3-5
「ど、どうかな、久賀院さん」
「先生!」
素敵ですー!と言ってわたしは麗香先生に抱きついた。あ、結構巨乳だ。
それは五月の末だ。美術準備室で麗香先生は完成を見た。
さあ、現在の麗香先生を説明しよう。髪に覆われていたかいあって、白磁の肌にほんのりと桃色チーク。くっきりアイライナーにより、ミステリアスな眼差し。三本のマスカラを自在に駆使し、自然かつ超ロングのまつげ。ソフトな弧を書く眉毛。薄い唇はそのままだけど、つやつやグロス。もっさいジーンズにTシャツは、女教師はコレでなきゃ、的な黒タイトスカート、白いシャツ(ボタンみっつ開けました)に大変身。
コンプリート!
「でも、先生、髪型変わったのって大きいですね」
麗香先生のあの貞子ヘアは、巻きを入れたセミロングになっていた。どんなに化粧してもいまひとつ、と感じていたのはやっぱり髪型のせいだったみたいで、それが変わると大違いだった。たしかにコレは素人にはできないなあ。
「そうね、これは、彼にお礼を言わなきゃ」
「彼?」
「高瀬君。彼が、お母様が使っている美容院を教えてくれたの。それで先週末にいったのだけど、すごく上手だったわ」
「高瀬先輩が?」
どういう風の吹き回しだろう。麗香先生の変化を一番嫌がっていたのに。
美術室はなにやら今までになく騒々しい。この間まで随分静かだったのだけど、ここしばらくでかなり美術部の部員が増えたらしいのだ。理由は一つしか思い当たらないが。
しかし、どうも麗香先生は素で天然らしく「どうしてこんな入学式もかなり過ぎたころに……」と本気で不思議がっている。
「ねー、麗香先生」
わたしは準備室の椅子に座って麗香先生を見た。
「麗香先生は好きな人に告白とかするんですか?」
え、と言って麗香先生はわたしを見た。その頬がぼんやり朱に染まる。
「え、えっと……いやだわ久賀院さん。私そんな勇気なんて」
「でも、せっかく可愛くなったのに」
そうだよ、理事長も麗香先生に告白されたらぜったい嬉しいって思うよ。今言ってあげたほうがいいかなあ、でもわたしが理事長の気持ちを勝手に話すわけに行かないし。
「……多分ね、だめだと思うの」
麗香先生は静かに言った。
「私の好きな人は、きっと私をそういった目では見てくれないと思うのよ」
「そんなのわからないですよ」
っとに理事長め!いつも女子どもって言ってるからこうやってあらぬ誤解を受けちゃうんだよもう、自業自得だよ!
「でも……そうね」
あっ、と思ったのは麗香先生がそういって笑ったときだ。
「でも、ちゃんと言わないといけないのかもしれないわね。ずっと好きだったの。ちゃんと次の誰かに行くためにも、結論を出したほうがいいんだわ。私、あの人が好きだったから変われたんだもの」
そうだ、高瀬先輩の言葉も当たってる。
麗香先生もこんな風に一生懸命見た目を変えなくても十分きれいだったのかもしれない。ただ、髪から顔を上げて、それで、ちゃんと笑って恋をしたことを誇れば。
それだけで、十分、こっちが嬉しくなっちゃうくらい可愛かったのだ。
「うん」
わたしは応援の意味を込めて麗香先生に同意した。
麗香先生が特攻かけに美術準備室を出て行ったのは、数日後のことだった。
一体誰のところに行くのかは、麗香先生は言わなかった。でも「一緒についてきて!」とか言わない麗香先生の男らしさに惚れ惚れした。
「麗香せんせー」
ふと気がつくと、美術室の入り口にその噂の高瀬先輩が立っていた。わたしをみて気まずそうにちょっと視線をそらす。
「茶くらい飲ませてもらおうと思ってきたのにな」
相変わらず気の抜ける話し方をすると、それでも先輩はにいっと笑って美術室準備室の椅子に座った。
まずい。
「高瀬先輩、あの、麗香先生の髪って」
とりあえず、わたしのほうから話を振ってみた。言われることはわかっていただろうけど、先輩は気まずそうに言う。
「……なんつーかさ」
「応援したくなっちゃった、とか」
まあね、と先輩は嫌そうに言った。
「だってさ、今まで『はい』とか『ええ』とか『高瀬君……そんな』とかしか麗香せんせー言わなかったんだよなあ。あのさ、俺、丸一年この美術準備室に通ってんだよ。そんで茶飲み友達してるんだよ。なにもひどいことしてないよ」
最後の一言は怪しい。ちゅーぐらい迫ったんじゃなかろうか、疑心暗鬼。
「でも最近麗香せんせー、楽しいそうに笑ってんだよねえ。俺だけじゃなくて話しかけてきた生徒とさ。なんか、あれ見てたら、あんな綺麗なものを俺一人だけで見ているのも悪いじゃん」
口調はいつもどおりの軽薄さだ。でも高瀬先輩の言葉一つ一つがものすごく真摯だった。これが適当に言っている言葉でも、これならわたしは騙されても悔いはない。麗香先生が言いたいことも言えなくて苦労しているのなら、高瀬先輩は言うこと全てが軽薄に聞こえて損するタイプだ。
「ま、俺の母親の行っている美容院は、たしかに腕はいいからなあ」
のんびりわたしが高瀬先輩を見直していたのはそこまでだ。
「で、麗香せんせーは?」
キタヨ。大地雷の質問が。
「え、えっと……」
「梅乃ちゃん?」
先輩が鋭い目でわたしを見据えた。
「……麗香せんせは」
「えええええっとおおおおお」
「まさか、誰かに告白でもしに!」
恋する男のカン、侮り難し!
「ちょ……ちょっと止めないと!どうしてそんなのに行かせたんだ!裏切り者!」
「ええ、だって、先輩だって。先生かわいくなるのに協力したじゃないですか」
「近日中に俺のもんにするからだー」
「なんて勝手な未来予想図!」
「一緒に来い。麗香せんせを止める……多少汚い手をつかっても……」
係わり合いになりたくない!
と高瀬先輩はわたしの手をちょっと乱暴に引っ張った。無理やり立たせようとしたのだけど、わたしはこの間くじいた足の痛みに悲鳴を上げた。結構本気だったわたしの声に高瀬先輩も驚く。
「ご、ごめんな。それよりその足……」
「ちょっとこの間、屋上で滑ってくじいて」
「え!もしかして俺が呼びつけたとき?そういえばあの日少し湿っていたもんな。ごめん、俺のせいだ。マジごめん。あの時俺少しキレてたかもなあ、ごめん」
先輩の言い方からは、閉じ込めたような後ろめたさは感じられなかった。それでもわたしは一応カマを掛けてみる。
「あそこの鍵って閉めた弾みで締まっちゃうことがあるらしいんです」
「えー、それでも俺のせいだよ。ごめんな」
先輩じゃないな、と思った。屋上扉の鍵はそんなことはない。それどころか閉めるためには特殊な鍵がいるらしい。今確実に持っているのは、警備員さんのコピーと理事長のマスターだけ。万が一と思って聞いてみたけど、高瀬先輩もこの様子じゃやっぱり関係ない。
「なので、わたしはここから動けません」
「大丈夫」
高瀬先輩は笑った。そして椅子に座っているわたしの背中と膝の下に急に手を差し込んですくう。
「お姫様抱っこしてあげるから、探すの手伝え」
「ぎゃー、嫌だー!」
わたしを抱えて準備室のドアを蹴り飛ばすと、高瀬先輩は廊下に躍り出た。すげえ、無駄にかっこいい!いやそんな感想言っている場合じゃない。誰かいますぐこの暴走特急を止めてくれ。
「どっちだ梅乃ちゃん」
「知りません。下ろしてー」
「職員室か?」
人の拒絶の意思を無視するのはよくないと思います。
ぎょっとして廊下を譲る他の生徒達の間をすり抜けるようにして高瀬先輩は走った。シーンによってはかっこいいと思えなくもないが、どうしてわたしがこんなことに巻き込まれなければならないんだ。
ばたばたと職員室の前を通りながら中を確認する。
「くそ、いないか。教員じゃないのか……?」
「おろしてー」
「……久賀院?それに二年生の高瀬か……何してるんだ?」
唖然とした声が後ろから聞こえた。
「……理事長?!」
そこに書類を抱えて立っていたのは、理事長だった。
なんであんたが一人でここにいる?
いまごろ、麗香先生に告白され「はっはっは、君の気持ちはとても嬉しいよ。僕も君が好きなんだラブー」とかいちゃついている頃ではないのか!?
「……理事長に、今は特に用事無しです!」
そういって高瀬先輩は廊下を走り始めた。それにしてもこの人すげータフ。
「ちょっとまて二人とも!」
そしてどうして理事長は追いかけてくるんだ。
「廊下を走るな、それは禁止だ!」
さすが理事長。校則にうるさい。
急に高瀬先輩が足を止めた。追いかけてきた理事長が、高瀬先輩に当たり、そのはずみでわたしは先輩の腕から落っこちかける。頭、廊下にぶつける!
と思ったとき、わたしはかろうじて何かに受け止められた。床よりマシな程度であんまり居心地はよくなかったけど、なんとか後頭部衝突は免れた。
「こらー、高瀬!」
ぎりぎりわたしを抱きとめた理事長が高瀬先輩を怒鳴りつけるけど、彼はそんなこと意にも介さずその教室のドアを開けた。
「麗香せんせー!」
そこには麗香先生が確かにいた(高瀬先輩めすごい嗅覚だ)。そしてその中で続いていた会話は、勢いづいていて止まらなかったのか、彼女は言った。
「……梓先生、ずっと前から好きでした!」
わたしは、理事長とおそろいの動きで頭上のプレートを見る。多分二人して、口はぽかんと開いていた。
『化学準備室』って、書いてあった。
「梓先生って、言い方はすごくきつくて、誤解されがちなんだけど、本当はすごく優しい人だと思ってる」
朱色の光が差し込む美術準備室で、麗香先生はさばさばした顔で言った。
「いつも私がぐずぐずしていると、なんだかんだ言って手伝ってくれたり、アドバイスしてくれたの。ねえ、あの一言だって、あれがなきゃ私、久賀院さんに頼るだけで自分から積極的に動くことはなかったと思うのよ。本当はすごく思いやりがある人よ」
すごい恋愛フィルターだ、と思うが。
梓が悪魔に見えるのがたとえわたし一人になっても、わたしはわたしの正しさを信じ続ける。殉教も厭わないぞ!
「……でも」
口を挟みかけたわたしを遮って麗香先生は微笑む。なんでだろ、なんでこんなに大人の顔なんだろ。
麗香先生が好きなのは、梓だったんだなあ。そういえば、麗香先生が好きな人を見る目だったとき、わたしは理事長だと思っていたけれど、たしかに横にはいつも梓がいた……。
あーもー、思い込みって怖い!
後悔しきりのわたしと対照的に、麗香先生はほんとに爽やかだった。
「だから、この学校に来てからずっと好きだった。ちゃんと終わることが出来てよかったわ」
麗香先生のその笑顔は本当に可愛かったよ。
『……僕は他に好きな人がいるので薬師寺先生の気持ちには応えられません。申し訳ない。でも君が悪いんじゃない。君は惚れ惚れするくらい美人です』
それが梓の返事だった。
でさ、それはともかく。
置いてきてしまった高瀬先輩のことを考えると、大変頭が痛い久賀院梅乃です。
なかったことにならないかなあ……。




