6-3
「あまり詳しく聞いたことはないんだ」
うるさいほどセミが鳴いている木の下にあるベンチ。そこに座ってわたしと理事長はアイスを齧っていた。
「でも、鷹雄は盆だけでなく祥月命日には必ず来ているらしいから」
そりゃどう考えても、お姉さんのところが好きだったんだろう。
やっぱりセミがうるさい。
梓が立ち去ったあと、わたしと理事長はその墓の前に来た。轟家ってあるその墓はそんなに立派でも新しくも無い、普通の墓だった。だけど、周囲の墓とは際立ってきちんと手入れされているのはわかった。梓なんだろうな。掘りこまれた八重子さんの名を見つける。
一応手を合わせてから寺の階段を降りて、通り沿いにあるコンビニでアイスを買ってもどってきたのだった。理事長が奢ってくれた。
「姉が車に轢かれて、病院から連絡あったとき、病院に俺と一緒に来たのも鷹雄だったし、自分も怪我をしたせいで病院で事情を聞かれていた加害者を警察の目の前で殴り飛ばしたのも、最初に姉の死体に取りすがって大泣きしたのも、全部鷹雄が先だったなあ。なんだか弟としては肩身が狭い。兄弟はえらくたくさんいるが、実際母親が同じなのはその姉だけで、姉一人弟一人で暮らしていたのに」
梓にそんなアツい面があるなんて。
「だから、鷹雄は王理高校をとにかく無くしたくないんだろう」
「理事長のお姉さんが最後にいた場所だから?」
「多分な」
なんだか想像ができない。梓のそんな情熱的な面も、こだわりも。
「……姉が死んだのは、もう十年近く前の話だ。俺も、姉のことはいつかは鷹雄にとっても思い出になるだろうと思っていた。でもこのあいだ、薬師寺先生に好意を打ち明けられたとき、鷹雄がいったじゃないか」
「……『他に好きな人』……!」
純愛、とかなんて思うより、その執念にぞっとした。
そういえば、入学式のとき、カンペ無くしたわたしに向かって『心情的にはそれじゃすまない』って。
梓の中で、八重子さんはまだ全然死んでないんだ。いまでも、自分の勤め先であったこの学校にいて、梓の横にいる。だから梓も彼女の期待を裏切るようなことをしたくない。
それって確かにすごいよ。十年間近く、いまはもういない人を思っていられるなんて。
ねえ、でも、梓の人生って、まだまだずっと続くのに。
「俺はさ、王理一族となるべく関わらないで生きていこうと思っていた。だから理事長になる予定なんかもまったくなかったんだ。むいているとも思わなかったし」
「理事長も正確な自己評価ができるんじゃないですか!」
褒めたのになぜかにらまれた。
「前の理事長は俺達の頃も理事長だったいい人なんだが、二年前に体調を崩して引退してな。で次期理事長の予定だった人間は、王理高校どころか教育になんの興味も無いんだ。そんな人間がなったら、むしろ教育関連の予算を削りかねない」
「興味がないのにどうして理事長なんてするの?」
「それは大人の事情と言う奴だ」
天下りみたいなものか。
「今の校長、いい人だろう?」
そうだ、理事長とか梓の強烈さに忘れがちだけど、今の校長先生は温和でとてもいい人なのだ。
「あともう少しすれば、王理一族ではなくてもあの人が理事長になってもおかしくない年齢になる。それまで、俺がなんとか穴を埋めておけって」
「……それが梓の作戦なんだ……」
王理高校をなくさない。そのためには、親友も使うし女子が入り込むことすら作戦の一つにするくらい、梓が王理高校に執着しているのか……。
セミの声があってよかったと思った。だって、こんな沈黙だけだったらとても気まずい。
「理事長」
わたしは聞いてみた。
「どうしてわたしにそんな話を?」
「一つは、もしかしてと思ったからだ。鷹雄は生徒会役員やっていた頃から目的のためには手段を選ばない側面があったからな。『冷笑の梓』といわれて教員にも恐れられていたくらいだ」
それでこそ梓!
やっとわたしの知っている梓に近づいてきた。やっぱり鳥の祖先は恐竜だったんだ!
「どうした久賀院。鬼の首でもとったような得意げな顔で」
「はい、予想があたって得意満面です」
「なんのことだ。それより久賀院、俺が心配しているのは、お前まさか鷹雄に脅迫されたりしてここにいるんじゃないだろうな」
理事長こそ、なんて鋭い読みを……!
「まさか鷹雄も人攫いまではやら無いと思うが、人の弱みに聡いのはあいつの生まれついての才能だからな」
超はた迷惑な才能だ。
「おい、脅されているのか?」
うーん。
そう改めて問われるとわたしもなんだか考え込んでしまう。
確かに梓のせいで厄介ごとに巻き込まれているのは間違いないけど、梓がいなければわたしは高校に行けたかさえ怪しいのだ。
「理事長」
わたしは微笑んで理事長を見た。梓直伝のあの営業用スマイル0円じゃなくて、ヘビーな話を聞いたせいでちょっとぎこちないけど、わたしの普通の笑顔を。
「わたし、毎日楽しそうでしょう?」
「……鷹雄はお前を脅していないのか?」
「されていてわたしが黙っていると思います」
「……あまり思わないな」
「ってことですよ」
理事長は一瞬目を伏せて、それから笑った。
あ。
理事長のこんな明るい笑いのを見るのはわたし、初めてだ。
「そういう久賀院だから、俺も昔の話をする気になったのかもしれないな」
「え?」
「久賀院のことを鷹雄に一度聞いたことがあるんだ。最初はなにか親戚かなにかと思っていたんでな」
「梓……先生はなんて?」
「『愉快なおもちゃだ。僕もアレだけ罵倒しても噛み付いてくる生き物を見るのは初めてだ。あれなら、僕が全力を出していじめたおしても生きていそうだ』とか言っていたなあ。あんな楽しそうな鷹雄を見るのは久しぶりで俺も嬉しい」
「ちょっとまて!」
最後の一文だけなら、少しずつ癒される傷心の親友、ってことでなんだかいい話にも聞こえるけど。その前の文章はどういうこと!
あれは全力じゃないのか。梓にこれ以上全力出されていじめられたら本当に死んじゃうよ!ていうかあいつむしろ殺意満々……完全犯罪でも企んでるのか!
「鷹雄が誰かに興味を示すなんて本当に久しぶりのことなんだ」
なにもわたしじゃなくても。
あまりの自分の不幸に、あわあわしているわたしとは逆に、理事長はどこか祈りみたいに言う。
「久賀院だったら、鷹雄を『今』に戻してくれるかもしれないと思ったんだ」
理事長のお姉さんが亡くなった瞬間、そこにずっと囚われている人。
無理。
それは無理だ。
だいたいわたしには荷が重いっつーの。巨神兵の心臓くらい荷が重い!積み荷を燃やしたい!
「……わたしには出来ないですよ、きっと」
「そうだな。姉は鷹雄が惚れるだけあって、弟の俺が言うのもなんだが、美人で知的で優しかった。久賀院とは逆だ」
ほほう、わたしが美人なく知的でなく優しくないといっているも同然だな!
「だから、今日のこの話は忘れてくれ。鷹雄がそんなに悪いヤツでないということだけ覚えていてくれればありがたい」
でも理事長の言葉からは後ろめたさが見え隠れしていた。多分、こんなことを生徒に話してしまった自分に気がついて自己嫌悪になっているんだろうな。
きっとなかったことにしたいのは理事長のほうが強い気持ちだと思う。
でもさ、梓を助けるってことは、お姉さんに負けないくらい梓のところを好きになって、で梓に好かれないとできないんじゃないかな。それって、彼女とかそういうレベルの人間じゃないとできないよね。単なる一生徒とか一奴隷の身分のわたしでは無理。
それに。
じゃあ理事長は、わたしが梓の彼女になってもいいんだ。
ふーん。
そっか。
なるほど。
……あれ?わたしなんで不機嫌になってんだ?
「そろそろ帰るか」
翳ってきた日を受けながら理事長は立ち上がった。夕日の逆光で、理事長の顔が見えなくて理事長が何考えてるのかはよくわからないままだった。
なんとなく気まずいまま、寺から降りて来たわたしと理事長は車に乗り込んだ。結構な距離を運転してきたからきっと寮につくころには深夜だろう。
理事長は「疲れたなら寝ていていいぞ」なんていって、キーを差し込んだ。
エンジンがかかってわたし達は帰路につく。
はずが。
唐突に、ぷすんと言ってエンジンが止まった。




