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王理(旧男子)高校にようこそ  作者: 蒼治
act6 八月、ぶらり湯けむり二人旅
34/105

6-6

 昨日という日をなかったことにしたいのです、神様。


 わたしは昨日の寝付く前の自分の醜態を思い出して、布団の中でいやーな汗をかいていた。


 そんなわけで、早朝五時という普段ならありえないような時間なんだけど、わたしは目を覚ましてしまった。昨日、理事長に布団をかぶされて、本当にわたしはすぐに眠ってしまったらしい。お父さまの体質が恨めしい。かあさん似だったら、うわばみだったのに。

 ぱち、と目が覚めたときには、わたしはきっちり布団に包まって寝ていて、理事長も相変わらず離れたところにある布団で寝ていた。

 やっぱりなあ、予想通り、理事長と一晩一緒にいたってなにも起きないことを証明してしまった……。

 え、いや別に、ぜんぜん何か起こって欲しかったなんてこと無いよ!?

 まあ、あのわたしはちょっと酔ってトラでしたけど、理事長はむかつくくらい紳士だったなあ……。

 ってなんで何もされなかったことにわたしがむかつかなければならないの!別に理事長を好きだって訳でもないのに……。

 う、うう……多分、ちょっとは好きだけど…………ちょ、ちょっとは好きでいてあげないと可哀そうだし!

 考え続けて目が冴えて、二度寝もできない。


 昨日の自分のテンションにもびっくりだけど、あの言動の数々が理解できない。たとえば理事長にからむにしたって、なんであんな……。だってさ『いつまでも寮暮らししないでください』とか、『化学の教師は態度が悪い』だとか、他にからむネタはいくらでもあるのに。どうして……。

『理事長の好きなタイプって……』ってちょっと、おい、自分。

 理事長はピクリともしないので、どうやら惰眠を貪っていることは間違いない。ムカつくので本当に額に『肉』と書いてやりたくなった。

 そんなこんなで早朝なのである。

 しかしこりゃ一体なんなのであろうか。

 あからさまに蓮に迫られたときよりもずっとバカ丸出しだ。わたしもしょっちゅう驚いたり腹を立てたり悲しかったりするけれど、そういう気持ちって考えれば原因ってわかることが多い。原因がわかれば、気持ちを抑えたり現実へ対応したりすることも出来る。でも今は、どうして理事長と二人で枕を並べているだけなのに、こんな混乱しているのかがわからない。なんなんだろう、理事長が変な電波とか出しているのだろうか。

 この落ち着きのなさは、理事長のせいだとは思う。でも、夕御飯の刺身の何か毒を盛られたということではなさそうだし、とにかく枕があわないのだ!ということでもないような気がする。もしかしてこれが二日酔いってやつ?

 ひゅう二日酔いデビューだ。

 ……二日酔いでこんなに気は動転しないよね。

 じゃあ理事長の何がわたしをこんなに落ち着かなくしているのだろう。眠れないついでなので、わたしはつらつらと考える。


「久賀院」

 突然呼ばれた。

 思わず、ひぃとか叫んでしまいそうになったわたしだけど、目をつぶって寝たふりをしてした。

 急に呼ばれたというのに景気よく返事をしたら、いままで起きていたということがバレバレではないか。なんだかそれはとても悔しい。わたしは何事もなく健やかに眠っているのだプーお前なんて気にもしていないのだプーという態度でいたいのだ。別に理事長が気になって寝られないなんてことはないのだ!

「…………俺だけか」

 ぼそっと言って、理事長は起き上がった。何があんただけなのかは知らないが、いきなりどうする気だ。あ!もしかしてもう一回温泉はいるつもりなのか。それならわたしも行きたい。もう日が変ったから、男湯と女湯がチェンジしていて二度おいしいかもしれないし!ああーでも寝た振りしている手前、今更気まずい。

 でも理事長は立ちあがるわけでもなく、布団の上であぐらをかいているみたいだった。背を向けているわたしに、理事長の姿は見えない。

 でも視線、突き刺さってます。

 理事長がじっとわたしを見てますよ。なんかわたし磨り減るか穴があきそうなくらい見られてます!もしかして、念力か?意志の力でわたしを持ち上げようとでもしているのか?

 ごめんなさい、昨日酒飲んで調子にのりすぎました、ごめんなさい。

 なんていうか、心臓ばくばくいっているんですが。理事長に気がつかれたらすごい恥ずかしい。

 なんなの。わたし、なんか悪い病気か。

「…………まあ酔っ払いのいうことだしな…………」

 なんだかため息つくみたいに理事長は言うと、ようやく立ち上がった。そして枕元にあった自分の携帯電話を取ると、足音を立てないようにして部屋の奥にある窓際に近寄った。すっかりわたしが眠っていると思っているらしい理事長は誰かに電話を始めたみたいだった。

 もともと低い声だっていうのにさらに潜められた声は聞きにくい。

 確かに誰かの電話を盗み聞きなんていうのは行儀が悪い。それはわかっている。

 だが!

「ああ、鷹雄か。すまんなこんな時間に」

 あ、梓!

 理事長の電話の相手先を聞いてわたしの全神経が目を覚ます。昨日会っていてもここで会ったが百年目級のわたしのエネミー。

「頼みがあるんだ。今日、久賀院を駅まで迎えに来てやってくれ」

 駅?と多分梓は聞き返したのだろう。理事長はこの町の最寄り駅からまっすぐに都心まで帰ったときに一番わかりやすい駅の名前を告げる。その駅は梓の家の最寄駅からはそれなりに近い。

「実はな、今ちょっと妙なことになっていてな。あまり大きな声で言うことでもないから言わないでおくつもりだったが、お前に悪いと思って電話した」

 まさか。

 理事長は笑いながら言った。


「また詳しく話すが、今、久賀院と温泉旅館だ」

 梓にばらしやが…………! 

 最後まで言えないくらい、あっけに取られた。布団の中で目を見開いてしまう。理事長のバカ!わたしと理事長の間にはなんらかの友好条約があったと思ったのに!バカバカ、勝手に破棄するなんてひどいよスターリン!


「ふーんて…………お前も反応の薄い男だな…………」

 わたしが烈火のごとき強反応な怒りを溜めている間にも、理事長と梓の話は続いていた。

「だから、そんないかがわしいことなどしていない」

 いかがわしいことなんぞあるものか、夕飯のイカはおいしかったけど!

「生徒だぞ、生徒。お前にとっては違うかもしれないが」

 そうだ、梓と私は仇敵の間柄なのだ!

「俺が久賀院に手を出すなんて、そんなことあるわけないだろう」

 その通り、我々は健全なんだ!理事長ならすこしはわたしに手をだしてもいいのに!

「久賀院のことが気になってならないのは、お前だろうが、鷹雄」

 やっぱり!やっぱり明確な殺意があったんだ、梓め!

「お前が自分で気がつかないなら俺が言ってやる。なあ鷹雄、お前久賀院のことが好きなんだろう?」

 そうだ、理事長、バカにはっきり言ってや…………。


 は?

 誰が、誰を好きだって?


 電話を切った理事長は、部屋を振り向いて小さく息を飲んだ。

 どうしてももう寝たふりをしていることが出来なくて起き上がってしまったわたしと目があったからだ。

「久賀院…………」

「あ…………っとその…………なんとなく目が覚めて…………」

「…………盗み聞きは良くないな」

 こんな狭い部屋で話をしているお前は悪くないのか。

「でも聞かれてむしろよかったかもしれない」

 障子から差し込む朝日を背負うようにして理事長は窓際に立っていた。

「なあ、久賀院。これは俺の個人的な頼みだ。昨日も言ったが、真剣にお前に頼みたい」

 理事長の言葉も視線も本当に真摯なものだった。わたしは、自分よりずっと年上の男の人に何かを頼まれることなんて想像すらしていなかったけど、そういうことがこれから起こりえようとしていた。

「嫌だ」

 聞いてもいなかったけど、理事長が次に言うことは簡単に予想できた。

 その言葉自体、それは荷が重いけど、嫌ではなかった。だってわたしは梓に対して腹の立つことも多いけど、でも本当は確かに感謝もしているんだ。

 わたしが梓の力になれることがあるのなら、わたしは力を尽くしたいと思う。彼が、過去に囚われてそこしか見えていないのは、わたしだってとても悲しい。

 それでも聞けない頼みはある。

「嫌だなんて言わないでくれ。あいつが、あんなふうに誰かをからかったり話を聞いてあげたりする姿なんて、俺は本当に久しぶりに見たんだ」

「でも嫌です」

「大人が子供に助けを乞うとか、人道に反するレベルのことを言っているのは理解している。それでも」

「絶対いや!」

 わたしはいやだって言ってるのに、理事長は次々に言葉を並べてわたしに乞う。

「鷹雄を助けてやってはくれないか」

 そこにあるものが、単なる人間関係なんてものでなく、梓に対して愛情を持ってくれという願いだということにわたしは気がついてしまう。

 それは恋愛感情とは言っていない。もしかしたら家族に近い何かのような気がした。どちらにしても梓がわたしに対してそんな気持ちを抱くことがあるかどうかとか。

 そもそもわたしにそんな力があるかどうかとか。

 そんな現実的な力量の問題を超えて、わたしはその依頼が嫌だった。

 依頼の内容じゃない。


 それを頼んだのが理事長と言う現実が、なぜか、とてもつらい。


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