「愛を歌う」
~~~ミカグラ様~~~
野盗に襲われ、両親を失った。
お姉ちゃんとふたり、あてどもなく旅をした。
歌を歌い、踊りを踊り、日本全国を渡り歩く旅芸人。
ワタシたちに関所はない。
地の果てまで歩こうと、海の際まで赴こうと、咎める者など誰ひとりいない。
木々が、雲が、鳥たちが輩だった。
日々気楽に、歌い踊っていればそれで良かった。
なんの憂いもない、楽しい日々だった。
その村に着いた時に感じた違和感は、いわく言い難い。
みんなが優しかった。
必要以上に笑顔を浮かべ、必要以上にかまってくれた。
ひもじいのは一緒だろうに、食料を分け与えてもくれた。
村の真ん中の小屋を貸してくれた。ゆっくり休んできなって、旅の苦労を労ってくれた。
何かが気持ち悪いのに、どこかがおかしいのに、それを言葉にできなかった。
一瞬の逡巡が、すべてを変えた。
夜陰に押し入られ、捕らわれたワタシたちは、順番に吟味された。
ワタシが選ばれ、お姉ちゃんは選ばれなかった。
最初の日以降、お姉ちゃんに会っていない。
逃げられたのだとは、とても思えなかった。
村の惨状が、村人の表情が、それを物語っていた。
家畜を喰らい、種もみを食いつくし、ついには肉親にまで手を伸ばす。
地獄絵図がそこにはあった。
石棺に、ワタシは閉じ込められた。
生け贄に捧げられるんだって。
小さいから、痩せてるから石棺に入れやすいって。
そんなのやだって言ったけど、たくさんたくさん暴れたけど、誰も助けてはくれなかった。
石棺の蓋は重く、小さなワタシの手には余った。
空気穴代わりの竹筒が刺さっていたから、すぐには死ななかった。
無明の暗闇の中、することなんて何もなかった。
お経を唱えろなんて言われたけど、ワタシはお経がわからなかった。
代わりに歌を歌った。
怖かったけど、心細かったけど、他にどうしようもなかった。
雨滴の落ちる音。風の葉擦れ。虫の音。鳥の羽ばたき。囀り――。
自然と共に歌った。
外へ出たらどうしようって。どんなものを食べて、お姉ちゃんと一緒にどこへ行こうって。
ずっとずっと考えながら、ずっとずっとそのことを歌ってた。
気が付いた時には、野原に立っていた。
びょうびょうたる風に吹かれていた。
石棺はすでになく、ワタシを縛っていた誰ひとりとして、そこにはいなかった。
山を越え谷を渡った。
風景が様変わりしているのに驚いた。
家の形が違った。人の服装が違った。飢えてる者など誰もいなかった。皆、楽しそうに笑ってた。
いつの間にか隣にいたヴィクトールさんが、丁寧に説明してくれた。
IFについて。
語り継がれる記憶の集合としてのワタシについて。
時代の移り変わりについて。制度の変化について。
ワタシの知らない間に、世界は目まぐるしく移ろっていた。
そうして何年かが経った。何十年かが経過した。
数えきれないほどの日の出日の入りを繰り返した。
ある日、体の変調に気づいた。
手足が上手く動かなくなっていた。
声が上手く出せなくなっていた。
ヴィクトールさんの言葉が身に染みた。
ワタシたちの運命――
IFは、創造主の愛なくしては生きられない。
わずかに残された記録だけが、ひっそりと語り継がれる泡沫のような記憶だけが、ワタシの存在を支えていた。
流れる年月が、それすらも奪っていく。手のひらから零れ落ちるように、存在が失われてゆく。
――都へ行こう、そう決めた。
本当に動けなくなる前に、この世から消え去ってしまう前に、もっともにぎやかで、もっとも幸せの集う街を見たかった。
そうしてワタシは、あの人に出会った。
おかしな髪型のあの人――。
家にあげてくれた。
お風呂に入れてくれた。
傷の手当てをしてくれた。
名前をくれた。
美味しいものを食べさせてくれた。
新しい服を着せてくれた。
暖かい寝床を用意してくれた。
雨の日には共に外を眺め、晴れの日には一緒に歩いてくれた。
手を繋いでくれた。
優しく抱きしめてくれた。
愛してくれた。
結婚しようって、言ってくれた。
ワタシは初めて、己の正体を明かした。
この人ならば、きっとずっと一緒にいてくれる。ついに滅びるその時まで、傍にいてくれる。
そう思ったから。
思っていたのに……。
会いたい――
唐突に、そんな想いが溢れた。
怖がられたのに。
逃げられたのに。
ワタシはまだ、あの人に会いたい。
ひとりきりで鈴を産んで、途方に暮れていたところを小鳥遊さんに拾ってもらって、はや10年。あの人と一緒にいられたのはたかだか1年。何百年の中の、たった1年。
だけどワタシは忘れていない。
あの人の匂いを、抱き上げてくれた手の感触を、かけてくれた優しい言葉を、照れくさそうにそっぽを向いた横顔を。
会いたい――
動けなくなる前に。
「ア……ア、ア――」
もう、言葉が上手く喋れない。
天井に向けて放った言葉は、不明瞭な響きしかもたらさない。
あの人が褒めてくれた歌声は、もう出せない。
しゃがれひび割れた、呪いのような言葉しか紡げない。
「ア……アア……アッ、アァアアアア……!」
だけど漏れ出る声を止めることが出来なかった。
願うのを、歌うのを、やめることが出来なかった。
軋む体に鞭打って、ワタシは上体を起こした。
掴んだ布団が脆くも破けた。
突っ張った腕が床を貫いた。
「……っ」
ぎくしゃくと、ふらつきながら立ち上がった。
よろけて部屋の隅の小物箪笥にぶつかった。中身を全部、床にぶちまけた。
「――く……うっ」
床に手をついたままの体勢で関節が固まりそうになった。
無理やり力をこめて動かしたが、今度は踏ん張りが効かない。勢い余って転がり、襖を倒して廊下に出た。頬を擦るようにして這いつくばった。
──動ける……うちに……!
爪で、肘で。体全体で板張りを掴んだ。
かきむしるようにして、なりふり構わず起き上がろうとした。
だけど出来ない。
「…………っ⁉」
視界がぐにゃりと曲がって見えた。床と壁と天井の境目があやふやになった──自分がどこにいるのか、それすらもよくわらからない――
「ウ……アア……ッ⁉」
──強い耳鳴りがした。
時計の針の動く音が、外で鳴く虫の音が、板張りを通して伝わる何かの震動が、何十倍何百倍にも拡大されて伝わってきた。
「ア、ア──ア!」
何度も何度も、頭の中で小爆発のようにわめきたてた。
気が狂いそうなほどの大音量。
自分じゃない何者かが、終わりだって叫んでる。
「──!」
ワタシは必死で耳を塞いだ。塞ぎながら、声を張り上げた。
終焉に抗うために、高く高く、愛を歌った──




