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確かに今のところは、わたしのところを好きだって言ってくれる男子も、わたしが好きだと思えるような相手もいませんけど。
でも、いきなり禁止条例なんてひどい!
ということで、わたしは大変ご立腹なのだ。
「久賀院さん。この口紅の色、どう思う?」
麗香先生とまったりとコスメの話をしていても癒されきれないほどに。
基本的には一成君やクラスのみんなと昼ごはんを食べているわたしだけど、週に一回ぐらいは美術室で麗香先生と一緒だ。麗香先生の手からマニキュアは消えて相変わらず油絵の具がつくようになってしまったけど、化粧の技術は冴え渡ってきていた。もはやわたしが教えを請いたいくらい。そうだよね、もともと美術教師なんだから技術さえ伴えば色彩感覚はいいはずなんだもん。
「それ、夏の新製品ですか?」
「そうなのー」
「あー、いいですねー」
「久賀院さん」
麗香先生はわたしの目の前で微笑みながら聞いた。うわあ、以前を知っているわたしでも目がくらむ鮮やかな笑顔だ。
「何か、悩んでいることでもあるの?」
「え?」
「なんだか、最近元気ないから」
遠慮がちに尋ねてくるけど、それは確かに大人のもので、教師のもの。ひゃー、わたし態度に出ていた?
「私じゃあんまり力になれないかもしれないけど、何か悩み事があるなら話をして欲しいわ」
せ、せんせー。
実は梓のバカから、恋愛禁止令が出されてしまいまして、二度とない青春のひと時が暗黒に塗りつぶされそうなんです!と思わずまくし立てようとした私だが。
「えっと…恋愛のことと、梓先生からみのことはお役にたてないけど…」
おお、ストライクど真ん中ですね。
「…な、なんでもありません…」
まあ確かに麗香先生、魔性の女で恋愛の達人ってわけでもなさそうだし、やっぱり梓のことまだちょっと好きなんだろうから、こんな話をするわけにもいかないか。日々梓の悪口を吹き込んで悪霊払いをしているんだけど、まだ呪いは解けてない。早く立派なエクソシストにならなきゃ。
「わたしのことより麗香先生はどうなんですか?誰か他に好きな人とかいないんですか?」
えっ、と麗香先生は息を飲んでそのあといきなり顔を赤らめた。
「だ、だって私この間失恋したばっかりだから、いきなりそんな次なんて言われても困っちゃう」
「いいじゃないですか、梓先生のことはもう犬に噛まれた思って忘れましょうよ!」
「いえ、噛まれてもいないんだけど…」
「あ、そうだ。高瀬先輩なんてどうですか?」
のほほんとわたしは提案したけれど、いきなり麗香先生の様子がおかしくなった。手から湯飲みがつるりと滑って転がる。
「だだだだって彼は生徒だし、年下だもの!」
「えー、でも七つでしょ。社会に出ればそのくらいの年の差なんてけっこうありますよ」
「とにかくダメ!」
理屈もへったくれも無い、とばかりに麗香先生は言い切った。なんなんだろうこの意固地さは。仕方なく奇妙な沈黙のままわたしは麗香先生と茶をすすりあった。話をかえたいとばかりに麗香先生が口を開く。
「そういえば、もう過ぐ期末試験ね」
……しまった、嫌な話題になったものだ。
梅乃ちゃん、と声をかけられたのは、美術室をでてすぐだった。階段の影に隠れるようにしてわたしを手招きしているのは、先ほどちょっと話題にでた(そしてすぐ消えた)高瀬先輩だった。
「どうしたんですか、先輩」
「しー、声がでかい!ちょっとこっちこっち」
次期生徒会長の呼び声高い高瀬先輩だが、今は思い切り挙動不審だ。彼が立候補してもわたしの清き一票は一考の余地があるなあと思いつつ、わたしはまたしても屋上に呼び出された。あの時とはうって変わって晴天の七月の空。生徒もあちこちに居て昼休みを謳歌していた。その一角で高瀬先輩は声を潜めて言った。
「ねー、麗香先生どうだった?」
「どうって?」
「元気かな」
「…自分で会いに行けばいいじゃないですか」
いや、言われなくても会いに行っているかと思っていたけど。
「…それが止むを得ない事情で会いにいけなくて」
先輩は暗い顔で言った。どうしたんだろう。なになに?やむを得ない事情って。まるでロミオとジュリエットみたいじゃないですか!
「麗香先生に美術室の出入り禁止にされてしまって…」
「酔って暴れて店内損壊とかやらかしちゃったんですか?」
「美術室は居酒屋じゃない」
高瀬先輩はため息をついて言った。
「ちょっと本気で迫ったら泣かれちゃった」
「は?」
「マジ好きって言って詰め寄ったら」
「校内暴力反対!」
麗香先生にそんなことするなんて、暴力…いやもう虐待だ!ウサギだったらストレスで死んじゃうレベルだ。
「最低ですよ、先輩。見損ないました!」
ずびし!と指摘すると高瀬先輩はますますしおれた。
「俺としたことが…焦りすぎた」
「信じられない。今すぐ麗香先生に土下座してきてください。先輩の土下座に価値なんてないけど取り急ぎ土下座にてお詫び申し上げて下さい。腹を切るのは後ででいいから」
「だから会ってくれないからそれも出来ないんだって!今、麗香先生、小学生用の防犯ベルを首から提げてるの知ってるか?俺の姿見るとあれ握り締めるんだぜ」
「自業自得じゃないですか。性犯罪者に容赦は無用です、ちょっとくらい首を切り落としちゃえばいいのに」
「そんな冷たいこと言わないでよ、梅乃ちゃん」
先輩はわたしの目の前で両手を合わせた。
「お願い。協力して!」
「嫌です。しかもわたしにメリットないし」
「ひでー、後輩のくせに交換条件かよ」
「先輩のくせに後輩頼るのはどうなんですか」
うん、交換条件?
先輩をと話しつつ、わたしは自分の言った一言にピンと来ていた。そうだいいこと思いついた。うん、即、検討しよう。
「…わかった」
先輩はうなずいた。
「親のつてで、会いたい芸能人に会わせてあげる。そうだ、最近すごく売れ出したユニットとかどう?ほらあの『ハニーベリー』とか歌っているの。可愛いよね、あの女の子二人組のユニット」
「えー、あんまり興味ない」
「じゃ、なんかおいしいもの奢ってあげる。俺焼肉食いたいし」」
「安い。しかも全部自分基準じゃないですか、先輩!」
騙されないぞ。
「先輩、お礼についてはまた後で考えます。ちょっと今わたし大事なこと思いついたんでその話はまたあとで続きを」
「え、梅乃ちゃん?」
先輩を置いてわたしは校舎に戻った。ヒトサマの恋愛のことにかまけている場合じゃないのだ。自分の恋愛の方が大事。
「梓先生!」
わたしは化学準備室の扉を乱暴に開けた。梓はあいかわらずヒマそうにコーヒーを入れていて、他の先生の姿はなかった。
「なんだウメ。ちょうどいいところにきたな。コーヒー入れたからお前にくれてやってもいいが飲むか?」
「頂きます!」
梓がドリップしたコーヒーはおいしいのだ。おとなしく椅子に座ってわたしは目の前にコーヒーの入ったカップが置かれるのを待った。その間、まじまじと梓を見ていたけど、そういえばこんな風に梓を改めてみることもいままでなかった。
梓と言うのはよくよく見れば麗香先生も確かに惚れるであろう男前なのだ。わたしには酷薄そうにしか見えない眼差しも人によっては怜悧ととれるだろうし、小ばかにしたような薄笑いの口元も引き締まった唇と言えなくも無い。授業も上手だし、わからないところはちゃんと教えてくれるし。あーあ、問題なのは性格だけだ。
「で、何のようだ」
カップをわたしの置いて梓は言った。いけない、用件を忘れるところだった。先輩と話していて交換条件で思いついたのだ。
「例の恋愛禁止令なんですけど!」
「提案却下」
早い!
「話くらい聞いてください。だってやっぱりひどいです。思春期のお嬢さんに恋愛禁止なんてどう考えても疑念の残る対応です。人生のモチベーションが下がります。なにか救援策を考えてください。結論、わたし可哀相!」
「思春期の前に学生であるお前の本分は勉強だ」
はいはい帰れ帰れとばかりに梓は手を振る。
「勉強もするけどー!」
「大体今のところ、誰からも告白もされてないんだろう。それにウメが誰かを好きだとかそういう色気じみたことも感じないしな。禁止令解除したって意味無いぞ」
ぐう…あたっているだけに反論できない。
「でももしかしたら明日、アラブの石油王がわたしを見初めるかも知れないし」
「石油王は実際、結構年配だが」
「白馬の王子様が現れるかもしれないじゃないですか!」
「王家のしきたりはウメには無理だ、やめとけ」
言い捨てた梓だけど、ふと邪悪な薄笑いを浮かべた。
「しかしまあ、そこまで言うのなら」
なにやら不吉な予感だ。
「そうだな、期末テストで全科目で学年一位をとったなら考えてやらんこともない」
「…全科目、一位?」
「そうだ。うーん簡単すぎるか」
「いや、かなり人間業じゃありません」
「そうか、じゃあ救済策は却下だ」
お、横暴な…!
梓め、何科目あると思っているんだ。確かに中間テストでは一番とった科目もあるけど、一成君や他の生徒と仲良く分け合ったんだよ。友情なのに。
「もしホントにそれできたら解除してくれるんですか」
「まあ学生の本分を立派に果たしているのなら、ある程度譲歩してやらないわけにはいかんだろうな」
梓はにやにや笑っている。明らかにコケにされているのがわかりますよ、わたしにだって。
「…わかりました!」
でも、わたしは梓に怒鳴るように言った。
だってわたしには選択の余地が無いのだ…。
「そうかそうか、頑張れ」
むっつりと不機嫌な顔を隠さずに、わたしはコーヒーを飲もうとした。と
「おい鷹雄いるか?」
そう言って入ってきたのは理事長だった。
「お、どうしたんだ久賀院」
「なんでもないよ。それより十郎、コーヒー飲むか」
ひょいとわたしの前からまだ口つけてないコーヒーを取り上げて、梓は理事長に差し出した。相変わらずなんて酷い!
「じゃあ梓先生、約束だからね。絶対だよ!」
ムカついたのでわたしはそう言って立ち上がった。わたしの剣幕に理事長がぎょっとしているけど、とりあえずわたしは化学準備室を出た。
やるしかない。一等賞取るしかない。
教室に戻ると、一成君と蓮がのほほんと話をしていた。
「梅乃ちゃん、麗香先生元気だった?」
なんて声をかけてきてきてくれる一成君に申し訳ない気持ちになりながらもわたしは決意した。
ごめん、一成君。あなた今日から期末最終日まで敵。




