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ひどいよ、先輩。怒っているのはともかく、鍵まで閉めてしまうなんて。いじわるにもほどがある。
わたしはすでに一時間、屋上に閉じ込められていた。麗香先生が荷物置きっぱなしになっているわたしを心配して探しにきてくれないかなとか思っているうちに校庭の部活も終わってしまって、気がついたら人の気配がどこにもなくなっていた。
しかも屋外の部活が終了したのには原因がある。天気が悪くなっているのだ。雨粒交じりの冷たい風が屋上に降り注ぎ始めていた。
「寒いよう」
わたしは屋上入り口の陰に隠れてみたけど、そこも雨よけにはならなくて制服は湿り始めていた。五月とはいえ、雨交じりの風はかなりきつい。あ、歯がかちかちなってきた。
……普段は考えないようにしているのだけど。
わたしはわたしの周囲に時々垣間見える悪意が気になっている。
入学式のときになくなったカンペ。あれが発端だけど、他にもささやかに日々悪意は感じられているのだ。いくつかの文房具がなくなったり中傷の紙が下駄箱に入っていたり。誰からなのか、なんのためなのかもわからない不快な出来事。
でもそれについては、多少だけど相手にもなんとなく申し訳なく思う。いままで男子ばかりだった気が置けない場所に入り込んできたのはわたしで、それは確かにぶしつけなんじゃないかと思っているから。同級生はみんな親切だけど、結局誰もわたしを恋愛対象としては好いてくれてないのだ。梓も首をかしげているけれど、誰からも好意を伝えてもらったことはない。
「ウメ、中身はともかく見た目はそこそこいいはずなんだけどなあ……僕の久々ヒット作品なのに」と梓に哀れみの視線を送られたこともある。僭越ながらムカつかせていただきましたよ。
だから。
本当は、わたし、ここではいる場所がないんじゃないかって。
あれ、と思った。
雨粒はさっきから指先をこわばらせるほどに冷たいのに、頬があったかい。
エグッてかわいげもなくしゃくりあげて、わたしは自分が泣き出してしまったことに気がついた。
目をごしごしこすって涙を拭おうと思ったけど、それじゃマスカラが落ちてしまう。パンダ完成になってしまうので、わたしは目の前の敷石をにらみつけた。
泣くな、梅乃。
梓は、いざっていうときのために(コレについてはいったいいつなのか本気でわからない)美しく泣く方法は教えてくれたけど、泣きそうなときに歯を食いしばる方法は教えてくれなかった。金が欲しいから、可愛くあるよう努力したっていう梓の身も蓋もないも指摘はこれ以上ないくらい合っている。でもほんとは違うんだよ。
わたしはお父さまと母さんとまた楽しく暮らしたいから頑張るんだ。
お金は手段なんだもの。
お父さまは実家でやっぱりのほほんと暮らしているけど、でもすごくわたしを心配してくれていた。わたしが寮にいる間に、何を思ったかコンビニだかファミレスだかにバイトに行って、即日解雇になって帰ってきたらしい。いろいろと弁償騒ぎにならなかったことが救いだ。きっといい店長だったに違いない。それはともかく余計なことしないで、頼むから家でおとなしくアホな詩を書いていて欲しいと思うけど、やっぱりわたしを心配してることは嬉しい。
母さんも病院で戦ってる。
だからわたしだって。
わたしは顔をあげた。
「こんなところで泣いているヒマがあったら、梓を見返して奴隷にしてやらなきゃならんのだ!」
とりあえず、怒鳴ってみた。
梓から受けた数々の罵詈雑言、思い出すとカプサイシンパワーなど目じゃないほどに身体が温まってきた。精神的暖房はエコロジカルだ。
元気が出てきた。ていうか、元気出す。
わたしは頬の涙を乱暴に手で拭うと、前を向いた。邪魔な髪の毛をくくる。鍵をしめたのは高瀬先輩じゃないような気がするんだ。だってそんなわかりやすい意地悪を誰かがするわけがない。悪意はひそめられているからこその悪意。
だからわたしも自分のへこたれたところなんて、絶対見せてやらんのだ。
この校舎の横には、部室長屋がある。それはこの校舎より一階低くて屋上はフラット。柵もくるぶしくらいまでの段差しかない。で、そこの外の非常階段は鍵が閉められていないからあそこからなら降りられる。この校舎と部室長屋までの間は二メートル。
わたしは屋上のフェンスを乗り越えた。幅五十センチほどのそこを歩いて、屋上の隅に立つ。幅はあるけれど、高さはこちらの方が高いから、十分いける。わたしはそれなりに陸上競技は得意だったんだよ。
距離を確認してわたしは後ろに下がる。細い屋上のへりだけど、でもちゃんと足を置く場所はあるから大丈夫。
十分助走の距離をとってから、わたしは屋上の縁を全力で走って。
跳んだ。
一瞬足が滑ってひやっとしたけれど、わたしは部室長屋の方の屋上にみごと着地した。ついた足の裏がしびれていたい。それを徐々に勢いを落とすことで和らげようとしていたわたしに。
「久賀院!?」
驚きと怒りの混じった声が飛んできた。その勢いで思わずバランスを崩してわたしは部室長屋の屋上に転倒してしまう。あいたたた……。
誰だ、不注意に声をかけるなんて危ないじゃないか!
すっころんだ身体を起してなんとか屋上に座り込む。あーびっくりした、とため息ついたわたしがさらに驚いたのは、非常階段を使って屋上に上がってきたその人間を見たときだ。校舎間を跳んだわたしをみてびっくりしたのは彼も同じなのだろうけど。
「何やってんだ、久賀院は!」
大股で近寄ってきたのは理事長だった。その長身はさすがに見えないふりはできない。座り込んだまましかたなく理事長を見上げる。
「……えっと……」
「校舎の間を跳ぶなんて、お前頭でもおかしくなったのか!」
偉そうに何言ってんだこの人は。
わたしだってそんな人見たら、頭おかしいと思うわ!当たり前のことを言うな!
「ちゃんと階段を使え」
閉じ込められたんだっつーの……。
でもわたしはそのことを理事長に言う気にはなれなかった。だってさ、自分の学校の生徒とか先生にそんなことする人がいたら悲しい。理事長のことは好かないが、べつに調子にのって傷つけるほど嫌いでもないし。
「王理と鳥海がお前が帰ってこないって言うから、しかたなく探しに来たのだが……お前」
理事長は校舎を振り返った。
「まさか、あっちの屋上に閉じ込められたのか?」
「違います。わたしがそんなマヌケに見えるとでも?」
「じゃあなんでこんな遅くまで屋上にいたんだ」
くそう、自分で気がついた。思ったよりも、鋭い。
「……天体観測です」
「今日は雨だが」
「……火星人を呼んでいたところです!邪魔しないで下さい!あと一歩で世界平和のための宇宙のメッセージが聞けるところだったのに!」
「……久賀院」
ため息を一つついて、理事長はわたしの前にしゃがみこんで目線を合わせる。
「お前どうしてそんなに可愛くないんだ」
……今、お前は言ってはならないことを言った。
雨天決行で空に死兆星を見るがいい。
「俺はぎゃあぎゃあうるさい女は苦手だが、頑固な女は始末に困る。久賀院はそのタイプでほんとうに厄介だ。なにか困っていることが有るなら、今すぐ言え、聞いてやる」
命令+高飛車=反感。
その反応式を知らないと見える。
「なにも」
わたしはにっこり笑って言った。
「困っていることは」
貴様などの権力に頼らなくても自分でなんとかしてみせる。
「ありません」
おっと、目に笑みを込め忘れた。
「……ほんとに可愛くないな……」
梓直伝スマイルは0円だが、わたしの可愛げが欲しかったら国家予算を持ってこい!日本じゃないぞ、アメリカのだぞ。
理事長は途方にくれたようにうつむいて頭をかいた。
「まあ、こんなところでどうこう言っていても仕方ない。ほら、帰るぞ」
「一人で帰れますから、お先にお戻り下さい」
「そういうわけにも行かん」
「大丈夫です。美術室に荷物もあるし」
「それはまあ明日でいいだろう。ほら」
「だから先行って下さい」
立ち上がった理事長はまだ座り込んだままのわたしを見て、おやと言う顔をした。そして、おもむろにわたしの手を掴み引き起こそうとする。
「……痛……い」
眉をひそめたわたしの手に痛みのためじわっと汗がにじむ。
「やっぱり」
理事長はため息をつく。
「足首をくじいたなら、くじいて立ち上がれませんと早く言え!」
まっぴらごめんだ。
「大丈夫です。ちょっと痛いだけです!」
「いいか、久賀院」
理事長はまたしゃがみこんで言う。
「俺も好きでここにいるわけじゃない。とっととこの薄ら寒い場所から寮に帰って、風呂入ってビール飲んでメシ食って雑誌をみながらごろごろしたいんだ。お前が駄々こねているとそれがどんどん遅くなってストレスがたまる。協力しろ」
「何様!」
「理事長様だ!」
うわー、オトナゲないよ、この人!
「ほら!」
理事長は座り込んだままわたしに背を向けた。く……屈辱だ……。
しかしながら確かにこのままではわたしも帰るに帰れない。しぶしぶわたしは理事長の背中に負ぶさった。理事長が立ち上がるとき、「よいしょ」と言ったのが許せないが、しかたない、ここは目をつぶってやる。わたしがオトナになってやろう。
わたしを背負ったまま、理事長は外の非常階段で屋上を降り始めた。
「ほんとに女子どもは始末に負えん」
またそれですか。
「理事長」
ムカついたので言ってやった。
「理事長、そんなんじゃ、誰かに好きになってもらったらどうするんですか!」
「……なに?」
「女の人に好きになってもらったら嬉しくないんですか?」
「……まあそれは久賀院と違って、礼節ある大人の女性だったらもちろん嬉しい」
一言多い。でも麗香先生なら脈ありってことかな。よーし、いける!
「理事長」
わたしはそれでも、一応背負ってくれた感謝の念を込めて、言ってみる。
「理事長、いいことあるといいね」
きっと近々あると思うよ。
「なんだ、久賀院?」
「なんでもないです」
理事長の背中はそれでもあったかくてなんだかほっとする。
眠たくなったわたしの目には、校庭を心配そうに走ってくる一成君と蓮の姿がうつった。




