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「トーマス!」
「ブフーーーーー!!」
リナがあっけにとられてていると、レオがヘラジカをトーマスと呼んだ。
「リナ。こいつはトーマス。安心してくれ。女王の使いだ」
「ブフーーーーー!!」
巨大すぎていちいち鼻息がすごい。
リナの氷の花冠が飛びそうになったのを、レオが抑えてくれた。
「トーマスが来たってことは、早く顔を見せろって言いに来たんだろう?」
「ブフーーーーー!!」
因みにこんな大きな鹿が歩いていても、周りの人は大騒ぎしていない。
「あ、トーマスだ」「女王様のお使いかなぁ」くらいのもんである。見慣れているのだろう。
「トーマス。彼女はリナだ。リナは一人で乗れないから、俺も乗せてくれるな?」
「ブフフフーーーーー!!」
「リナ。乗ろう」
トーマスが膝を折って地面に座れば、乗れそうな高さになった。それでも大きい。
「ついてるな。トーマスは男が嫌いだから普段は乗せないんだ」
はははっと笑ってリナを抱いてトーマスに乗り込むと、トーマスはゆっくり立ち上がる。
「た、かい」
「ああ。怖いなら目をつむってもいいが、トーマスの魔法が見れるぞ」
「魔法?」
フォン
空気が震えたと思ったら、小さな緑の魔法陣が前方にいくつも現れる。
「うわ!きれい!」
「そうだろう?トーマスの魔法は美しいんだ」
「ブフーーーーー!!」
のっしのっしと歩いて進むトーマス。
馬より背が高くて揺れるけど、それにしてもきれいな魔法に目が行く。
そして、魔法陣の所にトーマスが首を突っ込むと、顔が消える。
「?!」
「転移魔法だ。このまま女王の所へ行くぞ」
「え? こんな普段着で…」
「女王は気にしない。大丈夫だ。リナは可愛い」
ほっぺにちゅっちゅと何度もキスされる。
さっきの雰囲気がまだレオの中で続いているようだ。
「レオ!ちょっ…落ち着いて」
「ブフーーーーー!!」
トーマスに「背中でいちゃつくな」と怒られた気がする。
「もう。落ちちゃいそうだから大人しくね」
「俺がリナを落とすわけがない」
きらびやかな緑の魔法陣に触れたところから、転移が始まる。
「暖かいのね」
魔法陣での転移は暖かい。覚えた。
のっしのっしとトーマスは迷いなく歩く。
全身が魔法陣に侵入すると、にぎやかだった出店の前からすっかり姿を消し、ぼんやりとした暗い建物の中にいた。
「女王が普段住んでいる北の深層世界だ」
トーマスの背中でレオが説明してくれる。
レオの影も小さな深層世界なのだという。
「わあー。おっきいのね」
目の前に現れた巨大な城。点々とランプの光が浮かんでいる。
岩を彫って作られたかのような建物で、過度なきらびやかさはない。
そして、トーマスが案内してくれた大広間には、女王が立っていた。
トーマスから降ろしてもらって、慌ててお辞儀する。
「れお なる ど」
真っ黒のローブを着た3メートルはある女王が、レオの名前を呼ぶ。
「女王。在任三百年おめでとう」
「おめでごうございます」
リナも頭を下げた。
「あ りが とう」
しゃべりかたが独特だ。
ブラックバックと言われる獣のねじれた角が天を突くように伸び、背はもっと大きいように感じられる。
顔は鹿の骨の面をつけているのでよくわからない。
レオはばあさんだと言っていたが、声も、ばあさんと言われればそう聞こえるし、若いようにも聞こえる。
「ぷれぜ んと」
「え?」
さっと素早い動きでリナを抱き上げた。
「かわい い」
「こら!ばばあ!それはプレゼントじゃない!」
「かわ いい」
リナを軽々と抱いた女王は、嬉しそうにほくほくとした様子で歩く。
「ばばあ!リナを離せ!」
「かわ いい」
女王とレオの話は噛み合わないままだが、リナは縦抱っこされて、トントンと背中を叩かれる。
安心する。びっくりするくらいの温かみと愛情を感じる。
まるで赤ん坊になったような感じで、全面的に女王を信じられる気がするのだ。
女王が王座に座った時には、リナはうつらうつらしてしまっていた。
「リナ!寝るな!こっちにこい!」
「うん…」
全身の力が抜けて、こてんと女王に寄りかかって、リナは本格的に眠ってしまった。
「ばばあ!魔法を使ったな?」
「あ か ちゃん」
「捨て子じゃない!俺のだ!」
「とても つか れてる」
「ん?」
「きもち つかれ て からだ が つかれて かわいそう」
「……」
「しばら く ゆっくり して」
「わかった」
レオは旅から旅へとリナを連れまわしていた自覚がある。
きっとずっと気を張っていて疲れていただろうと思う。
深層世界ではリナも心から休まることが出来るだろう。
「リナをこっちへ」
「?」
「俺が抱く」
「い や」
「嫌じゃねーよ。リナは俺のだ」
「かわい い」
「そればっかりじゃねーか」
よく見ると、リナは女王のローブを掴んでがっしりと抱き着いている。
嫉妬だ。
リナはレオの感情が流れ込むようになってから、体をこわばらせていることがある。
レオの感情が嫌ではないはずだ。
レオのことを好きだという気持ちも、じんわりとだが感じられる。
しかし、いまは女王の腕の中で、心の底から安心しているのがわかる。
これに嫉妬せずにいろといわれても、レオには難しい。
「ブブブブブブブブ――!」
「…トーマス。お前本当に俺のこと馬鹿にするよな」
獣にまで笑われるレオであった。




