5-2
「梅乃ちゃん」
図書室で勉強していたわたしに声をかけたのは、一成君だった。
にこにこしながらわたしの前に座る。
「最近遅くまで帰ってこないなあって思ったら、勉強していたんだ」
わたしの横に詰まれた教科書を見ながら、一成君はちょっと呆れていた。今は、期末試験一週間前。確かに一成君の指摘どおりわたしは現在猛勉強中だ。
「でもさー、梅乃ちゃん、これ以上成績よくしてどうするの。だって中間テストも俺、梅乃ちゃんに負けっぱなしだったのに、俺、困るよ」
一成君は笑いながらいう。うう、笑顔も崩れることなく超ハンサム。癒されるー。なんだか、一成君の人の良さのにじみ出る笑顔を見ていると、残業して帰って来て子どもの寝顔で癒される企業戦士パパの気持ちがなんだかわからなくもない感じ。
でも、その笑顔には騙されないのだ。
一成君がわたしの全部一等賞には最大の敵なのだから。
「大丈夫だよ。一成君なら何もしなくても一番だって」
「そんなこと無いって。俺だって結構努力の人だよー」
「でもさ」
「俺も、今日からここで勉強しようかな」
「え!」
しまった、今、わたし「ちょっとそれ嫌」って顔してなかったかな?大丈夫かな。
「嫌?」
ぎゃー、してましたー!ガラスの仮面が取れた!
「そんなことないよ!」
慌ててフォローしてみたが、まあ一成君と一緒なら、確かにある意味ではいいのだ。わたしの苦手な科目とか聞けるし、テストのヤマとか教えてもらえるし。
「一成君とだったらわたしも楽しい」
「ありがとう、じゃあ、俺も教室から鞄とってくる」
一成君は立ち上がった。そしてわたしに軽く手を振ってから図書室を出て行った。
…胸がちくちくする。これの正体はわかってますよ、梅乃。
罪悪感ですね。
「勝手にライバルにして、なんだか申し訳ないような…」
「まー、しかたないんじゃねーかな。実際のところ王理一成が一番久賀院梅乃ちゃんとためはって頭いいんだから」
一成君の姿が消えてすぐ、後ろから声がした。椅子に座ったまま顔だけ上げると、そこにいたのは高瀬先輩だった。結構厚みのある大きな封筒でわたしの頭をかるく叩く。
「はい、お約束のもの」
「きゃー、先輩大好きー!ただし社交辞令含む」
わたしは拝まんばかりの勢いでそれを受け取った。がさがさと口を開けて中を見る。
「あれだろ、試験の傾向と対策」
「…先輩よくわかりますね…」
わたしが高瀬先輩から受け取ったのは、去年一年間の定期試験の問題用紙だ。交渉して受け取った。高瀬先輩の字がほとんどだけど、中には他の人の字も混ざっている。うわ、先輩本当にかき集めてくれたんだ。
これを見れば、去年の今頃の試験内容とか要点がわかりやすいじゃないですか。先生の性格も掴みやすいと思うんだよね。まあ中には梓みたいにひねくれていて、生徒の予想の裏を書いてくる先生もいるだろうけど、その可能性には努力で善処だ!
「先輩ありがとうございます!」
「よければ感謝の証にほっぺにちゅうとかどうよ」
「今の発言を、麗香先生に忠実に伝えることもできますが」
「…恩を仇で返すなんでウメちゃんたらひどーい!」
身体をくねらせないで下さい。大層似合ってません。
「でも本当にありがとうございます」
「そんな風に改まってお礼を言われちゃうと言いにくいなあ…」
先輩は交換条件のことを思い出したらしい。確かにこれはそもそも屋上での交渉が元になっているのだ。
先輩はわたしに過去問題をよこす。
で、わたしは先輩の恋の応援をすると。つまりは麗香先生です。ごめん麗香先生、売らせていただきました。
でもどうかなあ…私ごときの手助けでどうにかなる問題かなあ。
「それとなく高瀬先輩のことは麗香先生に言いますね。いい人だって」
「だめだめ、そんな漠然とした表現じゃ」
いや、先輩のことは漠然としか知らないし…。
「顔良し性格よし将来有望の好物件、今を逃したらもう後が無いよくらいに言ってくれなきゃ」
「先輩は、わたしがJAROに訴えられたあかつきには責任とってくれるんですか…」
嘘、大げさ、誇大広告!
「とにかく、また二人で会ってくれるまでにはなりたいんだよ。そっから先は自分でなんとかするから」
…まったくもう、自分の恋愛だってままならないのに、どうして人の面倒まで見ないといけないのだ。だいたい今は勉強にいそしむ青少年です。今月の目標。
「しかし、梅乃ちゃんも、そんなに勉強してどうするの?」
「秘密です」
「冷たいなあ…でもさ」
高瀬先輩は、図書室の入り口をみながら、ぽそと言った。
「でも…」
先輩が何かを言いかけて話を変えるのをみたのは初めてだった。
「なあ、ウメちゃんは、王理一成を好きなのか?」
「…好きですよ?」
先輩が急にそんなことを言い出した意図が読めないまま、わたしは先輩を見上げる。
「だって友達だし」
「あのさあ…俺は…俺は王理一成だったら、まだ鳥海蓮のほうがいいと思うけど」
「は?」
真剣にきょとんとしているわたしを前に高瀬先輩は唸る。だけど、そのとき、話題の一成君が鞄を持って図書室に戻ってきたのだった。それを見て先輩はまだなにか言葉を言い残したいようであったけれど、じゃあと言って立ち去った。
「…今の高瀬先輩じゃないか」
「知ってるの?」
わたしのところに来た一成君が振り返りながら言う。
「余裕があるようなら、高瀬先輩に教えてもらった方が良いくらいだ。あの人、いつも試験で十番以内には入っているし」
「嘘!」
わたしは慌ててもらった封筒の中を見た。その点数は、本当に九十点以上がほとんどで…わたしは労せずして回答まで手に入れてしまったのだった。本当に賢かったのか、あの人…。
こりゃ本当に、麗香先生のことに関わらないわけにはいかない…そんないやな予感はした。
うっかりリボ払いは、重圧…。
結局二人で図書室が閉まるまで勉強してしまった。わたしと一成君は並んで歩きながら寮に向かう。そういえば必ず一成君と蓮は一緒だったからこんなこと始めてかも。
「一度聞いてみたかったんだけど」
一成君は聞きにくそうに口を開いた。
「梅乃ちゃんはどうしてこんなに野郎ばっかりの高校に来たの?」
「へ?」
あー、いまさら聞かれるとか思わなかったなあ。
率直に申し上げますと、1、梓に金銭面で抑えられています 2、だまし討ち同然で元男子校って知りませんでした 3、いまさら引っ込みつきません、という理由によるのだけど、さすがにこれが声に出してよくない日本語ということはわかる。
「うーん…まあ女子がわたしだけっていうのはさすがに予想外だったんだけど、でも王理高校自体はすごくレベル高かったから」
曖昧トークは大人の証拠と言うことにしてください。
「でもたしかに変だよね…やっぱりわたし浮いているかな…」
こんなところ来るなんてへんなヤツ!ってことでもしかしてもてないのかな…。
「いや、浮いてないって。梅乃ちゃんらしくもない弱気だなあ」
一成君は笑う。
「クラスの連中だって、梅乃ちゃんが女の子なのが惜しいってくらいには仲良くなりたがってるよ」
「…それはどういう意味…」
わたしがにらむと一成君は慌てて付け加えた。
「いや、なまじ女の子だから、こっちも緊張するんだよねー。女子だから仲良くなりたいんだけど、女子だからこそうかつにアホな話できないって言うか。だって俺たち中学校の頃から男子校だよ?女子なんて生き物はネッシーと同じくらい遠かった!」
よい形容詞発見!って言う顔してる一成君だけど。
わたし、自分がUMAと同位置なのはかなり納得いきません。
「じゃあさ、少なくともうっとおしがられていることはないかな」
「ないない」
そして一成君はさらりと言った。
「それはむしろ、王理一族の俺のほうだと思うよ」
「…一成君」
「学校関係者がいるとクラスの連中はやだろうなって思うよ。ほらクラスの連中なんて教師と経営陣はちがうってこともよくわかってないから、うかつに教師の悪口も俺の前じゃ言えないと思っているし」
一成君がクラスで浮いているなんて思ったことも無かったけど、一成君は自分がクラスに溶け込めてないって思っていたのかな…それは。
「それは寂しいよ…」
わたしはうつむきがちに言った。
「クラスのみんなは一成君のことそんな風になんて思っていないと思うよ。だって一成君、いい人だもん。鮎川君の時だって、一成君にはまるで関係なかったのにすごく一生懸命になってくれたじゃない。わたしがモニカに入り込んだ時だって、心配だからって自分も忍び込もうとしたし。一成君がいいヤツだってことは皆わかっているよ。だから大丈夫」
自分で言ってわたしも気がつく。わたしもクラスに浮いているんじゃないかなって思うことは、自分を責めているようで居て、他の人にも重荷を負わせているのかもって。
「なんだか、わたしと一成君はちょっと似てるねえ」
わたしは笑って言った。
「ちゃんと人の好意は素直に受け取らないとね」
「…似てないよ」
なぜか、一成君はためらいながら否定した。
「俺と梅乃ちゃんは似てないよ」
「一成君?」
「だって俺は、けっこう繊細だけど、梅乃ちゃんはそうじゃない。これは大きいよ」
そんな風に言って一成君はおかしそうに笑い声を上げた。
「一成君はわたしをなんだと思っているの!?」
わたしは一成君が欲しいと思っているであろう返事をしてしまった。
本当は、一成君には他に言いたいことがちゃんとあったんだろなと思ったけど、でもなんだけ聞けなかった。
ちゃんと尋ねるべきだったかなって思いながら、わたし達は笑っていた。わたしが一成君に彼の思っていることを聞く前に寮に着いてしまう。
『一成君、王理の名前が嫌いなの?』
そう聞いてあげるべきだったかもしれないけど、できなかった。
なぜなら、寮の玄関に、理事長が居たからだ。
玄関先で行き倒れていた。




