13-6
「俺だったら」
何かを言いかけて一成君は黙り、そして無言でエレベーターに乗り込んだ。
「あのさ、梅乃ちゃん。少しだけでいいから俺に付き合ってくれる?」
「あ、うん……」
蓮に会って梓に会って、それなのにそれだけで終らなかった今日に、わたしは疲れ始めていた。
ああ、そうか、失恋したんだなあって思う。
ただ手を引かれていたわたしは、まだ高い位置にある階で降りた。高級宿泊フロアの静寂が耳に沁みる。ふかふかの絨毯をふんで、金の文字で部屋番号が書かれた一室の前で立ち止まった。
一成君がカードキーを差し込むかすかな音が異常に大きく聞こえた。
「なんか変な誘い文句みたいなんだけど、けっこうひどい顔しているからここでちょっと休んでいきなよ」
ダブルなんだろうその部屋は随分広々としていた。置いてあるソファに座ってわたしは横に立っている一成君を見上げた。
「気が済んだ?」
その言葉をいう一成君こそ困ったような顔をしていた。
「わかんない」
わたしは首を横に振る。
「もう一回理事長に会って話をすれば自分の気持ちは晴れると思っていたんだよ。相手にしてもらえない可能性のほうが大きいけど、それでも納得できるって。……それにもしかしたら」
ああ、バカだ、わたし。
「もしかしたらやっぱり好きになってくれるかもしれないってさ」
「梅乃ちゃん」
「ごめんね、わたしの問題なのになんだか皆をまきこんじゃった」
そうやってわたしは笑ってみた。うん、笑っていよう。蓮が一度だけ泣かせてくれたけどでもこれ以上甘えちゃいけない。
笑うわたしを見た後、ため息をついて一成君は言った。
「前に梅乃ちゃんは姫っぽくないって言ったことあるの覚えている?」
急にそんなことを言い出した一成君に困惑しながら、わたしはうなづいた。そういう無礼な言葉は忘れません。
「あの時は梅乃ちゃんがなんなのかはわからなかったけど、今ならわかる」
腰掛けているわたしに一成君は近寄ってきた。
「梅乃ちゃんは王なんだ」
「は?」
「姫でも王妃でもなくて、王」
一成君は繰り返す。
「え、ええっと、一成君はわたしの性別とか知っているよね」
「何、『学園の姫』とか自己申請するつもり?いやそれはこちらとしても残念ですが却下せざるを得ません」
「そこをなんとか姫属性」
「まず書類不備ですので訂正の上、出直してください。はい次の方」
きぃーお役所仕事っていうんだそういうの!
一成君はそこで笑った。
「いいじゃん。姫より王のほうがおもしろいよ、きっと」
……それは見ているほうの視点では。
ひょいとしゃがみこんで、一成君はわたしを見上げる。
「梅乃ちゃんを見ていると、俺が守る必要なんてなさそうだなって思うんだ。凄い人間だってことと同じ意味だけど、でもそれはそれで損な部分があると思う」
「なんで」
「一度くらいまるっと守られて見ればいい。蓮とか梓先生とか」
一成君はわたしの右手を取った。
「あと俺とかね」
そして。
何をとちくるったか、わたしの手の甲に口付けたのだ。
まるでどこかの騎士のように、これ以上ないくらいのうやうやしさで。伏し目がちになった一成君のまつげの長さに驚いてからわたしは悲鳴を上げた。
「一成君!?」
一成君がおかしくなった!
わたしは一成君を王子様だって思っているよ?王子様が軽々しく庶民にそんなことしちゃいかんですよ!
「一成君、わたしは村人Aなのです!」
セリフは『王子様、あの悪い竜をやっつけてくだされ』ぐらいな端役です!
「ほんと、そうならどんなによかったか。貧しい村娘とか隣国の姫とかだったら、これで話は終るのにね」
「ごめん、わたし重いからきっとガラスの靴は履いたら壊れる!」
「ガラスの靴なんて王様には不要。その代わり俺がお臣えしますよ」
「なんの話ー!」
わかんない、一成君が何考えてんだかさっぱりわからない!
動転のうえ挙動不審なわたしとは裏腹に一成君はどんどん落ち着きはらっていく。
「本当は別のことを言って、別の行動に出ようと思っていたんだ。わりともう蓮を気遣う必要も無いかなってさ。蓮も一番気に入らないのは、俺が何事も無いようにふるまっていることなんだろう。今日だって結局蓮は梅乃ちゃんを俺に預けたわけなんだよね。だって別にスーツくらいどこでも手に入るもん。でもあいつはあそこで去っただろ?きっと梅乃ちゃんが誰を選ぼうともそれで納得しようって思ったんだろうな。だから俺がどうでても良かったんだよ。俺だって、自分の思っているように出来た。でも今は全ての機会を見送るけどね」
一成君が話すのをわたしは黙って聞いていた。なぜかって?
意味がわからないからです。
なに?何のことを言っているんだ?どうして一成君は蓮に遠慮して自分の行動を縛っているんだ?さっぱりわからないまま話がどんどん進んでくよ!円周率が3のまま数学が進んでいくみたいな不安感だ!
.14159 26535 89793 23846 26433 83279……はどこ!?
あきらかにぽかんとしているわたしに一成君はようやく気がついた。
「ごめんごめん、俺だけ話をして」
いえ攻撃ターンの問題ではなく、内容がちょっと意味不明で。文字化けかな……。
「でもまあ、気にしないでね。大丈夫、俺は今のところは梅乃ちゃんの恋の味方だから」
「ありがとう?」
なんだろう、今のところって。
「大体、他の男しか目に入っていない状態の女に猛攻しかけたって意味ないんだよね。蓮は今までモテすぎたからそういうところがわかっていないんだ。でもさ、つきあっちゃうと、どんなに好きな人でもどこかしら相手の嫌なところが見えてくるじゃん?そうなった時に友人として相談にのったりして優しくした方が、友情から恋愛に変わる可能性は大きいんだよね、一 般 論 だけど」
なるほど。一成君の言うことは深いなあ。
「梅乃ちゃんだって『ウメちゃん好き好き』言ってくる蓮には遠慮しちゃって理事長の相談なんてしにくいだろう?梓先生だって、相談したら逆に丸呑みされそうで怖いしね。好きアピールも場合によりけりだと思う。もちろん、一 般 論 として」
「そうかあ……!」
「それまでは友情を貫いていたほうが、信用して愚痴とか言ってくれるじゃん?そのほうが付け込む隙が生まれると思うんだ。くれぐれも、一 般 論 だけど」
「すごい!一成君って頭いい!」
「ま、一 般 論 はさておき。ともかく今は梅乃ちゃんが理事長とくっついてくれることを俺は願っている。なにかあったら蓮じゃなくて俺に相談してね?」
「ありがとう!」
いい友達を持ってわたしは幸せ者だ……。きっと一成君なら親身になって相談に乗ってくれるだろう。どうしようもなく困ったら一成君に相談しようっと。
「でも、応援してもらっても、もう無理だよ」
「なんで?」
「だって、理事長は、もうわたしのことなんて気にしてないもん。もう会う機会だってないよ」
けれど、立ち上がった一成君は部屋のドアを見た。
「俺は、勝ち目のない戦はしないよ?」
そのとたん力任せのノックの音がした。
「王理一成!いるのか」
……理事長?
「開けるからな!」
開けるって……オートロックの部屋にどうやって?
びっくりして立ち上がってしまったわたしは横の一成君を見た。
「大丈夫だよ。まさかホテルを壊させるわけにはいかないからね」
さきほど入った時と同じかすかなスライド音がして、鍵がはずれた。はあ?って思ったわたしの前で、扉が開く。
「俺は久賀院をお前にくれるつもりは……!」
怒鳴りながら入ってきた理事長は、普通に立っているわたしと一成君を見てあっけにとられる。わたしはわたしでなんで理事長がここの鍵を持っているのかがわからない。
全部知って薄笑いを浮かべているのは一成君だけだ。
「あ、あれ……」
「そんなに慌てるなら、さっきちゃんと驚いて梅乃ちゃんにフォローすればよかったのに」
「あんなところで騒ぎを起こすわけには」
「もし俺が鍵を渡していなかったら、『ドア蹴破ってもっと騒ぎを大きくしていた』に賭けてもいい。俺が梅乃ちゃんをここに連れてくれば、絶対心配してやってくるってわかっていたんですよ。高校生にも見破られるなんて、大概子どもだなあ」
い、一成君は理事長が嫌いなのかな……?
「大体、高瀬先輩にも同じ手で一度おびき寄せられているんでしょうが」
「なんでそれを……!」
「学年を超えた友情が王理の学生の結束。熊井先輩の俺への置き土産ですよ、この話は」
一成君は、じゃあね、と言ってわたしから離れる。
「俺は梓先生と一緒にヒマでもつぶしますよ。あの料亭で酒でも飲んでいるでしょう?俺奢ってもらおーっと。ああ、どうせ蓮もこの辺で心配してうろついているに決まっているから呼ぼうかな」
「一成君?」
「あのね、梅乃ちゃん」
ドアのところで一成君はあの最高に鮮やかな王子然とした笑顔を向けた。
「俺は別に、自分が最初の男かそうじゃないかとかなんて、まったく気にしないから」
「は?」
なんだかわからないが、一成君の今の笑顔は見たことないくらい楽しそうだ……。
「じゃあな、兄さん」
「兄さんよぶな!」
「嫌がらせぐらいさせろ。まあ少なくとも二年間は、あんたは梅乃ちゃんを常時見られる場所にいないわけだから。せいぜいやきもきするがいい」
わたしに向けた笑顔とはまったく違う冷たい顔で言うと、一成君は出て行った。
ざまあみろ……って聞こえたけど気のせいだよね?王子そんなこと言わないよね?
微妙に黒く見えたのは何故だろう。こんなに味方してもらったのに、そんな風に思っちゃダメだ梅乃!
そして一成君の姿が消えて、ドアが閉じた。




