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「ああ。リナ…。離れたくない」
「はいはい。夜には会えるじゃない」
「リナ! 冷たいぞ!」
「そんなこと言ったって、お仕事でしょ?」
「リナぁ…」
ぎゅうと抱きしめられたまま、リナの頭にすりすりと頬ずりするレオは、朝食が終わってからずっとこんな感じだ。
深層世界に帰ってきてから、10日が経った。
いい加減、当事者として、次々と送られてくるギルドや春の町からの呼び出しを、レオは無視できなくなってきたのだ。
因みにリナも当事者であるが、リナが聖女であるとバレれば、教会関係者がリナを囲い込んでしまう可能性があるため「保留」となっている。
「なんで俺が…。聞き取りならここに来ればいいのに…」
「春の町の人、困ってるんでしょ? 助けてあげて」
「リナぁ~」
と、このようにずっと駄々をこねているのだ。
春の町は基本的に大らかな人が多いため、多少の移民なら受け入れるのだが、聖地として山を一つ自分たちのものにしようとする教会関係者と大きく揉めている。
押し寄せた教会関係者や巡礼者たちは、自分たちの土地へと帰らず、ずっと山のふもとに陣取っているのだそうだ。
商人たちは商売の機を逃すまいと集まっているし、宿屋はパンク状態。巡礼者たちの中には自分の財産をすべて使って春の町に来たものも多いらしく、食い詰めている者もあり、治安の悪化も、問題視されている。
そこで、冒険者ギルドも出張ってくる事態となっているらしい。
「りにゃ、あしょぼ」
「あらあら、ジュエル。もうそんな時間?」
つんつんとスカートの裾を引っ張られて足元を見ると、ちみっこい紫の髪色の女の子がぬいぐるみを抱きしめて立っていた。
「ジュエル。抱っこさせて」
「いいにょ」
手を伸ばして抱っこしやすいようにしてくれるジュエルがかわいい。リナは抱きしめて頭にキスする。
「じゃあ、子供たちと遊ぶ時間だから、私行くね。レオ、頑張ってきて」
ジュエルを抱っこして、レオに挨拶する。
駄々をこね始めてから3回目だ。
「俺にもキスしてくれ」
「さ! さっきもしたじゃない!」
「さっきはさっき、今は今。ジュエルにできて、俺にはできないのか?」
「ジュエルが見てる、から」
「じゅえるみてにゃいにょ」
ジュエルはさっと抱きしめていたぬいぐるみで目を隠した。
「ジュエルはいい子だなぁ~」
レオはなでくりとジュエルの頭を撫でる。
「ほら」
「もう。…レオ、いってらっしゃい」
リナがキスすると、レオからもお返し。
「よっしゃ。行きたくないけど行ってくるか」
(よかった。やっと行く気になってくれた)
リナがほっとしていると、レオは玄関に向かう。
「リナ。俺は夜帰ってくるんだから、子供たちと寝ないように」
「わかってるわ」
モーラと一緒に寝ていたことがばれてしまってから、おねだりされて子供たちと順繰りに寝るようになったリナ。
当然、レオと寝る隙間はないわけで。
レオはここしばらくソファで眠っているのだった。
ポワンと深層世界から地上に出る魔法陣が出てくる。
「リナ。また夜に」
「ええ。夜に」
すっと、魔法陣をくぐって、レオはやっと出かけて行った。
「りにゃ、れおと、ちゅーしちゃね?」
「まあ。ジュエルったら覗いてたのね」
「うん。ちゅーみちゃい」
「ジュエルともしちゃおうかしら」
ちゅーっとすべすべのほっぺにキスすると、ジュエルはきゃらきゃらと笑ってくれる。かわいい子だ。
「今日は何して遊びましょうか」
「いろタッチ」
「うん。じゃあみんなのいるところに行きましょう」
「やっちゃね」
「レオナルド。不貞腐れても書類は進まねーぞ」
「書類仕事は俺の不得意だ」
「自慢げに言ってんじゃねーよ」
グリッドは机に肘をついて、レオが書類を書くのを見張っている。
見張っていないとレオがすぐ逃げようとするからだ。
「リナと離れるのが不安で、俺は字がかけなくなりそうだ」
「だから、最初の手紙に反応しとけばよかったんだ。お前が書類を書かないから、呼び出しにまでなったんじゃねーか」
これをグリッドが説明するのは3回目だ。そろそろ飽きてきた。
「春の魔王は目覚めないのか?」
「天使との全面戦争にでもなれば起きたかもしれないが、結局、戦争は起きなかったからな」
それでも町は混乱しているが、魔王には大事ではないのかもしれない。
「町は混乱してるのになぁ」
ギャリーが書類を覗き込んで、半分も進んでないのを見て笑う。
「治安はどうだ?」
「まずまずだな。冒険者が増えてからは落ち着いてるよ」
見回りを終えたギャリーは、教会の巡礼者が集まっているテント村の様子を語る。
「聖女様への祈りが増えた以外は、あんまり変化がないな」
「天使がいなくなれば、次は聖女様か。聖女様がまだ何とかしてくれると思ってるんだろうな」
「そうはいかない」
「じゃあ、書くしかないな」
ギャリーが長い脚を組みながら提案する。
「リナは俺の嫁だ。手を出すなら命をとられる覚悟をしろ」
「なんて書いても意味ないからな」
グリッドにバツをつけられた。
「こいつ本当にあのレオナルドか?」
「確かにレオナルドだ、グリッド。お互い現実を見ようぜ」
ギャリーに言われてがくっと頭を落とすグリッド。
「とにかく、早く家に帰りてえならさっさと報告書を仕上げるこった」
グリッドの正論にぐうの音も出ないレオだった。




