元彼の変化(2)
続きです。そのうちこっそり前話とこのお話を一話に纏めると思います。
「あのさ」
珈琲を一口味わった後、元カレが口を開いた。
「この間、ある文豪の私小説を読んだんだ」
「はぁ」
急に何を言い出すのかと思ったけど、まだマンゴー・オーレを飲み切っていない私は仕方なく相槌を打った。
「その小説家にはさ、すごく良く出来た奥さんがいて仲良く暮らしていたんだけど、ある日その奥さんが親友だと言う女性を連れて来て、暫く小説家の家に居候させる事になったんだ」
何が始まったのかと思わないではないけれど、私も小説は結構好きな方なのでよく彼とは読んだ本の話で盛り上がっていたものだから、後輩ちゃんの話をするよりは健全な話題かと思い、大人しく耳を傾けた。
「だけど一緒に暮らしていく内に、小説家はその奥さんの親友と恋仲になって」
なっ……んだってぇ?
「とうとうその『親友』と駆け落ちする事になって、遠くの街に行く汽車に乗ったんだ」
「えっひどっ……実話なの?」
鬼の所業かっ!
私の問いに、彼はコクリと肯定の頷きを返した。そうだよね、私小説って事はその小説家の告白本な訳で……。
「汽車に乗る前は『これしかない』と思ってそう行動したんだけど、街を離れるに連れ小説家の気持ちは徐々に冷えて来て、ある時ハッと気が付いたんだ『自分は間違っている。大事な愛する妻に、なんて酷い仕打ちをしようとしているんだ』って」
「いや、気付くの遅すぎない?……で、どうなったの?」
「……小説家だけ汽車を降りて妻の元へ帰ったらしい」
「は~そりゃ……」
顔を上げると元カレが神妙な表情をして、私を見ていた。何となく嫌な予感がして口を噤んでしまう。
「それを読んでいて身につまされた。俺も……間違ったんだって、思った」
「……」
「アイツに頼りにされて、俺が支えなきゃって思ったんだ。だけど……優し過ぎて弱い女の子なんだと思っていたのに、彼女の弱さは優しさじゃなくて、結局幼いと言うか自分本位なだけなんじゃないかって気が付いて―――分からなくなった。違うんじゃないか、俺は判断を間違ったんじゃないかって……本当は話が合うのも気が合うのも、お前の方が―――」
「ストップ!」
私は片掌を晒して、続きを制した。
「それこそ『気の迷い』だよ。それにあの子、ただ嫉妬で気が気じゃ無かったんじゃない?アンタの気持ちが読めなくてさ。其処は年上のアンタが待ってあげなさいよ、『頼りになりたい』んじゃ無かったの?」
「……何でそんなに冷静なんだよ」
憮然とした表情で囁く彼の抗議に、何と返して良いか分からず口を噤んだ。何故私が責められるような形になっているんだ?と頭の中はハテナマークが飛び交っている。
「前からそうだよな、お前は。俺がアイツと話していても責めたりしないで余裕で……俺の事なんかどうでも良かったんだろ」
「―――うん」
大きく頷いた。
「ホント、別れた今となっては本当にどうでも良い!……でもさっきも言ったけど、付き合っていた頃は嫌だったよ。そうは見えなかったかもしれないけど、さ」
「……」
真顔で真っすぐ彼を見つめて断言する。すると元カレはスイッと視線を逸らして俯いた。
「もう……駄目なのか?」
「うん」
「もう誰かと付き合ってるのか?―――例えば今日、屋台に来てた男とか」
うっ……さすが察しが良いな。
当らずとも遠からずだ。
「『付き合って』はいないよ」
下手に気を持たせるのは面倒のモトだ、と判断する。
「でも好きな人は出来た……あ」
テラス席は公道に面している。ちょっとだけ堤が盛られていて低木が植えられている。低木はそれほど葉が密になっていないタイプで、道行く人を簡単に視認できる。だから知合いが通れば直ぐに分かる訳で……。
今まさに『私の好きな人』が目の前を通り過ぎて行く所だった。その彼は見た事も無い様な無防備な表情で笑っている。優し気に細められるその視線の先にいる、小柄な女の子は―――
「わ、すげーハデ!」
私の視線の先を追った元カレが目を見開いた。
そう、あの彼の隣にいる女の子は本当に『派手』だった。ふわふわの金髪に、現実感が無いくらい、お人形みたいに目が大きい。ちょっと距離があるから詳細には確認できないけれども、明るい色の唇にちょっとくすんだ緑色の変わった形のワンピースを着ている。―――なんて言うのか、お洒落が行き過ぎて一般人にはお洒落かどうか判断付かない、みたいな。デザイナーとかアーティスト志望の子って感じ。
「真面目そうな隣の男と違和感ありまくりだな―――って、アレひょっとして」
チッと舌打ちしたくなった。元カレは他人の顔や名前を覚えるのが得意なのだ。成績も良いし運動神経も良い、気配り上手で将来は出世しそうなタイプ。そう、生垣の向こうを通り過ぎて行く、地味でシャイ、女の子と積極的に話すのが苦手そうな真面目な彼とは正反対の……。
クルッと元カレが私を見た。
全部見透かしたような、心得たような瞳から、今度は私が目を逸らす事になった。
「―――アイツか?」
『うん』とも『ううん』とも応える事のない私を見て、元カレは確信を掴んだようだった。
「隣の……『彼女』なんじゃないか?」
と、憎々しくも元カレは私の気持ちを挫くような台詞を吐く。
……でもその声に力は無く、この事に限って言えば確信はほとんど無さそうだ。
彼も言った通り、見た目で言えばあの二人は全然似合っていない。こざっぱりお洒落に身なりは変化したとは言え、真面目そうな理系君そのものの彼と金髪の奇抜な格好をした女の子は―――まるで別世界の生き物みたいに見える。
「違うと思う」
……と反論したものの、それは、あくまで希望的観測。
だって彼が隣の彼女に向ける笑顔があまりにも無邪気で、そして楽しくて仕方が無いって言っているように見えたから。




