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王理(旧男子)高校にようこそ  作者: 蒼治
act5 七月、梓は爽やかに無理難題提案する
27/105

5-5

 どうしてわたしは今こんなことやってんのか。

 わたしはぐったり寝込んでいる理事長を前にとほほな気分だった。

 明日は試験最大の山場、前回一位をとれなかった物理と数学と化学の試験(ところでこの試験日程は人道的にどうかと思う)なのだ。なーのーにー。

 学校から寮までは蓮が他の生徒の手を借りてなんとか運んできた。さすがにこの高熱の理事長をテントっていうわけには行かないだろうってことで、わたしの部屋の横の空き部屋に放り込んで寝かせた。

 どうなの、ここまで生徒の手を焼かせる理事長兼保健室の先生ってのは。


 で、寝かせたまではいいけれど、ご年配の寮監にこれを面倒見させて、うっかり変な風邪の菌がうつってそれが元でぽっくりいったら大変後味が悪いので、じゃあ、イキのいい生徒が面倒見るしかないという問題が発生した。

 そこまで話をしたときには、蜘蛛の子を散らすように寮生がいなくなっていたけど。

 みんな薄情だなおい!わたしだったら、救急車を呼んで放り込むくらいの面倒まではみるのに!

 ひどいことに、蓮もあの逃げ足の速さを発揮していなくなった。

 そんなわけで、うっかり逃げ損ねてしまったわたしは、今うんうん唸っている理事長の横で、右手にひえぴたシート、左手に高瀬先輩からもらった過去問題、という状況になっています。

 明日はわたしに素敵な彼氏ができるかどうかという天下分け目の決戦だというのに、まったくとんだ横槍だ。化学についてはみんな頑張っているんだろうなあ。平均点あがるだろうなあ。それなのにわたしはこんなところで、病人の看病だよ。それどころじゃないのに。


 化学は、梓が発した一言がみんなをアツくしたのだ。

『平均点に届かなかったやつは、夏季補習だからな。この僕が、貴重な夏を消費して補習をしてやる。ありがたく思え』

 誰が夏休みにまで教師の顔を見ていたいというのだ。さすがにイケメン無罪じゃないぞ。

「くが……いん?」

 いつになく小さな声で理事長に呼ばれた。

「そうですよー」

「……お前はなんでこんなところに居るんだ……明日もまだ、期末試験だろう……勉強しろ……」

 いきなり説教か!

 ありがとうは?はいリピートアフタミー!

 ムカついたので、ぬるくなった額のひえぴたシートをひっぺがして、新しいヤツを叩きつけるようにして貼ってやった。


「理事長が、病院行ってくれたら勉強できます」

「たかが風邪で病院なんぞ行けるか」

「何をおっしゃいますか、理事長、たかが風邪なんかじゃありませんよ!理事長が今かかっているのは、あの難病『夏風邪』ですよ!バカしか罹らない大変な病です!そんな理事長を見捨てるなんてわたしにはできません!」

「……お前今、俺をバカにしただろう」

 おっ、それはわかるくらいには元気なのか。

「今、何時だ?」

「十時です。どうですか具合。寝る前に飲んだ風邪薬が効いているといいですね」

 わたしは手を伸ばして理事長の目の前に体温計を差し出した。おとなしく受け取って理事長はごそごそと計り始める。

 多分理事長は理事長で、わたしに迷惑かけているという自覚はあるんだと思う。実際迷惑は迷惑だし、レベルとしては大迷惑なんだけど。

 でもわたしも理事長にちょっと申し訳なさを感じているから。


 あの大雨の日に、風邪引きかけていた理事長の傘を借りてしまい、雨の中傘もささずに帰らせてしまったのはわたしなんだ。あれが無かったら理事長の風邪もここまでひどくならなかったと思う。それに、そもそも数ヶ月もあのテント暮らしっていうのが無理あったんじゃないかなって。


 電子体温計が、終了の電子音をたてた。みせてくださいといったのに理事長は自分で見ているだけで返してくれない。

「何か食べます?少しお米貰ってあるから、おかゆくらいなら出来ますよ」

「いい。水を飲む」

 そうして理事長は起きてベッドから降りようとしたのだ。

「こんな時ぐらい、水をくれ、とか素直に言ってください!」

 とりあえず理事長を突き飛ばすようにしてベッドに戻す。用意しておいたポカリをコップに入れて差し出した。ほんとに可愛げもへったくれもない男だな!

「……すまん」

 この言葉を言ったら世界が滅びるくらい不満げに理事長は言って、それを受け取った。バルスかよ。

「いいえ」

 わたしも何かとどめさしてやりたい気分を抑えて言う。そしてこれが初めての素直な会話だということに気がついた。でもそれは、わたしと理事長の間には、存在していないものだったから、むしろ気まずい。家族で洋画を見ていたらいきなり濡れ場が出てきたときみたいな変な沈黙が落ちる。

「……昔を思い出す」

 理事長はしばらくの静けさのあと、かすれる声でポツリと言った。


 なに、今理事長、回想モードに入っている?行き先もわからぬまま走り続けた15の夜とか、なんでもないようなことが幸せだった二度とは戻らない夜とか、話してくれるかな?

「今は、こういった便利なシートがあるが、俺が子どもの頃はこんなものは無かったからな。家族が、一晩中起きてタオルを変えたり、氷枕の様子を見ていた」

 なんだ、幸せだった子どもの頃語りかあ。

「いい家族ですね」

「久賀院の母親もしてくれただろう」

「いいえ、うちの母は仕事の鬼でしたから。どっちかっていうと、父ですね」

 そうそう、氷枕の口を閉め忘れて布団水浸しとか、真っ黒に焼け焦げたおかゆとか、素敵な思い出です。

「……久賀院の家もちょっと面白い家庭なのか」

「そんなことないですよ」

 ちょっとどころじゃないんですから。

「……まあでも、お前みたいないい娘を持って両親は鼻が高いだろう」

 ……は?

 わたしは理事長の言葉に仰天した。

「り、理事長、死期が近い……?」

 悪人も死期が近くなるといい人になるという。

「なんのことだ。久賀院は、成績優秀だし美人だろう。努力家だと鷹雄からも聞いているぞ。女一人なのに、クラスでも好かれているじゃないか」

 ちょっとまて、梓がわたしを褒めたのか?なにそれ、驚愕の事実がありすぎてどこから驚いたらいいのかわからない!


 ていうか、理事長死亡フラグたちすぎ!ななななんとかしなきゃ!


「理事長も、生徒くらいしか面倒みてくれないなんて問題ですよ。はやく、カノジョつくって下さい。女嫌いなんで自慢にもなりませんからね」

 早く強気に切り返してくださいー!

「……無理なんだ」

 理事長は弱気だった。

「え?」

「どうにも女は苦手でダメなんだ……」

「……えーと、嫌い、なんでしょ?」

「……中学部から、王理で寮生活をしていてな。大学は看護学部だったが、今度は女性が多すぎて圧倒されてうまく相手できなかった。勤めのときは、仕事が中心でそれなら仕事仲間として認識できるから問題はなかったんだが……」

「が?」

 ごめん理事長、今わたし、理事長の看病していてよかったって思う!超話面白くなってきた!

「仕事仲間から昔告白されたことがあってな……だめなんだ……恋愛対象の女性だと思うとうまく会話ができないんだ」

「嫌いっていうよりは、苦手……」

 すげえヘタレだ。俄然楽しくなってきたぞ。

「一事が万事その調子でな。まれにちょっといいなと思う子がいて仲良くなると、『あのさ、梓君ってカノジョいるのかな』とか日常茶飯事」

 おっと世界残酷物語まで出てきた。

「やっぱり……」

「やっぱりってナンだ。他にも、こりゃまずい、と思って見合いもしてみたが、『ごめんなさい、家の事情なんです。本当は私好きな人が居るんです、お願いですから轟さんから私を断って!』と懇願されたこともあった」

「うっ、それはきつい」

 ……どうしたらそんなベタな失恋を繰り返すことが出来るんだ……。


「もう俺には女が何を考えているかさっぱりわからんよ」

 確かにこりゃ、苦手にもなりそうだ……。

「どうやったら守ってあげられるのかもわからない」

 ……守って?

 不思議な言葉にわたしは首を傾げた。そういえば、理事長からは、「女はわからないとか」「守られている立場なんだから」という言葉はあっても「女性は劣っている」とか「女ごとき」とか言われたことはなかったな、と気が付く。

 うーん、この人の認識ってなんなんだろう?

 久賀院、と理事長はやっぱり具合悪いらしく弱々しく言った。

「お前は女らしくなくて、気がらくだ」

「理事長……」

 それは一体どういう意味だ!

「後は無駄に頑固じゃなければなあ……。お前のその奇病を治す薬が早く発明されるといいな」

 あ、元に戻った。ふー、安心……ってバカにされたのか!

 理事長はわたしを見て少し笑った。けれどそれに誘発されたようにごほごほ言いながらわたしに背を向けるように寝返りをうつ。

「寝る」

「そうしてください」

「久賀院も部屋に戻れ。勉強するなり寝るなりしろ」

「もうすこし様子見たらそうします」

 理事長は目を閉じた。多分薬のせいで眠たくなったんだろうなあ。


 しんとした部屋に、理事長の寝息がかすかに聞こえるだけなるには時間はかからなかった。わたしも部屋に切り上げようかな、と思った時、かすかなノックの音がした。立ち上がったわたしは部屋のドアを開けた。

「ウメちゃん、理事長具合悪いんだって?」

 そこに立っていたのは一成君だった。わたしは部屋からでて廊下で話す。

「うん、なんかね」

「そっか、鬼の霍乱だな」

 わたし達は小さな声で笑いあった。そっか、半分とはいえ血がつながっているんだもんね。そうは言わないだろうけど、一成君も心配で来たんだ。

「理事長と何か話でもしていたの?」

「ううん、ああ、でも風邪なんてひいたの久しぶりなんだろうね。子どものときのお母さんの話してくれた」

 ふうん、と一成君は呟く。

「……ウメちゃん知ってる?理事長の生みの母って、身体が弱い人で、理事長産んですぐ亡くなったんだって」

「……え?」

 わたしは一成君の言葉にきょとんとしたというのに、一成君は話をかえてしまう。

「で、大丈夫?」

「あ、うん、調子はよくなっているみたいだから、大丈夫だよ」

「いや、ウメちゃん。明日も試験だからさ。理事長なんてどうでもいいけど、風邪うつされたりしたらウメちゃんが大変だ」

 一成君、やさし……!

 ちょっと、優しくて涙出ちゃうよ!

「大丈夫!」

 わたしは嬉しくてにこにこしてしまう。もう一成君のこと、試験の敵なんて思えない。

「ありがとうね」

「早く寝なね」

 それだけ言って一成君は廊下を歩いていった。

 いくらかの謎がひっかかるけど、それは試験最終日前日の静かな夜だった。


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