4-6
「蓮」
呼びかけつつも、困ったなあとわたしは次に続く言葉を言いあぐねていた。
「なあ、ウメちゃんは俺のところ嫌い?」
わたしが困っている間に蓮は畳み掛けてくる。でもこれなら答えられる。
「嫌いじゃない」
シモネタ王でいいかげんで能天気でアホだが、嫌いじゃない。友達だし。
「じゃあさ俺の彼女になりなよ。俺、今日自分の手の内全部ウメちゃんにみせたよ?あれだけの人と付き合っていたのも本当だし、それを今日全部別れたのも本当。ウメちゃんと付き合いたいからだってわかってる?」
わたしが常日頃知りたいと思っているのは、アマゾンの配送倉庫の仕組みであって、蓮の恋愛問題なんていうのは足の小指の爪並みにどうでもいい。
「蓮は友達だよ」
「そこから一歩進んでみよう。ね。大事にするから」
「己は一体どの口でしゃあしゃあとそれをいう」
わたしが蓮の頬をつまもうとして伸ばした手は、あっさりと捕らえられた。あれ?
「だからつきあおう」
「お断りします」
わたしは蓮を見つめる。困ったなあ、これ言わなきゃいけないかなあ。
「そのわりには拒絶しないじゃん。ほんとに嫌だったらさっきみたいに大暴れすればいいじゃん」
蓮はわたしを試すように言う。あーもー、言わないとわからないかな。
「拒絶しないとキスするよ。もしかしたらその先も」
「それは困る」
わたしは言う。蓮と視線はそらさない。わたしはこのバカを友達だとまだ思っているから怯えてそらす必要はないんだ。
「わたしは蓮とそういうことはしたくない。だからやめて」
「それでも俺がしちゃったら?」
蓮の目の奥にあるものが、本気なのか冗談なのかはちょっとわかりかねたけど。
「だから、それは困る」
「……それだけ?」
わたしの頬を触ろうとした蓮の手をわたしも捕まえた。
「わたしは蓮を友達だと思っているから、蓮の言葉を信じて御好意に甘えさせてもらった。あれから寮に戻るのは大変だし、かといって寮にも戻れないで夜うろうろするのはちょっと怖いなと思っていたから。その判断を下したのはわたしだから、そのあと蓮があの約束を反故にするのは自由なんだ。わたしが勝手に蓮を信用することにしたわけだから、そのわたしの判断に対して蓮が責任を負う必要はないんだよね、結局」
わたしがあの時キレタのも結局はわたしの価値基準にあわなかっただけといえばそうなんだけど。
わたしが誰かを信じるのって、最終的にはわたしの責任なんだと思うよ。人が誰かを信じるのは、信じた人間の責任もあると思う。
だからこそ、人を裏切るということは、おかしい。
裏切るってことは、その信頼だけじゃなくて、信じてくれた人の尊厳だって損なうことだし、裏切ってしまった蓮自身をも貶めることだと思う。
蓮が約束を破ることはもちろんわたしにとって不利益で、腹だたしいことだけど、蓮が自分を卑しくしてしまうこともとても悲しい。
別にビジネスの契約じゃない以上、わたしが蓮に言えることは一つ。
「蓮を信じたわたしの間違いなだけだけど」
だから、それは困る、としかいえない。
「ちょ……ウメちゃん……」
蓮はわたしの視線に気がついて彼の目にも困惑は浮かんでいた。
「だけどさ、蓮」
本当はここまで言いたくなかったけど、でも言っておかないとあとあと困りそう。
「自分で気がついているのかな。蓮は今、わたしのところを可愛いとかつきあおうとか大事にするとか言っているけど『好き』とは一度も言ってないんだよ」
きっと今日別れた彼女達には一番最初に伝えたであろう大事な言葉。それを蓮はわたしには一度も言ってない。
「それは」
さっと蓮の顔色が変わった。自分で気がついていなかったことを指摘されて青ざめた様子だ。きっと本当に無意識のことだったんだろう。
「蓮にどんな事情があるのかわたしにはわからないけど、でもそんな好きとも思っていない人にキスして楽しい?」
わたしのお父さまは本当にいろいろなことが出来ない人で、詩を書くこと(詩の定義は別問題とする)以外は率直に言ってアレである。アレの内容についてはお察し下さい。
でももう一つ出来ることがあって、母さんとわたしへの愛情表現をまったく惜しまないこと。
普通、なかなか妻に愛してるは言わないと思うけど、お父さまは真顔で本気で言っているからなあ。梅乃さんは僕の宝ですとか日常茶飯事だし。
だから。
「わたしはちゃんと本当の心からの好意を知っているから、蓮の言葉にある本気じゃなさって気がつくよ」
いや、これがまた、男前で資産家で優しくてわたしの超好みで一千万円ぽんとくれる人の場合、向こうの本気じゃなさに目をつぶる可能性と言うものはゼロではないのですが。
「蓮の事情までは知らないけど」
「……マジか」
蓮はわたしから手を離した。約束どおりの一メートルの距離まで戻ってその長い四肢をもてあますようにソファの上にあぐらをかいた。
「……なんかよくわかんねぇ。俺ウメちゃんに本気じゃないのかな。ていうか本気ってなんだっけ……?」
「そんなの蓮が考えることだよ」
「俺は俺なりにウメちゃんのところ気にいってたんだけど、それと恋は違うのか?」
「だからいろんなところで気持ちを振りまいていると、そんなこともわからなくなるんだよ。ばか」
「俺、もしかしてダメなやつだろうか」
「……そんなことはないけれど、とは言い難い」
「俺、ちょっと変な人かも?」
「否定はできない…」
質問攻めだ。
しばらく蓮はうつむいていた。何を考えているのだかよくわからなかったけど、ややあって顔を上げる。
「ちょっといろいろとわからなくなってきたかも」
「そう言うときはとりあえず寝るといいと思う」
なにせもう夜の十二時なのでわたしも大変眠たいのだ。
「……そうするか。じゃ一緒に寝る?」
「反省とか、学習能力とか、蓮はそういった言葉を知っているのかが気になる」
「冗談だよ」
わたしの殺人ビーム発生しそうな視線を受けて、蓮は能天気なあのいつもの笑顔を見せた。なんか蓮が週末あまり帰らないで寮に居たがるわけがわかったように思う。多分今日が特別なんじゃなくて、この家はいつもこんな感じなんだろうな。蓮はこの家にいると、調子が狂ってくるみたいだ。わたしは、この家にいるどこかおかしい蓮よりはいつものアホな蓮の方が好きだ。
「ウメちゃんには手を出しません。マジで」
「それは助かる」
「ちょっと俺、客用寝室見てくる」
「ごめん」
蓮はソファから立ち上がって、リビングを出て行こうとした。
「あのさ、蓮!」
わたしは声をかけた。けげんそうに蓮が振り返る。
「わたしは、暗いことを言わないいつもながらのアホな調子の蓮が結構好きだけど、でもなんか思っていることがあるのなら、ちゃんと言ってもらえると嬉しい。蓮が弱音とか文句とか悩みとかそういうことをぐずぐず話しても、わたしはそんなことでは蓮を見損なったりしない。ていうか、蓮と一成君がいるおかげで、すごく毎日楽しいから、なにかできることがあるなら力になりたいよ。えーと、話を聞くことぐらいしかできないのだけど。でも陽気じゃない蓮でも蓮は蓮だから、えっと」
だめだ、ぐだぐだだ、わたし。多分蓮が家族とうまくいってないってことはわかるのに、良く考えてみればわたしに出来ることって何も無い。
うわあ、蓮が呆然としてわたしを見ている。そうだよなあ、なにもできないのに何かしたいじゃ意味わからないよねえ。ダメだ、わたしはお父さまの懐の大きさだって持ち合わせていない。
やばいちょっと自分の無能さにへこんできた。底なし沼思想にはまり込む。
蓮の悩み事も聞けないなんて、わたしはなんて無力な友達なのか。でも、蓮を特別に女の子として好きじゃない以上、今日会った元彼女たちみたいなことをわたしには出来ない。出来ないものはできない!
「ウメちゃん」
蓮の目もなんだかあたりを泳いでいた。握った拳が震えていて、なにかをこらえてるよう。やばい、どうしよう、なにか逆鱗に触れてしまったのだろうか。そうだよなあ、バカバカわたしのバカ。
「あー、そうか」
ところがどっこい一体どうしたことか、蓮は頭を抱えてしゃがみこんでしまった。
「俺って最低だったんだ」
ぼそりと呟いた。
いまさらそんなわかりきったことを言われても、どうしたものかと思う。大丈夫だ、安心しろ、それを知らないのは蓮自身だけで、宇宙レベルで皆にダダ漏れだ。
「人の好意を雑に扱うことって、本当に最低なことなんだな」
「そんな事も知らなかったのか!」
あーうあーあー、バカすぎ。眠気も覚めそうなバカ。これって一回死んでも治らなさそうだ。
でもどうして誰も教えてあげなかったんだろう。蓮のお父さんもお母さんも……それに、一成君も。
「そうかあ、あの子達、みんな俺のこと好きだったんだ。好きでいてくれてたんだ」
「どうして野次馬のわたしが見た瞬間にわかることが、蓮にわからなかったの?」
「何を言っても言い訳だけど」
蓮は顔を上げて言う。
「……俺、今までパンダって知らなかったんだ。だから、パンダはずっと横にいたのに、パンダと思ってみてなかった。これはパンダと言うんです、って今、やっとわかった」
……は?
「ありがと、ウメちゃん。パンダ教えてくれて」
パンダ……は、上野で仔パンダ産まれて超ニュースになっていたよね。
あっけに取られているわたしとは逆に、蓮はさばさばした顔で立ち上がる。
「……とにかく俺は寝室の支度をしてくるよ」
しかしまあ、蓮はなにやら勝手に納得しているようだ。
わたしもまあ話はさっぱりわからないのだが、パンダは可愛いということはわかる。ぽかんとしているわたしを置いて、蓮はリビングを出て行ってしまった。
パンダってなんなんだ?って悩んでいるうちにわたしはどうやら寝てしまったらしい。




