「蹂躙」
~~~トワコさん~~~
再び戦化粧をしようと口を開きかけたところへ、ギィが聞いてきた。
「……小娘。なぜそうまでして我らの前に立ちはだかる?」
純粋な疑問、といったように首を傾げる。
「どうあがこうが、しょせんは勝てぬ戦いだぞ?」
「……決めつけてほしくないわね」
「死ぬかもしれんぞ? IFとて無敵ではないのだ。どれほどの復元力をもってしても復元できぬ領域というのは存在する。私がお優しく加減をしてくれるなどと思うなよ?」
ギィの周囲の空気が揺らぐ。
物理現象すら伴いかねないほどの膨大な殺気が放たれる。
『……⁉』
マリーさんが後退り、黒子が息を呑んだ。
「……可哀想な人ね」
わたしは構わず前に出た。
「ミカグラ様がそれを望んだ。鈴ちゃんがそれを望んだ。IFと、IFの子供がそれを望んだ。愛しい人に会いたいって。もう一度愛して欲しいって」
「……」
「……もう、あなたにはわからないのかもしれない。ずっとずっと昔だったら感じ取ることのできただろう喜びが。ただただ創造主に愛されていればそれだけで幸せだった頃の気持ちが。親との別離を恐れる子供の気持ちが」
「……?」
ギィは無言で首を傾げた。
「……家族なのよ」
「……」
「……IFが、家族を成したのよ」
「……それがなんだ?」
IFと人間の間に、子供が産まれる。
それは、途方もない確率だが起こることなのだ。
有史以来、この世には億を超える数のIFが産み落とされた。
だがその子供となると、おそらく千にも満たない。
それほどの奇跡なのだ。
――だからIFの子供というのはわたしたちにとって重要で。
――ただそこにいるというだけで、守るべき理由になる。
「……わたしたちはね、奇跡のためなら、すべてを投げ出すことができるのよ」
静かに静かに、述懐した。
「……ほざきよる」
ギィが嘲笑するように口元を歪めた。
「……ならば小娘。予言通りに滅びるがよい――」
慎重に間合いを計った。
敵からは遠く、自分からは近く。
刀と槍なら、リーチの長い分だけ槍が強い。それは自明の理だ。なんといっても、攻撃が届かなければお話にならないのだから。
隆々としごいた。
真中から少し根本寄りを掴んだ。
足を肩幅より広く開いた。
重心は丹田。
穂先はやや上向き、敵の喉元へ向けるつもりで。
中段、左半身の構え――。
日本古流は合戦の中で磨き抜かれた技術でもある。当然わたしは槍の扱いにも習熟している。
4メートル半ばはあろうかという長槍だが、自在に操ることが出来る。
細かな出入りと素早い突き。
あるいは穂先の上下を意識した叩き。
とにかく間合いを保ち、繰り返し攻め続け、相手を削り擦り減らすイメージで――。
「――!」
けん制の突きを入れようとしてやめた。思わず息を呑んだ。
ギィの構えだ。ぐぐう……っと、異常に背中を丸めた構え。
片手を柄にかけ、片手を鞘にかけ、顔をうつむけている。
――こちらを見ていない?
八方目という言葉がある。少林寺拳法の用語だ。
他流派においては、観の目、遠山の目付けと呼んだりする。
両者向かい合った時にどこに目をやるか。
八方目は視線を固着させず、震わすようにすべてを見る。相手の全体像をぼんやりと把握し、そのすべてに反応する。
それにはいくつかの利点がある。
相手にこちらの出を悟られにくいこと。上中下、あらゆる攻撃に対応できること。凶器と対した時に恐怖を薄れさせること。
どれも唯一絶対の正解というわけではない。相手の目、眉間、手元足元――それぞれの流派にそれぞれの理合がある。
裏を返せば、幾重にも語られるほどに目つけは大事な技術なのだ。各流派の要諦なのだ。
にも関わらず……。
ギィは自分の足元を見ていた。
どっしりと大地を踏みしめ、まっすぐに自分の足元を見ていた。
足を居着かせること、視線を固着させること。
武道家の嫌うことを、ギィは頓着せずにしていた。
――チャンスだ。
間違えようのない隙。
まっすぐ槍を突き出せば、そのままギィの胴を貫ける。
だけどわたしは動けなかった。
その構えの放つ異様な迫力に圧倒された。
「チャンスじゃトワコさん――」
「おいおい何やって……」
マリーさんと黒子が同時に声を発した。
――キェアアアアアアア!
怪鳥のような叫びが、ギィの口から発せられた。
『――⁉』
それは抜群のタイミングだった。わたしたち3人の思考をその場に縫い止めた。
――ギィの足が動いた。
「――⁉」
このままでは間合いを詰められる。
懐に入り込まれれば、長槍の長所はすなわち短所となる。
近づかせまいと、慌てて突きを放った。
まっすぐに、ギィの胴に向かって。
ギィが顔を上げた。
「にいっ……」と、口元に笑み。
――突かされた⁉
気づいた時には遅かった。すでに体は中段突きの動作に入っている。
穂先を躱された。
槍の側面を擦るようにギィが迫る。刀はまだ鞘の中にあるが――。
「――止……まって……!」
両足に急制動を命じた。すんでのところで止まった。
両腕をくるりと回した。石突きでギィのこめかみを狙った。
再三の無茶な動きに、体が悲鳴を上げた。何本もの筋繊維が断裂した。
「――キェアアアアアアア!」
ギィが再び大きく叫んだ。刀を抜きざま、下から垂直に斬り上げてきた。
――自顕流⁉
鋭い発声と共に初太刀にすべてを賭ける、薩摩の自顕流。独特な上段から打ち込む「懸り」が有名だが、下段からの「抜き」は見えづらく、躱しづらい。
中段突きを無理やり変位させたわたしには、当然躱す余裕などなかった。
右の肘から先を、槍もろともに斬り飛ばされた。
「――あ……あ……あ……っ⁉」
痛がっている暇はなかった。ギィは未だ、間合いの内にいる。
「……滅びよ」
斬り上げた刃が頂点で刃先を返した。
「――!」
初太刀ほどの威力ではない。だが全力の斬り下ろし。
左手に持っていた槍の残りで、側面から刃を叩いた。
かろうじて刃先がずれたが、右の太腿を浅く斬られた。
「く……っ!」
槍を両断され、腕を飛ばされている。足の状態も悪い。
いまや間合いの利は逆転されている。
遠間から切り刻まれるのはこっちだ。
――間合いの内にいる間に仕留めないと……!
痛みに堪えながら左のハイキックを飛ばした。
不十分な姿勢で繰り出した、見え透いた一撃――。
ギィは体を沈め、カウンターのように踏み込んできた。
肩から体当たりするようにぶつかって来た。
「ぐう……っ⁉」
わたしは踏ん張ることが出来ずに飛ばされた。
地を転がり、跳ね起きた。
ギィは刀を上段に――トンボに構えている。
「にいっ……」と口元に笑み。
「……っ⁉」
背筋が粟立つ。
「させるか!」
マリーさんが側面からつっかけた。
地を這うような低い姿勢から、足元を払いに行った。
ギィは片足を持ち上げてこれを躱した。
「……臑斬りか」
興味なさげにつぶやく。
足を下ろすと同時に勢いよく斬り下ろした。
マリーさんは額を垂直に断ち割られた。
「いまさらあとには退けないんでねえっ!」
間を置かず、黒子がギィの背後に迫った。
青白い炎を纏った左のフック。
ギィは後ろに目でもついてるかのように体を沈めた。
沈めながら、見当だけで刀を後方に振った。
「――うあああああああっ⁉」
ごとりと音をたて、黒子の片足が切断された。
「……」
マリーさんはすでに、言葉を発しない。
死んでいるのか、生きているのか。
それすらもわからない。
ただひとつの事実は、わたしたちが負けたということだ。
ギィの圧倒的な実力の前になすすべがなかった。
ちょっと拍子を外されただけで、急造の連携は容易く崩された。
あとはただ、蹂躙されるのみだ。
四肢を飛ばされ、舌を飛ばされ、目をくり抜かれ。
命尽きるまで、恐怖と絶望しか与えられない。
「…………はあっ」
ため息が漏れた。
足が震えた。
――夢を見ているのかもしれない。
ぼんやりとした夢の中、わたしは破滅に怯えているだけなのかもしれない。
あるいは目さえ覚めれば、すべてなかったことになるのかもしれない。
身の程知らずにもギィに立ち向かったこと。
ミカグラ様を生かそうと思ったこと。
遡り、新に会ったこと。
彼に創造されたことすらも――。
「――そんなわけ……ないじゃないっ!」
わたしは強く奥歯を噛み締めた。
残された左の拳を握った。
両足に力をこめた。
「わたしは負けない! ギィ! あなたにも! この身に降りかかった運命にだって……絶対、打ち勝って見せる! 新のためにも! わたしは――」
――新が好きだから!
――トワコさん!
「――⁉」
振り返った。
被せるように唱和した声の主を振り返った。
「………………ほう。間に合ったかよ」
ギィが低くつぶやく。
「――待たせたな。ギィ」
心臓を抑えながら、呼吸を荒げながら、新は斜面を下りて来た。
ここまで新を運んで来てくれたのだろうか。すぐ後方を桃華がホバリングしていた。
新はまっすぐにわたしのもとへやって来た。
抱きしめてくれるのかと思ったがそうではなかった。
背を向けるように立った。
ギィの眼前に立ちはだかった。
「――待たせてごめん。トワコさん」
雄々しく強く、新はわたしに背を向けた。




