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王理(旧男子)高校にようこそ  作者: 蒼治
act13 三月、「……梅乃」
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13-5

「一成君」

 わたしは料亭の前の椅子におちつきなく座っていた一成君に声をかけた。

「梅乃ちゃん!?……よく逃げられたな……」

 梓先生は?と一成君が聞いてくる。

「……ちゃんとお礼を言った」

 一成君の問いの答えにはなっていないけど、わたしはそう答えた。

「今までありがとうって」

「そう」

 一成君は見えない店の奥を見通すように視線を向けた。

「……俺もまだまだだなあ」

「何?」

「いや、俺は俺のオリジナルを目指すけど、でも一応近い目標ではあるなあって」

 一成君が梓みたいな人間を目標とするなんて……!

 世界が許してもわたしは許さない。魔王にさらわれた王子を助けに行くこともためらわないぞ。

 ともかくわたしと一成君はようやく目指していたホテルの最上階のバーにつくことが出来た。まだバーに来るには早い時間だけあって店の中はすいていた。あっというまに理事長とその女性は見つけることができたけど、空いているだけあってへたに動けばこちらも見つかってしまいそうだ。

 けれど一成君が手をまわしていたのか、その背中側の席にうまく案内してもらえた。


 理事長の声がした。

「お時間を頂いてしまってすみません」

 むきー、わたしにはそんな言葉使いしたことないくせに!

「いいえ、私も轟さんとはお話したかったですから」

 綺麗な声の人だった。こそこそと彼女を振り返って見て驚く。

 あんた理事長にはもったいないよ!と言いたくなるような美女だった。ぱっちりした目なのに大人びていて、服は多分わたしがきいても「それはおいしいものなのか」としか認識できない高いブランドの服のようだった。

 穏やかな表情は、この人お金に苦労したこと無いんだろうなと思わせる上品さで満ちていた。わたしがバーサーカーなら彼女は聖女だ。

 理事長も十二月ごろの梓による抜本的構造改革により、最近ちゃんと見られる格好しているし。そもそもがっしりしているから、スーツ超似合う……。

 ああ……悔しいが、おにあいだ。

 彼女の横にいることで、理事長がかなりかっこいいんだって改めて気がついた。体格だっていいもんね。でもわたしじゃ貧相でつりあわなかったから、気が付かなかったんだ。そうか、たしかにこの二人だったらどこに出しても恥ずかしくないし、誰も反対しないよ……。

 会話もわたしと理事長だったら、三回ぐらいの打ち返しでどちらかが大暴投なのに、理事長と彼女はもうずっと続いている。ラリー、ラリー、ラリー、しかも和やか!


「でも急な出発なんですね」

「名誉会長は人を振り回すことが楽しくてならないみたいですよ」

 まさか、本当に理事長は海外にいくのか?

「轟さんもそれにつきあって大変ですね」

 いや、と理事長は言いにくそうに口ごもる。

「私は名誉会長にくっついて出かける気はありません」

「え?」

 女性はその愛らしい顔で首を軽くかしげた。

「しばらく名誉会長について海外に行かれるんでしょう?それで戻ってきたら『ほぐみ』を受け継ぐって伺いました」

「いいえ、それはあの人が先走って言っていることです。私自身は次の就職先はもう決めてありますし」

「なにをなさるんです?」

「普通の病院の看護師です。王理高校の理事長なんて、もともと想定外の出来事でしたから」

「まあそれはおかしいわ」

 鈴をふるような声で彼女は言った。

「だって、『王理』の血縁の男性が、そんな看護師なんて仕事をするなんて、それこそが想定外じゃありませんか。人をつかって動かすことが王理の方のすることでしょう?それに看護師なんてそもそも女の仕事なのに」


 はあ?


 わたしはぽかんとしてしまった。

 何言ってんだ、この女。

 そしてその後こみ上げてくるのはものすごい怒りだ。

 つーか、なんだそれ!その発言の一つ一つがものすごく理事長に対して失礼だ。理事長がどれだけその仕事が好きで誇りをもっていて、戻りたいと思っていたのか知りもしないで、なんでそんなことが言えるんだ。

「王理の方がするような仕事とは思えませんけど」

 彼女は本当に無邪気に理事長の仕事を否定していた。悪意がないだけたちが悪い。

 わたしは立ち上がりかけていた。なんかもう別にわたしが否定されたわけじゃないのにそれくらい悲しかった。大声で彼女に反論したかった。

 理事長のことじゃなくたって、人の仕事を簡単に否定する彼女のあまりの品のなさにめまいがした。

 わたしが怒鳴りつけようとしたときだった。

「梅乃ちゃん!冷静に!」

 こそこそ言ってわたしの腕を掴んでくれたのは一成君だ。よかった……一人じゃなくて。あやうく切れて暴走するところだった。ダメだ、ビスクドールみたいなこの女性を相手にチョロQみたいな瞬発力をだしても勝ち目なさそう!

 と、

「考え方は人それぞれですが」

 理事長のひどく抑制された声がした。声は低く、穏やかだけど有無を言わせないその強さはわたしが聞いたことも無いものだった。


「……私にも家族がいました。母と姉です」

 その強さの下にあるものは、彼女に対する怒りだって気がついたけど、当の本人はまったく気がつきもしないで理事長の話を聞いている。微笑んで小首をかしげている様は、女のわたしが見てもどきどきするくらい可愛くて魅力的だ。

「でも、母は私を生んですぐに死にました。姉も事故で誰にも看取られずに死にました」

「轟さん」

「本当なら、それは患者を治したいという医学への志になるんでしょうけど、私はちょっと素直でなかったのか、そうなならなかった。我ながら妙に諦めがいいと思うのですが、人が死ぬのはどうしようもない事なのだと考えています」

 見合いでするとは思えない重い話。でもその話は理事長の彼女への礼儀に満ちた反発だ。

「けれど寂しく孤独に人が死んでいくことは、本当に耐え難い」

 理事長の訥々とした話にわたしは聞き入っていた。そういえば理事長は看護師になった理由を話したことはなかったなあ。

「それならば、せめて死の間際、患者がさみしい思いをすることがないように、一番患者に近い場所にいたいと思ったんですよ」

「それなら『ほぐみ』はぴったりじゃありませんか」

「私が本当に、死の間際の人に寄り添えているか、それはわかりません。いや、すみません、わかってます。正直まだまだだと知っています。そんな若造が抜擢されること自体間違っている。あの名誉会長は嫌いじゃありませんがちょっと困った人だ」

 そして苦笑いする理事長に対して女性はいらだっているようだった。


「あなた野心というものはないんですか、男のくせに」

「ありますよ。人並みには。でも別に欲しいものくらい、人に与えられなくても自分でなんとかします。自分の力でつかむことを野心っていうんじゃありませんか?そのくらいの甲斐性はありま……久賀い……!」

 最後理事長は言葉につまった。横の席にストーカーよろしくひそんでいるわたしを見つけてしまったからだ。ふふふ、わたしも立派に高瀬先輩の後輩だ!検定三級くらいかな。

 けれど女性は理事長の異変に気が付かなかったみたいだった。なんだか彼女が聞いていた理事長のこれからの人生の予定が違っていた、とばかりに、そそくさと話をきりあげようとしていた。

 わたしもわたしで潜みながら、考えていた。

 あの女の人にはムカついたけど、でもわたしだって似たようなことは思っていたんじゃないだろうか。

 ごめん、理事長。

 わたしが見ているものはその人のほんの一部なんだなって気が付いた。

 今日は「学校とわたしのところに戻ってきてよ」っていうつもりだった。だってわたしが理事長を好きだから。

 一看護師に戻るくらいなら、理事長でいればいいのに!って思っていたから。

 でもそれもやっぱりわたしの勝手だったんだ。理事長には理事長の人生も思いもあるんだなんて、今までちゃんと想像できなかった。理事長の過去とか望む未来とか、そういうものを聞いていたのかな。


 理事長に帰って来てよ!っていえなくて、わたしは一体何が言えるの。

 理事長は若干うろたえつつも、なんとか彼女と話を繋げていた。わたしの方をなるべく見ないようにして、波風を立てないように。

 だめだ、限界。

 わたしはわたしで自己嫌悪だし、理事長がなにも見なかったように、この場を流そうとしているのもちょっとつらい。帰りたい。

 その時だった。

 今まで沈黙を保っていた一成君が突然立ち上がった。注文したガス入りミネラルウォーターの瓶を掴み、いきなりテーブルを離れて理事長の方に歩いていく。

「王理?」

 気がついた理事長が呟くように言ったときには、その中の水は理事長の頭にかけられていた。

「無視かよ」

 一成君は本気で怒っているみたいだった。

「何事もなかったようにして、あとで適当にフォローしようなんて。そういう態度で自分が大事な相手を傷つけるんだな。よかったねえ、十郎兄さん。そのやり口ならあんたも立派に王理の人間だ」

 何かに重ねて、一成君は憤っていた。

「……こんなことできるの俺だけだろうから」


「轟さん!?」

 間に挟まれた女性がうろたえる。それを制するように一成君は彼女にあっけにとられるほど鮮やかな笑顔を見せた。

「あのね、このおっさんは王理とは関係ないところで生きていくつもりだから、あなたの望むようなことにはならないよ。玉の輿に乗りたいなら、俺のほうがいいよ」

「君……?」

「俺は王理一成」

 その名の示すことぐらいはわかるらしい彼女が目を見開くのと同時に、一成君は自分の真っ白なハンカチを理事長に叩きつけるようにして投げた。

「頭冷えた?十郎兄さん」

 そして身を翻す。

「行こう、梅乃ちゃん」

 わたしは立ち上がらされて一成君に手を引かれた。そのまま彼はわたしをひきずるようにしてバーを出る。

 エレベーターホールで一成君は吐き捨てた。

「俺はあんな展開を見せるために、こんな余興を考えたんじゃない」



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