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トワコさんはもういない  作者: 呑竜
「さまようミカグラ様」

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58/70

「愛を歌う」

 ~~~ミカグラ様~~~




 野盗に襲われ、両親を失った。

 お姉ちゃんとふたり、あてどもなく旅をした。

 歌を歌い、踊りを踊り、日本全国を渡り歩く旅芸人。

 ワタシたちに関所はない。

 地の果てまで歩こうと、海の(きわ)まで(おもむ)こうと、咎める者など誰ひとりいない。

 木々が、雲が、鳥たちが(ともがら)だった。

 日々気楽に、歌い踊っていればそれで良かった。

 なんの憂いもない、楽しい日々だった。


 その村に着いた時に感じた違和感は、いわく言い難い。

 みんなが優しかった。

 必要以上に笑顔を浮かべ、必要以上にかまってくれた。

 ひもじいのは一緒だろうに、食料を分け与えてもくれた。

 村の真ん中の小屋を貸してくれた。ゆっくり休んできなって、旅の苦労をねぎらってくれた。

 何かが気持ち悪いのに、どこかがおかしいのに、それを言葉にできなかった。


 一瞬の逡巡が、すべてを変えた。

 夜陰に押し入られ、捕らわれたワタシたちは、順番に吟味された。

 ワタシが選ばれ、お姉ちゃんは選ばれなかった。

 最初の日以降、お姉ちゃんに会っていない。

 逃げられたのだとは、とても思えなかった。

 村の惨状が、村人の表情が、それを物語っていた。


 家畜を喰らい、種もみを食いつくし、ついには肉親にまで手を伸ばす。

 地獄絵図がそこにはあった。


 石棺に、ワタシは閉じ込められた。

 生け贄に捧げられるんだって。

 小さいから、痩せてるから石棺に入れやすいって。

 そんなのやだって言ったけど、たくさんたくさん暴れたけど、誰も助けてはくれなかった。

 石棺の蓋は重く、小さなワタシの手には余った。

 

 空気穴代わりの竹筒が刺さっていたから、すぐには死ななかった。

 無明の暗闇の中、することなんて何もなかった。

 お経を唱えろなんて言われたけど、ワタシはお経がわからなかった。


 代わりに歌を歌った。

 怖かったけど、心細かったけど、他にどうしようもなかった。

 雨滴の落ちる音。風の葉擦れ。虫の音。鳥の羽ばたき。囀り――。

 自然と共に歌った。

 外へ出たらどうしようって。どんなものを食べて、お姉ちゃんと一緒にどこへ行こうって。

 ずっとずっと考えながら、ずっとずっとそのことを歌ってた。


 気が付いた時には、野原に立っていた。

 びょうびょうたる風に吹かれていた。

 石棺はすでになく、ワタシを縛っていた誰ひとりとして、そこにはいなかった。


 山を越え谷を渡った。

 風景が様変わりしているのに驚いた。

 家の形が違った。人の服装が違った。飢えてる者など誰もいなかった。皆、楽しそうに笑ってた。

 いつの間にか隣にいたヴィクトールさんが、丁寧に説明してくれた。

 IFについて。

 語り継がれる記憶の集合としてのワタシについて。

 時代の移り変わりについて。制度の変化について。

 ワタシの知らない間に、世界は目まぐるしく移ろっていた。

 

 そうして何年かが経った。何十年かが経過した。

 数えきれないほどの日の出日の入りを繰り返した。


 ある日、体の変調に気づいた。

 手足が上手く動かなくなっていた。

 声が上手く出せなくなっていた。


 ヴィクトールさんの言葉が身に染みた。

 ワタシたちの運命――

 IFは、創造主の愛なくしては生きられない。

 わずかに残された記録だけが、ひっそりと語り継がれる泡沫のような記憶だけが、ワタシの存在を支えていた。

 流れる年月が、それすらも奪っていく。手のひらから零れ落ちるように、存在が失われてゆく。

 

 ――都へ行こう、そう決めた。

 本当に動けなくなる前に、この世から消え去ってしまう前に、もっともにぎやかで、もっとも幸せの集う街を見たかった。


 そうしてワタシは、あの人に出会った。

 おかしな髪型のあの人――。

 家にあげてくれた。

 お風呂に入れてくれた。

 傷の手当てをしてくれた。

 名前をくれた。

 美味しいものを食べさせてくれた。

 新しい服を着せてくれた。

 暖かい寝床を用意してくれた。

 雨の日には共に外を眺め、晴れの日には一緒に歩いてくれた。

 手を繋いでくれた。

 優しく抱きしめてくれた。

 愛してくれた。

 結婚しようって、言ってくれた。


 ワタシは初めて、己の正体を明かした。

 この人ならば、きっとずっと一緒にいてくれる。ついに滅びるその時まで、傍にいてくれる。

 そう思ったから。


 思っていたのに……。


 会いたい――

 唐突に、そんな想いが溢れた。


 怖がられたのに。

 逃げられたのに。

 ワタシはまだ、あの人に会いたい。


 ひとりきりで鈴を産んで、途方に暮れていたところを小鳥遊さんに拾ってもらって、はや10年。あの人と一緒にいられたのはたかだか1年。何百年の中の、たった1年。

 だけどワタシは忘れていない。

 あの人の匂いを、抱き上げてくれた手の感触を、かけてくれた優しい言葉を、照れくさそうにそっぽを向いた横顔を。

 

 会いたい――

 動けなくなる前に。


「ア……ア、ア――」

 もう、言葉が上手く喋れない。

 天井に向けて放った言葉は、不明瞭な響きしかもたらさない。

 あの人が褒めてくれた歌声は、もう出せない。

 しゃがれひび割れた、呪いのような言葉しか紡げない。


「ア……アア……アッ、アァアアアア……!」

 だけど漏れ出る声を止めることが出来なかった。

 願うのを、歌うのを、やめることが出来なかった。


 軋む体に鞭打って、ワタシは上体を起こした。

 掴んだ布団が脆くも破けた。

 突っ張った腕が床を貫いた。


「……っ」

 ぎくしゃくと、ふらつきながら立ち上がった。

 よろけて部屋の隅の小物箪笥にぶつかった。中身を全部、床にぶちまけた。


「――く……うっ」

 床に手をついたままの体勢で関節が固まりそうになった。

 無理やり力をこめて動かしたが、今度は踏ん張りが効かない。勢い余って転がり、襖を倒して廊下に出た。頬を擦るようにして這いつくばった。


 ──動ける……うちに……!


 爪で、肘で。体全体で板張りを掴んだ。

 かきむしるようにして、なりふり構わず起き上がろうとした。

 だけど出来ない。

「…………っ⁉」

 視界がぐにゃりと曲がって見えた。床と壁と天井の境目があやふやになった──自分がどこにいるのか、それすらもよくわらからない――


「ウ……アア……ッ⁉」

 ──強い耳鳴りがした。

 時計の針の動く音が、外で鳴く虫の音が、板張りを通して伝わる何かの震動が、何十倍何百倍にも拡大されて伝わってきた。

「ア、ア──ア!」

 何度も何度も、頭の中で小爆発のようにわめきたてた。

 気が狂いそうなほどの大音量。

 自分じゃない何者かが、終わりだって叫んでる。

「──!」

 ワタシは必死で耳を塞いだ。塞ぎながら、声を張り上げた。

 終焉に抗うために、高く高く、愛を歌った──



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