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「なるほど」
にっこりと梓は笑う。その微笑がヤバイと言うことに気がつかぬほど、わたしは鈍感ではない。王理高校の化学準備室には、春のやさしい日差しが注いでいるが、梓の微笑みは氷点下である。いやいっそ絶対零度。
「それは良いことをしたね、ウメ。友達は大事だからね」
「え、えっと、梓?」
「なるほど、わが身をなげうっての友情。いやあ立派だ。もー僕みたいなおじさんにはそういう思春期のリリカルな思想は想像できないねー。友情ついでに身体売ってくるか?」
梓は自分の机に拳を叩き付けた。それより上記発言は教育者としていかがなものかとわたしは思うのだが。
「つーか、自分のしでかしたことがわかってんのか、おいバカウメ!」
名前に形容詞がついた。すごいぞわたし。サーとかロードとかマイマジェスティとかみたいだ。
座っていた梓が投げつけてきた消しゴムが、わたしのデコに当たって落ちた。
「これが、都の教育委員会を通じてきた連絡。おばかさんのウメにもわかるように、要約してやる」
憤懣やるかたない、とでも言えばいいのだろうか。非常に仏頂面のわたしにかまうことなく、梓はそのぺらい紙をひらひらさせた。
「某私立女子高校の寮に当該校の制服を着た不審者が入り込むという事件があったので、都内の高校関係者、特に寮を持っている学校は気をつけるように、だってさ」
「わー、大変なことですね。不審者許すまじ!」
「お前のことだ!」
「だって、しかたないじゃないですか…」
どうして梓が聖モニカ女学園の騒動を知っているかというと、あの日寮の門限に間に合わなかったことが原因だ。うっかり理事長に見つかってしまい、事が大きくなった。
「どうしてこんな時間になったんだ?」
明らかに、理事長はわたしに対して悪意を持ってる。
聖モニカから逃げ帰ったあの日、わたしは廊下で理事長に絞られていた。しかも廊下に正座。体罰反対!
驚くことにその対象となったのはわたしだけなのだ。他の連中はどうしたかと言うと。
鮎川君は、その日外泊届けを出していたので、帰ってもこなかった。一成君は寮の近くまで来たとき、急に親戚から呼び出しがあって駅に引き返して。で、蓮は門まで来て急に消えた。後で聞いたらわたしが怒られている間にこっそり寮に忍び込んだというので、本当に頭にくることこの上ない。
と言うことで、廊下で正座と相成った。
でも正直に「聖モニカに忍び込んで、いろいろ大変なことになりそうでしたが、鮎川君の恋を王理君と鳥海君とわたしでとりもってました」とかいうわけにもいかない。理事長に目をつけられているのはわたしの都合であって、そんなことにあの三人を巻き込めないのだ。
「ちょっと買い物に行ってました…」
「どうしてこんな門限破ってでも行かなきゃいけなんだ。門限は規則として決まっていることだ。女子生徒とはいえ遵守してもらわなければ困る」
「申し訳ありません」
わたしは頭を下げる。確かに約束を破ったのはわたしだから仕方ない。でも。
「守られる立場ならそれなりに気を遣わなければいけないと思う」
という理事長の発言で、キレた。
守ってくれなんて言ったことあるか?どんなトラウマがあるんだか知らないが、その時代錯誤っぷりに唖然だ!
「どうも申し訳ありませんでした!」
立ち上がってわたしは怒鳴った。そっちがそれならわたしもおとなげなく返しますよ。
「男の人にはわからない女子の事情ってもんがあるんです!」
わたしの言葉に理事長はぎょっとしていた。どうだ、含みを持たせたこの言葉。
「な、なんだ。なんのことだ」
「そんなこといちいち言うなんてはしたないことです。ひどいわ理事長そんなこと言わせるなんて!」
自爆テロ!
でも、攻撃力はあったようで、一体何勝手に想像しているのか、理事長は一人で顔色を青くしたり赤くしている。
「そ、そうか」
理事長はなるべく平静に見えるようにわたしに言った。
「なら、仕方ない」
わたしが拍子抜けするほど理事長はあっさり引き下がった。なんていうかここにいるのがいたたまれない様子で、自分のテントにもぐりこんでしまう。
アイム ウィナー!とか思ったが、ともかく自爆は自爆だったのでそのしわ寄せが、今だ。
あの日から数日後の今日、放課後、梓に呼びつけられたわたしは、結局梓に自白と言う憂き目になってしまった。この取調べの苛烈さに関しては、多くを語りたくありません。グアンタナモとだけいっておきます。
「とにかく、自分の立場を理解しろ、ウメ」
「してます!」
「してたら、他校の寮に忍び込むのか。なるほど。人生タイトロープだな。その攻めの姿勢には感動を禁じ得ないな。スタンディングオベーション!だ」
まずいな、怒り方がやけくそじみている。マジぎれだ。
「で、ウメだけじゃないな。誰が他に関わってるんだ」
「わたし一人です。こんなバカ理事長の率いる学校の男子となんてつるみません」
一成君と蓮が寮への帰還に対して役立たずだったことに関しては、わたしは今もすこし憤りを感じている。それもあってのこの言葉だけど、でもまあ二人が梓から怒られるのは可哀そうだし。黙っていてあげないと。
「ふん」
梓はわたしを眺めた。
「…まあ、基本的に能天気だからなあ、ウメは」
うーん、普通に罵倒されるより微妙だな。
梓はレベルが一つ上がった。
梓は皮肉をカンストした。
「まあ、今後騒ぎになるようなことをしたら」
「したら?」
「そうだね、源氏名でもそろそろリアルに考えようか」
21世紀の奴隷商人め。南北戦争はいつ?
しかしまあ、小言も沈静化したようなので、わたしもそろそろ帰りたい。
軽く頭を下げて出て行こうとした時、梓はわたしにもう一度声をかけた。
「ところで、あまり理事長を心配させるな」
「え?」
立ち止まって振り返ったわたしに、梓は笑いながら言った。
「なんだ。僕がどこからこの話を聞きつけたと思っているんだ」
「理事長…?」
「『俺に女子のいちいち人に言えない事情など見当もつかん、いや、むしろ見当つけたくない。怖い。頼む梓、聞いてやってくれ』」
「…は?」
「なにか入用なものがあれば、売店に入れるし、やんごとない事情があれば、不定期な外出も特例とするとか言っていたよ」
「うそだあ…」
梓、なにか脚色しているんじゃないかと思ったけど、よくよく考えると梓にそんないたわりだの友愛なんてあるわけない。多分王蟲相手くらい頑張らないと理解できない。
「理事長が?だって女嫌いなんでしょう?」
「嫌いじゃないぞ。でも生徒は生徒だし、女子供は男子が保護すべきものだって思っているからさ」
「…武士道…?」
「見た目はヤクザみたいだけどな」
そう言って梓は笑った。
あ、梓と理事長って友達なんだなあって気がついた。一成君と蓮みたいな気安さがそこにはあった。理事長も他の人には言えないことを梓にはいいそうだし、梓も自分がどんなに罵倒してもそんなことで嫌われないっている自信があるみたいだ。
「しかし、よりにもよって僕に頼むかなあ。僕だって男だって言うのに」
「だって、誰も若い女の人いないから」
「いや、いるよ」
あれ、女の先生なんていたっけ?
はて、と思ったわたしに、梓は話を元に戻してしまった。そのせいで、そのことはしばらく忘れてしまうのだけど。
「あんまり十郎を嫌いになるな。あいつ、ああ見えてなかなか優しいぞ」
ようやく化学準備室を出られたわたしは、下駄箱に向かって歩き始めた。
理事長が優しいかどうかはまあどうでもいいや。早く、あのテントを撤去してくれればわたしも少しは好きになれそうだ。
と、下駄箱のところに、鮎川君が立っていた。
「あ」
どうやらわたしを待っていたらしい鮎川君は申し訳なさそうに頭をかいた。
「ごめん、久賀院さん」
「なにが?」
「なんか、聖モニカでも騒ぎになっちゃったし、ここでも理事長に怒られたんだろう?」
「大丈夫だよー」
わたしは鮎川君に笑いかけた。そんなこと気にしなくていいのに。結局あれは誰に頼まれようともわたしが決めてやったことだもん。
「それより、北原さんとうまくいった?」
「うん。結局平日はほとんど会えないから、メールだけど。でもバスケから離れた者どうしで、うまくやっていけたらいいとは思う」
そうだね、そうできるといいね。
「ところで、北原さんには、頼まれたとおり久賀院さんの名前は出さなかったけど…」
「あ、うん。そうしておいて」
「でも同級生だろ?気がつかないはずないと思ったんだけどなあ…」
それがまた。大規模なビフォーアフターなので北原さんは気がつかなかったのです。なんということでしょう。
でもばれたらばれたで困る。北原さんもわたしが誰か知らなければあっちの寮監につっこまれてもわからないままですむし。
寂しさは残るけど、結果としては正しい。
「でも、俺、久賀院さんになにかお礼をしようかと」
「いいのに」
「でもそういうわけにはいかないし」
わたしは一瞬考えたけど、その時外に探していた人影を見つけた。
「じゃあ、約束通りクレープでも奢ってよ。これから遊びに行くの」
外では一成君と蓮が待っていた。
「遊びに行って門限までに帰ってこよう」
そういってわたしは笑った。




