13-7
「なんで鍵をもっているの……?」
最初の疑問に、理事長は渋い顔をする。
「さきほど、王理にたたきつけられたハンカチに包まれていた。あいつの思い通りに動くのは本当にしゃくにさわるんだが仕方ない……」
「じゃあなんで来たの!」
「お前が心配だから以外の理由がどこにあるんだ」
信じられないくらい大真面目な顔だった。
「だって理事長、もうわたしのこと好きとかそういうのじゃないのに!」
「そういうのだから来た」
……。
「自分でも本当に勝手だとは思う。王理だったら、歳も近いし、俺が口出しすることなんてまったくないくらい完璧な恋人になれるはずなのに、邪魔するなんて本当に俺は勝手だ」
「一成君とは友達だよ。全然そんなんじゃない」
「……まあその点についてはそのうち折を見て機会があったら話そう」
何故気がつかない……と理事長はため息をつく。とりあえずわたしは椅子に座りなおし、理事長も疲れたようにベッドに腰を下ろした。
なんか怒鳴ったわたしが恥ずかしくなってきた。
理事長の言葉はわたしにだってあてはまる。理事長の彼女でもないわたしには、見合いに乱入どころか怒る権利だって無いのだ。それに、理事長の考えていた将来だって、まったく思いやってもなくて。
「あの、理事長、ごめんなさい……」
「なんだ、えらく殊勝でどうした……」
いきなり謝られて、理事長は困惑したみたいだった。
「ううん、なんでもない。でも理事長はあの名誉会長と海外には行かないんだね」
「ああ。はっきり言ったんだが、今日のこの会合はどうしても変更できなくて会うことになってしまった。まあ彼女には悪いことをした。俺はどうやら求められているタイプではなかったようだ」
けれど理事長の顔はさばさばしていた。
「……でも理事長はああいう女の人が好みなんでしょう?」
「……まあそうだったが……」
「綺麗な人だったね。あの人どうした?」
「なんか困った顔で帰ってしまった。あんな騒ぎに巻き込まれた以上当然だな。申し訳ない事をした。あとできちんと謝罪しておくよ」
……ごめん。
「どうしたんだ久賀院。おとなしくて気味が悪いぞ」
「……理事長」
わたしはうつむいていた。
「ごめんね、いっぱいわがまま言って」
「腹へって元気ないのか?」
「わたし理事長の気持ちなんてまったく理解していなかったんだなって思って。それなのに好きって自分の都合を押し付けてごめん」
「なんか悪いものでも食べたのか……?」
「わたしの理事長が好きって気持ちは、迷惑だったよね、ごめん」
おい!と理事長が無理やり話を切った。
「誰もそんなことは言ってない!」
「だって!」
「俺は久賀院を迷惑だなんていったことはない!」
「でも迷惑だったよ……!」
「別にそんなことは」
「理事長、ごめん」
わたしは顔をあげる。
応援してくれた蓮にも、見送ってくれた梓にも、ここまで付き合ってくれた一成君にも本当にごめん。でも。
「理事長にいろんな思いを押し付けてごめんなさい」
理事長はためいきをを付いて頭をかいた。ラフに、でもかっこよくまとまっている髪が乱れた。
「それを言うなら、俺も俺で勝手な事ばかり言って申し訳なかった。今だってここにいても意味なんて無いんだ。だって俺は別にお前の恋人でもないし……もう今となっては王理高校の理事長でもないからな。お前と王理一成の間でなにがあろうとも注意する立場ですらない」
「だから一成君は友達だって、ただの」
「……すまん、ただの友達だろうがなんだろうが、自分の惚れた女が他の男とホテルの一室にいれば、愉快な気持ちにはならないんだ」
はっとして顔を上げた。
「まだわたしを好き?」
「そうじゃなかったときなんて、無い」
……………………もりあがってきましたよ!
「じゃあやっぱりつきあおう!はい決定!」
「だからどうしてそう早合点!人の話を聞け!」
なにも問題ないじゃん!
「俺は、お前が勘違いしているのが、気の毒なだけだ」
それは。
「俺はお父さんの立場では我慢できないよ」
「お父さん、っていうなー!」
わたしは怒鳴った。
理事長がわたしを迷惑だと思うならそれは理解できる。
理事長がわたしを好きじゃないなら納得する。
でもわたしの気持ちを決めつけるのは我慢できない。
わたしは勢いよく立ち上がった。
「久賀院」
唖然とする理事長を突き飛ばした。ふいをつかれて理事長はあっさりころんとベッドに仰向けに転がる。
「おい何を」
そのまま上に圧し掛かって理事長のおなかの上に座り込む。
「ちょっとまて、久賀院重い!」
「うるさい!」
理事長の襟元をネクタイごとひっつかむとわたしは頭を下げて、理事長の唇に自分の唇をあわせた。
いだい!
がちっ、って言う音がして、口に痛みが走る。おもいっきり理事長の歯に自分の歯をぶつけたからだと気が付いた。くー目測失敗!
初めてのキスだっていうのに、なんだかときめきとか甘酸っぱさとは数億光年はなれ、苛立ちのままにわたしは言う。歯のしびれは気が付かないことにした。
顔をあげると、理事長が唖然としてわたしを見上げていた。
「恋と父性を勘違いしているなんてありえない!」
「……った……久賀院」
「確かにわたしのお父さまは、父親らしくないけれど、わたしにとっては大事なお父様なんだ。どんなに好きでも、お父さまにはこんなことしたいと思わない」
歯の痛みに顔をしかめていた理事長はようやくまじまじとわたしを見た。
「わたしが理事長をちゃんと好きって言うことまで、勝手に否定しないで!」
言いたいことを言ったら、すっきりするかと思ったら、むしろ胸が重たくなった。
ああ、喉が痛い、何か詰まっている。視界もぼやけるし、なんか変な病気だろうか。
「ちょ、ちょっとまて久賀院、泣くな!なんで泣く!」
理事長が叫んだ。失礼な。
「泣いてない!」
何言ってんだ理事長。泣かないんだ、わたしは。
好きな人の前で泣くような、かっこわるいところを見せるような、軟弱な人間じゃない!
「いや泣いてるだろう、どうみても……」
どの雑誌見ても、明るくて包容力がある子が彼女にしたいタイプナンバーワンだし。彼氏の前で泣くようなのはだめなんだ。
「泣いてない」
「だって、涙が」
「こぼれてないから泣いてない!」
ってうつむいた拍子に、こぼれてしまった。覆水盆に返らずですか。下にいる理事長の頬にぽつんと一滴落ちていた。
「……お前の意地っ張りは、本当に現代医学では治癒不可能だな」
理事長も何を言ったらいいのかというような響きだった。
「ごめんね、ウザくてごめんね、でも嫌いにならないで」
「それでも俺には、いろんな素直なところを見せてくれていたのになあ……信じてなくてごめん」
理事長はわたしの頬に手をのばす。まだ残る一筋の涙のあとを、乾いた指で拭った。
「久賀院が笑っていたときは無視して、怒っていたときは受け止め切れなくて本当にすまない。ならせめて」
理事長が腹筋使って身を起した。逆にわたしがバランス崩してひっくりかえるかと思ったけど、理事長は軽々と背中を受け止めてくれた。理事長の膝と胸にすっぽりおさまる形になって、わたしはその服を握り締めるとついにえぐえぐしゃくりあげ始めた。
こんな、今泣くなら、蓮のところでもっと泣いておけばよかった。涙が枯れるくらい泣いていれば。
……蓮のせいだ。あの時わたしを泣かさなければ、わたしはきっと泣かないままでいられたのに。ちくしょう、あとで体育館裏に呼びつけてやる。覚えてろ。
「泣け泣け」
耳元で聞こえた理事長の理事長の声はとことん優しかった。
「泣いても嫌いになんてならないし、うっとおしいとも思わない。久賀院はそれでいいよ」
今まで理事長が優しいと、次は悲しいことがありそうでいやだった。ものすごく緊張したけどけど、なんでだろう、今は肩の力が抜ける。
「ただまあその、贅沢言わせてもらえれば、他の男の前では泣くな、ということだ」
やべえ。
もう蓮の前で泣いちゃった。ああ、でも変にごまかしたり黙っていたりすると、後でひどい目にあうのは学習済みだ。
「……さっき蓮の前で泣いちゃったけど……怒る?」
「……すんだことなら仕方ない。そもそも俺のせいだし」
大丈夫だよ、って理事長は普通に言う。拍子抜けするほどだ。
もしかすると、理事長はわたしにあった出来事より、それをわたしが嘘ついたり黙っているほうが悲しかったのかなあ。梓は『一つも秘密のないようなつまらん女にはなるな』って言ったけど、理事長に秘密を作るのはやめよう。
涙は乾きつつあったのだけど、理事長が抱きとめていてくれるのがなんだか気持ちよくて、わたしは顔を上げないでいた。
「間に合ってよかった」
理事長はぽつりと言う。
「久賀院が、俺に気持ちをぶつけてくれるのを全て止めてしまう前に、間に合ってよかった」
理事長のその言葉、言わんとすることの全てがわかるわけではないけれど、理事長も、わたしに会いたいと願っていてくれたなら嬉しいと思った。




