6-5
はい、おいしかったです。
海の幸をたらふく頂きました。っていうか、赤くなくてピンク色のマグロ、初めて食べた。かあさんがいつも「あれは大人しか食べてはいけません」っていってくれなかったけど、あんなおいしいもの食べていたのか、かあさん……!
親に対して初めて裏切られた気持ちになった。反抗期くるぞ。
……ってことはもしかして、白いスジが霜ふり状に入っている牛肉もおいしいのか!?
御飯を食べつつ、新発見に驚愕していた。
理事長と差し向かいでご飯を食べているうちは良かった。なにはともあれ、うまいメシという共通の話題があったから。どうやら理事長も、まとまった休みは取れていなかったらしく、結果的にはそうなってしまったこの一泊二日温泉の旅はちょっと嬉しかったようだ。
理事長の大学時代の話とか、看護師時代の話とかも少し聞けた。そして話の締めに、だから久賀院も一生懸命勉強しろ、と言われたので、理事長はオカン属性だなあとか思った。
とまあ、そんなほのぼのな会話をしていたのはご飯食べていたときまでで、食後二人でまた温泉入りにいって、戻って来たときは、二人して入り口で固まった。
綺麗に部屋は片付けられていて、布団が挽いてもとい敷いてあったのだけど。
「布団、並んでますね」
「な、並んでいるな」
二人で血相変えて取り合えず広い部屋の限界ギリギリまで離れさせては見たものの、なんつーかわたしの動揺は収まらない。
ひぃーなんでこんなに恥ずかしいんだ。
たとえばどうだろう、広辞苑が二冊並んでいる。
……普通だ。
帽子が並んでいても、ドラえもんが二つ並んでいても、パンツが二つ並んでいても普通だ。
この世のもののことごとくが二つ並んでいたって別にどうということもないのに、どうして布団が二つ並んでいるのはこんなに卑猥なのだろう。
とりあえず二人して無言になってしまったこともまた恥ずかしいが、理事長も枕を手にしたり置いたりひっくり返したり叩いてみたり向きを逆にしてみたり、なんだか挙動不審だ。わたしは本当に、この世にテレビがあってよかったと思った。
どう考えてもまだ九時にもなっていないこの時間に寝るのはおかしい。とりあえずテレビですよ、テレヴィジョン!
二人で各々の布団の上になぜか正座して、我々は行儀よくバラエティを見ていた。これほど正しい姿勢でひな壇芸人達を見たことがあっただろうかいやない。
「さきほどな」
理事長が沈黙に耐えかねたのか番組の切れ目に口を開いた。
「ちょっとつらいことがあった」
「どうしたんですか」
「露天風呂に入ったら、若い男の二人組が居てなあ…。そいつらがどうも俺と久賀院のことを話しているようなんだ」
「はあ」
「それで、俺たちはどうも援助交際だと思われているようなんだ…」
…それでしょんぼりしていたのか。ていうかどこかで聞いたような話だ。
「俺のどこを見れば、援助交際などするような人間に見えるのか」
「わたしもそう思います。理事長は援助交際と言うよりは、ニヒルに娼婦の人とかはべらせているほうが似合います」
「それはフォローか」
「もちろんです」
ふーってため息ついた理事長にわたしは言う。
「フォローついでにお茶もいれてあげましょう」
「ありがとう」
ありがとう!?
幻聴かと思うけど、ついに理事長がわたしに感謝の意を自主的に表明!国交正常化も近い!
わたしはお茶をいれがなら理事長を眺めた。見た目のわりにはなんだかナイーブなんだなあ理事長って。理事長のぶんだけお茶を入れて持っていく。
「久賀院は茶を飲まないのか」
「なんか暑いのでいいです」
「そうか。そこの冷蔵庫に、ウーロン茶とか冷たい飲み物があるだろうから、勝手に飲め」
理事長は窓側の壁沿いにおいてある小さい冷蔵庫を示した。
しかもわたしに気遣いまで見せた!
「理事長、ありがとうございます!」
ありがたーく、そのご好意に預かるべくわたしは冷蔵庫に近寄って中を開く。そこに書いてある値段のインフレぶりにちょっと驚きつつ、中を物色した。ジュース一本350円は高いよねえ。でもいいや、理事長がいいっていうんだから、一本いただきまーす。
わたしはそのまま布団の方にはもどらずに、窓際においてある椅子に腰掛けた。そのまま選んだ缶に口をつける。
「……さっきの話」
「なんですか?」
「墓の前でした、守るとか守らないとかの話。なんか、久賀院の言葉がありがたかった。悪意はなかったけど、女性にはこうしなければならないし、そうなると当然女性だってこうあらねばならないだろうって……たぶん俺はずっと自分を縛っていたんだろうな。姉が死んで、いろんな後悔をそのまま後悔って受け止められなくて」
それだけきっと理事長が己の無力感に傷ついたからでしょうね、って思ったけど、年上の人にそこまでいっていいのかわからないから、わたしは黙っていた。
「でも久賀院はちょっとこうなんていうか、えーと自由すぎる気はしている」
「恩人へのいきなりのディスり……!」
理事長は笑った。
「だめだな、なにか教師っぽいこと言いたいのも呪縛かもな」
理事長の言葉は少しだけ、軽やかに聞こえた。
「それにしても……そうかあ、援助交際か……」
「まだ言ってるんですか」
「思えば遠くに来たものだ…」
どこから!
なんだか肩を落としながらしょんぼりしている理事長を見ていたらちょっと可愛そうになってきた。
「なにがそんなにがっかりしているんですか」
「そんないかがわしい人間に見られたことがちょっとショックだ」
「いいじゃないですかー、それだけ色気があるってことじゃないですかー?」
大体中身が四角四面なんだから、少しぐらい外見でいかがわしくても大丈夫だって。
「わたしねー、理事長ってただの人相悪い人間でしかないと思っていたんですけど、最近ちょっと目つきが悪い男前に見えなくも無いって思ってきたような気がしますー」
あくまで気がする感じ。
テレビの方を見ていた理事長がついと顔をこちらに向けた。
「くが、いん」
なんだ、今の妙な間は。しかも一瞬目が泳いだけど。
「そ、そうか。今のは確かにちょっとフォローになっていたな」
「すっごいフォローですってば!」
おお、なんだかわたし、テンション上がってきたぞ!理事長を全身全霊を持って励ましたい気分になってきた。祭りだ!
「あのですね、理事長の初対面の印象って最悪だったんですよ。すごい勢いで頭固そうで、三年越しのビーフジャーキーみたいだなって思いました。でも、最近はもうなんていうか、そのするめのこわばり加減がむしろ味?みたいな感じなんです!やっぱりホタテの貝柱も、干物が最高ですからね!」
「できたら乾物以外で俺を表現してはくれないか」
でもそう答えた理事長はうつむいてしまった。あれー、言い過ぎちゃったかなー。
「そうか、うん。でもまあ心意気はありがたい」
理事長のうなだれた首筋が少し赤い。はて、まだのぼせているのかな。今日はビールは一本しか飲んでいなかったし、その程度で理事長が酔うとも思わないけど。なんて、首を傾げたわたしには背を向けて、理事長は呟いた。
「…俺も、さっき一瞬、久賀院が可愛く見えてしまって一生の不覚だ」
不覚なのか!
「だめだ、浴衣は反則だ…」
なにやら試合ルールにご不満があるらしい理事長はそんな風に呟いていた。でも、わたしはとにかく理事長のその呟きにも似た言葉になぜかさらに舞い上がる。
いやまて自分、理事長に褒められたからと言って、別に何も無いぞ。でも何も無くても嬉しいのはどうしてだろう!
きゃー!とか内心で叫びながら、わたしは椅子から立ち上がった。わたしに背中を向けていた理事長の横にひょいと座る。
「えへへ、理事長―」
「わあ久賀院!」
ぎゃって理事長が叫ぶ。
「おい、俺の陣地に入ってくるなー!」
「不可侵条約は破棄されるためにあるのだー」
「何が『のだー』だ!」
とびのきそうになる理事長に、わたしはがしってしがみ付いてみた。
「女子高校生にしがみ付かれて嬉しいでしょうー」
「怖い、お前むしろ怖いぞ!頭どうかしたのか!」
「む、女子高校生は趣味ではないのですか。そしたら理事長のタイプの女ってどんな人?」
「離れろ、とりあえず、離れろ!なんか怖い!助けて!」
「いやだい。理事長の好みのタイプを聞くまで離れない!」
「わかった、女らしい大人の女だ!」
「なんだとうー、女子高校生って言えよー!」
「ちゃんと答えたのだろー!」
よけいくっついてみたら、理事長が断末魔みたいな声をあげた。
「どうしたんだ、なんかお前、様子がおかしいぞ、久賀院!」
あっ、て理事長が叫ぶ。
「何飲んでるんだ、久賀院」
「イチゴのジュースでーす」
その缶をマジマジと見た理事長はため息をついた
「バカ、缶チューハイなんか見つけやがって!」
そうなの、これ?えーと7パーセント…は果汁じゃないのか。えっと…こぼれてしまうと大変なので、とりあえず床に置きましょう。
わたしがそれを置くと、理事長があっという間に取り上げた。
「しかもお前、酒弱すぎ!半分しか飲んでないじゃないか!」
「わたしのお父さまも缶ビールの一番ちっさいので速攻爆睡です。なので、お父さまはアルコール依存症になれないのが長所ですー」
わーい、パパ自慢なのだー。
「その長所を受け継いで、どうして寝ない。人にからむなー!」
「理事長」
わたしは、理事長の膝にのって、ものすごく近いところから顔を見つめる。
「でも、本当に、理事長は、大人の女の人しか、見えないの?」
べ、別に理事長のことなんて好きじゃないから、そんなことどうだっていいんだけどさ。でも、なんかとっても気になるんだもん。
一瞬、テレビの音さえ遠く聞こえるような静寂があった。
「久賀院」
理事長が、かすれたように呟く。
「いいからとっとと自分の布団で寝ろ!」
布団に放り込まれた。




