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王理(旧男子)高校にようこそ  作者: 蒼治
act7 九月、熊井先輩は三連覇を目指す
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7-4

 一成君は、なにかのチェックリストみたいな厚い台帳を持っていた。そういえば一成君はクラス委員だったっけ。文化祭は文化祭実行委員会だけじゃなく、生徒会も中心になっているからそれに伴ってすごく忙しい毎日を送っているらしい。

「梅乃ちゃん?!」

 わたしが現れることを一成君のほうも予想していなかったようで、つんのめるようにして足を止める。

 気まずい。

『わー、二人で話すのってひさしぶりだね!ごめんごめん、夏休みにキスされそうになっていら気まずくて、ぶっちゃけ二人になるの避けてたんだー、ごめーん』と、鈍感力など屁でもない無神経発言を心の中で踏み潰して、わたしはうつむいた。

「い、忙しそうだね」

「まあね」

 一成君もちょっと困ったように笑った。

「源氏の練習?」

「うん……」

「そうか、大変だね。どう、楽しい?」

「楽しい。この間、衣装を見せてもらったけど、すごく立派だった」

 文化祭実行委員会の会議室にはものすごく大量の着物が丁寧に保管されていた。どうも、歴代卒業生たちの寄付金によってまかなわれているらしい。高瀬先輩から聞いたのだけど、源氏物語の衣装購入費に当てるようにとの指定がついてくる場合もあるとのこと。

 ……やっぱりこの学校、趣味が悪い。


「聞いたんだけど、『葵』なんだって?大変だね」

「ありがとう。でも演劇も楽しいよ。ようやくダメ男の気持ちも理解できそう」

「は?」

「ううん、こっちの話」

「梅乃ちゃんが着るならどんな女房の衣装も似合うだろうなあ。御息所?葵の上?」

「えへへ、秘密」

 実はわたしが『光源氏』だということは、当日までの秘密にしようと高瀬先輩が言ったのだ(『そのほうが面白いから!』と爽やかに言う高瀬先輩の人生の基準は謎だ)。だから他のクラスだけじゃなく、同じ二組でも演劇担当者以外は誰も配役を知らない。

 梓が知っていたのは想定外なのだけど、あいつの洞察力は魔物だから……。


「あのさ」

 一成君はようやくちゃんとした笑顔を見せる。

「よかったら、一緒に帰らない?これ、生徒会室に置いてきたら、帰れるから」

「あ、うん」

 多分、あの話になるだろうなあ、とは思っていた。でもいつまでも、言いにくいことを言わないでぐずぐずしているわけにもいかないし。

 一成君はあの変わらない笑顔で、待っていてと言うと、階段を上っていった。校門で待つことになったわたしも、すっかり静まり返ったそこで一成君との会話をイメージトレーニングする。

 一成君がきたらまず、生徒会関連の仕事も忙しいねって、彼をねぎらうことにしよう、うん。多分一成君は、梅乃ちゃんこそ大変だよって気遣ってくれるから、一丁謙遜するわけだ。で、源氏とか、高瀬先輩とか熊井先輩とか蓮の話をして場を和やかにしよう!会話が途切れたところで、一成君がきっと気まずそうに例の件の口火を切るだろうけど、その頃にはもう寮にかなり近いはずだから、とにかく「ごめん、一成君とは友達でいたいの」って言い切って脱兎だ。

 で、明日普通に話しかけよう。

 一成君は大人だから、多分普通に接してくれるはずだ!

 以上、スーパー楽観的人生プラン。

 でもでも、どうやって断ったらいいかなんて、わからないよ。この世には『ごめんねぇ~ん、ルパァ~ン』の一言で全て許される女もいるけど、多分わたしはそうじゃない予感。なので無言で逃亡させていただこう。


「ごめん、おまたせ梅乃ちゃん」

 鞄を持った一成君が、にこにこしながら現れた。よし!この和やかな雰囲気なら、逃げ出さなくても一成君は深く追求しない気がする。

「梅乃ちゃん、ところで俺、まだ梅乃ちゃんから返事もらってないんだよね」

 よし、ここで、そんなことないよー、劇の練習も楽しいよ、って…………いきなり本題ふってきた……!

「夏休みのときは、無理やり迫って悪かったけど、でも俺、梅乃ちゃんが好きなんだ」

 イメージトレーニングが台無しだ……。

「あ、あの、わたし」

「梅乃ちゃんはさ、俺を嫌いかな」

「き、嫌いじゃないよ……」

 日が落ちるにはまだ早いけど、薄暗くなった道をわたしと一成君は歩く。

 寮が、いまだかつてないくらい遠い。もしかして今見えているあれは蜃気楼かと思う遠さだ。

「友達としては嫌いじゃないみたいな感じだよね。ありがと。でも彼氏として好きになってはもらえない?」

 一成君は怒りもなにも見せず、抑制された口調だ。

 なんかちょっとよくわかんないんだよね。一成君、わたしを本当に好きなのかな。六月に蓮に言われた時みたいな、上っ面な感じはしない。でも一成君、なんだかあまりにも冷静で。

 もしわたしが、何か血迷って好きな人に告白するような気持ちになったなら、もっと動揺している気がする。今、そんなこと考えただけでも最高にこっぱずかしくて、奇声を発しながら駆け出したいもの。無理、無理無理。

 でも、一成君からはそんなかっこ悪さはかけらも感じない。

 それは一成君が王子様だからなのかな。

 王子様はなにがあろうとも微笑みを絶やさず、優秀な成績で卒業して、友人からの信頼も厚く、スポーツも万能で、新婦とは共通の友人の紹介で出会い、お互いに一目ぼれだったそうです……て、途中から結婚式の新郎新婦紹介になっている場合か!


「あの、わたし」

「いいよ、あのさ、友達としてしか見られないならそう言ってくれて」

 まさにそう言いたいけどなんだか後ろめたい……。

 だって一成君は、入学してからずっとわたしのそばにいてくれて、クラスで浮かないようにとか、一人にならないようにとかすごく気を使ってくれていたというのに。

 一成君は別にわたしに詰め寄ったりすることもなく、穏やかなまま。低くなった太陽の光を受けているその端正な横顔は、いつもと同じ微笑を浮かべている。そういえば一度も一成君が怒ったりしたところをわたしはみたこともない。蓮に襟首つかまれたときにちょっと不愉快そうにしただけ。

 一成君は、怒ったりしないのかな。

 悲しんだりすることも、ないみたいだ。

 多分今、わたしが、一成君と付き合えないって言っても、普通に「そっか、ごめんね」って言って少し切なそうに笑うだけなんだろう。なんだか予想していたみたいに。

「……わたし」

「誰か他に好きな人とかいるの?」

 先読みはやめてー。

「す、好きな人なんて」

「蓮?」

「へ?」

「ああ、違うんだ」

 あっ……て。

 わたしは気がつく。皮肉な事に一成君の問いかけで。

 今までどうして気がつかなかったんだろうってことに。

「だったら……」

「一成君」

 わたしは一成君の言葉を遮るように言葉を発した。

「ごめん。わたし、一成君とはつきあえない」

 ものすごく早口で言ってわたしはうつむく。うつむくことで、一成君の次の言葉を許さない自分のずるさが嫌だったけど、でも一成君にさらに問われることを避けたかった。

 多分、わたしは一成君の次の言葉が怖かったんだ。


『蓮じゃなければ、梅乃ちゃんが好きなのは理事長?』と問われることが。


 一成君は足を止めた。自分の長い影を見つめるように一瞬視線をさげ、そして顔をあげた。

「そうか、まあ仕方ないよね」

 予想通り、さばさばした顔で一成君はそうまとめる。

「ご、ごめん」

「謝らなくていいよ。ごめんね、嫌なこと言わせてしまって。あのさ、このまま気まずくなったりするのは嫌だからさ、今までどおり友達でいてくれる?」

「うん」

 わたしは首がもげそうな勢いでうなずく。

 ありがとう、一成君。わたしが言うことじゃないけど、ふられてもこんなに爽やかな人が存在するなんて。春の高原のように爽やかだ。

 でもわたしはすごく今更なことに気がついて、一成君のことをそれ以上気遣うこともできなかった。

 そのまま少し気まずいまま、でも普通に世間話をして一成君と寮にもどったわたしは、相変わらず自分の部屋の前にあるテントと、そこで生徒と話をしている理事長を見つけた。

 おそいぞ久賀院、とかいう理事長の毎日の小言が少し嬉しかったんだということに気がつく。まあもちろん内容は右から左に聞き流すんだけど。

 

 そうかあ。

 わたし、理事長を好きだったのか。


 図星を指されるのが怖くて、一成君の指摘を聞きたくなかったのか。

 自分の気持ちに気がついて、驚くというよりもようやく腑に落ちた感じだった。理事長は人相が悪くて、性格も無駄に頑固で、考え方も白亜紀で、ちっとも理解できない。いいところ、と聞かれたらすぐに答えられるのは、自分の持ち物に名前を書いているのが可愛い、くらいしか即答できない。えーとちょっとまって、もう少し考えたら他にもあると思う。

 でも、腑におちた。

 どう考えても理事長よりも一成君のほうがわたしにとって理想なのに、なんだか知らないけど明らかに好みとは別な人を好きになってしまうこともあるんだ。

 浮気しない人がいいなんて、普遍な女子の好みなんだろうに、明らかに「こいつやべー超チャラ男!」ってオーラ満載の光源氏を好きになってしまうこともあるのだろう。ごめん、葵ちゃんに紫ちゃん、御息所に明石に花散里、他源氏物語ご登場の女子の皆さん。

 わたしも、趣味の悪い女子の一人だった……。

 理想と違っても、わたしは理事長がどうやら好きみたいだ。

「なんだ久賀院、ぽかんとして」

「ミクロの世界を探検してました」

 理事長のいいところ探しのことですけどね。

「そうか、視力がいいのはなによりだ」

 なんだか意味不明にうなずく理事長に、わたしも「はあ」とか曖昧に返事を返した。


 わたしのはじめての恋はなにやら冴えない調子で始まった。


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