を叩き込みさらには足を払ってなぎ倒した。
「つ……強え」
蓮の唖然とした声が聞こえるがわたしはそれどころじゃない。
やっぱり理事長は族のヘッドだったんだ……関東一円を支配し、彼引退後は小競り合いが続く群雄割拠の時代となった伝説のヘッド。今でも「くそっ、こんな時ジューローさんがいてくれたらよう……」と言わしめる伝説のヘッドオオオオ!
まあ、妄想はさておき。
ありえない強さで理事長は全員を殴り飛ばしていた。わたしから見ても明らかに理事長は手を抜いているのが分かるくらいなんだから、気迫で押されている連中はもっと冷や汗をかいているはずだ。
「なんだ、もう終わりか?認知症の徘徊老人を病室に戻す方がよほど大変なくらいだな」
「……ちくしょう!」
一人が隙をついて、窓を開け放つ。一階だったことが向こうに幸いして、それを引き金にやつらは一気に窓から逃げていった。やっと上から重さが消えて、私は身を起こす。
「大丈夫か久賀院!」
さっと理事長の顔色が変った。平然としていたあの姿はなんだったのかという勢いでわたしの腕を捕らえる。
わたしは。
ここで『りじちょー! うめのタン、とっても怖かったですう!』とか言ってぎゅうって抱きつけば、ドサクサ紛れなので不自然じゃないし、理事長に可愛らしさをアッピールできると思った。思ったけど。
そんなわざとらしいこと、できるか!無自覚だったらともかく、『理事長大好き』自覚完了の今はむしろそんなこと恥ずかしくてできない。どうしても、そんな乙女キャラにはなれない。バカ!わたしの無駄な頑固さのバカ!せめてツンデレくらいやってみろよ、この大根役者!
上半身を起しているため、一応かわいくお姉さん座りのわたし、騎士よろしく片膝ついて、わたしの両手をとる理事長。
でも、状況はそこより先には進まず、見詰め合ったまま、五秒くらいマヌケな沈黙が落ちる。その直後理事長は、わたしの背後で壁に寄りかかるようにして座っている蓮と目があったみたいだった。
「……と、鳥海、大丈夫か!」
わたしの手を離すと慌てふためいて立ち上がる。
なんか今、理事長動きが変だった……?
なんていうか、ほんとはわたしをギュウってしたいのをこらえて、ただ手を取るに留めたみたいな。
まあ、これもわたしの妄想かもしれないけど。
「あいつら捕まえるか?久賀院。鷹雄がその辺押さえているから、捕まえられるぞ」
「……もういいです。それより蓮が」
「そうか……うちの生徒に手を出したことは俺も怒り心頭なのだが。鷹雄ならいろいろとためらい無しでやってくれるぞ?まあ久賀院がいいなら、俺も鷹雄を犯罪者にするのは避けたいところだ」
……なにをする気だったんだ……?
目が点になっているわたしをとりあえずさておいて、理事長はぼこぼこになっている蓮に近づいた。
「鳥海、大丈夫か」
「平気です。ちょっと見た目はアレですけど、このクソ分厚い衣装のせいで、大したダメージじゃありません」
蓮は立ち上がる。
「ウメちゃん、急ごう、劇が俺たちの順番になっているはずの時間だし」
「劇って……蓮、そんなんででられるわけないじゃん!」
「平気だよ。化粧だけ少し厚くしてもらう」
「だってお腹とか蹴られていたじゃん!」
わたしは蓮のところに駆け寄って両腕を掴む。今も目の周りが赤いけど、これもっとひどくなるよ、あざになるって。蓮の顔がー!
「大丈夫」
蓮はわたしの手をはずし、ちょっと腫れてきた顔で笑った。
「ここで俺がリタイアしたら、うちのチーム、出場できないだろ」
「だって!早く医者にいかないと」
「せいぜいあと小一時間だって」
「……無理しなくていいぞ、鳥海」
高瀬先輩の声に、わたし達は入り口を振り向く。
「お前、よくやったじゃん」
「高瀬先輩、どうしてここに?」
入り口に立っていた先輩は持っていた台本でかるく頭をかいた。
「んー。熊井先輩がやっぱり僕もジュース飲みたいとか言いだしたから買いに出たんだけど……部室長屋前にいるウメちゃん見つけて変だなって。で、この中見ればなんか変な連中に連れ込まれているお前ら二人がいるし。誰かいないかって探しに行って理事長をみつけた」
「どうしてすぐに助けてくれなかったんですか!」
高瀬先輩は胸をはった。
「俺は箸より重いものを持ったことが無いお坊ちゃまなので、ケンカはからきしダメだからだ!」
「いばるところ???!」
「久賀院怒るな。仮に高瀬が特攻かけてもこの人数相手じゃダメだった。それよりも高瀬が俺を見つけて、鷹雄に周りを固めさせたんだから、采配に感謝した方がいい」
「ひー大騒ぎじゃないですか」
「いや、ものすごい水面下だった。多分教師連中でもこの動きには気がついてないぞ」
高瀬先輩はどうだい、と得意げだ。
「あと熊井先輩が出演の順番を遅らせる交渉しているから慌てるな。そうだ、麗香せんせーが、化粧道具持ってすっとんでくるはず。でるなら化粧をまず直してもらいなー」
わたしは蓮を見た。蓮は切れた口が痛いらしく、少し顔をしかめながら高瀬先輩に言う。
「すいません、先輩。迷惑かけて」
「やれるか?」
「やりますよ」
蓮はわたしに笑いかける。手を伸ばしてわたしの身についているホコリをはらいはじめた。ぱたぱたと言うその手の温度がなんだか気持ちいい。
「俺よりウメちゃんのほうが心配だよ」
「え?」
「……怖かっただろ?」
……わたしは一瞬間が開いてしまったことを恥じながら首を横に振る。
「大丈夫、わたしはやるよ」
痛い思いをした蓮が踏ん張っているんだから、わたしが泣き言なんて言えない。
「久賀院さああああん!」
ごっついメイクケースを持って麗香先生が飛び込んできた。ぽーんとメイクケースを放り投げてわたしに抱きつく。メイクケースは、ひぃってなった高瀬先輩がキャッチしました。
「なんか大変だったんですって!?ねえ無事なの?大丈夫?平気?」
「へ、平気です」
「ああ、とっても可愛い女の子なのに男装なんて!こんなひどいこと許せないわ!」
それは違う。
「いやこれはそもそも劇で高瀬先輩から命じられまして」
「ひどいわ、高瀬君!」
「ええ?俺?!」
なにか勘違いしている麗香先生にとにかくメイクを直してもらった。着崩れてしまった蓮の衣装は理事長と高瀬先輩でとりあえず力技で直す。「まあとにかくあと小一時間保てばいいわけだな!」と理事長が断言して、とりあえずはだけた部分をごまかした。。
オカルト研を出る間際に、理事長がわたしに言いにくそうに告げた。
「なあ久賀院」
「なんですか」
理事長は真顔だった。なんだかどきどきしてしまう。
「こんな時に言うことじゃないかもしれないんだが」
「なんでしょう……!」
まままさか。
『あの時、違う男に触られているお前を見て俺は、自分の気持ちに……』とかだったらどうしよう。だって蓮も高瀬先輩もいるんだよ!こんなところで……きゃー!
「……あのな、俺はやっぱり『おっさん』か?」
……。
「ストライクど真ん中でおっさんですね!」
自分の想像と違う言葉が返ってくるのはむかつくんだなあ、って思いながら、わたしは爽やかに肯定して、体育館に走っていった。
演劇終了後、わたしが衣装を取れたのは随分後になってからだった。
終わってから体育館を出ると、中学生くらいの女の子に取り囲まれてしまったのだ。
「さっきの劇、素敵でしたー!しゃ、写真一緒にとってください!」
って、女の子に求められて身動き取れなかったのだ。
いや、あのそれは嬉しいことなんだけど。でもなんか違う……。どうせ囲まれるなら、素敵な先輩とかがいいなあって思うんだけど……あれ、なんではわたしは女子を集めてしまったんだ?
「やあ、久賀院さん、もてもてだなあ」って言ってきた熊井先輩も交えて、一体何回写真とられたのかわからん。
何かが違う。
ようやく解放されたのは、文化祭も終わった夕刻だった。制服に着替えたわたしがむかったのは保健室だ。
扉を開けると、中はしんとしていた。多分さっきまで理事長はいたんだろうなという気配があったけど今はいなくて、夕日の差し込む保健室は静かだった。
「蓮?」
ベッド周りのカーテンを開けて、わたしは眠っているようにも見える彼に声をかけた。




