6-7
「どうした、貧相な顔をして。おっと間違えた、悲壮な顔をしてだ」
出会い頭に絶好調の罵倒か。
わたしは、相変わらず底意地の悪そうな表情を浮かべている梓を見る。どう考えても今の梓の顔からは、十年愛を貫く純情は見えてこない。どちらかというとそれを邪魔する側だ。
睡眠不足のわたしは非常に機嫌悪くそう考えていた。
今は理事長と泊まった旅館から帰ってきたところだ。約束どおり梓は駅で待っていて、理事長は一足先に寮に戻ることにしたようだ。わたしと理事長が昨日一緒に出かけるところは寮生に見られている可能性があるので、翌日に一緒に帰ってきたらまあいろいろとよろしくないだろうと、理事長が勝手に配慮してこうなった。
梓の家か実家か、とにかく一晩おいて寮に戻ってくるよう言いつかった。
別にいいのにな。
でも理事長はわたしとそんな噂がたったら迷惑なんだな。
い、いや別にわたしも好き好んでたてたいわけじゃないよ!でも、でもでも。
「なんだ、ウメ、いらないのか?」
梓はカフェのメニュー表でわたしの頭を叩いた。うっ、カドで叩きやがった。
「いる、いります!」
わたしの体重に関して、グラム単位で管理している梓が、今日はケーキを食べても良いと言ったのだ。
断言しよう。
百年に一度の出来事だと。
「で、どうなんだ」
梓にとりあげられないうちにと、木苺のムースを丸呑みしているわたしに梓は聞いてきた。なんだろう、このケーキの感想かな、そういえば新製品だし。
「八重子さんの墓は質素なもんだったろう」
き、木苺が気管につまりそうになった。
「どうせ、十郎のことだ。僕の殊勝なところを見せようとでも思って、ウメを連れて出たんだろう。そのくらいわかる。それであのボロ車が高速に耐え切れず、火でも吹いたか。で、帰るに帰れずやむなく一泊というところか?なあ仮にも理事長なんだから、十郎もいい車に乗ればいいのにな」
見ていたのか?梓、昨日のわたし達を見ていたのか?
そら恐ろしいほどの梓の洞察力に、わたしが背筋を凍らせていると、梓がさらに畳み掛けてきた。多分梓には、手加減とか容赦とかいう言葉はない。なんていうか、梓には教師以外に向いている職業が絶対あったと思うよ?殺し屋とか、始末屋とか、取立て屋とか。
「で、どうした。理事長に迫られなかったのが不満で、不機嫌なのか」
「な!」
やっぱり見ていたのか?どうしよう、あとで一人になったら、なんか盗聴器とか仕掛けられてないか調べよう。
「まあウメはどういうわけか色気と言うものが皆無だからなあ。それは間違いなくあのお父さんから受けついたんだろう。遺伝に関しては一勝一敗ってところだな……美形だが色気のない人間と、普通だけど色っぽい人間だったら、どっちが得だと思う?」
「そ、そ、そんなことない!」
わたしは梓をにらむ。
「理事長だって、この美少女の久賀院梅乃の魅力にころりですよころり。だから今気まずくって別々に帰ることにしたんじゃないですか。もうわたしは大人の階段上ってしまったシンデレラですよ」
「二重の意味で無駄なことをするな。僕に見栄はってどうしたいんだかわからんし、そもそもバレバレの見栄をはるな。気力の無駄遣いだ」
うう。
だって、なんだか悲しいじゃないですか……。
こんなに毎日隅から隅まで頑張っているのに、誰かが好きになってくれるわけでもなし、理事長なんて一晩一緒にいたって何も思ってないですよ。わたしのことよりも梓のほうが全然大事みたいだし。……わたしの女子としてのアイデンティティが揺らぎそうですよう。
「まあ十郎はモラルの鬼だからな。生徒に手を出すなんて、世界が滅んでもありえないだろうよ」
悪魔に鬼呼ばわりされるなんて理事長もかわいそうだ。しかしその悪魔はわたしがしょんぼりしているにも関わらず、追求の手を緩めない。
「しかしなんだ、ウメはまるで理事長に何かして欲しかったみたいじゃないか」
「は?」
「誰でもいいから手を出してもらいたいなんて性格でも無いウメが、こんなにしょぼくれているのは十郎のせいだとしか思えないが?」
理事長、が……わたしにとってなんだって?
突き刺したフォークの先からムースの欠片が皿に落ちた。
「梓先生」
「なんだ久賀院」
「今の先生のご意見ですと、わたしが、まるで、理事長を、すすすすすす」
「好きなんじゃないのか?」
何言ってんだこの愚鈍とばかりに侮蔑の表情を浮かべたまま梓はコーヒーを飲む。
好き?
鋤とか鍬の誤変換じゃなくて?
「……それはない!」
思わずわたしは立ち上がって主張してしまう。静かなカフェにわたしの声が響いた。
「うるさいぞ、ウメ」
「わたしが理事長をすきだなんて……そんなの美形じゃないジャニーズメンバーくらいありえないよ」
「……いや、そういうメンバーも、たまにいるだろ……」
ともかくへなへなと座りなおしたわたしは、何より先にとムースを食べつくした。本日の仕事はこれにて終了。もうおうち帰って眠りたい。
「でも、僕は、ウメが十郎と付き合うなんてことには大反対だ」
もう何も考えたくないと思ったわたしに、梓が爆弾投げつけてきたのはその時だ。お願いだから会話のキャッチボールは普通の球を投げてくれ!
「なあ、ウメ。ちょっと正直に話そう」
梓はじっとわたしを見つめる。
「お前、十郎を好きなんだろう?」
えっと……なんか梓にまっすぐ目を見られながらそういわれると、むしろそんなような気もしてきてあれ、そうなのかな……ってこれもしやマインドコントロール!?
「そんなことない、好きじゃない!」
大体一晩一緒だったっていうのにわたしに対して無関心な人間好きになったって、しんどいだけじゃない。やだやだ。そもそも理事長のあの旧態依然な考え方と相容れるわけがない。
よおし、梓の洗脳を打ち破った!
「好きになる気も無いか?」
「なんで梓にそんなことまでイチイチ……」
「それなら安心して、頼める」
至上空前の嫌な予感がした。
「この間いったように、ちゃんと王理一成と付きあえ」
的中!しかも頼みごとじゃなくて、きっちり命令。
「もちろん僕は、十郎のことも心配は心配だ」
梓はまっすぐにわたしを見ていた。
「墓に行ったなら、あれが誰の墓でどんな存在かも知っただろう?十郎はずっと八重子さんの死に責任を感じ続けているんだ。あいつがあんな偏屈になったのも、多分あの事件のせいだ」
いや、多分性格はナチュラルボーンだと思うけど。
「あの日、八重子さんの事故の知らせを受けたとき、たまたま僕は一緒にいたんだけど、十郎の茫然自失っぷりといったらなかった。遺体を見ても加害者を見ても、何かを爆発させることもできないで呆然としていて見ていられなかったよ」
理事長が語る梓のあの日。
梓が語る理事長のあの日。
それはもちろん主観によって違っていた。
でも、二人ともなんらかの傷を負ってしまったことは同じ。……いやなおそろい。
「多分あいつは大事なものが出来るのが怖いんだ。また失ってしまうのが怖いんだろう。女性とうまくいかないのも、あいつが自分で無意識に避けているせいじゃないかと思うんだ。それに僕は、あいつが好きだった仕事も結局奪ってしまったからな」
梓は淡々と語るけど、わたしが始めてみる苦い響きに声は染まっていた。
いきなり背後から切りつけられたみたいな事件だったんだなあって思う。切りつけられて深い傷だっていうのに、背中だから他の人間の傷は見えても自分の傷は見えないんだ。
「だからこそ、王理高校だけは遺したい。八重子さんがいた唯一つの証のように僕には思える」
梓の顔は真剣なんて言葉では足りないくらい、鬼気迫っていた。
「ウメにはプレッシャーをかけるけど、王理の初の女子生徒として文句の付けようが無い学校生活を送って欲しい。もしウメが十郎のことを好きなら、それは諦めてもらいたい。理事長では、うっかり公になったら普通は許されないんだ。十郎個人のためにもそんなことあってはならない」
「別にわたしは理事長のことなんて……」
とっさに言った自分の言葉になぜか胸が痛んだ。
「それならいい。ちゃんと、無難な王子様と付き合えよ。王理一成でなくても、鳥海蓮でもまあ、許容範囲だ」
「だからどうして個人特定……」
しれっとしていた梓は、そうだと何かを思い出したみたいだった。
「これを持っていろ」
梓がテーブルの上に出したのは、銀色に光る鍵だった。
「なにこれ」
「うちの鍵。複製作るのは結構手続きが煩雑なんだ。ありがたく受け取れ」
「……ナチュラルに恩を着せられているんだけど、なんのこと?」
「確かにウメの実家は遠いからな。寮に戻れなくて、しかも行く場所が無いときは勝手に入っていいから僕のマンションに泊まれ。警備員には妹とでも言っておく。この間みたいに鳥海の家に無防備に入り込んだり、今日みたいに迎えに越させられるんじゃ僕がたまらない」
鍵まで高そうな梓のマンション。
「……普通こういうのって彼女に渡すんだよねえ……一生徒に渡していいの?」
「奴隷にも少しはいたわりを忘れないのが僕の長所だ」
ヒトサマを奴隷呼ばわりする事そのものは、ずばぬけた短所ではないのか。
「どうしたなんか納得していないような顔をしているぞ。本当は僕の彼女よばわりされたかったのか?」
ほら、ろくでもないこと言いやがって。
「そんなことありません、全然ありません」
こういうやつにははっきり言うべきなのだ。
「……そうだな。ないだろな」
あれっと思った。何かが一言足りない。
ウメのくせにとか、バカウメとか、もっとシンプルにバカとか。
どうしたの梓。相手がわたしだって忘れてしまったのだろうか。
じっと、わたしを見ていた梓は、ふいに苦いものでも吐き出すようにいった。
「……わかってるんだ。本当は、十郎のためでも王理のためでもなんでもない。ただ僕の自己満足のためなんだ」
ウメ、ごめん。もちろん梓がそんなふうに言うわけも無いけれど、わたしにはそんな続きが聞こえた。




