13-8
「ごめんな、泣かせて」
耳の上で理事長の声がした。
「しかもこれって俺のせいなんだろう?なんで俺は一番泣かせたくない子を泣かせているのかなあ」
「ごめん……」
「謝らなくていい」
背中に回っている理事長の手に力がこもった。
「気が済むまで泣いていていいけど……泣き止んでくれる方法はあるのか?」
「わかんない。え、えっと……頑張って泣き止む」
「……頑張らなくていいから、そんなことは」
「うん」
「ものすごく大事だよ」
「うん」
「……俺ともう一回付き合ってくれるか」
速攻泣き止んだ。
「ほんと?」
「おま……なんですぐに気持ちが切り替わるんだ」
理事長の胸から顔をはなしてわたしは理事長を見た。
そういうことでしたら、話はさくさくと進めようじゃありませんか。誰か契約書と実印もってきて!拇印でも可!
でも理事長は急にわたしを引きはがして大真面目な顔になった。
「付き合うとは言え、お前はまだ高校生でどうしたって子供だ。だから俺は大人としてお前を保護する立場にある。教師じゃなくなってもそれはすべての大人の使命である」
突然どうした。
「付き合っているけど付き合ってないんだ。お前が高校を卒業したらその時に俺の方から正式に交際を申し込むからそれまで保留だ、恋人らしいことはおよそすべて!」
「はあ?????詐欺じゃん!!!!」
付き合うっていうのと違う。それ蟹じゃなくてアラスカだろ!
「俺はお前が可愛いと思うし、二年たったら本格的に恋愛感情をもっているはずだ。もしかしたら二年後にはお前は他の誰かを好きになっているかもしれないという予想をしても、腹をくくって待つことにした。俺は自分とお前の心を信じて待つのにお前は待つ気もないのか?」
カッと目を見開いて言う。
「覚悟を決めろ!」
すごい!やくざ顔に『覚悟』を語られるとか、説得力がすごい!
「…ぐぬぬ……詭弁を感じるがいたしかた無し……」
だがこちらも条件がありますよ。
「恋人らしいことにキスは入りますか」
「あたりまえだろ」
「てことは、手を繋ぐことは?」
「迷うところだ。握手ならいいんじゃないかな」
「年の差のこと言わない?」
「なるべく言わないようにする」
「人の気持ちを勝手にきめつけたりしない?」
「ああ。さっき男のくせにって言われて、久賀院の腹だたしさがわかった」
「急に不安になったりしない?」
「……」
「でもそれはわたしが頑張って励ますからいいや」
久賀院、って理事長が呼ぶ。
「でもお願い。ちゃんと好きっていってほしい。言ってくれなきゃまた泣いちゃう!えーん」
顔を手で覆ってみたら、理事長に手を外された。
「あ、嘘泣きなんて覚えやがって!」
「いいじゃん!好きって言ってよ!ていうか言えー!」
わたしは理事長に膝にのっかったままその胸をぽこぽこと叩く。だって怖いんだもん、次に理事長が何を言い出すかわからなくて。不安で仕方ない。理事長も不安だろうけど、わたしだって一杯怖いんだ。
「…………梅乃」
いきなり名前で呼ばれてわたしはびっくりして黙った。
「頼む、ちょっとくらい、俺のやりたいようにやらせてくれ。とりあえず、三十秒黙れ」
理事長はそういいながら不思議な事に微笑んだ。
「う、うん。でも名前で呼んでくれるなんて」
「だってなんかおかしいだろう。付き合っている相手を苗字呼び捨てなんて…………でも、お前がいやなら」
「嫌じゃない!理事長にはそう呼んでもらいたい」
「そういえば、俺ももう理事長じゃないんだ」
理事長は笑った。声を出して笑う理事長はちょっと可愛いけど、なんかどきどきする。
「じゃ、じゃあ轟さん……?」
「なんか他人行儀だな……名前で呼んでいいよ」
やったあ!名前で呼ぶなんて超付き合っているっぽい!
「じゅーろー!」
「いきなり呼び捨て!」
わたしは叫んで首に抱きついた。えええっと十郎が抗議の声をあげる。
「だって可愛いよ、じゅーろーって!十郎さん、なんてわたしのキャラじゃないし。十郎君、はちょっと理事長っぽくない」
「……そうか……」
そうだよそうだよ。十郎。可愛いよね。
まあいいや、と十郎が呟く。
それから一度目を伏せた。少しだけ何か考えてから、顔を上げると膝の上のわたしをまっすぐに見た。伸ばした右手で私の手を掴む。さっき言った通り握手をしてから、おそろしくはっきりとした声で言った。
「好きだよ、梅乃。今も大好きだし、未来もきっと好きだ」
心臓が跳ね上がった。
ずーっと欲しかったものをもらったら、その数倍素晴らしくて、ショック死しそう。
これにて御免、みたいに黙って、十郎がわたしを見つめる。そんで余裕綽々で笑った。
「顔が真っ赤だぞ」
「そんなことない!」
「可愛いな」
……なんだよう、大人ぶりやがって。
「十郎なんか変だよ、おかしいよ。ちゃんと言えるの?」
「いや……俺も一応大人だし……そりゃ数は少ないけど女性と付き合ったことも一応ある」
「ひどい!」
「ひどいって、お前、何年前の話だと思っているんだ」
「だって私にとって十郎は人生で一番最初に好きになった人なのに、十郎にとっては何人目なんだよう!浮気者!」
「そんな昔の終わったことを言われても!」
また叩こうとするわたしの両手を止めると、十郎はひょいとわたしを抱きこんだ。すごい近い場所で言う。
「なんだ梅乃、もしかして照れているのか?」
ぎゃあー!見破られた!
本当に楽しそうに笑いながら十郎はまた言いやがった。
「好きだよ」
耳元で言うのは止めてくださぃ……ていうか誰デスカ、あなた……。
「なんだ、梅乃は好きって返してくれないのか?人にあれだけ言え言え催促しておいて」
「なんかだんだん十郎……キャラ違う……?」
「二人で照れても仕方ないだろうが。俺だって開き直ることぐらいできる」
しゃあしゃあという十郎に、はっと気がついた。
熊井先輩にやられっぱなしの高瀬先輩も、それなりに毒があったんだから、梓の親友の十郎だって押して知るべしだったのではなかろうか。
開き直りの問題だったのか?!
「俺も言って欲しいんだが?」
「……」
「いつもはきはき言う久賀院梅乃ぽくないぞ」
「……十郎、好き」
うんって言って十郎は言い返してくれた。
「俺も好きだよ」
もうなんか恥ずかしいだか嬉しいんだかなんだかわからない。とりあえず十郎の膝と胸にすぽっておさまったまま、背中に手を回して抱きしめた。おっかなびっくりみたいだけど十郎もぎゅうってしてくれる。
好き好き。
なんでだか今になったらわたしのほうが上手く言えない。やっぱりここでキスしてくれればいいのになあとか思ったけど、自分からなんてもう今となっては出来ないので(わたしの攻撃ターン戻ってきてください)とりあえず、頬をすりすりして見る。
なぜか理事長の肩がびくっとした。
「久賀院!」
急にかしこまって叫ばれて、肩をつかまれた。そのまま身をはがされる。
「じゅ、十郎?」
「なあ久賀院、じゃなかった、梅乃、腹が減っただろう。そろそろ飯を食いに行こうじゃないか!な!」
「……やだー、もっといちゃいちゃするんだ!」
「だめだ、いろいろダメ!」
「なんで!学校でも寮でも人前でもないからいいじゃん。誰も見てないホテルだし」
「だからこそなおさらダメなんだ!」
「あ、一成君の部屋だから?じゃあ理事長の部屋ならいいの?移動する?」
「もっとだめだ、ありえない!」
「いいじゃんキスぐらい!」
「お前はちゃんとさっきの話を聞いていたのか!?」
そういいながら、十郎はベッドから降りてしまう。なぜか壁にむかった。
「……大丈夫、大丈夫だ、俺。俺はロリコンじゃないからあと四年ぐらい簡単に待てる、頑張れ俺」
「そうだよ、もう十六歳だから、わたしは子ども扱いじゃなくていいのだ!十郎はロリコンじゃないよ!」
「自己暗示の邪魔をするな!」
なにやらお忙しい御様子だ。
「いくぞ、梅乃。焼肉だ。な、すっごい霜降り和牛の店に行こう。どうかお願いだから焼肉につられてくれ」
ぶつぶつ何事かいいながらドアまで移動した十郎がものすごい勢いで言う。
まあいいか、十郎の家にこんど遊びに行ってくっつこうっと。
(それを聞いた十郎がなぜか「それは、もはやなにもかもがダメだ!」と断固反対するのはまた後日の話)
「焼肉は嬉しい」
「そうかそうか」
本当は嬉しいのは焼肉じゃなかったんだ。
荷物を持ってドアを開けている十郎のところに駆け寄る。ほらいくぞ、なんてそっけない十郎だ。ちぇ、いつも通りか。
でもね。
あさってのほうを見ている十郎だけど、顔が笑っているのはちゃんと見た。
そして可愛いかっこで、わたしは始めての十郎とのまともなデートに出かけた。




