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第一話 ストレイシープ

 俺──江藤祐一(えとう ゆういち)、二十八歳、独身──は、迷っていた。

 人生に。

 ──そして、路頭に。


 街の象徴とも言えるアーケード街。

 今日はあいにくの曇り空で、照明も心なしか暗い。

 そんな中、俺は色んな事を迷いながらとぼとぼと歩いていた。

 ──なんでこんなに人がいるんだ?

 今は月の中頃で、さらに時間帯はお昼過ぎ。

 世のサラリーマンはお仕事の真っ最中な時間帯だ。 

 それにもかかわらず、老若男女問わず、それなりに人でごった返している。

 ──皆、仕事とかどうしてんだ?

 俺は重たいため息を吐き捨てながら、アーケード街を背を丸めて歩いていた。

 空気が重い。気圧だけで押し潰されそうだ。

 目に映る靴は、若干くたびれているが俺のお気に入りだ。しかしそれすらも重い。すぐにでも脱ぎ捨ててしまいたい。そんな心境だ。

 重いため息が口から漏れた。

 ──あれから一ヶ月か。

 あの日。時刻は深夜二時。

 俺は夜勤明けで、眠い目を擦りながら帰路に就いていた。

 アーケード街から一本隣の、車二台がギリギリ通れるかどうかの狭い路地。雨が降っていた事もあり、俺以外歩いている人間はいなかった。

 そこで俺は『それ』を目撃したのだ。

 唐突に派手なスキール音が路地に響いた。

 何事かと思う間もなく乾いた破裂音がし、その音は大きな轟音にかき消された。トラックがビルの壁に激突したからだ。

 俺はその一部始終を見ていた。ただ、思考は止まっていた。あまりの衝撃に、目に見えるもの、耳から聞こえる音はインプットされるが、何も処理出来ない。

 そのまま立ち竦んでいた俺は、遠くから聞こえて来る救急車のサイレンで我に返った。トラックの運転手か付近の住人が通報したのだろう。俺はそれでもそこから動けない。手も足も震えが止まらない。

 目に映る散乱した大量の破片。暗くて良く見えないが、あれはヘルメットだろうか。

 到着した警察車両のライトが現場を照らす。

 そこに散らばる残骸。

 目を逸らしたくても逸らせない。まるで金縛りにあったかのようだった。

 気付けば、周囲は野次馬が群がっていた。

 帰らなければ。

 そう思い、足を踏み出す。

 重い。

 一歩踏み出すだけで、体力が、精神力が削られる。

 よほど顔色が悪かったのか、駆け付けた救急隊員から怪我の有無を聞かれ、その後警察からも同じ事を聞かれた。ついでに「あなたが通報者ですか?」とそれぞれに確認された。

 俺は「いや、俺じゃないです。怪我もしてません」と押し切り、集まった野次馬を掻き分け、どうにか安アパートの部屋に辿り着いた。そしてそのまま気絶するように眠りに落ちた。

 だから事故の詳細を知ったのは、翌日昼過ぎのローカルニュースだった。

 事故は、スクーターに乗った中年男性とトラックの衝突事故だった。

 中年男性はすぐに病院に運ばれたが数時間後に死亡が確認され、事故原因については調査中である旨を、女性アナウンサーが画面の中で悲壮感漂う口調で伝えていた。

 それからだ。

 事故の事が頭から離れなくなったのは。

 あの時。俺がただ立ち竦んでいたわずかな時間。すぐに通報すれば助かっていた命かも知れないし、既に遅かったのかも知れない。

 そのニュースを見て沸き上がったのは、後悔なのか、悔しさなのか、悲しさなのか、自分でどうにも表現出来ない感情だった。

 俺は生まれて初めて人の生死に関わったのだ。

 ──でも俺のせいじゃない。

 あの時俺が何をしても、きっとこの事実は変わらなかった。そう思わなければやりきれない。

 そして今。

 目に映る景色はただ俺の中を素通りし、雑踏すら耳に入らない。

 そんな事を一ヶ月も引きずっている自分が嫌になった。

 その時だ。

 どん、と衝撃があり、『誰か』にぶつかった。

 俯いて歩いていた俺は、自分の進行方向に『誰か』がいるなんて気づきもしなかった。

「あ、すみません」

「いえ、こちらこそ申し訳ございません。お怪我はありませんか?」

 どこか安心感がある、穏やかで丁寧な口調。

「あ、いえ、大丈夫です」

 俺はそこで初めて顔を上げた。

 そこには黒いスーツを着込んだ男が立っていた。

 整った髪。きちっとした身なり。歳は三十代後半だろうか。

 ──何かの営業か? 

「何かお困りのようですね?」

 その営業マン(仮)は、俺を見るなりそう断定した。

 怪しい事この上ない。

 ぶつかった手前、話を聞くべきなのだろうが、あいにく何もかも間に合っている。というかそもそも持ち合わせがない。

「いえ、間に合ってます」

 俺は咄嗟にその場から離れようとした。

 だが男は巧みに俺の前に回り込んだ。

「いいえ、きっと困っていらっしゃるはずです」

「なんで言い切るんですか?」

「それは、この──」

 男の手には怪しげな蓋付きのコンパスが乗っていた。アンティークだろうか、やたらと装飾に凝っていた。

「このコンパスが貴方を指しています」

 男はコンパスの蓋を開け、それを俺に見せた。

 コンパスの針は確かに俺を指していた。

「……? 何で俺が困っていると分かるんですか?」

「やはり困っていらっしゃるんですね?」

 俺は後悔した。

 これは何かの引っ掛けか?

「どうでしょう、その困っている事を宜しければ私にお話頂けないでしょうか?」

「いえ……誰かに話して解決するような事ではありませんので」

「でも困っているのでしょう?」

 確かに。俺が困っているのは事実だ。

 でも目の前の男に相談したからと言って解決するような問題ではない。

「金ならありませんよ」

「お金の問題ではございません」

「なら何ですか?」

「これは私の仕事なのです。困っている人を探す。そしてその解決の手助けをする。報酬は頂いておりません」

 おいおい。何だよそれは。

 『困っている人を探す』ってのが仕事だと? しかも無報酬で?

 タダより高いものはない。これは俺の信条だ。タダはタダなりに裏がある。ほいほい着いて行ったら、きっと俺は破滅する。

「とにかく急いでいますので、これで」

 俺は一刻も早くその場を離れたかった。実際、急用なんてのはない。

 ついでに言えば、今の俺は今月初めに職場のトラブルで職を失った身の上だ。来月以降の契約を更新しないと言い渡され、俺はその場で退職を願い出て、あっけなく受理された。

 手持ちも貯蓄もない俺は、すぐにでも次の仕事を探さなければならないのだが、そんなに簡単に見つかる訳もなく、こうして真っ昼間に街中をうろついている。

 つまり俺にあるのは時間だけという訳だ。

「お待ち下さい」

 男はやんわりと俺を呼び止めた。

 これ以上関わりたくはない。そんな気分じゃない。

 俺は男の言葉を無視して歩き出した。

 だが男は、俺の背中に向かって思いもよらない言葉を投げ掛けてきた。

「今なら『いいお仕事』を紹介出来ます」

 ──なぜ俺が今無職だと知っている!

 俺は立ち止まり、ぎぎぎ、と音を立て首だけで振り向いた。

「決して悪いようには致しません。まずはお話だけでも」

 男が優雅に指し示す先にはコーヒーショップがあった。喫煙席のある店だ。

 俺は迷った。迷ったが『仕事』というキーワードに心が揺れた。

 ──話を聞くくらいなら……。

「あー……タバコ、持ってます?」

「はい」

「じゃあ、その話とやらをお伺いしましょう──その前にタバコを戴けると幸いですが」

「もちろんですとも」

 話は決まった。


 *


 俺は適当な席に着き、タバコを一本恵んでもらい、オーダーしたコーヒーに口をつけた。

 安っぽいコーヒーの香りが鼻腔をくすぐる。

 ──泥水みたいなコーヒーだな。

 とはいえ、奢ってもらう身としては文句を垂れる訳にはいかない。

「まず、一つ質問が」

 俺はその男の何でも見透かしたような視線が気にいらなかった。蔑むでもなく、哀れむでもなく、ただただ穏やかな視線。表情からも何も読み取れなかった。

「何でしょうか?」

「なぜ俺が無職だと?」

 俺はもらったタバコを大事そうに吸い、コーヒーに口を付けた。

 俺の癖で、タバコを一口吸ってはコーヒーを飲む。前の職場で、まるで煙を飲んでいるようだと同僚に言われた事がある。その癖は直らなかった。

「やはりそうだったのですね」

 男は柔らかな表情を崩さない。

 ──くそ、これも引っ掛けかよ!

 つまり俺は、仕事の事やら事故の事やらを回らない頭で考えつつふらふらと歩いていた様を見抜かれた挙げ句、その相手にタバコを恵んでもらってのんびりコーヒーを飲んでるって訳だ。これじゃ俺がまるでバカみたいだ。

 ──仕切り直しだ。

 俺は態度を変えた。

 目の前の男は俺よりきっと年上だろう。だが声を掛けられたのはこっちだ。つまり客だ。敬語なんて使う気もなかった。

「で『いい仕事』って何だ?」

 目の前の男は優雅にコーヒーに口を付け、カップを静かにソーサに戻した後、そっと名刺を差し出した。

「私はこういう者です」

 そこにはこう書かれていた。


 Welcome to the Rose Garden

  渉外担当 高梨 忠(たかなし ただし)

  xxx-xxx-xxxx(代表)

  xxx-xxx-xxxx(FAX)


 何だこの『|Rose Gardenローズガーデン』ってのは。

 男は訝しげに名刺を凝視する俺を放置して話を続けた。

「私の仕事は困っている人を探し、そしてここに」

 男は名刺を手で示した。

「ご案内する役目を担っています」

「ご案内だと?」

「左様でございます」

 怪しい。怪しすぎる。

「それでその『ローズガーデン』とやらは俺に何をしてくれるんだ?」

「貴方の望んでいる事がそこにあります。そこはそういう場所なのです」

 さっぱり分からなかった。

「分からないな。そこに俺が行くという事は面接でもしてくれるのか? それとも仕事の斡旋か?」

「貴方がそう望むのでしたら」

 俺は自分の身なりを見た。私服だし髪も整っていない。髭だって剃っていない。それに履歴書の類いも持ち合わせていない。

「今日は何も準備してない。それでもいいのか?」

 男は優しく微笑んだ。

「問題ございませんとも」


 *


 空は曇っていたが、雨は降りそうになかった。

 たとえ晴れていても、仮に快晴だったとしても、俺の心はきっと晴れない。

 前を歩く男は、そんな俺の心中など知った事ではないかのように軽快に歩く。

 普段からのろのろ歩く俺は、男の歩調に着いていくのがやっとだ。

 ──一体どこまで歩くんだ?

 コーヒーショップを出た後、バスも地下鉄もタクシーも使わずひたすら歩いた。

 街中からどんどん外れ、どんどん人を見かけなくなった。

 俺は長年この街に住んでいるが、こんな場所まで来た事はない。

 用事がないからだ。

 職場とアパートの往復。たまに雑貨や衣類を買いに街中に出る程度。

 ──こんな所があったんだな。

 年甲斐もなく新鮮さを感じた。街は中心以外は住宅地だ。ここまで来ると、歩けど歩けど家が建ち並ぶ。こんな所にも人が住んでいるんだと素直に感心した。

 だがいくら感心しても物事は一向に進んでいない。

 俺は男に声を掛けた。

「なぁ」

「はい」

 男は立ち止まり、振り向いた。

 男の立ち居振る舞いはどこまでも静かで穏やかだ。

「一体どこまで行けばいいんだ?」

「もう少々我慢頂けますでしょうか」

「どれくらいだ?」

「左様でございますね……後十分くらいでしょうか」

 ここから十分も歩いたら、もうそこは完全に街外れだ。

「随分不便な所にあるんだな、その『ローズガーデン』ってのは」

「申し訳ございません」

「いや、何もあんたが謝る事じゃないさ」

 俺は再び歩き出した。男はそれを見て前を向き、すたすたと歩を進めた。

 ──こんなに歩いたのは久し振りだな。

 俺は何となくだが清々しさを感じ出していた。

 気分が滅入っている時は軽めの運動が良いと聞いた事がある。

 が。

 ──待てよ。

 もしかしたらこの男はそれを俺に気付かせて「ほら、まだやる気充分じゃないですか」とか言って一言二言説教を垂れ、俺に信用させ、それで何かの勧誘をするつもりなんじゃないか?

 俺は自慢でもなんでもないが、宗教の類いは大嫌いだ。

 この国は、生まれると神社で祝い、死ぬとお寺、結婚式は教会だ。この国に古くからある八百万の神の考え方はこれで正しいのか? と疑問に思ったりもするが、俺を含めて、世間がそれほど宗教に関心を持っているとは思えなかった。

 健康器具もそうだ。

 日々数分の運動で引き締まる筋肉、なんてキャッチコピーであちこちのスーパーやホームセンターで売られているが、その『日々』というのが厄介だ。

 人間、苦痛を伴う作業を継続するようには出来ていないのだ。

「どうかなさいましたか?」

 男は立ち止まって俺を見ていた。

「いや──何でもない。それよりまだ着かないのか?」

「いえ──着きました。こちらです」

「は?」

 男が手で指し示す先には古い洋館が建っていた。門扉はバラとその蔓で覆われている。その隙間から見える庭は広い。果てしなく広い。そこもバラで埋め尽くされていた。むせ返るようなバラの香り。鮮やかな色彩。

 ──はは……。

 俺は引きつったような笑みを浮かべていたと思う。

 まさにローズガーデン(秘密の花園)って訳だ。

「それでは改めまして」

 男は門扉を開きつつ、俺を迎え入れた。

「ようこそ、ローズガーデンへ」


 *


 俺は古風な洋館ではなく、広大な庭のほぼ中央にあるガーデンテーブルに通され、そこでしばらく待つよう言われた。

 程なくして、男がティーセットを運んできた。その立ち居振る舞いが尋常ではない。カップや皿、シルバーが乗っているというのに、そのトレイからは何の音も出ないのだ。

 目の前にカップや皿がそっと置かれ、カップに注がれた紅茶から良い香りが立ち昇った。

「じきに主が参ります。それまでお待ち頂けますでしょうか?」

「あ、ああ。ここで待ってればいいんだな?」

「はい。それではごゆっくりお寛ぎ下さい」

 そう言い残し、男は音もなく洋館へ消えた。

 俺はちっとも落ち着けなかった。

 カップを持つ手が震える。カップとティーソーサとぶつかり、かちかち鳴っている。

 ここで音を出しているのは俺だけかも知れない。

 紅茶を啜る音でさえ、誰もいないのに気を使う。

 それほど静かだった。さっきまでの街中の喧騒が嘘のようだ。

 俺は居心地の悪さを感じ、意味もなく辺りを見回すが庭一面のバラと古い洋館しか目に入らない。

 ──ここは本当に日本か?

 と、俺が自分の所在を疑いかけていた時だった。

「お前、名前は?」

 突然、凛とした鈴のような声がした。

 慌てて振り返ると、若い女性がテーブル挟んだ向こう側に座っていた。

 ──いつの間に? 音もしなかったぞ?

 その女性はどうやら日本人らしいが、顔立ちが整い過ぎている。百人が見かければ百人が振り向く。そんな容姿だった。

 俺は女性の歳を言い当てるのは不得手だが、三十歳って事はないだろう。二十代前半だと思う。

 落ち着いた薄いピンクのワンピース、肘まで覆う白い手袋、白い帽子。そこから流れる綺麗な黒髪。そしてどこか物憂げな表情。ただ一点違和感があったのは目だ。碧眼だった。

 多分一分くらい見とれていたと思う。

 まず電車やバスでは見かけない。移動はきっと専用のリムジンに違いない。

 その雰囲気からか、『深窓の令嬢』という単語が頭をよぎった。

 だから俺は、掛けられた言葉に違和感を感じ、訊き返した。

「あ、あの俺に何か言いましたか?」

「ああ言った。言ったがお前に聞こえているかどうかは知らん」

 あれ? 言葉遣いが?

「それにさっきから私をじろじろ見ているようだが、顔に何か付いてるのか?」

 怪訝そうな表情で尋ね返された。

 その女性は残念な事に、言葉遣いが余り宜しくなかった。


 *


「高梨がいい人材を連れて来たと言うから来てみたが……」

 高梨とは俺をここまで連れてきた男だ。

「もう一度訊かなければならないのか?」

「は?」

「お前の名前だ。いつまでもお前だあんただと呼ばれたい訳じゃあるまい?」

「え、ああ、私は──」

「男が『私』などと自分を呼ぶな。仕事なら仕方がないが、今は仕事じゃないだろう? それなりの言葉遣いで充分だ」

「……」

 俺はため息をついた。何となくだが、この女性に逆らっても何もいい事はない気がした。

「俺は江藤祐一と言います」

「江藤か。じゃあ祐一」

 いきなり下の名前で呼び捨てされた。これは何だ? 面接とかじゃないのか?

「祐一、今からお前に適性があるか簡単な試験を行う。いいな」

 『いいな』

 有無を言わせない口調だった。拒否したらその辺のバラが襲ってきそうだった。

「は、はい」

 その女性は露骨に顔を顰めた。

「敬語など要らん。高梨を思い出す。あんな堅苦しい話し方を良く出来るものだ」

 深窓の令嬢はどこかに行ってしまったようだ。

「それにお前、私より年上だろう? 敬語などを使う必要はない。私はお前に敬意を払われる筋合いもないしな」

 ──ああもう! 分かったよ、くそったれ!

「じゃあこれからその適性とやらを見るんだな?」

「その方が話しやすい。やれば出来るじゃないか」

 礼儀や礼節をこの俺が教えないといけないのか? このお嬢様は?

「それから私の名前を教えておこう。お前とか君とか呼ばれるのはご免だからな」

「俺だってお前とか呼ばれたくないがな」

 一言文句を挟んだが聞き流された。

「私の名は沙樹(さき)だ。一条沙樹(いちじょう さき)。上の名でも下の名でも好きな方で呼ぶといい」

「……じゃ一条さん」

「さんを付けるな、気色悪い」

 一蹴された。

 何なんだこのお嬢様は。

「──分かったよ。じゃあ沙樹。適性試験とやらをとっとと始めてくれ」

「お前、私の歳いくつに見える?」

 話が飛んだ。

「何だって?」

「お前の耳がおかしいのか? それとも私が喋っている言葉が通じないのか?」

 もうどうにでもなれと思った。

「……二十四歳、かな?」

「かな、だと?」

 沙樹は柳眉を吊り上げた。

「男なら断定しろ。かな、などと曖昧に言うな」

「二十四歳!」

「外れ!」

 もうやけくそだった。

「じゃあ二十歳!」

「外れだ。お前の目は節穴か? それで良くこれまで生きてこれたな」

 ひどい言われようだ。

「ただの年齢当てだろうが」

「祐一。お前、人を見る時まず何で判断する?」

 ころっと質問が変わった。どうも話が飛躍しすぎる。

「さっきの年齢当ては?」

「もう終わった。次だ」

 沙樹は挑むような視線を俺に投げかけた。追い詰められた俺は苦し紛れに一般論を口にした。

「……目だ」

「嘘だな」

 沙樹は俺の回答を、即座にばっさりと切って捨てた。

「……何で言い切る?」

「さっきからお前は私の目を見ていない」

「っ……」

 図星だった。

 俺は人と話す時、自然と目を逸らす癖がある。良くないとは思うのだが、なぜか人を直視出来ない。特に先月の事故を目撃してからというもの、人を見る時、なぜか罪悪感めいた物を感じるようになっていた。

「お前は自分に自信がないんだ。だから視線を合わせない」

 随分な言われようだ。

 沙樹は先月の事故の有り様を見ていない。だからそんな事が言えるんだ。

 俺は沙樹の視線から顔を背け、吐き捨てるようにこう言った。

「お前に俺の何が分かるってんだ」

「分かるとも」

「じゃ言ってみろよ」

「いいのか?」

 俺はたじろいだ。

 沙樹の目が自信満々だったからだ。

 ──いやまさかな。

 俺と沙樹は、つい五分前までは赤の他人だった。会ったこともない。これだけ目立つ容貌なら俺だって覚えている。それを二言三言の会話で見抜けるわけがない。

「ああ、やれるもんならな」

 沙樹はにっと笑い、深呼吸した。

「年齢は二十八歳、独身。前職は……そうだな、テレオペか? 大方クレームがついて辞めさせられたんだろう。それと大学は出ているようだが、あまり社会では役に立たないようだな。IT系のスキルはほぼない──どうだ?」

 俺は絶句した。

「……何……?」

「何だ。当たりか。割に薄っぺらい男だなお前は」

 俺は椅子を蹴っ飛ばして立ち上がった。

「お前にそこまで言われる筋合いはない!」

「いくら図星だからってキレるのは大人のする事ではないな。それよりも聞きたくないか? お前の素性をなぜ私が言い当てたのか」

 目の前の、口が悪いお嬢様の態度に変化はない。きっとティーセットを吹っ飛ばしてもそれは変わらないだろう。

 その落ち着き払った振る舞い。

 そして俺の素性を言い当てた理由。

 ──くそ。

 俺は年上だ。しかも男だ。

「……先に訊いていておく。事前に素行調査した訳じゃないだろうな?」

「そんな無駄な金をお前にかける価値があるか?」

 ええ、ええ。そうだろうよ。

 俺は椅子に座り直し、足と腕を組んだ。もうやけくそだった。

「じゃあ聞こうじゃねーか。その理由とやらを」

 沙樹は真っすぐ俺を見た。碧い目が俺を射貫いた。なんだこの圧力。それだけで俺は椅子に縫い付けられたように動けなくなった。

「まず……年齢は簡単だ。特に男はな。お前は高梨より若い。見た目から判断して、三十代ではないだろう。初めに自分を『私』と呼んだ事から、社会人経験がある。最低限度のビジネスマナーはあると考えられる。大学を浪人せずに卒業して数年は働いたと仮定すると範囲が絞られる。この段階では年齢は二十八歳前後と推定される。ここで年齢は一旦置いておく。次。前職の件だ。お前は話の聞き方が上手い。ちゃんと私の話について来たし、人の話の聞き方の上手い下手はその人間の対応を見れば分かる。営業職か電話に関わる仕事に就いていたと考えられる。年の途中に仕事を失うという事は、正社員ではなく契約社員か派遣社員。時期的に見て恐らく後者だろう。そこでテレフォンオペレータだろうなと踏んだ訳だ。人の話をちゃんと聞くし滑舌も良かったしな。で、その職を失うとすればクレームだ。大方自分だけでは対処出来ないようなクレームがついたんだろう。社員対応ってのか? そこまで行けば契約の更新で揉める。まだ中旬だから契約は残っているかも知れないが、お前の性格上自分から退職を願い出たって所だろう。それから自信がないくせに意地っ張りなお前の事だ、一社で短くとも一年は我慢しただろう。そこから推察して、三社くらいは転職なり転籍したと考える。大卒プラス四年程度とみた。これで年齢が判明した訳だ。二十八歳だ。それから、IT系のスキルはお前の尻ポケットから覗いている携帯電話だ。今時のスマホじゃない。ガラケーだ。しかも世代が古い。古すぎる。これはIT関係の出来事に関心をあまり持っていないと推察出来る。インターネットを見るくらいはするだろうが事務的スキルはない。こう言っては何だが、お前は勉強家や努力家には見えない。──以上だ」

 俺は呆然とした。

「何か質問はあるか?」

 俺は答えられなかった。

 ただ静かに椅子から立ち上がった。もう座る気も起きなかった。

「どうした? 話は終わっていないぞ?」

 沙樹が怪訝そうな表情で俺を見た。俺をそんな目で見るな。

「……もしこれが適性試験か面接か何かなら俺は不採用だろう? ならここにいても仕方がない」

「お前はせっかちだな。我慢という日本語を知らない訳じゃないだろう?」

「これ以上何があるんだ? 俺の素性を見透かして分かっただろう? 何の仕事か知らんが、高梨さんか? あの人みたいな事は出来ない」

 高梨さんの立ち居振る舞いは俺から見て完璧だった。とても真似出来るようなものではない。きっと山籠もりでもしていたに違いない。

「誰が高梨の真似をしろと言った?」

 今度はきょとんとした顔になった。どうもやりにくい。表情から感情を読むのがこんなに難しいとは思わなかった。

「高梨」

 沙樹は指を鳴らした。

「はい。御用でしょうか」

 いつの間にか、高梨さんが沙樹の傍らに控えていた。

 ──い、いつからいたんだそこに?

「祐一を、江藤祐一を正式に採用する」

「それではこの書類を」

「うん」

 沙樹は厳かに『書類』を受け取った。

 何だと? 正式採用だと?

「沙樹お前」

「何だ」

「いや……今までの会話の流れで採用なんて言葉が出てくる?」

「祐一」

 碧い目が俺を射貫いた。

「な、何だよ」

「私はお前と違って人を見る目がある。それはさっき証明して見せた。そうだな?」

「え? ああ、そうだな」

「その私がお前を見て採用だと決めた。つまりそれを拒否するという事は私の見る目がなかったという事になる。お前は私を貶めるつもりか?」

 ──屁理屈だ!

「屁理屈ではない。お前には適性がある。自分に自信が持てず常に人の顔を気にする小心者だが、私との会話について来た。前に来たヤツは一分経たずに椅子を蹴って出て行った。私もあんな無礼なヤツはお断りだがお前は違う。最後までここにいた。違うか?」

 耐久レースかこれは。

「なに、心配する事はない。お前にはうってつけの仕事だ。私が請け合う」

「一体どんな仕事だよ、それは」

「それは契約してからでないと話せない」

「内容が分からなければ契約なんて出来ない」

「そうか分かった」

 沙樹はあっさりと前言を撤回した。

「お前の仕事はこれだ」

 沙樹は高梨さんから別の資料を受け取り、俺に見せた。

 なんだこれは?

『居酒屋てんもんじ』

 資料の表紙にはそう書かれていた。

「これは何だ?」

「お前は字が読めんのか?」

「あのな……」

 俺はがっくりと肩を落とした。

 どうしてこのお嬢様はいちいち突っかかって来るのか。性格だろうか。

「俺が訊きたいのは、この居酒屋と俺の契約に何の関係があるのかって事だ」

「一つ訊こう」

「何だ」

「この書類を読んだらお前はどうする気だ?」

「そりゃ内容によるな。そのまま帰るかも知れない」

「内容だけでか? それだけで判断するのか?」

「……何が言いたい?」

 俺は沙樹の意図を図りかねた。

「お前の今後の生活の糧になるかも知れないのだぞ? それをこんな紙切れだけで判断するのか?」

「じゃあどうすればいいんだよ?」

「仕事をすればいいじゃないか」

「何だと?」

「そうすればきっとお前は納得する。良くも悪くもな。それに仕事を得るからもう路頭に迷う事もない。ほら問題が解決した」

 何か順番が違う気がした。

 だが逆らえない。俺にはもうこのお嬢様に逆らう気力も体力もは残っていない。

「……契約すればいいんだな?」

「初めからそうすれば時間の浪費はなかっただろうに」

 俺は大きくため息をついた。

「ペンを貸してくれ」

「高梨」

「はい」

 恭しく万年筆を差し出された。

「印鑑は?」

「サインで構わない」

 俺は恐る恐るそのペンを受け取り、契約書にサインした。雰囲気に飲まれた俺は、一体何にサインしたのかさえ考えられなかった。もしかしたら悪魔との契約なのかも知れない。そんな不安が頭をよぎった。

 沙樹は俺が書き終わるや否やさっと契約書を取り上げた。

「さぁこれでお前はこの『ローズガーデン』の一員だ。仕事をしてもらう」

 喜色満面とまではいかないものの、沙樹は悪戯っぽく笑った。

 ──何だ、このお嬢様はこんな表情も出来るんじゃないか。

 ちょっとだけだが気分が良くなった。

「で、俺は何をすればいいんだ? その居酒屋で」

「簡単な事だ」

 沙樹はさらっと言い切った。

「今からそこにお前が行く。で、困っている人を探す。後は解決するだけだ──簡単だろう?」

 ──それが簡単な事か?

「これを渡しておく」

 沙樹の手には『例のコンパス』があった。

「これは簡単に言えば『困った人』を指し示す特殊なコンパスだ。うまく使え」

 コンパスを受け取って資料をめくると地図が書いてあった。

 ──あの事故現場の通りじゃないか!

 俺はそう思い至り気分が沈んだ。まだ事故の事を引きずっているのか俺は。いい加減自分が嫌になった。

「説明は以上か?」

「ん? ああ、以上だ」

 沙樹は顔を上げた。「後はお前に任せる」

「報酬は?」

「必要経費は高梨に言ってくれ。すぐ用意させる。後は終わってからだ」

 俺は再びため息をついた。

「OK、ボス」

 一瞬、間が開いた。

「ぶははははははは」

 笑われた。

「何がおかしい?」

「ふふははは……ボスだと? この私がか? あははは」

 俺はぶすっとした表情で沙樹が落ち着くのを待った。待ち続けた。

「……いい加減止めろよ」

「くはは……いや、お前、冗談が得意そうだな? 私をボスだなどと」

 俺には理解出来ないが、沙樹には笑いのツボが『ボス』らしい。

 ──今度何かあったら使おう。

 心に決めた。

「ええと、一つ訊いても?」

「何だ?」

「沙樹じゃなく高梨さんにだよ」

「何でしょうか、江藤様」

 きっと『様』を外してくれと言っても聞き入れないだろうな。

「俺は今から仕事に入ります。タクシーは使ってもいいんですか?」

「構いませんとも」

 ──は?

「なら……何で、ここに来る時に使わなかったんです?」

 俺はひたすら歩かされたのだ。その理由くらい教えてもらいたい。

「それは」

 高梨さんは空を見上げた。日が傾き、夕方になりつつあった。

「江藤様の気晴らしに丁度良いかと思いまして」

 俺は崩れ落ちる体を、両足と両手で辛うじて支えた。


 *


 後で聞いたのだが、沙樹の年齢は二十四歳だった。

「何だよ、俺が一発で当てただろうが。何で外れなんて言ったんだ?」

「馬鹿者かお前は。初対面の女性が年齢などというクローズドな情報をすぐに明かすはずがないだろう?」

 俺はこいつには決して逆らうまいと思った。

 いや。

 きっと逆らえない。

 そう直観した。

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