7-5
「きれーい」
文化祭実行院会倉庫から持ち出された、色とりどりの衣装を前に、わたしはため息を付いた。
文化祭まであと幾日も無い今日、いよいよ衣装を決めにきたのだった。選択の余地はさしてないだろうと思っていたのだけど、予想に反して、明らかに全チームの登場人物よりもはるかに多い量の衣装が会議室の机には積みあがっていた。
女房の十二単はもちろんだけど、刺身のツマ、もしくは結婚式における新郎衣装並に粗末な扱いだろうと思った源氏など、男性役の衣冠や束帯まで、けっこうな量だ。
「……本気なんですね」
「本気なんだよ、OBは」
そういったのは、熊井先輩だ。今日は二組チームの衣装選択日なんだけど、高瀬先輩は大道具のほうを見に行ってしまい、また蓮は蓮で部活があって、今日ここに来ることができたのは、わたしと熊井先輩だけだった。蓮はあとで高瀬先輩が付き合ってくるらしいけど。
「しかし、年々真剣みが増しているよ。以前のものは、着脱しやすいように、とりあえず十二単に見えるけど、本当はホックとジッパー使っていたりしたんだ。でも、今じゃかなり本物に近くなっているもんな。脱ぎ着が大変で困る」
熊井先輩は「唐衣・鉛丹」と札が付いた衣装を広げてみる。
「まあまず久賀院さんの源氏の色合いを決めて、それに僕と鳥海があわせる感じかな。御息所と葵の上はなるべく反対のイメージを持ってきたほうがわかりやすいよな。本当は、季節や年齢によって着ない色とかあるんだけど、まあイメージも大事だからね、演劇は」
さすがに三年目ともなると、コツがわかっているらしく、熊井先輩は自分なりの提案があるみたいだ。よし、熊井先輩におまかせしよう!
「去年は先輩は何を着たんですが?」
「去年は夕顔だったからね、一度着替えて最終的には紅の薄着。一昨年は紫の上であれはなんだっけ、たしか紅掛空色」
「え、先輩、紫の上までやったんですか」
「一年生の頃は小柄で童顔だったからね」
今となっては想像もつかない大人びた美しい微笑を先輩はわたしに向けた。
「だから、けっこう大変だったんだ」
「なにがですか?」
「上級生に襲われそうになったりして」
「ぎゃー!本当ですか!?」
恐ろしい、いくら男子校とはいえ、なんてこった。
「まあ遠くの女子より近くの美形男子だっていう気持ちはわからなくもないけど」
……自分で美形って言っちゃうところが熊井先輩だな……。
ま、僕に手を出そうとして逆襲されなかった人間はいないけどね、何人いろんな濡れ衣着せて停学処分にさせたかなあ……と熊井先輩は続けた。つっこめないけど怖い話だ。
「だから紫の上をやって、正解は正解だったんだ。あれで、僕によからぬことを考えている奴が結構あぶりだされたから、一網打尽。まあちょっとした騒ぎにはなったけどね。化学の梓先生っているだろう?あの先生、その頃の担任だったんだけど、その騒ぎを収めてくれたんだ」
「へー」
梓もやっぱり生徒のことを考えていたんだ……。
「『熊井に性欲向けるバカは、己の恥を知れ!若いんだから雑誌とか映像で妄想を補完しろ。熊井に迷惑かけるな!そんなにヒマなら化学の補習にぶち込むぞ!ただ、熊井を本当に好きな奴のことは僕の知ったことじゃない。相手に礼儀正しく自由恋愛しろ』だってさ」
「……なんだかいい話になりませんね……?」
「だよね。とりあえず、面倒だから一気にかたをつけようとして、僕を源氏に放り込んだのはそもそも梓先生だし。でもその騒ぎ後から、いきなり身長伸び初めて、残念なことに美少年は美青年にクラスチェンジしてしまいました、というわけ。ファンクラブもあったくらいで、僕の成長を悲しんだ先輩も結構いたんだよね」
だから自分で美形って言っちゃうのはどうしてよ。
「だからねえ、久賀院さんが心配だったんだ」
熊井先輩の手は休まずに衣装を開いて検討しているけど、その言葉は真剣だった。
「周囲に対する警戒の必要性は僕の比じゃないだろう。小柄でも僕は男だったから、馬鹿を殴って逃げることも出来たけど、本物の女の子は非力だ。妹とか彼女をみていると、女の子の手って本当に細くて心配になる。あんな華奢な骨格でよく体支えているよなあ。だから、一応高瀬に頼んでおいたんだけどさ」
「え、頼むって?」
「五月に薬師寺先生がらみでいい塩梅に久賀院さんと友達になったって言っていたから、それとなくカバーしてやれって。でも高瀬の出る幕はなかったみたいだな。ナイトが二人もいれば」
「ナイト?」
「鳥海と王理」
一成君のナイト姿を想像して、うっとりしかける。でも、蓮はどうかなあ……。
「王理はともかく、鳥海は頼りになるよ」
熊井先輩はわたしが思っていることと逆のことを言う。はて、と首をかしげたわたしだけど、熊井先輩がさて衣装を選ばないとね、と話を変えてしまったので、そこはつっこみそびれてしまった。
でも、熊井先輩っていい人だなあ。源氏の件がなかったらわたしが熊井先輩と話すこともなかったけど、ちゃんと気にしてくれる人はいるんだ。嬉しいな。若干口は悪いけど本当に嬉しい。
「熊井先輩、気を使ってもらってありがとうございます」
わたしが横で頭を下げると、熊井先輩は苦笑いした。
「そういわれると、良心が痛む。本当は、高瀬とくっついて欲しかったから」
「ええ。高瀬先輩とわたしが!?それはありえませんよ!」
「高瀬もなあ……なんで無理めの女ばっかりいつも好きになっちゃうのか……。もし五月のときに久賀院さんを好きになっていれば、結構いい展開になったと思うんだけどね」
「ないですよ」
「おっ、すごい真顔だね」
高瀬先輩には、どうにもならなさそーな恋愛仲間ということで親近感はありますが。
「まあ、今となってはしかたない」
と、ノックも何も無く、実行委員会のドアが開いた。ぎょっとしてドアを見るとそこにはなぜか梓が立っていた。
「なんだ、ウ……久賀院だけじゃなかったのか」
「どうしたんですか、梓先生」
わたし達も梓がいきなり入ってきたことに驚いたけど、梓も熊井先輩がいることにびっくりしたみたいだった。
「いや、久賀院が衣装選んでいるなら、ちょっとつきあってやろうかと思っただけだ。熊井がいるなら別にいい」
「えー、梓先生珍しいこともありますね。そんな親切なんて。自分が担当するクラスの連中には結構冷たいのに」
「野郎連中に優しくしてなにかいいことあるのか?」
「ありませんが、教師なんだからそのくらい奉仕してくださいよ」
「僕が一番うんざりする言葉は、奉仕するとか尽くすとかだ。ちなみに奉仕されるのと尽くされるのは好きだ」
「奇遇ですね、僕もそうです」
どきどきする、どきどきするよ!二人の会話を聞いているわたしの心臓にクる。
熊井先輩と梓って、なんか方向性が似ているのか?お互いがお互いの調子を譲らないと、こんな心臓に悪い会話が聞けるのか。ひー、一般的感覚をもつわたしはこの場にいるのがつらい。
「久賀院は、熊井と結構仲がいいんだな」
小さくなって梓の視界からフェイドアウトしたかったのに、それはかなわず梓に会話をふられてしまう。いやだー、わたしは会話はもっと和やかにしたいんだ。
「は、はい。熊井先輩には親切にしてもらってます」
「そうだよね、僕と久賀院さんは、今度の学園祭の花だよね」
と、熊井先輩がなにを思ったかひょいとわたしの肩を抱いてきた。咲きこぼれる花のような笑顔で梓に向かっていう。
「いやー、僕も一年生のころは、ちょっと目立ってましたから久賀院さんの気持ちが良くわかるんです。久賀院さんは女子一人、もっと大変だろうから、僕や高瀬でフォローしてあげたいと思っているところなんです!って言っても別に女子だからどうじゃなくて、可愛い後輩としてですけどね。ね、久賀院さん、ほんと僕はこんな可愛い後輩ができて嬉しい」
熊井先輩はそりゃもう爽やかな笑顔だった。
でも。
今、なんか空気凍らなかった?
「そうだな。先輩後輩の仲がいいのは良いことだ。久賀院」
梓の目がなんか絶対零度っぽい何かを放射しているようですが。何、わたし何かした!?
「じゃ、僕はこれで。そうだ、もう暗いから気をつけて帰れよお前ら」
はーいって返事をした熊井先輩は、梓が出て行くとさらりとわたしの肩に回していた手を外した。
「ごめんね、急にスキンシップ過多になっちゃって」
「あ、いえ別に。熊井先輩くらい美人だと、なんていうかむしろ男を感じないって言うか……あの、嫌な意味じゃなくて、ほんと綺麗だなあって感動しました。とりあえずいい匂いがしました!」
「梓先生は僕に『男』を感じたみたいだけどね。ちょっとカマかけてみてよかった」
そう言って、熊井先輩は、楽しそうに声をあげて笑い始めた。ほんっとにおかしくてたまらないみたいな。
「珍しい。三年近く梓先生見ているけど、あんなに感情むき出しの梓先生みたことないよ。僕に相当ムカついているみたいだったよね。あーよかった、受験科目化学にしなくて」
「えー、いつもどおりですよ?」
「うんうん、久賀院さんはそのままでいいよ、気が付かないで。いやー、ちょっとこれ面白いわ。受験勉強の息抜きに最適。あんな梓先生を放置して見ないフリなんてもったいないことできない。うわー、あの梓先生いじめることが出来たら最高だろうなあ」
あんた命惜しくないのかよ!
「先輩は梓先生のこと嫌いなんですか?」
「嫌いじゃないよ。教え方はうまいし、なんだかんだ言って面倒見いいし、僕と考え方も似てそうだし。でも、だからこそ、ちょっとあの余裕がつまんないなあとか思うんだよね。それに、源氏のことも積年の恨みといえば恨み。まあここまで来たからにはミスコン三連覇を目指すけど、やっぱり女装させられたのは男としては面白くないよね」
それは、同じS同士、似たもの同士なのがムカつく近親憎悪なんでは……。いやー!巻き込まれたくない!どう考えても当人達より周囲の被害が甚大だ。
「さてどうするかな。高瀬が鳥海を気に入っているからそれに便乗して、鳥海の味方をしてもいいんだけど、鳥海の単純さじゃ梓先生にぶつけるのは心もとないな。そしたら僕は王理につくか……でもなあ、あいつちょっと問題あるしなあ……しばらく様子見るか」
「せ、先輩。言っている意味はわからないのですが、なにか企んでる?」
「うん」
ああ、こんな時でも熊井先輩の笑顔は美しい。
「ねえ、久賀院さん、僕は一度くらい、梓先生の動揺したところを見てみたいんだよね。面白そうだから」
一字一句間違いなく、まるっとわたしも賛同したい!
でも。
「……それ、どう考えてもわたしを巻き込みそうな気配があるんですけど」
「ああ、そもそも渦中だよ。いまさらー」
「なんで!?」
「あらら、本当にさっぱり気がついていないのか、梓先生も気の毒に。ま、でもそのほうが見ているほうは面白いけどね。高瀬も薬師寺先生のことをネタに散々からかったけど、そろそろ飽きてきたところなんだよね。次のターゲット見つかって僕は嬉しいよ。いやー面白くなってきた」
熊井先輩を見たとき、本当に花のような美しさだと思った。
その花はやっぱり猛毒でした。




