4-5
「無断外泊なんてみつかったら超困るの!」
人で溢れた駅前で、わたしと蓮は押し問答をしていた。
蓮は、もーめんどくさいから今更寮に帰らなくてもいい、実家に帰るという。
承知した、それは蓮の勝手だ。
だけど、わたしは困る。お父さまがいる私の実家は都の隅っこなのだ。しかも急に帰ったら心配する。今現在、わたしは寮以外に居場所ない。門限破りになろうとも、なんとか帰らねば。
「いいじゃん、ウメちゃんも俺んち泊まれば」
「何寝言いってんの、蓮」
寝言は寝て言え、もしなんならわたしが一丁殴り飛ばして安眠させてやってもいいけど。
「大丈夫だって。俺が今日外泊届け出すついでにウメちゃんのも出しておいた」
「はあ?」
往来の真ん中でわたしはかくーんと口開けてしまった。アホ面全開だ。
「なにをあんたは勝手なことを……!」
「この時刻は『雑用時間+(今日もめる人数×一人にかかる時間平均値)』により算出してもうばっちり想定済み」
「なるほど。その原因となった人間にしては上出来な計算式だ」
ところでそんな無駄時間を費やさないようにするだけの知能はないのですか?と言ってやりたかったが面倒なので止めた。
「でもわたしは蓮のうちに泊まるのは嫌」
ていうか、それはないだろう。
「心配無用だから」
わたしはにっこり笑った。
「わたしはあの駅の周辺にあるダンボールを借りて寝る」
「あれはもう誰かのスイートホームだからダメ!」
ウメちゃん、頼むよ、と蓮は自分のこめかみに触れる。
「ウメちゃんが寮にも帰れないし、実家にも帰れなくて一晩この町をうろうろするなんて、ちょっと俺の責任に関わるし」
「わたしの行ったことは全部わたしの責任だよ。それはちゃんと考えてる」
王理を選んだのも、モニカに忍び込んだのも、今日結局門限守れなかったのも、わたしは誰かのせいにはしたくない。わたしはため息付いて歩き始めようとした。
「いいじゃん、両親もウメちゃんなら喜ぶし」
「なんで?」
「俺、いままで年上ばっかりだったから、ようやく同級生連れてきたって」
「喜びどころが微妙におかしい気がする……」
それでもまあ、御家族が居るのならとわたしは思案する。確かにこのままここにいても仕方ない。あと頼るは梓のうちくらいだけど、それは罵倒がセットでついてくるはずなのでできればごめんこうむりたい。
そんなわけで、わたしは蓮の御宅拝見と相成った。
「いないじゃん、ご両親」
「ほんとだね」
蓮の家での第一声である。
蓮の家はかなり高級なマンションの中にあった。なんと、靴でお部屋にあがっていいのだアメリカン!
おそろしくセンスよく、多分聞いたら卒倒するような値段が予測される家具が置いてある広いリビング。そこは暗くしんと静まり返っていた。蓮が電気をつけてもちょっとその寒さは安らがない。この風景は一人で暮らしている梓の家のものと似ていたけど、でも梓の家にある静けさは一人分のもの、でもここのある静けさは、本来あるべき家族の気配が消えた分だけ寒々しい。
蓮はひょいとスマホを開ける。彼自身もひんやりするような顔で液晶をみると無言で閉じた。そういえば、さっきから蓮の携帯はなんどか軽妙な音楽で蓮を呼び出していた。わたしは曰く携帯電話に類するものを持っていないので、ちょっとうらやましい。
「どうしたの?」
「仕事で今日は両方帰れないって。俺、遅くなるかもしれないけど、今日は家にもどるって言っておいたんだけどな」
「……そっか、仕事忙しいんだね、ご両親」
わたしのうちにはヒマをもてあましもしないでエンジョイできる無職のお父さまが一人いますが。
「まあいつものことだしなあ。最後に三人で一緒にメシ食ったのって、えーと…あれは確か中学の入学式のときか」
蓮は別になんとも思っていないみたいだ。
「……ご両親、仲あまり良くないの?」
「いや?」
そっか、じゃあ殺人的な仕事の忙しさだなあ。
「単にお互いに無関心なだけだと思うよ。自分のやっている仕事が楽しくてたまらないんだろうなあ。だから別に俺も虐待とか両親の不仲を見て不幸ってこともないし。ただ単にいないだけ。幼稚園の頃からそうだったから別にもう今更って感じだしなあ。向こうも俺のこと、忘れてはいないと思うよ。これ使えって、クレジットカードくれるくらいだし。ああ、メシ作ってくれる家政婦さんはいたよ。なので息子の俺はすくすく育ちましたー」
「……なんか変じゃない?」
「あ、俺のムスコもすくすく育ちました」
「うるさい黙れ」
蓮の妄言はともかく……何か変だ、と思うわたしが変なのかな。
えーと、幼稚園の頃から蓮はこの家でほぼ一人だったわけだよね。最後に家族と揃ってご飯食べたのは三年以上前なんだよね。金はやるから適当にやれってことだよね。別にいがみあってはいないけど、誰が何やってても平気なんだよね?
なんか納得いかない。
でも蓮はけろりとした顔だし、それにわたしも今の最大の問題はそんなことではない。
「ではまあそういうことでしたら、わたしはおいとまいたします」
リビングに背を向けて、とっとと帰ろうとしたわたしの肩をあわてたように蓮が掴んだ。
「え、帰るの?!」
「帰るよ?」
「だってこれからじゃ行くところないじゃん」
「なんとかなると思う」
「どうして!」
「だっておうちの人がいないのに、友達の家にあがるのは行儀が悪い。それにそもそも」
わたしはちょっと痛くなってきた靴のつま先を気にしながら言う。
「今日一日蓮の自由奔放な女遊びっぷりを知っても一晩一緒にいたいというチャレンジャーな女がいたら、見てみたいくらいだ」
「うわあ、すげえ正論」
「これは常識という!」
さすがに反論できないかと思ったが
「じゃ誓います」
蓮はにいっと笑って、右手を上げた。
「俺は、ウメちゃんには手を出しません」
「その誓約、あてになるの?」
「神のみぞ知る?」
「疑問形は論外」
わたしがくるりと蓮に背を向けて玄関に向かおうとしたときだ、急に後ろから捕まえられた。つんのめるかと思ったけど、背中から抱えられるように拘束されて身動き取れない。
「ごめん」
蓮は言う。
「ほんと、絶対手を出さないから、今日一緒にいて」
知るかボケと丁寧に罵るのがこの場でのオフィシャルな対応であろうかと思ったけど。
「さすがに全員と別れるのは響く」
蓮は低い声で言った。
もしこれが、女がらみのことだけだったらわたしは連に上記の罵声を浴びせかけとっとと帰ってしまうところだったが、蓮の声の響きにわたしはこの家の寒さを感じた。
ふと回りを見る。
綺麗に片付けられて、空調は完璧な温度と湿度を保っていて、モデルハウスのような美しさで。だからこの家はなんだか気持ち悪かった。部屋は人を待っているのにその住人はここをめったに訪れない。それってちょっと悲しかった。
ここは蓮の実家なのに、実家として機能していない。
「……具体的に、わたしの半径一メートルに近寄らない、というなら」
ひょいと蓮は手を離し道化て笑う。
「マジで?超ラッキー、言ってみるもんだ!」
……あの重苦しい気配はわたしの妄想だったのか、と思うくらいの素早さで、蓮はわたしからさっと離れていた。そして能天気に手を振る。
「さあさあお入り下さい。え、何か食う?ケータリングする?」
「いらない。お茶でおなかいっぱい」
再び戻ったリビングで、蓮は確かにわたしから十分遠いソファに座った。
「どうする、DVDでも見る?ゲームする?酒のむならいろいろあるよ?うわあ、エロい事しないと間がもたねえー」
「……ねえ蓮」
わたしは思いきって聞いてみた。一成君では近すぎて聞けないけど、蓮くらいなら聞けるような気がする。
「理事長って、あんなに若くてどうして理事長なの?」
「……なんじゃそれ」
言うに事欠いてその話題かと、蓮はぼやく。
「だってなんとなく気になって」
「別に知らなくてもいいじゃん。一成も理事長は王理グループの人間だって言ってただろ?」
「でも」
一成君と理事長の間にはなんとなく微妙な感じがするんだ。そういうのってはたから見ていると気がつく違和感なんだよね。一度気がつくと気になって……。
「……俺から聞いたって言うなよ?」
それでも今日、水をかけられ、カフェの客&店員から白い目で見られ、しまいにはひっぱたかれたわたしにさすがに蓮は悪いと思ったのか(いつかコレはちくりと言って貸しにしておこう。服とかじゃ安すぎた)言った。
「一成の親父ってさ、俺なんか比較にならないくらいの女好きだったの」
「なんだそれ。人間?」
「人間だっつーの、しかもざっくばらんないい男だよ。男から見てもそう思うってことは相当だと思う。でさ、甲斐性もすごい。愛人が沢山いて、それぞれに子どももいてちゃんと認知して扶養もしているんだ」
この国でも一夫多妻は現実的には可能だったのか……!
「で、轟十郎理事長は、一成の親父の子ども。一成と腹違いっての兄弟って全員で十数人いるらしい」
「すみません、質問」
「はい?」
「まさかと思いますが、十番目だから十郎……?」
「御名答。正確には九番目だけど」
安易だ……!
「確か、次雄さんって人が、一番上だったと思う。それと誰か一人、亡くなっていたはずだけどなあ」
「でも一成君は理事長より年下なのに、一なの?」
「一成は、あのおっさんの正妻の子なんだって。だから特別なんだろ」
「……そういう人が結婚するのはどうかと思うよね……」
でも、なんとなくわかった。だからいつも一成君は理事長のことを話すとき微妙な顔なんだな……。
「そっか……」
「なー、ウメちゃん」
考え込んでいたわたしに蓮は声をかけた。
「どうして俺と俺の家で俺のためにいるのに、一成の話なわけ?」
「蓮の話は今日一日聞いたからもうおなかいっぱい」
胸焼けする。
あと、蓮のためにいるんじゃない。蓮のせいでここにいるんだ。
「あのさ、どうよ、俺って」
「……え、そんな……急に聞かれても困っちゃう……。死ななきゃ治らないレベルのバカだとしか思えないなって……、てへ、素直な気持ちを言うのは恥ずかしいね」
気分的には語尾にハートをつけてやったぜ。
と、蓮は今までいたソファからひょいと一つ横にずれた。その分わたしに近寄るけど、でも一メートルは切ってない。
「ちょっとはかっこいいとは思わないのかなあ……」
「今日の姿の一体どこを切り取ったらそんな発言が!ねえ蓮、自分を客観的にみることは大事だよ?」
「俺はウメちゃんすげえ可愛いと思うんだけど」
は?
わたしは蓮のそういったと思われる口を眺めた。大丈夫かな、二枚舌とかになっていないか。
「見た目はもちろん可愛いんだけど、すぐカッとなるところも、そのわりには単純なところも、変に頑固なところも可愛い」
……ものは言いようだなあ……。
今の発言を理事長ナイズすれば『見た目はともかく、すぐカッとなるわ、単純バカだわ、いらんところで変に頑固だわ、ほんとに久賀院は可愛げがない!』ってなるはず。ほら見よ理事長、肉眼で見えないかもしれないわたしの可愛げだって、顕微鏡を使えば発見できる。諦めがはやいんだって、理事長は。
「あのさー、俺が、全員を切った理由とかわからない?」
「さっぱり」
わたしが能天気に脳内の理事長に勝ち誇っていた間に、気がついたら蓮はわたしの横まで来ていた。今、時空が歪んだかと思うような素早さだった。瞬間移動した、この人?
そして軽々とわたしの肩に手を回して抱きとめる。
「蓮、近い」
「……だって俺、近くにいたいんだ」
「わたしは蓮の行動なんて、遠くから眺めていたくもない」
「キスしていい?」
ごめん、日本語今かみあってないよ?
わたしは異常に近くで見つめる蓮の目に困惑していた。




