5-6
「ああああああ梓ー!」
「学校では『先生』と呼べ!二人だけの時は『様』をつけろ!」
それは公私の区別がついているのかいないのか!
わたしが偶然中庭を通りかかった梓を呼んだのは、試験の順位が発表された日の放課後だ。いつもながらのその暴言に反論したかったけれど、そんな余裕はなかった。
「そんなこと言うまえに、この状況をなんとかしてー!」
「生徒の自主性を重んじる王理高校だ。自分でなんとかしろ」
「無理!さすがに無理!」
いくらわたしでも、殴りあいになりかけているガタイのいい野郎二人は止められない。この勢いをとめられるのなんてナウシカくらいだ。
てことで、ここのいたるまでの状況。
……やっぱり無理だったか……。
廊下で掲示板を見上げたわたしの肩は落ちていたはずだ。試験の成績が張り出された紙を見ながらため息をついた。
国語とか英語とか、文系は一等賞を押さえたけど、やっぱり理系が、特にあの最終日の化学と数学がダメでした。
化学にいたっては十番落ちしてしまった。
あの日、理事長に付き合っていたのがやっぱり原因かなあ。でも人のせいにするのはかっこ悪いしね、これが実力実力。
まあ仕方ない、次で頑張りましょう。
だけど、こらえきれないため息をついた。
あーあ、残念だなあ。高校に入って始めての夏休みなのになあ。
「ウメちゃん」
頭一つ高い蓮がわたしの横に立った。以前のもさもさした髪の毛だったら夏は厳しそうだけど、今のすきっと丸刈りなのは見ていて好ましい。
「相変わらずすげえなあ」
成績上位者の名前を見て、蓮は陽気に笑う。
「最終日の前日、理事長につきそって棒に振ったとは思えない優秀加減じゃん」
「そんなこともないよ」
わたしは肩をおとして廊下を歩き始めた。それを蓮は慌てて追いかけてくる。
「どうしたん。あれの一体なにが不満なんだよ!総合だって三位じゃん!」
「全部一位じゃないとだめだって、悪の足長おじさんと約束したんだもん」
「なんじゃそりゃ」
しみったれた顔をしたまま、わたしは放課後の庭に向かう。そこでしょんぼりとベンチに座り込んだ。
「つーか、あんたの目標冗談みたいに高いぞ。なんかコワイ…」
全科目で一位なんてとれるわけないだろ、とか蓮が呆れている。まあそれは確かにわたしも無理難題出しやがって梓のクソ野郎と思わないでもなかったのだけど。
「それにどうしてそんなに一番に執着してたんだ?ウメちゃん、自分が学んだり理解することはすきそうだけど、順位がどうって感じじゃないのにな。あ、コーヒー奢ってやろう」
「今の気分はイチゴミルク」
「はいはい」
蓮から貰った自動販売機のジュースにストローを刺しながらため息をついた。愚痴もいいたくなるよねえ。
「ていうか、約束したわけよ」
「どんな」
「『学生の本分なので優秀な成績を残さなかったら恋愛禁止。具体的には全科目一位じゃなかったら論外』」
「はあ!?」
蓮が本気で驚いていた。
「おいおい、そんな事いったら、全学年で一人しか恋愛できないぞ。っていうかみんなで科目別に一位を分け合ったら、誰も出来ないじゃないか!」
「……蓮」
わたしは、顔を上げた。
「……ちょっとわたし、今目から鱗だった!そうだよねえ!超理不尽だよね!」
「鱗が落ちるのがおせえよ……」
蓮が呆れているが、今は腹を立てることもできない。
「あーもーわたしってばバカみたい」
「でも、そんなに一生懸命になるって言うことは誰か好きな人でもいるの?」
「え?」
まあ愚問を。
「いるわけないじゃん。これから探すの」
あ、つもりなのだ。
わたしの意気揚々とした初心表明演説に、蓮は皮肉っぽい笑顔とため息を返してきた。
「……いいよね、ウメちゃんは恋に恋してモチベーションあがるお年頃で」
「やだ、蓮ときたら枯れ気味な発言で。あのさ、蓮はアレをさしたらどうかな、ホームセンターに売っている液体の細長いヤツ」
「あー、徐々に鉢植えも元気になるやつね……」
「いや、チューペット」
「意味わかんねえよ!」
「凍らせたチューペットはおいしいよねー」
「ボケを畳み掛けるな!」
なんだか蓮とわたしの会話はどこかから周りだ。多分わたしは一番取れなくて凹んでいるから。でもわたしのせいだけじゃなくて、蓮もなにか考えているみたい。日差しも強いというのになんだかぼんやりとわたしと蓮は快晴の空を見上げていた。
「あのさー」
蓮がわたしに呼びかけた。視線はまっすぐ前を見ている。ちなみに蓮は今、私の横に座っているので、さっぱり視線はあっていない。こらこら何か言うときには人の目を見たまえよ。
「ウメちゃんの好みってどんなヤツ?」
「え?」
きた!
きたよ、好みのタイプトーク!今まで麗香先生以外と語ったことが無いけれど、どうしよう。発表していいのかな!蓮に言っても仕方ないんだけど!
「まあ、普通なんだけど」
「優しい人ってやつ?」
「なんでそんな漠然としていなければならないの」
目標が曖昧だったら、意味ないじゃない。
「まず、ちゃんとした職業についている人がいいな。顔はともかく丈夫で頼りがいがある人。あと給料と通帳と印鑑はわたしに全部預けてくれる人がいい。もちろんわたしも働くので、育児に参加してくれて、家事もできること。間違ってもハムスターを掃除機で吸わない。あとはわたしを大事にしてくれれば」
「それは、父が娘の夫に望む条件じゃねえか?ときめき成分が見事にゼロだ」
「じゃあ、蓮の好みはなんなのよ」
え、と蓮は一瞬声をつまらせた。そして、何かを必死に考えているようにちょっとした沈黙の後一気に言う。
「まず、大きすぎても小さすぎてもだめだ。こうなんつーの?おわんをひっくり返したみたいな美乳だったら申し分ない。垂れずにふんわりして欲しいよなあ。希望はCもしくはD。装着物はレースでもコットンでもいいけど、やっぱりパンツと揃いは可愛い」
「誰も貴様の乳の好みなど聞いてない」
「ウメちゃんの好みよりは夢とロマンとときめきに満ちてるが」
蓮のときめきは俗っぽい。
ていうか父だの乳だの、この的外れ感はなんなのだ。やっぱりぐるぐる空まわっている。
「でもウメちゃんもし誰かに告白されたらどうする?」
ちらりと蓮がわたしを見た。
「どうするって?」
「付き合うの?」
「……うーん」
そういえば、考えたこともなかったなあ。
いや妄想したことは限りなくあるけど……。
「……相手にもよるよね。ウメちゃんがそいつに興味なかったら断るんだろうけど、もし好きだったら、どーする?その悪の足長おじさんになんていうの、まあしらばっくれるっていう手もあるよな。あーそれでいいじゃん」
「え、え、えっといきなりそんなに畳みかけられても」
「そうそう、別に大声で発表してまわらなくてもいいんだし。そうしよう、ばっくれよう!」
どうした、どうしたんだ蓮!
わたしの恋愛沙汰にそんなに興味があったのか?お前が盛り上がってどうするのだ!なにか応援でもしてくれるのか?
「あのさ、ウメちゃん」
蓮がなにかを言いかけたときだった。わたし達の前に人影がおちた。
「あ、一成君」
日差しにまぶしそうに目を細めて、一成君が立っていた。
「二人とも試験の発表見に行ったきり、戻ってこないから」
「あー、ごめんごめん」
「あいかわらずウメちゃん、文系ではほとんどの科目で一番だもんね。すごいよ」
一成君も結果を見てきたのだろう。ホントに素直にそんなふうに褒められるとなんだか照れくさい。
「でも、ちょっと残念だったなあ。本当は俺も、もう少しウメちゃん並に点数稼ぎたかったんだけどさ。悔しいよ」
「一成君がそんな風に、悔しがるのなんて始めて見た」
わたしは笑っていったけど、一成君は妙に真顔だった。
「うん、悔しい。ウメちゃんより成績いい状態で言いたかったから」
「……は?」
「あのさ」
一成君は一瞬だけ蓮を見た。でも、そのまま最後まで言い切ってしまう。
「俺と付き合わない?」
一成君のその言葉にも、一瞬頭が真っ白になったけど、白を通り越してホワイトアウトになったのは、次の蓮の行動だった。目の前が見えない。遭難しそうだ!
無言で座っていた蓮は血相変えてベンチから立ち上がり、何を思ったかいきなり一成君の胸倉をつかんだ。爽やかに二つボタンが開けられている一成君のシャツがよれる。
「ふざけんな」
蓮がそんな真顔なんてするとは思ってなくて、わたしはその言葉の意味よりも呆然としてしまう。でも問題はその後だ。前触れもなく振り上げられた蓮の手を、一成君が掴んだ。
「ふざけてんのはお前だ」
今にもどちらかが本気で相手を殴りつけそうな雰囲気だったそのときに、梓が通りかかったのだ。そんでもってわたしは、やつに助けを求めたのだけど。
以上、回想シーン終わり。
新章タイトル『梓、めっちゃつかえない!の巻』
「おい、お前らなにやっているんだ」
超めんどくせえという表情を隠しもしないで、梓が二人の首根っこをつかんで引き離す。
「殴りあうのはかまわんが、理事長に見つかるといろいろ面倒だ。体育館の裏の林の中でやれ」
どんなアドバイスだよ!
「しかし、王理も鳥海も、ケンカってタイプじゃないだろう」
「別にケンカなんてしてません。ただ、蓮が急に俺に掴みかかってきただけです」
「俺は……!」
「うるせぇ!ガキのケンカの原因になんか興味ねえよ!」
梓が怒鳴りつけるけど、ことごとく胸打たれない。教師が怒鳴ったら次の反応は生徒が「せ、先生俺たちが間違ってました……!」で涙ぐむものではなかろうか。
「おいどーなってんだ」
「え、いえ、あの、わたしにもちょっとよく」
梓にいきなり話をふられてわたしはうろたえる。わたしがおろおろしている間にも、一成君と蓮は刻一刻と険悪になっていた。
「一成、お前何考えてんだっつーの!」
「別にお前にいちいち言うようなことでもないだろう」
「だからお前がウメちゃんと付き合うなんておかしいだろ!」
蓮が口をつっこんでくるけど梓ににらまれて黙った。
「ふーん」
梓は話に興味を持ったようだ!やばい!なんか、声かけなかったほうがいいような気がしてきた。
「……久賀院に告白したんだ、王理」
「いけないですか?」
「いや、いいんじゃね?」
にやにやと梓は笑う。
「なるほどねえ、久賀院はもてるなあ。でもいいよな、学園一の優等生どうしなんて。まるで青春映画みたいじゃないか。いいねえいいねえ、おじさんはうらやましいよー?」
……妙に梓が上機嫌で、なんだか薄気味悪い。言っていることもわけわからなくて話がどう転がるのかさっぱりわからん。
マヌケ面のわたし、にらみ合う一成君と蓮、そんな生徒三人を前に、梓は心底不吉な予感を導き出す微笑をみせる。そして、この間の約束って一体なに、というとどめの一言を口にしたのだった。
「久賀院、王理とつきあってしまえば?」
誰とも付き合うなというのも困りものだけど、付き合う相手を指定されるのは、もっと困るということを学習した……。




