7-1
「ってことでー、うちのクラスからの代表は久賀院さんと鳥海と他三名で決定。じゃ、次、クラスの出し物だけどー」
え、なにが何に決まったって?
さっぱりクラス会議を聞いていなかったわたしは、慌てて顔を上げる。そのとたん、教壇で司会をしていた一成君と目があって、きまずくなったわたしは反射的に目を伏せた。
黒板には『第92回文化祭について』って書いてあったような気がする。
九月の半ば、秋の気配がしていた。
「ま、仕方ないよなあ」
廊下を歩く蓮は微妙な顔をしていた。
わたしは放課後よくわからないままに蓮に連れられてその集合場所に向かっていた。
「でもまあ、ウメちゃんが一緒だから、確率は下がるよな。どうか、裏方ですみますように」
「なんのこと?」
「腐れイベント」
蓮は肩をすくめた。
「文化祭はさ、当然各クラスやら部活やらでなにかやらなきゃいけないんだけど、それとは別に学校としてのイベントがあるわけさ」
「ふーん」
「学年を超えた人間関係を、とかいう寝言で三学年合同で、クラス単位での出し物があるんだよ。うちはA組だから、二年A組と三年A組と一緒にやることになるんだ」
良いことではないか。
やはり、同じクラス同じ学年で固まっているのは世界が狭くなる。先輩後輩との交流はちゃんとしておかないとね。
「具体的には何をやるの?」
「劇。演劇だよ。しかも、源氏物語54帖のうち、好きな場所をピックアップしてやるんだ、これ四十年以上続いている伝統らしいよ」
「へえー素敵じゃない」
「全然」
蓮はため息をついた。
「源氏物語って、光源氏以外、ほとんどメインに男は出てこないんだよ!去年まで男子校だった学校で意味するところってわかる?」
「えーと……近くの女子高から可愛い子をゲストで呼ぶとか」
「っとに少女マンガ脳だなあ。男子校にそんな素敵なイベントなんてあるもんか。運の悪いヤツが女装するの。しかもそれは女装のミスコンも兼ねてんの」
「……腐ってる」
「だろ?」
まあ、わたしは楽しみだけど。食べ物だって腐る直前がおいしい。
「でもまあ、今年はうちの勝ちだな」
「なんでその自信」
蓮は立ち止まってわたしをまじまじと見た。
「そりゃ、ウメちゃんがやれば、キモむさい野郎連中の女装じゃ太刀打ちできない姫君ができるって算段ですよ。あ、ちなみに勝つと、学食の無料券がもらえるよ」
「素敵!」
ちょ……そしたらいままで勇気がなくて頼めなかった、特定食1980円も頼めちゃう……?さらにそこにハーゲンダッツつけてもオッケー?
「そうだよなあ。ウメちゃんがいるなら場面を選びたいよなあ。例年はお笑いとるために、『末摘花』が結構多いけど、ちゃんと美人が出る章だっていいよな。『夕顔』とか『明石』とかさ。『若紫』……じゃ、さすがに紫の上は十歳くらいだから無理か」
「……詳しい……」
「あ、うん。前付き合っていた彼女で、源氏物語研究していた女子大生が……」
そこまで言いかけて、はっと蓮は口を閉じる。気まずそうにちらりとわたしを見た。
「いや、ほらアレだって。あの事件よりずっと前!今はもう身奇麗なもんだって」
「……蓮は」
わたしはため息付きながら言う。
「いいなあ、蓮は。わたしも蓮ぐらい、何も考えずに生きていられたら……うらやましい」
「声は羨ましがってくれてるけど、言葉は釘バットだな」
実は、一成君とはやっぱり妙に気まずい。
夏休みはあの一件から一度も会わなかったんだけど、新学期、一成君は普通にまるで何も無かったかのように接してきたのだ。ていうか、そのナチュラルな感じがさらに気まずさをアップさせるのだー。
いや、もちろんわたしが、一成君と付き合えば、特に何事もなく、普通のラブラブカップルが一組出来上がるだけなんだけど。晴れた日曜日には二人で遊園地行って、雨の日は二人でどっちかのうちで音楽聴いたりして。もちろん最初のわたしの誕生日にはシルバーのリング、二十歳に時にはきっとプラチナ。就職したらちょっと豪華なレストランで食事させてね。で、プロポーズは素敵なワインを傾けながらいつの間にか計られていてサイズがぴったりな婚約指輪を差し出してもらいたいっておい!どこまで行くのだわたしの妄想。
一成君が嫌いとかじゃない。
何かが違うなあって思うだけなのだ。理想だけど、現実じゃない感じ。
「あのさー」
夏の間に少しだけ伸びた髪をかいて、蓮がわたしを見下ろす。
「一成となんかあったの?」
「ナナナナナナニモアリマセンヨ」
暑い中行き倒れそうになっていたら、急にちゅーされそうになりました、なんていったら熱射病による幻覚だと思われそうだ。
「ウメちゃんはあいつをどう思っているの?」
う、なんか不吉な感じ来た。
ここしばらくその出だしからの発言はろくな展開にならない。あーそうだ、どうするんだ、梓のことも理事長のことも!
「一成と付き合うの?」
「そんなこと蓮には関係ないよーだ」
「関係なくないんだけどなー」
ぼそっと言った蓮は、曖昧に笑った。
「俺、今資格失効中だけど」
「は?」
「いや、こっちの話。さて、そろそろ入ろうぜ」
わたし達が立っていたのは、三年生の教室の前だ。その源氏物語の会議があるから。開いているドアから足を踏み入れて、わたしはそれをひっこめた。
「間違えました」
「いや、ここだから」
にこにこと満面の笑みで座っていたのは、高瀬先輩だった。
「なんで高瀬先輩が……」
「にねんえーぐみだから」
「これ以上ないくらいの理由ですね……」
胸張って校章を見せなくて良いです……。
不吉な展開、不吉な人選、そしてなにやら暗雲立ち込めるイベント。
厄介事フラグたちました。うわー、しかし高瀬先輩には係わり合いになりたくない……悪意はないけどトラブルメーカーだ。
「さて、話し合いをしようか」
どうやら二年生がメインになるらしくて、高瀬先輩が中心になって話は進んでいく。
でも、久賀院さんがヒロインなのはもうきまりだろ、と三年生が言った。
「だったら彼女のキャラクターに会いそうな話を選んでからのほうがいいだろう。どの話を選ぶかによって、ヒロインも変ってくるだろうし」
「熊井先輩がいるから、二人くらいヒロインがいてもいいんじゃないか?」
熊井、という名前が出て、わたしは教室の中を見回した。けれど誰も自分だと言う反応をする人はいない。
「ああそっか、熊井先輩は去年と一昨年のミスコン一位でしたっけ。今日は?」
「今日は欠席」
熊井か、と三年生がうなずく。
「あいつここまできたら、三連覇しますよ、とか言っていたな。笑顔が怖かった」
「やっぱり一年生のときに無理やり出したのを、未だに怒っているのかもしれん」
たたりじゃ、と言わんばかりの顔でひそひそと三年生が話しているが、一応会議は続いていた。
「じゃあ『須磨』?あれなら紫の上と朧月夜が」
「えーと、俺ちょっと考えてきたんですよね」
高瀬先輩は立ち上がると、黒板になにやら書き始めた。
六条御息所
葵の上
光源氏
「それって『葵』じゃないのかな」
蓮が首をかしげる。
「割と女の業むき出しの巻なんだよねえ。あんまりウメちゃんぽくないな。ウメちゃんは業なんて食べたこと無いだろう?」
『業』……よっぽどわたしが知らないものだと思っているな……?
「毎日朝ごはんに、漬物と一緒に出てたけど?」
わたしと蓮がそんな話をしている間に、高瀬先輩はその配役を書き始めていた。
葵の上に、熊井先輩。
六条御息所に蓮……はあ?
「えええええ、ちょっと待ってくださいよ!なんで俺が!」
「鳥海は背がでかいから舞台栄えしそうだ。目鼻もはっきりしているし」
「つーか、メイン二人が俺と熊井先輩って……じゃあウメちゃんはどうするんですか。ウメちゃんじゃミスコンで一位になれないとでも?いやだ、高瀬先輩ひでえ!みんなのウメちゃんの『姫』がみたいという気持ちを踏みにじりやがって!」
い、いや蓮、そんなにアツくならなくても。
「梅乃ちゃんが姫をやれば、一等賞は間違いない!」
高瀬先輩は断言した。
「しかし、そんなわかりきった勝負、つまらん。俺は勝てる勝負も負けてみたいM属性だ!」
この人キモい!
貴様の属性なんてどうでもいい!問題は学食タダ券だ!邪魔するなら、高瀬先輩だって許さない!
わたしの疑問と抗議むき出しの視線を背に、先輩は最後に黒板に書き足す。
光源氏 久賀院梅乃。
「どうよ、面白くなりそーじゃん?」




